みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#405 神の法第三戒

2019年09月07日 | 神の法
第3戒
律法の否定的性格
 
p105~
The Negativism of the Law
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇ 

法律が肯定的機能を持つ理由は、国民は否定的要素であり、無能で、幼稚であると考えられているから。

そのような国家において、責任ある人々が責任を負わされ、罰せられることになる。

無能であることが明らかな犯罪者が、ある人の家に侵入したとする。

侵入者は法律によって自分の権利を守られる。

自分の生命が明らかに危険にさらされて、すべての逃避の手段が試みられていることが証明されない限り、その侵入者を殺害した責任ある遵法的な市民は、殺人罪に問われる。

ある無法者が柵を乗り越え、門をこじ開けて、ある人の家財を奪う。

途中でふたを閉めていない穴や溝に足を入れて骨折した。

この骨折の責任は、その持ち主にあるという。

否定的性格を失い、肯定的な性格を帯びた法は、犯罪者や愚か者を守り、責任ある人々を罰するようになる。

責任を有するある領域から責任や責務が失われても、それらはけっして完全に無くなってしまうのではなく、単に別の領域に移されるだけ。

もしアルコール中毒者や犯罪者が無責任な人ではなく、単なる病人でしかないのであれば、だれかが彼らを病気にした責任を負わなければならなくなる。

カリフォルニア大学バークレー校犯罪学研究所のリチャード・R・コーン教授は、売春婦は、さらにすぐれた生活様式を求める疎外された哀れな子どもたちなので、逮捕したり投獄すべきではないと言った。

もしこれらの売春婦たちがさらにすぐれた生活様式を求める疎外された哀れな子どもたちにすぎないのであれば、だれか他の人々が彼女たちの状態について責任を負わなければならない。

なぜならば、売春婦たちの意図は健全なものだからである。

そのような責任を社会に負わせようとする人々はけっして少なくない。

しかし、売春婦やポン引き、犯罪者たちは、その一般的な意味における社会の一部を成している。

明らかに彼らは罰を受けずにいる。

責任を負わなければならない社会とは、責任感のある成功した人々であるということも明らかである。

共産主義は、クリスチャンや資本主義者が社会のすべての悪の責任を負わなければならないと主張する。

完全に責任を負わなければならないので、彼らは粛正されなければならない、という。

責任や責務を回避することはできない聖書が教える責任の教理を否定するならば、異教の教えが支配するようになる。

もし聖書が教える法の否定的な性格が拒絶され、肯定的な性格を持つ法律がそれに取って代わるならば、キリスト教と自由に敵対する革命が支配するようになる。

法の否定的性格は、自由への保障であるだけではなく、生命の保障でもある。