書道家Syuunの忘れ物

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野口英世は、大酒飲みのペテン師のばくち打ち

2008-05-28 18:03:48 | 世の中妙な??事ばかり

産経新聞・5/28「産経抄」冒頭部分

 千円札の顔となっている野口英世は1927(昭和2)年、アフリカ大陸のアクラに渡った。黄熱病の研究のためである。しかし自らが作って打ったワクチンが効かずに翌年、その黄熱病に感染し、遠いアフリカの地で51歳の生涯を閉じる。
 
▼野口は科学に殉じたということで、日本人のヒーローとなった。その「偉人伝」を読むことで、アフリカも日本人に多少はなじみが生まれたといえる。しかし、ギニア湾に面したガーナの首都であるアクラの位置を、地図上で正確に指させる日本人はそんなにいないだろう。

野口英世と言えば、千円札のお札で顔なじみだが、実態は、大酒飲みの恥知らずの大洞吹き。金遣いの荒いばくち打ちの詐欺師だったというのは結構有名な話だ。
医師になるために、専門の予備校に通ったが、そんな大金は持っていないから結局、昔の友人の薬屋(八子弥寿平)を潰してしまったというのは、映画に出て来る。貢がせた金は映画では数千円だったとか‥‥。
当時、500円あれば一軒家が造れたと言うから数千円というのは今で言う1億円ぐらいだろう。
それで、医師開業試験に合格し医師にはなるが開業医は無理と言うことで研究者になる、大酒飲みだから借金をしまくった。
友達に借金をさせてまで貢がせたと言うから、よほど金をせびることが上手かったに違いない。

米国へ逃げたしたのも、借金取りに追われて日本にいられなくなったから。
またまたそこで一芝居やらかす。
明治33年(1900)に渡米の費用にと恩師小林家から200円、又結婚するという口実で結納金として300円を貰い。その金で横浜の大料亭「神風楼」で芸者を上げて使い果たすという所行。

それで、又借金して三等船賃(船底)で横浜からフィラデルフィアまで‥‥
明治37年(1904)、ロックフェラー研究所の、アシスタント(一等助手)として採用されるといっても、毒蛇を扱う人物がいなかったからと言う事情。
全くハッタリの人物だ。
結局それでそれがスピロヘーターと結びついたと言うが、多分今で言えばねつ造論文ばかりだろう。
だから、ロックフェラー大学では当時は絶賛を浴びたが、今となっては追試も出来ないものばかりだという。

野口英世というのは、今でもなぜ偉人なのか不思議なものだ。


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