昨日は、時ならぬ青嵐。
強い風が吹きまくった。
その風は、南風である。
風は乾燥していて、まことに気分の宜しい一日であった。
だがしかし、夕食の後白雨がきた。
今日の午前中まで降り続くのだと云う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/13/23b21ffa338e8174a48f0391e593e85f.jpg)
瓦を積み重ねた塀が、緑を引き立てるのであった。
由利さんは、野人からの「からまつ」退会届を手にしたはずである。
由利さんは心の平安を得たことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/5b9f33b6dae19826415ae355ff8e3635.jpg)
野人の心には「青嵐」が吹いた。
同時に、新たなる俳句への旅立ちが始まった。
断固たる道程が見える。
いま、茂木健一郎さんの著作にのめりこんでいる。
脳科学者である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fe/926e5f712af64105204bf8ebccc8bc08.jpg)
「ざわめきの葉裏を見せる青嵐」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5e/7ac412241568dfa09bb57d808c5f08bf.jpg)
茂木は、とりわけ俳句について多くを発言している。
その発言が「正鵠」をえている。
当を得ているのである。
その著作の中に「モーツアルトは演歌をつくれない」というセンテンスがある。
作品はその人の、よって来る経験と学びの結果であるというのだ。
同時に、それを曲げてまで作品を作っても駄目だというのだ。
モーツァルトは演歌を聴いたことがないから、演歌はつくれないのだと喝破する。
見事である。
茂木さんの見解は、今後多くを紹介する事になるだろうと思う。
とまれ、今月末を以てぼくは「からまつ」を退会する。
新たな俳句の旅がはじまるのだ。
荒 野人
強い風が吹きまくった。
その風は、南風である。
風は乾燥していて、まことに気分の宜しい一日であった。
だがしかし、夕食の後白雨がきた。
今日の午前中まで降り続くのだと云う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/13/23b21ffa338e8174a48f0391e593e85f.jpg)
瓦を積み重ねた塀が、緑を引き立てるのであった。
由利さんは、野人からの「からまつ」退会届を手にしたはずである。
由利さんは心の平安を得たことだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/5b9f33b6dae19826415ae355ff8e3635.jpg)
野人の心には「青嵐」が吹いた。
同時に、新たなる俳句への旅立ちが始まった。
断固たる道程が見える。
いま、茂木健一郎さんの著作にのめりこんでいる。
脳科学者である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fe/926e5f712af64105204bf8ebccc8bc08.jpg)
「ざわめきの葉裏を見せる青嵐」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5e/7ac412241568dfa09bb57d808c5f08bf.jpg)
茂木は、とりわけ俳句について多くを発言している。
その発言が「正鵠」をえている。
当を得ているのである。
その著作の中に「モーツアルトは演歌をつくれない」というセンテンスがある。
作品はその人の、よって来る経験と学びの結果であるというのだ。
同時に、それを曲げてまで作品を作っても駄目だというのだ。
モーツァルトは演歌を聴いたことがないから、演歌はつくれないのだと喝破する。
見事である。
茂木さんの見解は、今後多くを紹介する事になるだろうと思う。
とまれ、今月末を以てぼくは「からまつ」を退会する。
新たな俳句の旅がはじまるのだ。
荒 野人