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京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

【霜降】

2017-10-24 | Weblog
各地で被害をもたらした大型の台風21号が抜けていきました。

毎朝店へ向かう途中、五条大橋の上から鴨川を見下ろし、鷺や鴨、鯉や鮎や追河なんかが游ぐ姿を確認するのが日課です。昨日は鴨川の水位もかなり増水して普段の穏やかな流れも激流と化してました。

二十四節気「霜降」。霜の降り始める頃という文字通りの肌寒い一日。

食材も秋から冬へと移ろいつつあって、栗や松茸が名残となり、大蕪や金時人参なんかがちらほら出回り始めてます。

只今「季節と移ろう京料理」をテーマに撮影しており、京料理が醸し出す季節感溢れる趣、ぶかぶかとした情緒、日本人ならではの繊細な感性を大切に、精進しもって料理に挑んでおります。

【お月見】

2017-10-03 | Weblog
先月晦に建具替えを済ませ、今月は茶壺の中も残り少のうなる風炉の名残月。

明日は中秋の名月。うちでは、お月さんに萩と芒、お団子に里芋、御神酒なんかを御供えして、お月見を楽しみます。
うちのおかぁちゃんは、この夜に決まって、月明かりで縫いもんをしたはりました。

昨日の料理勉強会は、新しい方もご参加くださり、楽しい空気の中で秋の前菜なんかを勉強できて良かったです。

【高島屋 御礼】

2017-08-29 | Weblog
天地始肅(てんちはじめてしじまる) 七十二候では漸く暑さも鎮まる時節です。

本日までの一週間、京都高島屋B1の「きょうの味どころ」において、昼懐石を供しておりまして、本日が最終日でした。

おかげさまで御予約で予定数は全て完売となり、御出座しくださいましたお客様には心より厚く御礼申し上げます。

一週間に2度3度とお越しのお方も6名様いらっしゃいまして、料理家としてほんまに幸せでございました。

また、以前に道楽のお座敷で勤めてくれたメンバーも来てくれ、とても懐かしくとても嬉しい思いです。

次回は数ヵ月後となりますが、また何卒宜しくお頼み申し上げます。

【秋の入口】

2017-08-15 | Weblog
世界陸上と全米プロゴルフ選手権があったんで、寝不足の日が続いてました。

昨日、空を見上げたら、夏の入道雲と秋の鰯雲が一緒に観られる「行き合ひの空」。
鴨川を歩いてたら蟋蟀の声。

厳しい残暑ですけど、季節は着実に秋へ移ってることを五感で悟りました。

【いつものとおり】

2017-08-12 | Weblog
毎年のことですけど、夏土用が明け立秋と共に、五条通りの陶器市と六道参りです。

今年は初日が台風の到来で、えらいことでした。

お盆は、十一日の山の日が金曜日ですんで、五日間お休みの方が多いのかと思います。

お盆にうちのお仏壇に帰ってきはったお精霊さんには、三日間献立を変えてお精進料理を御供えします。

十六日は大文字焼き(五山送り火)。いつもの通り、炎が照らす夜空にお精霊さんをお送りして、今年もお盆が過ぎ行くのでしょう。

【土用】

2017-08-02 | Weblog
「土用の丑の日」が一般に広く知られているので、土用という期間は夏と思われがちですけど、実は年に四回あります。

立春・立夏・立秋・立冬の前の十八日間が土用です。今年は七月十九日が土用入り、八月七日が立秋ですので、前日の八月六日が土用明けとなります。

本来、「土用」とは土の気が旺(さかん)になって事を用いる、つまり土気が事をつかさどるという意味の「土旺(王)用事」。そして「旺(王)」と「事」が略され「土用」となったといわれてます。

土用の期間は、土をつかさどる土公神(どくじん)さまが支配するため、埋葬・造園・竈の修造・柱立・壁塗り・井戸堀りなど土を動かすことは全て禁じられてました。
しかし、これでは不便極まりないということになって、土用の期間に「間日(まび)」というものを四日に一度設け、土を動かしても祟りがないことにしました。間日には文殊菩薩さまのはからいによって、全ての土公神一族が清涼山に集められるというものです。
昔の人も物事が滞りなく運ぶようにと、実にうまいこと考えはります。

夏土用は酷暑の砌、年々その暑さは厳しさを増すばかり。栄養を十分に摂って夏を乗り切ろうと、昔から食養生の習わしがあります。

最も広く浸透してるのが「土用鰻」。これは平賀源内が鰻屋の看板に「本日土用の丑の日」と書いたことに由来するとされてます。
他にも「土用餅」「土用卵」「土用蜆」などがあります。

「土用干し」とは夏の年中行事で、掛け軸や書籍や衣類などを干して風を通し虫払いをしたり、梅干しを作る最後の工程で、三日間ほど天日干しにしたりします。

「土用掃き」とは、夏土用にする大掃除。

「土用布子に寒帷子」とは、時節の用をなさないもののたとえ。

「土用三郎」は、夏土用に入って三日目のことを擬人化した言い方で、「梅雨太郎」「八専二郎」「寒四郎」とともに農家の厄日とされ、この日の天候で耕作の吉凶を占う風習がありました。

土用の中でも、猛暑の中の夏土用は、昔から私たちの生活に深く関わっていたということです。

【祇園祭後祭】

2017-07-24 | Weblog
先祭は大層な賑わいの中無事終わり、本日は後祭巡行。

先祭・後祭とも、宵山に行ってきましたけど、巡行での山鉾の感じは、全然別のもんです。

先頭は、牛若丸と弁慶が五条大橋で闘う姿を現した「橋弁慶山」。空にさらけ出した形は本来の山の姿。

10基の山鉾が烏丸御池から河原町を南下し、四条通の御旅所を通って西へと都大路を巡行します。

「橋弁慶山」と次の「北観音山」は「くじ取らず」ですので、くじ取り式での山一番は立身出世の「鯉山」。
一番くじを引いたとこは、ちまきが特によお売れます。
そして大きな「大船鉾」が末尾を勤めます。

町衆が結束して守り継がれてきた祇園祭。それぞれの山鉾にストーリーがあって、それを知ると楽しみはさらに増します。

外国人の観客は年々増えてますけど、今年は特に多いように思います。

【七夕】

2017-07-07 | Weblog
ぼくが子供の頃の七夕は、大抵の家で竹笹に願い事を書いた短冊をつるし、色紙なんかで綺麗に細工したもんを飾り付け、玄関先あたりに立て掛ける一般的な家庭的行事でした。

現在は幼稚園な小学校なんかで行われ、商店街でも七夕飾りをよく見かけます。

もともと中国から伝わってきた行事で、牽牛星と織女星が天の川をはさんで、年に一度出逢うという伝説や、乞巧奠というて織女星を祭りお供え物をして、裁縫の上達を願う行事など、いくつかの行事が複合して、七夕の慣わしができあがったとされてます。

現在は梅雨の頃ですけど、本来は旧暦七月七日に行われる行事。

ちなみに今年の旧暦七月七日はというと、八月二十八日にあたります。

【渋川春海】

2017-06-19 | Weblog
ぼくは以前より、献立の冒頭に七十二候を書き、季節の情緒を感じる料理を心がけております。

2006年8月から2008年8月まで、朝日新聞の『あいあいAI京都』に連載してました「京料理七十二候」では、いくつかある七十二候から渋川春海(1639〜1715)が編纂した「大和暦(貞享暦)」の七十二候を用いました。

七十二候は最近テレビの天気予報などでよく出てまいりますが、二十四節気を三つに分け、五日を一候とする自然現象に基づく季節の区分です。

渋川春海は京都に生まれ、幼名は六蔵、のち助左衛門。
14歳で父の名を継ぎ二代安井(保井)算哲と称し、碁を打つことを職業とする江戸幕府碁所を勤めます。

当時はまだ地動説が信じられてない頃で、暦は平安時代初期に中国から輸入された「宣明暦」が用いられてました。春海は宣明暦にズレが生じることを明らかにし、これを改めるため、中国、元の郭守敬がまとめて1281年から88年間施行された「授時暦」に範をとります。北京と京都との経度差を考慮し、自らの観測によって、京都を基準とする日本人最初の暦法「大和暦」を編纂しました。朝廷は「大統暦」による改暦を決めてましたが、改めて大和暦を「貞享暦」として採用、1685年から宝暦暦に改められるまでの70年間施行され、それまでマチマチだった地方暦が統一されました。春海は天球儀や渾天儀や星図の制作も行い、初代幕府天文方となります。

「天を詳(つまび)らかにする」という夢を目標に掲げ、日々努力を怠らない生き方には、只々頭が下がります。

【江州葦】

2017-06-12 | Weblog
「葦」。
平安時代までは関西では「あし」と呼んでましたけど、「あし」は「悪し」に通ずることから、今では大抵「よし(良し)」と呼んでます。穂が出たものが「葦」、穂の出ないものが「蘆」「葭」とされてます。

近江八幡で屋形船に乗って廻る「水郷めぐり」にときおり出かけます。
西の湖まで出るにはエンジン船ですけど、ぼくは昔ながらの風情漂う手こき船がすきですね。
葦の大群落の中をゆっくりと進んで、鳥の声を聴きながら自然に包まれ心もゆったりとリフレッシュ。
かつて織田信長も安土城を見上げ楽しんだとされてます。

葦は昔から人の暮らしに大きく関わってきました。
稈(かん)と呼ばれる茎は簾(すだれ)や葦簀(よしず)にしますし、屋根葺きの材料や筆記具の葦ペン、葦笛や管楽器のリードなんかにもされます。滋賀県では紙原料の葦パルプも作られ、高級な名刺や葉書となってます。
若芽の蘆筍(ろじゅん)は苦みはありますけど食用にしますし、根を乾燥したもんは、生薬の蘆根(ろこん)として、利尿や止血に効くとされてます。

葦にまつわることわざは
「難波の葦は伊勢の浜荻」〈物の名は土地によって様々である〉。「葦の髄から天井を覗く」〈狭い了見では物事をとらえることはできない〉。フランスでは「すべての風になびく葦」〈都合によって節操を変える〉。イギリスでは「葦によりかかる」〈あてにならない〉。ヨーロッパでは「嵐がくればオークは倒れるが葦は立っている」〈弱さと共にある強かな存在〉。パスカルの「人間は考える葦である」〈人間は自然界では葦のように弱い存在だが、考えるという他の生物とは異なる偉大な能力をもった存在である」。…等々いろいろとあります。

葦原は環境の変化や開発等々で減少しておりますけど、水を浄化し、生物の拠り所となる、その価値が見直され高く評価されはじめてきたところです。