みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#420 神の法第三戒

2019年09月27日 | 神の法
第3戒
誓いと礼拝
 
p115~
Swearing and Worship
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

カルヴァンは、第三戒についての非常に洞察力に富む分析を行っている。

宣誓と礼拝との関係について次のように注意を喚起している。

神の御名によって誓うことは、宗教的礼拝の一種もしくは一部であり、これはイザヤの言葉からも明らか。

イザヤ45:23
わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、 

全世界の国民が純粋な宗教に献身するようになると予言した際に、彼はこのように述べた。

すなわち、「わたしは生きている、と主は仰せられる。それゆえ、すべてのひざはわたしに屈み、すべての舌がわたしによって誓う」と。

引用された聖句イザヤ45章23節の全体を表示すると次のようになる。

「わたしは自分自身によって誓う。言葉は義のうちにわたしの口から出、そして、取り消されることはない。たしかに、すべてのひざは私の前で屈み、すべての舌は誓う」

つまり、歴史は、全世界が神を礼拝する時にその絶頂に達する。神的宣誓はすべての社会の基礎であると神が宣言しておられる。

アレクサンダーはこの意味を次のように解説している。

最後の部分にある屈膝と宣誓は、尊敬と忠義と忠節の行為であり、通常、同時に行われる(第1列王記19:18)。

第1列王記19:18
しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である」 

屈膝と宣誓の行為には、相手を主権者と厳粛に認めるという意味が含まれている。

パウロによって、キリストを表すものとして二度引用されている(ロマ書14:11、ピリピ2:10)。

ロマ書14:11
次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる」

ピリピ2:10 
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

パウロは、この個所を通じて、キリストが王、裁き主、主権者であるということを証明している。

しかし、万人が回心して神に立ち返ることを予見していない。

ここで使用されている言葉が、自発と強制の両者の意味を含んでいるから。

自発にせよ強制にせよ、キリストが正当な主権者であることを認めることになるであろう。