三分間ママ・三分間パパ
むかしこんな言葉をラジオで聞いたことがある。
確か、女優か評論家か誰かがこんな「本」を書いたと言うことだったかも知れない。多分20~25年くらい前?
丁度、「積み木崩し」の崩しが起こった頃だったと思う。
「三分間ママ・三分間パパ」とは仕事などで忙しくて一日余り会えない親が、一日3分間だけ子供とコミニュケーションを取って上手くやって行くということだったように思う。
小生はその時は、子供もいなかったし「はあそうか」と頭の隅に記憶にとどめておいた。
そして今子供の親になって、なるほど「そういうものもあるかな」と思うようになってきた。
但し、どんな子供でも「三分間ママ・三分間パパ」で良いわけではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f0/cab7187904db04fa9b0fef7d839b360c.jpg)
要は、子供の「こころ」‥‥愛情の「貯金箱」にいっぱい愛情が入っているか否かによる。「三分間ママ・三分間パパ」で居られるのは、愛情貯金がいっぱいある時だけに許されるので、あってそうでないときはとんでもないことである。
実際愛情貯金が一杯になるのは、Identity(アイデンティー)の確立以後であろうと思う。まだ小学生くらいのときは、愛情貯金が一杯に近くなっていても毎回その確認に来る。
だから「三分間ママ・三分間パパ」でもいられるのではないかと思う。
そして、その「愛情貯金」が足りなくて成長してしまった時、色々な問題が起きると思われる。
今の女性の若年の性交渉も「愛情」を求めるゆえであろうと思う。愛され方、愛し方が分からないから「男性」に「性」与えるしか方法を見つけられない。
又、子供のことは、子供を持って実際育ててみなければ分からない。
子供を生まず、育てず、甥、姪がいるからと言って「判る」といって「子供論」を唱える論者もいる。
しかし、子供は真の親にしか見せない面というのもある。
近年、「保育所」を増やして女性に「働け」「働け」と言っている。
小生の記憶によると学校から帰ってきて家に「母親」がいると言うことが、どんなに安らぎなったかと思う。