書道家Syuunの忘れ物

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非武装中立論と平和という宗教に取り憑かれている人々

2010-05-29 21:29:46 | 日記
非武装中立論と平和という宗教に取り憑かれている人々

横路衆院議長は、29日、札幌市で開かれた民主党の会合で又馬脚を現してしまった。
それは、「日米同盟は重要だと思うが、海兵隊が沖縄にいなければならない理由は何なんだ」(読売新聞Web版)。
読売新聞記事では、「中立的立場にある衆院議長が、特定の政策課題で政権批判するのは異例だ。」と結んである。
これは、横路衆議院議長は衆議院議長としても、政治家としても失格であることを示している。
しかも、「海兵隊が沖縄にいなければならない理由は何なんだ」というのは、普天間基地問題が佳境に入った時に鳩山擁護派左派人士が盛んに言ったことである。
だから、文化放送に出演した山口一臣(週刊朝日編集長)氏も同様のことを言っていたのである。
考えてみればそこまでの理由しか思い付かないと言うのが左派人士なのだろうが、これも異口同音(いくどうおん)でみんな同じことを言う。
そして同じように、続いて米軍の海兵隊がいなくなったら後の安全保障問題に関してどうするのかと言うことが続かない。
一歩踏み込んでこの問題を考えてみると、「海兵隊が沖縄にいなければならない理由」など横路衆議院議長を含めての左派人士は知らないはずがない。
そして、安全保障上の問題もあることも知っているはずである。
それなのになぜその様に言うのか。
物事を見る常識として、その様に言う事に対して利害関係のある人達がいる。そして、その人達に自らの「安全保障」としての言を発すると考えると納得がいく。
しかし、もしそうであるなら日本の国益とは何だろうかと思えるのである。
一義には、国民の安全と財産を守ることが国益というのが一つ。
この点から見た場合、日本の領土や国民の財産が侵される危険があるとすれば、国土防衛の必要性がある。
中国が、共産主義だとか拡張主義だとかというものの、詰まるところ国益の追求である。ところが、この日本に至ってはどの様に国益を追求するのかいささか疑問な事ばかりというのが昨今である。
28日の社民党の福島消費者担当相の罷免は、福島氏の閣議決定に関わって署名すれば社民党の存在意義がなくなると言うような趣旨を述べていたはず。
「福島氏は静岡市内で講演し『サインすれば同意を与えたことになり、社民党は生きていけない』と指摘。『罷免されたが、逆にもっとパワーアップしたい』と述べた。」(産経新聞)
それで、社民党がどの様な安全保障政策を持っていたのかというと、社会党時代に放棄したはずの非武装中立論。
しかし、沖縄は米軍基地があるお陰で日本では一番安全な地域であるとどうも解っていないらしい。
戦前の日本軍は敵の重要拠点ばかり攻めて、効果が挙げられなかったり反撃を食らったりしているが、軍事の常識というのは弱いところを攻めることである。
その作戦は、中華民国の八路軍(赤軍)でもそうであったし、ドイツのロンメル軍団でも当然そうであった。
そう言った軍事だけでなく、単に受験勉強の常識と同じ手法でさえ理解できていないというのは、やはり一種の宗教に取り憑かれているしか思えない。
そして、平和とか中立という定義も又、それを維持する手段も持ち合わせていないのは、その言動から人物としては「ハト」ではなくて「ガン」の鳩山首相と五十歩百歩であろう。
それにしても、その「平和」。
よく見かける「平和都市宣言」。その平和とは何だろうかと考えたことがあるのであろうか。
古代ギリシャ、中世ヨーロッパの歴史を見る常識としては、「平和都市」とは強大な防衛都市軍隊を持っていると言うことである。
そんなことから敷衍(ふえん)すると、「平和都市宣言」とは自衛都市軍でも持っているのかと思えたりする。
当然そんなことは無いわけで、日本で「平和」と言うのは、他人に従属して生きる、他人に守ってもらう「奴隷の平和」だと看破できる。
「奴隷の平和」。
これは古代ローマ時代の「スパルタカスの乱」(映画もあり)に見られるとおり、座して「奴隷の平和」に甘んじる人物はいないことを示している。
しかし、日本だけがこの「奴隷の平和」に甘んじているというのは、余程日本人が腐っているとしか思えないものである。

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