英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

女子バスケット 吉田亜沙美の引退に思う

2019-05-04 18:01:28 | スポーツ
3月25日に、長年、日本女子バスケットを牽引してきた吉田亜沙美選手(JX-ENEOS所属)が現役引退を発表した。

 「昨シーズン(2017-18)の途中から少し考えだし、私の中で今シーズン(2018-19)とは決めていました。最後にファイナルを戦って私の気持ちがどうかを確かめたいという思いもありましたが、その結果、最後のブザーが鳴った瞬間、引退しようと思いました」と、吉田は、引退のタイミングについて、シーズンを通して考えながら、最終試合後にはっきりと決断したことを明かした。
 引退の理由としては、「一つの目標であったオリンピック出場というのをリオデジャネイロで達成して以降、自分の気持ちだったりモチベーションだったりに違和感を持っていました」と気持ちの面が大きく、さらに「気持ちもそうですが、昨シーズンぐらいから、自分が満足のいくプレーができなかったり、ベストパフォーマンスを発揮できなかったりと、120%の力を出し切っても自分が思い描くバスケットをできていなかった。そういう歯がゆい思いをしながらやっていたのも一つの理由となりました」とも語った。
『バスケットボールキング』の記事より引用)

 ≪まだまだ、日本代表のスターティング・ポイントガードとしてやれるし、やって欲しい≫
 これは私だけではなく、多くのファンが思っているはず。
 しかし、引退会見の彼女の言葉を聞くと、納得できる部分も多い。その点については後述するとして、彼女の思い出を少しだけ語らせていたく。




………≪なかなか使えるガードだなあ≫というのが最初の彼女に対する感想
 2006-07シーズン、ルーキーながらもJOMO(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)のスターター、主力で活躍。
 当時は大神の全盛期(“当時”と記すと語弊があるかもしれない。彼女もずっと活躍した)で、ドライブも鋭く、パスも鋭かったが、吉田も同タイプのガードだった。
 ポイントガードとしてオフェンスを組み立てるのは大神が主だったが、時々、プレーの流れで吉田がその役を担うことがあり、十分役割を果たせていた。
 もちろん、インパクトは大神の方が強く、私の記憶力の乏しさもあり、ルーキー時代の彼女のプレーの記憶はやや霞が掛かってしまっているというのが、正直なところだ。
 そんなわけで、部屋にあるDVDを探してみたところ、2008-09シーズンのファイナル、対シャンソン・Vマジック戦が見つかった。吉田にとって3年目のシーズンだった。(段ボール箱の中を探すともっと古いものはあるかもしれないが)


 セミファイナルで、JOMO(レギュラーシーズン2位)は富士通(シーズン3位)を2勝0敗、シャンソン(シーズン4位)はトヨタ(シーズン1位)を2勝1敗で破ってのファイナル進出だった。

 シャンソンのスターターは、相澤 優子、石川 幸子、池住 美穂、中川 聴乃、渡辺 由夏。
 この試合、この5人の他は、藤吉 佐緒里が24分プレーしたぐらいで(他は川井 梢が3分、藤生 喜代美1分)、ほぼ6人で戦ったが、10点差ぐらいで推移する苦しいゲーム展開で、いつ、その点差が決壊しても不思議ではない流れだった。しかし、要所で闘将・相沢が鬼神のようなプレーでチームにカツを入れ、他のメンバーもそれに応え、稀に見る熱闘となった。相沢の32得点を筆頭に、スターター全員が二けた得点だった。

 この試合のJOMOの吉田の他のスターターは、田中 利佳、内海 亮子、林 五十美、山田 久美子。大神はレギュラーシーズンの最終盤に手首を骨折し、ベンチで必死に応援をしていた。
 田中が攻撃的シューティングガード、内海はシュート力のあるスモールフォワード、林は機動力のあるパワーフォワード、山田は192㎝の上、横幅もあり、ゴール下を支配し、フックシュートで得点を重ねていた。
 控えには、速いオフェンス展開を欲する時には山田に代えて諏訪 裕美、控えのガードとしてスピードのある立川 真紗美、ポイントガードの控えとして新原 茜、控えのフォワード陣は寺田 弥生子、長南 真由美、木林 稚栄(ルーキー)がいた。

 大神を欠いたプレーオフは、吉田がほぼひとりでオフェンスを組み立てていた。JXスターターも全員二けた得点で、メンバーのポテンシャルは高い。特に田中は矢野 良子を彷彿させるような手を付けられないプレーをした(田中が爆発すると凄く、ほれぼれした記憶が多くある)。
 とは言え、シーズン当初からこのスタイルならともかく、プレーオフ直前のシステム変更は大変だったかもしれない。


  (この試合の時の吉田亜沙美)

 吉田はコート上を動き回っていた。視野は広く、パスは正確。ドライブやジャンプシュートで得点を挙げ、≪えっ?ここにいるのか≫という感じでリバウンドにも絡んだ。15得点、10アシスト、9リバウンド、1スティール。渡嘉敷へのキラーパスがないだけで、日本代表チームの中心プレーヤー時代と基本的には同じだった。

 このゲームの結果や戦評は書きません。
 書き始めると、長くなって終わりそうもないですし、エスカルゴさんを意識しているのも理由です。
 シャンソンファンのエスカルゴさんなら、この試合は記憶に刻まれているかもしれませんし、試合のDVDをお持ちかもしれませんが、もし、記憶にないのなら、DVDをお送りします。結果を知らない方が30倍楽しめますから。



吉田亜沙美の思い
 吉田はリオデジャネイロ五輪にすべてを懸けていた。

 時を遡り、2012年、ロンドン五輪の最終予選対チェコ戦対カナダ戦)。実力は充分にあったが、ベンチワークの悪さが足を引っ張り、五輪出場はならなかった。
 その4年後、リオデジャネイロ五輪。アジア選手権で中国、韓国を退けて、アジアチャンピオンとしての出場で、チーム力は四年前に比べてさらにアップしていた。


 吉田にとって、日本代表にとって、8年間の思いを懸けての五輪だ。ロンドン五輪予選で悔しさを味わった大神、矢野、田中ら、そして、ずっと共に戦ってきた渡嘉敷、間宮(現・大﨑)、髙田らの集大成が、リオ五輪の代表チームだった。
 五輪では、日本チームは全てを出し切った。しかし、準々決勝敗退。

 吉田も引退会見で語っていたが、予選リーグのオーストラリア戦が大きなポイントだった。
「勝てばリーグ1位通過が見えていた試合で、リードしていた中で逆転されて負けた。私のゲームコントロールができていれば勝ち切れたし、1位通過ならメダルに届いたかもしれない。負けて世界の壁を一番感じた。届きそうで届かない、小さな差が大きく感じた、すごく悔しい試合で、そこから強くなりたいという気持ちができた」
 勝てる試合を落としてしまった結果、準々決勝の相手はアメリカ。オーストラリアに勝っていれば、予選リーグ1位にならなくても2位、悪くとも3位にはなったはず。相手がアメリカでなければ、準々決勝を突破した可能性はかなり大きかった。

 この最悪の相手、アメリカ戦でも、日本チームは大健闘。序盤は主導権を握り、第2Q中盤になっても得点をリード。
 しかし、欲が出たのか、これまで目いっぱい戦ってきた疲労が出たのか、ミスが増え、リードを許して前半終了。前半をリードで終えていれば、心理的に大きな違いがあり、アメリカも穏やかな気持ちでハーフタイムを過ごせなかったはずだ。
 後半は、アメリカがギアを上げたのか、日本が力尽きたのか……最終的には、アメリカ 110-64 日本と大敗。

 吉田にとって、リオ五輪での日本チームが最高のチームだったのだろう。リオ五輪が終わり、終結してしまった。
 それに加え、準々決勝敗退が決まった相手が、最強のアメリカチームで、全力で戦い敗れた。最強の相手にすべてを出し切ったという充足感を感じてしまったのではないだろうか?




 「リオ五輪後はモチベーションに違和感を感じてしまった」が、それでも吉田は心を奮い立たせプレーをした。
 私は今でも ≪五輪でプレーをしてメダルを取ってほしい≫、≪吉田のプレーを観たい≫と思っているが、「お疲れ様、ありがとう」という言葉を送りたい。

 
コメント (4)
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