みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#414 神の法第三戒

2019年09月19日 | 神の法
第3戒
誓約と社会
 
p112~
The Oath and Society
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

犯人はダン人とエジプト人のあいの子。

ヘブライ語の本文には、これまでほとんど忘れられていた事件の背景が記されている。

古代カルデア訳はこの箇所を次のように言い換えている。

イスラエル人が荒野で暮らしていた時のこと。

彼はダン部族の宿営の真ん中で自分の天幕を張ろうとした。

しかし、回りの者はそれを許さなかった。

イスラエルの掟によって、各人は、それぞれの地位に応じて、家族と共に、彼の父の家の旗の近くに住まなければならなかったからだ。

彼らは宿営の中で互いに張り合っていた。

それで、イスラエルに居留する外国人の女を母とし、ダン部族のイスラエル人を父とするこの男は、裁きの家にひき立てられた。
 
この「ダン人とエジプト人のあいの子」に判決が言い渡された。

彼はその判決にどのように応えたのだろうか。

御名を冒涜してのろった(レビ記 24:11)。

彼はイスラエル社会の全体的構造と、法と秩序の原則を否定した。

その結果、冒涜罪に死刑が宣告された。

彼の罪は、事実上の全体的革命、すなわち、彼の願いを聞こうとしないあらゆる社会からの絶対的分離を主張した点にある。

そのような破壊的行為を許容するならば、社会はけっして長く生き残ることはできない。

神の律法にはきわめて重いウエートが置かれている。

レビ記24:15~16
自分の神をのろう者はだれでも、その罪の罰を受ける。主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。

己の信ずる宗教の誓いを軽んじたりそれに違反するあらゆる異邦人は、その宗教の律法にしたがわなければならない。

彼らは、冒涜やのろいに対して律法が規定するいかなる刑罰をも受け入れなければならない。

それは、信仰の誓いを軽んじることは、自分の神をのろうことにほかならないからである。