みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#417 神の法第三戒

2019年09月23日 | 神の法
第3戒
誓約と社会
 
p114~
The Oath and Society
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

当時のイスラエルにおいて、みだりに誓うことは大変重い罪と考えられていた。

レビ記5:1~7
人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声を聞きながら・・彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに・・、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。あるいは、人が、汚れた獣の死体でも、汚れた家畜の死体でも、汚れた群生するものの死体でも、すべて汚れたものに触れるなら、それに彼が気づかなくても、彼は汚れた者となり、罪に定められる。あるいは人の汚れに触れる場合、触れた人は汚れる。その人の汚れがどのようなものであっても、そしてそれに彼が気づかなくても、彼がそれを知ったときには、罪に定められる。あるいは人が口で軽々しく、悪いことまたは良いことをしようと誓う場合、その人が軽々しく誓ったことがどのようなことであっても、そしてそれに気づかなくても、彼がそれを知ったときには、これらの一つについて罪に定められる。これらの一つについて罪に定められたときは、それを犯した罪を告白しなさい。自分が犯した罪のために、罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。しかし、もし彼が羊を買う余裕がなければ、その犯した罪過のために、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を主のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえとし、他の一羽は全焼のいけにえとする。 

バークレーは、箴言29:24を次のように訳している。

泥棒のパートナーは自分自身を憎んでいる。何故なら、その者はその呪い(泥棒に対する宣告)を聞いたが、何も言わなかった。

デリッチは次のように述べている。

この誓いは、レビ記5:1にあるように、裁判官が泥棒のパートナーに真実を語らせるために誓わせる誓いであった。

だが、彼は真実を隠し続けた。

その結果、彼は死罪を身に負った。

彼は犯罪を隠蔽しただけではなく、偽証者ともなったからである。

偽りの誓いは、最悪の罪である。

盗みや殺人でさえもその罪の大きさには遠く及ばない。

泥棒はただ一人の人から盗む。

殺人者はただ一人の生命(場合によっては一群の人々の生命)を奪う。

しかし、偽りの誓いは社会全体の生命に対する攻撃である。

偽りの誓いをいかに深刻に受け止めるかは、その社会の堕落の度合を測るバロメーター。

偽誓罪を軽く見る社会は、堕落した社会である。