英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

小田原・箱根・東京紀行 余話

2023-07-03 18:17:41 | 日記
「その1」「その2」「その3」「その4」の続きというか……閑話というか…

 箱根は初めてではない。と言っても、前に訪れたのは相当、昔……中学校の修学旅行。
 三泊四日で、日光、東京、箱根の行程。


 初日は日光。覚えているのは、いろは坂の急カーブ日光東照宮の三猿
 と言っても、長押(なげし)の三猿を観ながら、「見ざる、言わざる、聞かざる」の説明を聞いたという記憶があるだけ。その説明の《「不見・不聞・不言」……「理由もなく悪く言うな」という教義で、素直な心のままに成長させよという戒め》というのは、今、知った。何となく「軽々しく人の秘密を知りたがったり、知ったことを迂闊に話すな」という“家政婦の心得”(笑)みたいなものだと思っていた。
 宿泊は鬼怒川温泉。旅館名は覚えていない(“鬼怒川温泉旅館”というような名称だと思っていたが、違うようだ)。斜面に沿ったというか、崖にへばりついた建物構造で、木造。大部屋で部屋に備え付けのトイレが臭かったという記憶があるが、朧気で、真偽は怪しい。

 2日目~3日目は東京。例年なら、後楽園遊園地を楽しむ日程が組まれていた(先輩に遊園地のエピソードを聞いて楽しみにしていた)が、この時の学年主任(担任だった)堅物で、代わりに行ったのが“東芝科学館”。まあ、悪くはなかったが……ちなみに、翌年は後楽園遊園地に行ったらしい。
 当時は、東京ドームはなく、後楽園球場。スカイツリーも当然なく、東京タワー。ディズニーランドもなく、後楽園遊園地……時の流れを感じる。
 国会議事堂皇居東京タワーに行った記憶がある。と言っても、議事堂では《あちこち歩いた》というイメージだけ、《皇居を観て、何が面白いんだ?》と思った記憶だけ、東京タワーでは、展望景色は覚えてなくて、帰りの集合場所に最後に到着して、《学年主任の冷たい視線を感じた》記憶だけ。
 宿泊は“本郷館”……だと記憶していたが、これも怪しい。ネットで検索すると、“本郷館”…「明治時代に文京区本郷に建てられた下宿屋」としか出てこない。
 修学旅行の食堂としては、やたら狭かった記憶がある。

 三泊目の宿は“芦ノ湖ホテル”……と記憶していたが、ネット上には痕跡がなかった……私の記憶って(笑)
 
 4日目は箱根大涌谷の噴煙を観たという記憶がある(情景は覚えていない)。
 最後に寄ったのは、十国峠
 十国峠の名前の由来は《昔の国名で「伊豆」「駿河」「遠江」「甲斐」「信濃」「相模」「武蔵」「上総」「下総」「安房」の十の国がここから見渡せたことから来ている》とのこと。
 それはともかく、その名の由来から、素晴らしい景色が観られると期待したが、白い霧しか観ることができなかった。残念な思いも残っているが、これに関しては、《白いモヤモヤした景色》を覚えている。
 当然、富士山を観た記憶もない。

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 芦ノ湖の次の目的地の大涌谷の噴煙を観ながら、修学旅行のことを思い出していた。
 ちなみに、隣地区の中学校は“河口湖ホテル”に宿泊したという情報を記憶しているが、当然定かではない。“河口湖ホテル”は実在しているようだが、河口湖ホテルの宿泊したという情報自体が怪しい。
 河口湖ホテルに泊まったとしたら、富士山が良く観えたんだろうなあ……

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