布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

日本語で詩を書く米国人の文学講演会

2008-01-16 | その他
アーサー・ビナードさんというアメリカ生まれで、アメリカ育ちの方が、日本語で詩等を書き、発表しているのをご存知であろうか?この方が、柏の図書館主催で文学講演会を行うという。いつも、市内の図書館の本館や分館で曝書(本の棚卸し)が行われるこの時期、毎年のように図書館主催の講演会が開催されているのです。
平成20年1月15日号の広報かしわによると、今年は、来日10数年のアメリカ生まれの詩人・セッセイストのアーサー・ビナード(Arthur Binard)氏の文学講演会を開催するという。氏には、自作の詩の朗読の他、ユーモアと暖かさにあふれた話しをして貰うとのこと。ここで、少し、氏について紹介しますと、氏は、1967年にミシガン州に生まれ、大学卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。2001年に詩集「釣り上げては」(思潮社)で中原中也賞を受賞する。目次も見てみると、ことば使い、釣り上げては、線、タッグ、ぼくらの島、放流、濡れていくと、自己ベスト、許したまえ、夏の或る日曜日、ほかとなっており、「記憶はひんやりした流れの中に立って、糸を静かに投げ入れ釣り上げては、流れの中へまた放すがいい」という趣旨の実に感性ある詩集である。中年のおじさんには、中原中也という言葉には弱い。甘酸っぱい青春の香りがいっぱい詰まっているので。
それはそれとして、氏の作品には絵本もある。「カエルのおんがくたい」(福音館書店)、「おーい、カナブーン」(福音館書店)、訳書に「どんなきぶん?」(福音館書店)、「焼かれた魚」(透土社)など多数。現在、『草思』、『うえの』など月刊誌の連載、ベネトン社発行『COLORS』誌の日本特派員として、また青森放送『サタデー夢ラジオ』のパーソンリティなど幅広く活躍中。近作の詩集としては「左右の安全」(集英社)があります。
では、具体的に以下にこの講演会の概要を紹介します。
開催日時     平成20年2月9日(土)午後2時~4時
開催場所     アミュゼ柏
演  題     過去という名の外国
          ~時代を超える言葉について~
講  師     アーサー・ビナード
対  象     市内在住・在勤・在学の方
定  員     300人(※先着順)
費  用     無料
申し込み     1月16日(水)午前9時から
申し込み先    図書館本館へ電話(7164-5346)か直接
なお、図書館分館の蔵書点検による休館日は、豊四季台・南部・西原・布施・増尾・新田原・松葉・高柳の8館は1月22日~1月31日、田中・永楽台・光ヶ丘・新富・高田・根戸・藤心・沼南の8館は2月5日~2月14日だそうです。
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相次いで発売される縁起キップ

2008-01-15 | その他
先般は、1月19日より、大洗駅と新鉾田駅と鹿島臨海鉄道の本社(通信販売のみ)で発売される「常に徳が来る」という鹿島大洗線の縁起キップの話しをしましたが、今度は、受験シーズンを前にした千葉県の縁起きっぷのお話です。
千葉都市モノレール(千葉市)のホームページによると、「サクラサク合格祈願御守切符」を下記により売り出中とのこと。同モノレールの「桜木駅」(さくらぎ駅)と「作草部駅」(さくさべ駅)という駅名の冒頭の部分を合わせた語呂(サクラサク)で、縁起の良さを狙った企画だそうです。乗車券と御守の台紙がセットであることが特徴とのこと。では、以下でその具体的な概要を紹介します。
発売期間    平成20年1月1日(火)から平成20年3月31日(月)まで
発売箇所    千葉みなと駅、千葉駅、都賀駅、千城台駅の各駅窓口と通信販売
金  額     370円
切符の概要   御守り袋になる専用台紙に桜木駅から作草部駅までの硬券切符を
          セットしてあります。切符は全て合格祈願のご祈祷を受けてます。 
有効期間    平成20年12月31日までに1回に限りご乗車になれます。
販売枚数    限定2,000枚
通信販売    切符の代金370円の郵便為替と返信用の切手80円(1部の場
          合)を同封して、本社営業推進課合格きっぷ担当までお申し込み下さい。
          <連絡・申込先>
          千葉都市モノレール株式会社
          〒263-0012  千葉市稲毛区萩台町199-1 運輸部営業推進課
          電話:043-287-8215
昨年に続き、今回で2回目だそうですが、昨年は、3、000枚限定販売したが、1,300枚売れ残ったそうです。そこで、今年は2,000枚の発売となったらしい。また、このセットは、長南町の長福寿寺の合格祈願の祈りを受けたという。このセットを購入された方が、全員、合格することを祈ります。
さて、写真は、徳が宿るという鹿島大洗線の徳宿駅のプラットホームです。この駅も、ごたぶんに漏れず、無人駅で、しかも道路より低い所にプラットホームがあり、駅前にもコンビニもなく、まさに、日本の原風景を象徴するような駅です。しかし、近くには徳宿城趾後があり、由緒ある地域らしいのですよ。
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宝登山のロウバイと宝登山神社

2008-01-14 | 花情報
昨日ですか、1月13日(日)、秩父鉄道の長瀞駅の反対側にある宝登山のロウバイを見に行ったら、柏ICから宝登神社まで1時間半もかからなかった。しかも、東松山ICから花園ICまで16キロメートルの渋滞があったにもかかわらずだ。
スムーズと思える時間内に到着し、車を山麓駅麓の駐車場に止める。料金は普通車1日500円だ。早速、駐車場から歩いて約2分の宝登山の山麓駅で、往復切符(720円)を買って、ロープウエイにのるが、ロープウエイは定員の50人近く乗っており、満員状態。しかし、あっという間に山頂駅に到着。この日は、風が強く寒かったが、澄み切った青空だったので、宝登山からは、秩父の山々と、遠くには雪をかぶった山々が見渡せ、実に素晴らしい眺めであった。手が届くと思えるほどくっきりと見える山々をバックに記念写真、そすて、駅前広場にある幸せの鐘を、世界平和(?)を祈願して、思いっきり突いてから、ロウバイを見に行く。ここのロウバイは、500株、2000本と言われている。ついでに、ロウバイの花言葉は慈愛だそうだ。
さて、山頂方面を見上げると、山道には、黄色奥咲き誇ったロウバイが、観光客を優しく迎えてくれている。7~8分咲きではあるが、私には見頃に見えた。多くの観光客は、思い思いに咲き誇ったロウバイの前で、記念写真に興じている。
ほのかな甘い香りとうつむき加減に清楚に咲く黄色い色のロウバイは、人の心を穏やかにさせ、都会の喧騒を忘れさせるのに充分だ。上に行くほど、こころが自然と和んでいく。
片方のみに咲いていたロウバイ(第一ロウバイ園)が、山頂に近づくほどに両側に咲き出し、ロウバイの並木(第二ロウバイ園)となる。トンネルとなって観光客の行く手を飾る。その間を、観光客は笑顔でゆったりと一歩一歩登る。この瞬間が宝登山のロウバイ見の最高の醍醐味だ。この瞬間を味わいたく、はるばる、ここまで人々がやって来るのだ。
残念ながら、この時期は、園内の梅はまだであったし、寒桜はいまいちであった。
さて、このロウバイの並木を過ぎると、頂上となり、宝登山の山頂の碑がある。多くの観光客はここでも記念写真を撮っている。
この山頂を少し下ると、宝登山神社の奥宮があるので、折角来たので、丁寧にお参りする。売店も開いていたが、それには寄らずに、あたふたと鳥居をくぐって、階段を下り、6分くらい歩くともとのロープウエイの山頂駅前に行く。着いた時、たまたま、臨時列車が出るというので、それに飛び乗り麓駅に。
ここから、真っ直ぐ車で帰るという選択もあったが、折角だからというので、麓駅から、今度は山道をちょっと下って歩いて、目的の一つでもある宝登山神社のお参りに向かう。5分もかからないで、神社に着く。ここにも、結構な参拝客が来ていた。
おおよそ1900年前に創立されたという神社は、日本武尊が登山の折に大火に見舞われ、山犬様に助けられたという伝説から「火止(ほど)山と名付けられました。火除け・災難よけの効があり、「宝の山に登る」の名前から縁起担ぎに多くの人が訪れます。
宝登山神社という額がかかっている鳥居をくぐり、急な階段を登った先に、目的の神社があり、社殿の中では、多くの参拝客を招き入れ、お祈祷の最中であった。
これに便乗せんと、すばやく、賽銭箱の前に行き、深々とおじぎをして、今年の平穏無事を祈願する。これで、ロウバイ見学と宝登山神社の参拝という目的も達したので、宝登山の反対側にある秩父鉄道の長瀞駅前の商店街を散策して、お土産の物色をして帰る事とした。宝登山の梅を見たい方は、これからですので、是非いかれてみてはいかがでしょうか。
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スプリングコンサートのご案内

2008-01-13 | その他
梅の開花がちらほらと話題になり、季節が早いのか、人の気が早いのか、もう、そこに春の足音がかすかに聞えて来るような気がしないでもないですね。そこで、スプリングコンサートの開催のお知らせのチラシを手にいれましたので、紹介します。
それは、柏市音楽家協会第67回定期演奏会の「スプリングコンサート」です。サブタイトルは、春は恋の季節だからですかね(?)、「愛の喜び 愛の悲しみ」だそうです。
では、具体的にその内容を以下に紹介します。
開催日時    平成20年3月9日(日)開演14:00(13:30開場)
開催場所    アミュゼ柏クリスタルホール
内  容     (1)串田真理(ピアノ)
            ・ショパン
             2つのノクターン 作品62
             舟歌(バルカローレ) 作品60
          (2)高木   弾(ヴァイオリン)
             安藤 まりや(伴奏)
            ・クライスラー
             プレリュード&アレグロ
             愛の喜び
            ・サンサーンス
             イントロダクション&ロンドカプリチョーゾ
          (3)前澤 洋子(ソプラノ)
             大澤 絵美(伴奏)
            ・プッチーニ
             「マダムバタフライより」 ある晴れた日に
            ・ドナウディ
             愛の日々
            ・神戸孝夫
             定めの年に祝杯を
          (4)眞山 美保(オーボエ)
入場料金     大人2,000円 高校生以下 1,000円 (全席自由)
チケット取扱所  浅野書店(柏スカイプラザB1F)
           柏高島屋友の会(T館8F)
主  催      柏音楽家協会
後  援      柏市教育委員会
問い合せ     04-7145―6085(牧)
           0297-73-5648(塩田) 
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始まった布施弁天の境内拡幅工事とお焚火上げ

2008-01-12 | 歴史
1月10日の朝,いつものように布施弁天にお参りに行くと,平成20年1月8日から20年7月31日まで,布施弁天の境内拡幅工事を施工するので,弁天茶屋からトマトハウス方面に向かって行く道路に,一般車両進入禁止の看板が出されていた。看板には、発注者 布施弁天東海寺住職、檀家総代 長妻 功、施工者(株)豊国,現場責任者が後藤三千雄、連絡先04-7133-5554と記載されていた。
昨年12月から,このトマトハウスの前の布施弁天専用駐車場一面に,土砂がうず高く積まれていたことは,暮れからお正月に布施弁天に行かれた方は眼にされている光景かと存じます。その時には,駐車場の入口に掲げられていた看板には,境内の拡幅工事をするため,駐車場は使えないという主旨のものが書かれておりました。
市民農園に行く近道が通れないので,布施弁天の後ろ側から,トマトハウス側に廻ってみると,近道は柵でふさがれ,同じ進入禁止の看板が立てられておりました。ふと,眼を右手の布施弁天の方に転じると,なんと鐘楼下の崖の木々が,写真のように既に何本か切られておりました。
そして,この崖下へ駐車場の土砂を運ぶための道路か,既設のアスファルト道路の上に土砂を運ぶ仮設の道路が作られておりました。いよいよ,境内の拡幅工事が本格化したようです。
1700年代初期,東海寺が布施の古谷から,現在地に移ってきてから,書物によれば,何回か切土や盛土の工事を行いながら,布施弁天東海寺を整備して来ているようです。
しかし,この眼で,現在、整備工事に立ち会えるかとは,見れるとは,夢にも思っておりませんでした。これは記録に残したほうが良いと思いました。というのは、土砂の量から見ると,これは、ちょっとした工事には思えないのです。ふとっとすると、今後の布施弁天の運命を決しかねないような工事ではないかと感じました。(おおげさかな~)
本堂のある境内が,拡幅されるということは,近来にないし、若しくは過去にも無かったかもしれませんね。第三者で門外漢の私が,こうしたことを書きとどめていくのは、僭越かも知れませんが,布施弁天の歴史に興味を持つものとして,見過ごしにはできません。
1200年祭を前にして,この拡幅工事は、後から考えて、今後の何百年後の布施弁天の歴史を考える上で一大エポックとなるかもしれませんね。
門外漢である私には,崖の古木を切り,境内を広げて何をしようとしているかは,現時点では,眼にしている事だけからでは,全く,わかりませんが,新しい若い住職さんが,お出でになってから,なにかが変わろうとしていることだけは,確かです。
ご住職の実家の不動院では,近年、参拝者のために休憩所を設けたようで、こうした施設がここ布施弁天にもできれば,更に布施弁天に参拝者が来るのではないかと,勝手に想像なんかもしています。いずれにしても,なにが出来上がるかが楽しみです。
一方,1月14日(月)午前11時から,恒例の布施弁天のお正月のお焚火上げが開催されます。古いお札等を燃やして,今年の無病息災を祈願するものらしいです。そして,ひょっとしたら,このお焚き上げの火でお餅を焼くのかな~,そして,ひょっとして,お裾分けなんか、あるのかな~なんて,勝手に,勝手にこれまた想像してしまいますね。
さて、同日(1月14日)に午後からなりますが、午後3時30分から,この地区(旧布施6区ともいうのでしょうか)の消防団主催のあわんとり(通称どんど焼きとも言うのでしょうか)が,布施の土谷津の田んぼで行われるようです。子供たちが,「あわんとり,あわんとり,ほーほー」といいながら,集めた注連縄飾りを燃やし,お餅等を焼き,五穀豊穣と無病息災を祈る行事だそうです。こうした地域の歴史ある伝統行事は,これまた,いつまでも大事に受け継がれていくことを,心から,祈らざるを得ません。
是非,14日には境内の拡幅工事の状況とこうした恒例行事と伝統行事をご覧になりに,布施弁天界隈に来て見ませんか。
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柏の『船戸のおびしゃ』と流山の『鰭ヶ崎のおびしゃ』

2008-01-11 | 歴史
昭和63年(1988年)8月1日に柏市の無形文化財に指定されました『船戸のおびしゃ』が、平成20年1月20日(日)に、市内船戸の船戸会館で行われます。
この行事は、本来、船戸地区の鎮守である船戸天満宮の恒例行事「船戸鎮守奉社祭典」(ふなどちんじゅびしゃ)であった。おびしゃとは、奉射、奉社、備社とも書くが、本来は歩射(ぶしゃ)、馬に乗らないで弓を射ることである。つまり、この弓で的を射って、その年の吉凶や五穀豊穣を占う農村行事だったのです。ところが、柏の船戸のおびしゃは、この部分がなくなって、特にその中の酒宴の場の余興として演じられる踊りが、江戸時代(1620年ごろ)から連綿と伝わっているのです。
船戸天満宮は、湯島天満宮、北野天満宮、大宰府天満宮などと同じく、菅原道真を祭る学問の神様です。利根川や筑波山を見渡す見晴らしの良い台地上にあり、柏で唯一、学問の神様を祀ってあります。しかも、近年新築されてピカピカなので、利根川沿いの農道からでも良く見えます。
氏子は約170戸あり、それが6つの組合(斑)に分かれて、毎年回り持ちで当番になり、神前供物、神事の後の祝宴、余興を担当するようです。ということは、6年に1回しか廻ってこないので、詳細を確実に把握しておくことが大変なようですね。
昔は、この船戸天満宮で神事をしてから、4区域の旧家4軒を毎年回り持ちで宿として酒宴が行われていたが、氏子が増えたこともあり、大正時代以降は神事・酒宴とも医王寺の本堂に移った。しかし、それも隙間風がひどいので、平成6年(1994年)になり、新築された船戸会館に移って行われるようになったそうです。江戸時代の元和年中(1620年頃)から始まったが、1月20日と決められたのは、天保7年(1836年)からと言われ、平成6年からは1月20日直前の日曜に改められました。
では、どのような踊りが、行われるのか。昨年の5月の連休に木更津市の海ホタルで開催された千葉県伝統文化の発信イベントの一つとして、この船戸おびしゃが披露されています。このおびしゃ踊りは、武士を皮肉った「三助踊り」をはじめ、「三番叟」、「おかめ踊り」、「大黒天の舞」、「獅子舞」等々、江戸から続く貴重な踊りであります。あとは、見てのお楽しみですね。
一方、同じ日に流山の鰭ヶ崎でも『鰭ヶ崎のおびしゃ』が開催されます。船戸のおびしゃとは違うのは、ここは矢を射ってその年の吉凶を占うのです(写真)。これが行われるところは、流山市鰭ケ崎の雷(いかづち)神社で、江戸時代に創建された神社。祭神は、大雷の神(読み:おおいかずちのかみ)。おびしゃは、10月の秋祭りと共に毎年恒例の伝統的な行事なのです。拝殿で神事が行われた後、境内に立てられた赤鬼・青鬼の的に向い、拝殿から七福神に扮した当番や役員が矢を射って、その年の吉凶を占うものです。その後、獅子舞や田吾作踊りが披露されます。
開催日時     平成20年1月20日(日)15:00~17:00
開催場所     鰭ケ崎の雷(いかづち)神社
           住所:流山市鰭ヶ崎1767
問い合せ     流山市教育委員会生涯学習課 TEL.04-7150-6106
アクセス      TX「南流山駅」下車、徒歩10分
           または総武流山電鉄「鰭ヶ崎駅」下車、徒歩6分
いずれにしても、馬に乗って弓で的を射る武士たちの武を競う流鏑馬と違い、おびしゃは、安全厄除けと五穀豊穣を願う農村の平和な風景と言えるでしょう。これらは、長く、代々受け継がれて行って欲しいものですね。
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大洗さまの愛称の大洗磯前神社初詣

2008-01-10 | 歴史
境内に展示されている菊展を見に行っては昨年の11月、それから随分と行っていなかったので、先日、茨城県大洗町にある大洗磯前神社に初詣に行ってきました。正月の3ケ日を過ぎているというのに、駐車場は9分近く埋まっている。
この神社は、第一の鳥居(昭和38年建造、高さ15.60m、笠木の長さ22.42m、額装の大きさ3坪)をくぐった小高い丘(昔は岬)の上にある。本来なら、海上の岩の上に建てられている有名な大御降臨の地の神磯(かみいそ)の鳥居から参拝すべきなのでしょうね。車だったので、すぐに第一の鳥居のそばの坂道を登った先にある駐車場に入ってしまった。だから、神磯(かみいそ)の鳥居から、道路を渡り、長い急な階段の手前にある第二の鳥居はくぐらなかった。
写真の鳥居は、二の鳥居をくぐって階段を上りきったところにあります。第三の鳥居とでもいうのでしょうか。ところが、そこを写真のように、どこから走ってきたのでしょう、中学生(?)らしき一団が階段の入り口を占拠(?)しちゃっていたのです。だから、無理して下へ降りていくのをやめ、参拝することにしました。
この大洗磯前神社という名前がつく神社は全国に3つあるようです。岐阜県、福井県、そしてここ茨城県と。この名前の磯前というように、社殿は海に向いており、先ほど紹介したように海岸の岩の上には、最初に神が影向(神霊が出現すること)したと言われるところがあります。そして、この神磯の鳥居が、陸地と海原の境界であり、この世と異界の境界であると同時に両者を繋ぐところだそうだ。
大洗磯前神社の創建は、856年(斉衡3年)と言われているが、戦乱により中世は荒廃し、江戸時代になってから水戸藩2代藩主徳川光圀が由緒深い名社の荒廃を嘆き、1690年(元禄3年)造営の工を起し、3代綱篠公の1730年(享保15年)に現在地に還座再興した。建物は社殿に施された彫刻とともに江戸初期の建築様式を今に伝えており、県指定の文化財となっております。
主祭神は大己貴命(オオナムチ ノ ミコト)で、配祀神は少彦名命(スクナヒコナ ノ ミコト)である。主祭神は、神々の中でも中心的な位置を占める神で、大国主命などの別名を持ち、記紀神話ではスサノオの子または子孫とされる。この大国主神は国土を開拓し殖産興業に力を尽し人々の生活の基礎を築き、少彦名命と共に山野に薬草を求めて、病難に苦しむ人々を治療し又禁厭の法を定めて、民の災禍を防ぐ等、国土の経営と民生の安定を計って徳望とみに高い。だから、昔から大国様、恵比須様と人々に親しまれ、家内安全、商売繁昌、福徳円満、良縁成就、開運厄除の大神、更には酒造、病難治療の祖神として広く厚く信仰されている。
早速、神門をくぐり、茅の輪をくぐり、人波をかき分け、かき分けて、拝殿前にて進みと言いたいが、参拝客はそれほどでなく、列のあとにつき、シズシズと進み、参拝をする。本殿は、どうやら、この拝殿の奥にあるらしい。
また、この茅の輪と拝殿の間の左側に、大きな今年の干支であるネズミの絵馬が飾ってありました。十二支のはじめのネズミというのは、この大己貴命が「根の国」で、須佐之男命に火の試練を課せられた際に、その危機を救った、まさに困難を乗り越える手助けをし、「幸」へと導いた動物なのです。
さて、拝殿の中には、祈祷待ちの人もおり、祈祷料は五千円以上とのこと。受付時間は、午前9時より午後4時までらしい。しかし、私はそれをせず、門の脇にある社務所に行き、招福開運の熊手を土産に買う。これで、今年、一年安心して過ごせるという気持ちになるから不思議なものですね。でも、疑問が一つ残っているのです。参拝待ちの時、誰かが、この大洗磯前神社は、ひたちなか市の酒列磯前神社と深い関わりを持ち、2社で一つの信仰を形成していると、しゃべっているのを聞きましたが、これは、どういうことなのでしょうかね。
最後に、参拝の帰り、同境内には大洗海洋博物館があるので、寄ろうと思ったら、連れは関心ないようで、すたこらさっさと車の方に向かってしまったので,寄らずじまい。そこで、すこし同館について紹介します。同館は参拝者特に学生・生徒に対し海洋国日本の理解と関心を高めるための社会教育施設として昭和34年8月に大洗磯前神社御鎮座1100年を記念し設立されたのです。その後平成9年8月御鎮座1140年を記念し新築・移転されて、現在地にあるようです。
開館時間    4月~9月(午前8時30分~午後5時)
          10月~3月(午前8時30分~午後4時30分)
休館日     水曜日・12月31日
入館料     大人500円  中高校生300円  小学生以下200円
問い合せ    TEL 029-266-1444
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セミナー「大堀川にサケがなぜ来たのか?」

2008-01-09 | その他
昨年も、一昨年も、本来生息していない大堀川(高田小学校裏の新堤橋付近)に体長約1メートル前後の鮭が数匹遡上し、産卵行動を行っている。この件は、私も一昨年、昨年と本ブログで紹介しています。しかし、一昨年は、テレビや新聞等のマスコミで取り上げられ、大きな話題となったが、昨年はマスコミがそれを大きくとりあげていないので、知らなかった人がいるかもしれませんね。
問題は、本来、この川に生息していなかった鮭が、ここまで(中流まで)戻ってくるのは、どういう訳かを知り、この事態をどう捕らえるかではないでしょうか。この件に関しては、鮭の稚魚を利根川に放流している市内の小学校の教師や自然環境の保護や清掃をしている環境団体等から様々な意見が出されております。ところが、今回、この現象にメスをいれるのは、鮭が産卵行動を取っていた近くの高田小学校を拠点にスポーツ活動を行っている総合型地域スポーツクラブである高田倶楽部というのだから、これは、紹介しない訳にはゆかない。講師も東京都出身だが、現在柏に在住している科学ジャーナリストというから、どう解析してくれるのか、自然と興味が湧いてきます。高田倶楽部は、各種スポーツのほか、こうした一般教養セミナーの開催や健康に関する講演会等も開催しているのです。では、以下にそのセミナーの概要を紹介します。
開催日時      2008年1月27日(日)午後3時~5時
開催場所      市立高田小学校・体育館
           所在地: 柏市高田376-3
講演内容      「大堀川にサケがなぜ来たのか?」
            ~専門家によるサケ遡上の基礎知識を学び~
講   師      元NHK自然番組デレクター・科学ジャーナリスト
            柴田佳秀(柏市在住)
対   象      どなたでも
費   用      無料
主 催 者      高田倶楽部(総合型地域スポーツクラブ)
           所在地: 柏市高田376-3
問い合せ      阿部小児科医院 TEL: 04-7132-1616
最後に高田倶楽部について、少し紹介します。
総合型地域スポーツクラブとは、地域において、子どもから高齢者までが様々なスポーツに参加することができる総合的なスポーツクラブのことで、以下のような特徴があります。
(1)複数の種目が用意されていて、会員は事由に複数の種目を楽しむことができる。
(2)子どもから高齢者まで、年齢・関心に応じて、地域の誰もが一緒にいつまでも参加できる。
(3)活動の拠点となるスポーツ施設及びクラブハウスがあり、定期的・継続的な活動ができる。
(4)地域住民によって主体的にクラブを運営する。
では、具体的な、活動場所、種目、会費等を以下に紹介します。
会   場    柏市立高田小学校(野球場、体育館、校庭)※柏市高田376-3
活動内容    グラウンドゴルフ、少年野球、バレーボール、ミニバスケット、
          ソフトバレー、ショートテニス、バドミントン、卓球、ラグビー、
          サッカー、ウォーキング、健康体操、健康づくりセミナー、他
会   費     ※別途、スポーツ安全保険への加入が必要となります
           会員の区別           会費の額(年額)
         大人(高校生以上)        1人あたり 4,000円
         子ども(中学生以下)       1人あたり 2,000円
        ファミリー(一家族:同居に限る) 1家族あたり 8,000円
問合せ先    平日のみ   クラブマネージャー 大渕由秋
          ※携帯電話:090-2731-0586
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一茶と双樹と新撰組ゆかりの光明院

2008-01-08 | 歴史
先般、紹介した流山の地名発祥の地といわれる赤城神社の隣にあるのが、真言宗豊山派の寺院、光明院です。創建は不詳ですが、本尊は不動尊で、赤城山神楽寺が寺号です。また、明治初期までは赤城神社の別当祈願所でした。境内には、寛文6年(1666年)の庚申塔や享保7年(1722年)建立の六地蔵があります。
この光明院には、昭和53年(1978年)の「第二回双樹忌」にちなんで、高さ2㍍の双樹と一茶の連句碑(写真)が建立されております。句碑には、
「豆引きや跡は月夜に任すなり 双樹」
「烟らぬ家もうそ寒くして 一茶」
と彫られております。これは、文化元年(1804年)9月の連句です。双樹が、一日中豆を引き抜いてくたびれた、あとはお月さんにたのみますよと詠むと、一茶が、夕げの煙で煙っている家も煙っていない家も晩秋の夕暮れで、何となく薄ら寒いですねと受けたようです。
また、近くには、「庭掃てそして昼寝と時鳥 双樹」という句碑もありますが、説明が無いので、何時の句か分からないようです。
連句について言えば、双樹と一茶の最後の連句は、文化9年(1812)3月3日に詠んだ下記の
翌は又どこぞの花の人ならん    双樹
川なら野なら皆小てふ也       一茶
句である。この年の10月27日に双樹が没し、29日に双樹葬を行う。もちろん、一茶は双樹の葬儀に参加している。
その際に、葬儀に関して詠んだ句としては、下記の
双樹仏の野送りおがみて
鳴く烏こんな時雨のあらん迚(とて)   
がある。
ここで、一茶の親友の双樹について少しふれてみます。流山村の酒造家の四代目の秋元三佐衛門春雄の長男として宝暦7年(1757年)に生まれる。五代目の正式の名前は秋元三佐衛門感義という。俳号を双樹といい若いときから学問に長じていたらしい。豆腐商から酒造家に転業をはかったのは父の代であったが、それから7年後に味醂づくりをはじめたのは、双樹の研究の成果によると推測されます。 酒造家の名門となった双樹は家業の傍ら、葛飾派の門人として俳諧道をきわめ、寛政3年(1791年)一茶が下総地方を巡歴した頃に出会いのがきっかけ。その後、一茶が既に交流していた馬橋村(現松戸市)の油商で葛飾派の大川立砂と共に親交を深めていくのです。
光明院で有名なのは、この一茶関係の秋元双樹の墓や句碑ですが、もう一つの余談にもふれておきます。それは、以前にもふれた明治維新時、幕軍がここ、光明院に陣をひいたということです。新撰組の近藤勇が長岡屋に本陣を構え、この光明院にも陣をひきます。近藤勇が官軍に捕縛された時、この光明院には、約200名以上の幕軍がいたのですが、彼等は、その際一体どうしたのかについて、ちょっとふれてみます。
幕軍等が調練を終え、光明院の寺の近くまで引き上げて来た時に、この長岡屋本陣の異変を聞いた。部隊はそのまま光明院で情報待ちとなり、物見の兵を出したり、中にはお寺の松の大木に登って、はるかに本陣付近の様子を眺める者も居たそうです。しかし、約200名のうち新撰組はわずか10数名で、あとは歩兵隊約100名弱、残りは馬屋方、雑役夫などの寄せ集めのためか、腰が引け、ほとんどが銃器を手にしたまま、松戸方面に逃げたとかという話しが、地元に残っているそうです。
いつの時代も寄せ集めでは、なかなか仕事にならないようですね。文学碑と似つかわないなまぐさい戦いの逸話も残っているのが、光明院なのです。
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相島芸術文化村の建造物が国の登録文化財に!

2008-01-07 | 歴史
昨年の暮れに行ったきりだったので、先日、新年に行ってみたら、我孫子市相島新田にある相島芸術文化村は、明るい話題に満ちていた。昨年の12月7日(金)に開かれた文部科学省の文化審議会で、江戸時代から手賀沼の干拓事業に関わってきた、この井上家の住宅を国の登録有形文化財(建造物)とするよう渡海文部大臣に答申したとの新聞チラシが置かれてあったのです。(これについての詳細は、平成20年1月1日の広報あびこの1面に掲載されていますので、詳細を知りたい方はお読み下さい。)我孫子市では初めてのことらしい。
現在、この井上家の住宅は、14代目の当主が、手賀沼干拓の歴史を伝える施設として「相島芸術文化村」として、一般に公開している。約2,300平方メートルの敷地には、建築面積約353平方メートルの母屋のほか、土蔵、菜種油を作っていたこし場、庭門、表門などがあり、計9軒が国の登録有形文化財となったようです。この登録有形文化財制度は従来の指定文化財制度を補完するもので、建物以外の登録も可能となり、今回は、この井上家を囲んでいる板塀も登録された。どの建造物も、実に古風堂々として、見応えがある建造物です。
そして、1月5日(金)から1月29日(火)まで、「登録有形文化財」登録記念として、同文化村が屋敷ガイド(コーヒー・紅茶付き)を500円の有料で行っています。1日2回、午前11時と午後2時に行っています。先日は、Sさんがいたので、コーヒーを注文して、いくつかの話しを聞くことが出来た。そして、わかったことが2つありました。
一つ目は、指定文化財と登録文化財の違いです。指定文化財になると建造物では、保存が中心となり、イベントが出来なくなるそうです。その代わりに補助金をもらえて、それで修繕・保存して行くらしいのです。もちろん、公開しながら。それでは、今まで行ってきた様々な芸術活動が出来なくなると言うので、井上家は、それを選ばず、登録文化財にしたそうです。従来どおりの貝合せ等のイベントを行いながら、一般公開をするという道を選んだようです。つまり、建物の修繕・保存の為の費用(国からの補助金)をもらう道を選ばなかったようです。
その結果が、2つ目に関係しますが、月光ギャラリーの脇にある蔵(写真)がネットが掛けられ放しになっているようです。つまり、補修中に見えるあの蔵は、補修費用がかさむので、あの状態のままで公開していくことです。旧土蔵が雨に濡れないように、土蔵の屋根の上に更に風雨にさらされないように屋根までつくられているのです。外壁や内装まで補修すると莫大な費用が嵩むので、断念してあの格好にして保存していると言うことです。これが2つ目に分かったことなのです。
柏の花野井の吉田邸は、国の指定有形文化財になりましたが、井上家みたく様々な事業をこの住宅を使って行えません。見せるのが主で、その保存が主です。どちらが良いかとは言えませんが、柏市と我孫子市の市民の考え方の違いを垣間見たような気がします。
また、昨年開催したDC(デスティネーション)キャンペーンに引き続き、今年も早春キャンペーンが1月5日(金)から開催されていましたが、私はこれには参加しませんでした。ちば・たびマイスター 江戸時代の豪農の館で「日本文化」の達人になることを目指す、新春キャンペーンの概要は下記の通りです。
期  間  1月5日(土)~3月30日(日)の土、日曜日
時  間  午前の部10:45~12:15
       午後の部12:45~14:15
〔内 容〕 貝絵・貝合せ体験と相島歴史ガイド(お抹茶とお菓子付き)
〔料 金〕 大人 2,500円  子ども 1,500円
〔定 員〕 各日20名
〔申込み〕 3日前までに電話で相島芸術文化村(04-7189-2864)へ
なお、同文化村の開村日は、毎週月、火、金、土、日曜日です。
是非、この機会に行かれてみてはいかがでしょうか?私が行っている最中にも我孫子市の広報紙を片手に夫婦ずれで見にきている人にも出会いました。さすが、広報紙、威力が抜群のようで、Sさんも掲載されてから、見学者が増えたと言っていました。
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人にやさしいまちづくりを考えるシンポジウム

2008-01-06 | その他
賃金は上がらず、物価は上がり続ける。生活者には厳しい時代になりつつある。最近、消費者庁を作るなんていうことも話題になってきている。いづれにしても、格差社会の解消は見えず、年金問題に象徴されるように希望の見えない高齢・少子社会がやって来るが、政治に期待をもてなければ、自分たちで、市民の手で出来ることはしていかなければならないんでしょうね。そんな意気込みのシンポジウムが開催されます。テレビでおなじみの評論家、樋口 恵子を基調報告者に迎え、市民の手で、出会い、つながり、ささえあうコミュニティを作るには、どうしたらよいかを考えるシンポジウムが開催されるのです。パネリストに前我孫子市長も加わって、社団法人長寿社会文化協会(WAC)が主催し、今月17日に我孫子駅前のけやきプラザにて行われる。このシンポジウムの正式タイトルは、「三世代でつくるやさしいまち」である。では、早速、その概要を紹介します。
開催日時    2008年1月17日(木)午後1時~
開催場所    けやきプラザ2階ホール
          JR我孫子南口駅横(徒歩1分)
プログラム   13:00~13:20    開場・受付開始
          13:20~13:30    開会・挨拶
          13:30~14:10
            ・地域コミュニティづくりにむけて
             田中 尚輝(WAC常務理事)
            ・地域密着サービス調査報告
             鶴野 美代
          14:10~15:00
            ・基調講演
             樋口 恵子(評論家)
          15:00~15:10      ~ 休憩 ~
          15:10~16:30
            ・シンポジウム
              コーディネーター
                澤登 信子
               (我孫子市コミュニティビジネス推進協議会 会長)
              パネリスト
                福嶋 浩彦(前我孫子市長)
                田中 秀子(センシティ土曜 にほんご学級代表)
                猪早恵美子(NPO法人笑実里代表理事)
          16:30           閉会
費  用      入場料無料
定  員      500名
主  催      社団法人長寿社会文化協会(WAC)
共  催      NPO法人ACOBA
後  援      千葉県、我孫子市、柏市、流山市、松戸市、野田市、印西市、他
問い合せ      (電) 04-7165-2881
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今年の干支のねずみづくしフォーラム

2008-01-05 | 歴史
ネズミ年は繁栄の年とも言われるのに、年明け早々の株価の終値は、600円以上も下げ、平均株価も15,000円を割るという波乱の幕開けとなった。波乱の猪年を受け継いでしまったのか?
さて、この今年の干支である「ねずみ」をテーにとりあげ、その歴史的文化的な様相を多面的方面から描く第64回歴博フォーラムが国立歴史民俗博物館の主催で、東京の千駄ヶ谷の津田ホールにて開催されますので、以下にその概要を紹介します。タイトルは「新春ねずみづくフォーラム」です。ちょっと意外に思ったのは、この主催者の歴博って、千葉県の佐倉市にある大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館のことなんですよね。そこが、フォーラムを佐倉市でなく東京で開催するんですね。
開催日時    2008年1月19日(土)
            13:00~17:00(開場 12:30)
開催場所    津田ホール(JR中央線千駄ヶ谷駅下車すぐ)
            東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24          
プログラム  13:00~
          挨     拶   平川  南(国立歴史民俗博物館長)
         13:05~   <報告1>
          「ねずみと信仰」  山田 慎也(本館民俗研究系)
         13:25~   <報告2>
          「ねずみの俗信」  常光  徹(本館民俗研究系)
         13;45~   <報告3>
          「ねずみの説話」  小池 淳一(本館民俗研究系)
         14:05~        ー 休憩 ー
         14:15~   <報告4>
          「ねずみの造形」  日高  薫(本館情報資料研究系)
         14:35~   <報告5>
          「ねずみの図像学」 大久保純一(本館情報資料研究系)
         14:55~
          「ねずみの近世」  岩淵 令治(本館歴史研究系)
         15:15~       ー 休憩 ー
         15:25~   <報告6>
          「ねずみのチュウ世」 高橋 一樹(本館歴史研究系)
         15:45~   <報告7>
          「十二支とねずみ」  上野 祥史(本館考古研究系)
費  用     無料
定  員     470名
申し込み    往復ハガキに「第64回1月19日歴博フォーラム参加希望」と明記の上、
          住所・氏名(ふりがな)・電話番号を記入し、下記までお申し込み下さい。
          (※先着順ですので、定員に達した時点で締切り)
         〒285-8502
         千葉県佐倉市城内町117
         国立歴史民俗博物館 サービス・普及係
問い合せ    ハローダイヤル03-5777-8600
         (7:00~23:00 年中無休)
なお、写真のねずみの絵馬は、元旦に撮った流山の駒木のお諏訪様に飾ってあった絵馬です。
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駒木のお諏訪様と初詣考

2008-01-04 | その他
創建1200年を平成18年に済ませた流山の駒木にあるお諏訪様(諏訪神社)にも初詣をしてきました。車も東武線豊四季駅北口入口までは、実にスムーズに車も流れていたのですが、そこからお諏訪様の駐車場までは、車が数珠繋ぎで全く動かない。遠くにお諏訪様の鳥居がみえるのに、車が前に進まない。警備員の指示により車を歩道側ぎりぎりに寄せ、駐車場の空きまちの列に入る。流山方面に行く人は、対向車線と待ち車の間を縫って走っていく。見ているだけで恐い。更に、お諏訪様へ参拝に行く人の群れ、帰ってくる人の群れが入れ乱れるから、実に混沌とした状況になっている。歩行者も平気でどこでも平然と道路を縦横に横切る。何時事故が起こっても不思議でない状態。
お中元・お歳暮時の柏の高島屋の駐車場に入れる列よりはましかもしれないが、久しぶりに待たされる。東武線の線路の手前にあるお諏訪様の反対側にある駐車場に辿り着くまでなんと30分掛かった。わずか100メートルくらいしかないのに。
しかし、問題はそこから先にもあった。なんと参拝の列が、最初に見えた鳥居の下まで続いていたのである。しかも横に10人くらい並んだ列だ。
これも辛抱強く待つ以外ない。亀の歩みと同じ。これも並ぶこと30分、いやー、こんなに参拝が大変だとはーーー。若いときは、こういう待つ時間を楽しむ余裕があったが、年を取ると気が短くなっていけない。だから、こういう時、連れがいないと惨めだ。今回は、家内と娘がいたので、あれこれ話すことで気持ちが、紛れ、待時間の長さを感じないで済んだ。
その割には、参拝時間はあっけない。しかし、しっかりとお諏訪様に今年の家内安全をお願いした。参拝者の列は、お札の販売所も飲み込んでいた。
破魔矢とおみくじを買うべく、突進(?)するが、なかなか前へ行かない。破魔矢は2,000円と1,000円のが、おみくじも300円と100円のがあったが、いずれも安い方を買い求めた。そのせいか、おみくじは大吉にならず、中吉。まあ。凶でなかったからヨシとすべきか。だから、おみくじは木にきちんと結んでおいて、きました。
一般的に、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝すれば特に問題はないらしい。また、回数に関する規定はないが、多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあるので、自分は複数の神社へお参りしている。
初詣は元々、「年蘢り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に蘢る習慣であった。やがて年蘢りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となったということらしい。
従来は氏神またはその年の恵方の方角の社寺に詣でること(恵方詣り)が多かったのだが、近年では氏神や恵方とは関係なく有名な寺社へ参る人も多くなっている。また境内では甘酒や神酒が振るわれ、飲むと厄除けになるとされる。
全国の参拝者数でベストスリーの常連成田山新勝寺は、昨年11月に総門も完成したためか、今年は昨年の290万人を上回る参拝者が訪れるかも知れないとのこと。すごいですね。柏市内では、柏神社の10万人が最高だというのに。
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高校サッカー選手権の2回戦で流経柏は?

2008-01-03 | その他
名門帝京高校が破れ、都立三鷹高校が勝って初めて三回戦に進出。では、わが流通経済大学付属柏高等学校はどうなったか?
第86回全国高校サッカー選手権が、12月30日から開幕。千葉県代表は、柏ダービーの準決勝で市立柏高校を破り、決勝で、全国サッカーの名門、市立船橋高校を撃破した流経柏高校が、2年ぶり2回目の出場を決めている。もちろん、目標は高円杯に続く2冠だ。
その流経柏高校が、1月2日、2回戦で京都代表の久御山高校と千葉県立柏の葉公園総合競技場で12時10分から対戦。
厚手のコートをきっちり着込んで、寒さ対策を万全にして、総合競技場そばの駐車場に滑り込む。地元の流経柏高校高校が出場するとあって、あっという間もなく、近くのこの駐車場は満車状態。人も続々と詰めかける。
スタジアムの前のチケット売り場には、当日券を求める人で黒山の人だかり。なんと、当日券は1,500円。えーいつからこんなに高くなった。何年前か、この大会をここで見た時は、当日券でも700円だったと思うのですが。
チケット売場の左側が、入場口。メインスタジアムにも行けるが、この時間帯で、陽が当るのはバックスタンド側なので、迷わず、バックスタンド側へ。
ところが、もう、流経柏高校の応援席そばで、陽の差し込む所は、応援者でいっぱい。寒さこらえて見るのはいやなので、申し訳なかったが、対戦相手の久御山高校の応援席そばの前から3列目に陣取る。ここなら陽があたる。グランド側の一番前や2番目の席も空いていたが、多分応援の女の子たちが座らずに立って応援することを予測して3番目とする。事実、その通りとなり、3列目でなければ見れなかった。
席が確保できたので、早速売店へ。驚く事なかれ、暖かい350ミリリットルのお茶が250円。これって、高くないとも言えず、黙って2本を購入。
さあ、見る体制は万全。アウエー側の観戦なので、声を立てずに静かに観戦する。そう、この暖かさを譲る訳にはいかない。北風が意外と強かったんです。
メインスタンド側は、結構な人が入っている。1万5千人収容であるが、バックスタンド側と併せると9千人は入っているのでは。
自分の廻りには京都放送のテレビマンがカメラをもってウロウロ。多分、いつものように応援席の応援するかわいい女子高生の顔のアップ取りだ。
さー試合開始。前半は、圧倒的に流経柏がボールを支配。何度もシュートするが、ゴールを決められず。逆に速攻で20分に相手側の3番(村山)にゴールを決められる。しかし、前半終了間際の39分に流経柏の8番(村瀬)が同点ゴールを放つ。その際、応援席から悲鳴があがる。こちらは、声も出せずにだだニタリ。ごめんなさいね、と心でつぶやいて。
問題は、後半戦だ。実に見たくない試合展開となった。イエロー、レットカードの連続だ。しかも、レッドをどこで受けたかの差が試合を決めた。後半13分、流経柏の選手がゴールエリア内で相手に倒され、レットカードでPKをもらう。そして10番(大前)がきっりちとゴールに入れる。ブーイングと悲鳴は先ほどのゴール以上だった。これで2-1と
流経柏がリード。ここから、いただけない。流経柏の反則が続く。イエロー2枚での退場者がセンターライン付近で出る。そう、13番、主将の名雪です。そう、ゴールエリア内でなくてよかった。これで10対10。逆に守備を意識したか、その後は久御山に押し込まれる。あせりからか、それとも自分たちのゲームができないからか、敵地でのゴール近くでのシュミレーションの反則が流経柏側に次々に出る。まあ、なんとか押さえ、2-1で2回戦を流経柏は突破したが、後味の悪い試合だった。退場者とイエローを多く貰い3回戦の1月3日の今日、市原臨海競技場での新潟代表の北越との3回戦が心配だ。試合後のインタビューで本田監督が「自分たちの試合が出来なかった」といっていたたが、3回戦はそうならないようにして欲しい。全国優勝して、この柏をサッカーのメッにして欲しい。がんばれ、流通経済大学付属柏高等学校サッカー部。なお、携帯カメラでは、試合は何がなんだが分からないので、写真は久御山高校の応援席の風景。
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元旦未明の布施弁天初詣

2008-01-02 | その他
除夜の鐘を撞き終わった後から日が昇る前の間に一度は、布施弁天様に参拝してみたいと以前から思っておりました。寒さと静寂が支配する1月1日の夜が明けきれないうちに、参拝だけを目的に元旦お参りをしてみたいと思っておりました。
若い頃は、NHKの紅白歌合戦が終わった後、明治神宮に行ったものです。しかし、それは純粋に敬虔な参拝の気持ちだったとはいいきれなかった。年を取ると、喧騒の中にいたいという気持ちより、自然の懐に抱かれ、そこに包まれていたいという自然への敬慕の念が気持ちが強くなってきたようです。
そこで、今年は、大晦日の日、早く寝て、元旦の朝、午前4時に起きて、布施弁天に参拝してきました。体が冷えないように厚着をして、夜空に輝く星と月を眺めながら、心が雑念が起きないうちに出かけたわけです。こんなに早い参拝目的の参拝は多分、今年だけだと思います。ある意味で、自分なりの人生の新しい出発の年に掛ける気持ちの現れかもしれませんね。
車を、市の駐車場に留め、楼門めざす人は、4時半なのに、数人おり、これにはビックリしました。楼門に飾られたお正月や行事の際に良くたてられる緑・赤・白・紫・黄色等の縦縞の旗(何というのでしょうかね?)と紅白の幕が、妙にお正月気分をかき立てます。薄暗い中、ライトに迎えられ、駆け足で階段をいっきに上りきる。
境内は人の話し声は聞えず、静寂と鰐口の音だけが時たま響くだけ。早速竜頭泉の手洗い場で手を清めようと近寄ってみると、なんとろうそくが立てられ、ほのかに淡い光が揺ら揺らと揺れているではないか。水を吐く龍を実に幻想的にみせてる。
まず、手前の観音堂の観世音菩薩様に参拝しようとして、前に進むと暗闇の中で動くものがあり、一瞬たじろぐ。目を凝らして良く見ると、お堂の前になにやら屈強な男が立っている。なにをされるかと思ったら、警備員さんでした。こちらがたじろいだのを知ってか、ご苦労様と声をかけてくれました。すーと緊張感がとれ、自然に両手が合わさり、長い参拝を済ませる事ができました。この観音堂はライトアップされていなかったのです。
さて、いよいよ、本堂へ。この時間帯にもかかわらず、先着が何名かいます。鰐口の前で順番を待って、力いっぱい、鰐口を叩く。そしておもむろに財布から、お賽銭を取り出し、拝もうとすると、なにやら、こちらも外陣の奥の方で動く気配。ここにもおりました。屈強な警備員さんが2名。
相対で警備員さんに見守られながら、祈願するのは初めてなので、なんとなく、奇妙な気持ちでしたが、丁重に布施の弁才天様に今年もいろいろとお願い事をしました。破魔矢を買おうと思ったら、お店には人がいないし、薄暗いので御前立ちを拝顔するために外陣内に入ることをやめました。
次に、鐘楼に行きましたら、ここは、除夜の鐘が撞き終わった後なのか、ライトアップもされておらず、鐘の部分は暗闇に包まれている。喧騒後の静寂というのは、すごく人を感傷的にさせる。でも、それも鐘楼廻りを歩き回る警備員の姿で、また、現実に引き戻される。この鐘楼の隣の宝物殿は、元旦の装いも終わり、午前9時半からの獅子舞等の晴れ舞台を待つだけとなっていた。鰐口の音も途絶え、しばしの休息の時間に入った亀甲山の境内を下り、家路についたのです。もちろん、楼門前の露天も弁天茶屋も閉じられたままで、人っ子一人もおりません。遠くで鳴く鶏の声だけが、かすかに耳に入ってくるだけでした。
その後の、夜が明けてからの道路まで続く初詣の長蛇の列については、後で知るが、参拝時間は人の好きずきでしょうね。
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