みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#410 神の法第三戒

2019年09月13日 | 神の法
第3戒
呪誓(誓い)と革命
 
p109~
Swearing and Revolution
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

冒涜は社会の状態を示すバロメーター。

冒涜は革命の進行を暗示している。

社会の腐敗と堕落の度合いを指し示す指標。

冒涜の心理学的な要素は、革命を支持する時代に影響力を持ち続けている。

冒涜は、伝道にも似た熱意をもって支持される。

1960年代初期、俗語や冒涜語の辞典が、高校の図書館向けの参考書として広く推薦されていたが、これは驚くべきことではない。

ヴァン・ティルの的を射た表現を借りれば、冒涜的な世界において、真の教育とは虚無への下方統合(an integration downward into the void)。

今日、学校において宗教教育が禁止され、冒涜の知識が奨励されている。

下方統合を求める社会において、革命はあるべき姿であり、奨励すべき事柄。

冒涜は、この下方向への革命的融合がどのくらい進展しているかを示す指標であり、バロメーター。

モンタギューが述べた、古代において呪誓は、社会的・宗教的な制度を転覆するために用いられたという言葉の意味が明らかになる。

現在においても、呪誓にはそのような性質がある。

あらゆる呪誓は宗教的である。

偽誓は、社会秩序の転覆への衝動が存在することを表す。

すでに述べたように、オーストラリアの原住民をはじめとするいくつかの社会には神に対する呪誓は存在せず、存在したとしてもそれは、単なる下品な言葉、排泄とか性的な事柄を意味する言葉でしかない。

そのような社会において、呪誓は秩序の転覆を引き起こすものではない。

というのも、その社会の性格全体がすでに後退的で、低い水準にあるから。