英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『軍師官兵衛』 第30話「中国大返し」

2014-07-30 00:41:42 | ドラマ・映画
本能寺の変により、秀吉の第一義は「明智討伐」となった。

そのため、
Ⅰ毛利と和睦(前話)
Ⅱ中国大返し(今話)
Ⅲ山崎の合戦(今話?)

大戦略であるが、

明智に勝利するため、秀吉・官兵衛は万全の策を施す
(「中国大返し」についての考察は後述)
①「共に明智を討つべし」という書状を畿内一円の武将に、幾度も送る
②兵たちを実家に帰さない

 里心がついて、士気が下がるのを避けた
 (この指令を出した官兵衛は、その手前、光に会うのを遠慮するという官兵衛らしさを演出)
③金銀や米をすべて兵たちに分け与える
 士気を上げる
④明智に使者を送り、宣戦布告
・明智軍を動揺させる
・「義(信長の弔い)は秀吉軍にあり」と公言することで、近辺の諸将(世論)を味方に付け、味方の士気は上がり、敵の士気は下がる
⑤悪日に出陣を吉報と嘯く狂言を仕組む
 悪日出陣の畏れを一掃し、士気を上げる
⑥摂津の大名衆(池田恒興、中川清秀、高山右近)をとり込む
 摂津衆、秀吉の髷を切って示した覚悟に感服。大返しの迅速さで、羽柴軍の強さを感じる
⑦信孝(丹羽長秀)を軍に加える
 信長の血筋を立てることで、大義を得る


これに対し、明智光秀の敗因 

1“大義なき逆臣”
 「戦闘準備のない主君に夜襲を掛けた」という事実で、諸将は明智に付くことを躊躇った

2公家を味方に付けるが、公家たちは何の役にも立たない
 室町末期は、都の腐敗より戦乱の世となった。その都(天皇・公家)中心の世を復活させようとしても説得力はない

 敗走の際、「この国の為にしてきたことは、間違いだったのか?」とつぶやいたが、方向を間違えたと言わざるを得ない。
 自分の大志をアピールするため、信長の非道さをアピールし、安土城に火をつけるぐらいのパフォーマンスが必要だったのかもしれない。


 それにしても………
 「中国大返し」は迅速だったが、それを遥かに上回る瞬殺だった「山崎の合戦」


ナレーション
「6月13日午後4時、山崎に於いて両軍は激突した。
 羽柴軍4万、明智軍1万3千。
 すでに勝敗は見えていた(えっ?そうなの…)」

ナレーション後、戦況報告を待つ光秀の不安と諦めの混じった表情を10秒ほど映し、
「松田正親、伊勢忠興様、お討ち死に」
「斎藤利三様、お討ち死に」(小木茂光さん、見せ場なく退場)
頼りの腹心・斎藤利三討ち死にの報によろめく光秀、
「………こんなはずでは……こんな」

(瞬時の場面転換で敗走の場面)
「この国の為にしてきたことは、間違いだったのか?」
(「何を仰せか?そのようなこと、断じてありませぬ」)
「そうか、わしは間違っておらぬか………ぐはっ……」

ナレーション
「光秀は、あっけなくその生涯を終えた。本能寺の変から、わずか11日後のことであった」

 先のナレーション(すでに勝敗は見えていた)から、わずか2分弱のことであった。


こぞって官兵衛を持ち上げる登場人物
光秀「官兵衛か?あの男が何か考えおったのか?………やりおったな、官兵衛!」
おね「官兵衛殿、此度は官兵衛殿の策がことごとく当たったとか?
   官兵衛殿のおかげで勝ったようなものですね」




中国大返しについての疑問
ナレーション
「備中から姫路まで、およそ80kmの道のりを秀吉軍はわずか1日で走破した。驚異的な早さであった」


 意外と近距離。
 夜を徹して走ったらしいので20時間走ったと仮定すると、時速4km。………遅くない?
 いや、昼間の暑さを避けるため夜間に行軍したのかもしれない。
 でも、松明の準備も大変だぞ。あまり大がかりにすると、明智に動きが漏れる怖れも。

 確かに、握り飯、味噌、松明と「中国大返し」の為、用意周到さは認める。
 官兵衛自身も危惧していたが、走り続けた兵の疲労が1日の休息で取れるのか?
 走るより、重い荷物を馬や荷車を使って効率的に、無理をせず進軍した方が良いように思うが……

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2 コメント

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雨が降ってました。 (こてくん)
2014-07-31 20:34:55

>中国大返しについての疑問
ナレーション
「備中から姫路まで、およそ80kmの道のりを秀吉軍はわずか1日で走破した。驚異的な早さであった」

まず、雨が降ってまして、道がじゅるじゅるでした。

先発隊は馬を使っていますから、
もう少し早いものと思われます(笑)


最後尾はおそらく徒歩なので、
そこそこ遅いかと・・・・。

後、重い荷物は船で運んだようでして・・・・



面倒なのでウィキより・・・・(笑)


沼城と姫路城のあいだには
軍記物語『太平記』に「山陽道第一の難処」と
記された船坂峠があり、

谷が深く、道が狭隘なうえに滑りやすいとされていた。

また、姫路城への帰還は暴風雨のなか
行われたという記録もあり、
道筋の河川は相次いで増水したという。

このとき、秀吉は氾濫した川近くの農民を雇って、
人の鎖をつくり、その肩に負いすがりつつ
川を渡らせたという逸話がのこっている。


というわけで、

ドラマでもその辺をきちんと説明して
おけば、英さんの疑問は
あっさりと解決できたと思います・・・・というか、

もう少し、丁寧に説明しろよ・・・・大河ドラマの
脚本さん(笑)


>官兵衛自身も危惧していたが、走り続けた兵の疲労が1日の休息で取れるのか?

多分、取れてないと思います。
乳酸がたまりまくりだと。

ウィキより


ただしフロイスの観察によれば、
高山・中川・池田の摂津衆にくらべて、
秀吉が中国地方より引き連れてきた兵は
いずれも疲れていたという


今思うと、兵がたくさんいたとはいえ、
よく勝てたものです(笑)


>瞬殺

>先のナレーション(すでに勝敗は見えていた)から、わずか2分弱のことであった。


大河ドラマでは鮮やかすぎましたね。
官兵衛を持ち上げる為に、
ぐずぐずできなかったのでしょうか・・・・。(笑)

山崎の合戦のあっという間の終わり方に、
今でも唖然としているこてくんなのでした。

ではではっ。
返信する
雨と地形でしたか ()
2014-07-31 22:31:14
こてくん、こんばんは。

>雨が降ってまして、道がじゅるじゅるでした
>「山陽道第一の難処」と記された船坂峠があり、
谷が深く、道が狭隘なうえに滑りやすいとされていた

なるほど、雨と地形のの問題がありましたか。

>ドラマでもその辺をきちんと説明しておけば、英さんの疑問は、あっさりと解決できたと思います

 ですよね。あのナレーションは説明になっていないというか、ない方がいいでしょう。
 それに、映像も、さながら市民マラソンのようでした。

>高山・中川・池田の摂津衆にくらべて、秀吉が中国地方より引き連れてきた兵はいずれも疲れていたという
>今思うと、兵がたくさんいたとはいえ、よく勝てたものです(笑)

 むむむ。
 秀吉(官兵衛)は、初めから自軍の兵は頭数だけで戦力としては期待しておらず、摂津衆をこき使うつもりだったのかもしれません。

>山崎の合戦のあっという間の終わり方に、
>今でも唖然としているこてくんなのでした。

 私も非常に残念。不満。

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