書道家Syuunの忘れ物

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大橋巨泉・チベット問題を中国人の頭で考える

2008-04-18 19:19:12 | 世の中妙な??事ばかり
4月18日日本放送「テリーとたい平 のってけラジオ」に大橋巨泉氏がゲストと出演した。
題して「数々の伝説を持つ、大橋巨泉さんがスタジオに登場!」
実は、『大橋巨泉の美術超シロウト的鑑賞ノート』という本の出版宣伝をかねて出てきたというのが本当だ。
そこで、過去のいろいろなエピソード例えば、昔「石原裕次郎などと一緒に酒を飲んでいたら、偶然石原慎太郎(現知事)にであったところ、裕次郎が呼ばれて『なぜあのような無頼漢と付き合っているのだ。』と言ってけんかになった」とか‥‥
別に、そんな部分は後の話で、その前に時事について放言していた。

そこであのチベット問題について何やら「バカ」発言をやって、テリー伊藤が何とか話をそらしてその話をやめにさせたという部分があった。
その驚くべき発言は、こんなもの。

「チベット問題について発言している人は、皆国を出て行ってしまった人でしょう。要するに亡命者。こんな人達が、国の外から何か言うのは間違っている。(彼らが言っていることなどは信用できない。)」
「もしチベットのことを言うなら、チベットに行って、『チベット人が本当に独立したいのか』チベットの人に直接聞かなければ信用が出来ない。」
「ベトナム戦争の時でも、ジャーナリストは危険な戦地に行って、取材したではないか。」

まあこんな話なのだが、常々言われていることは、チベットでは文化の浄化が行われていて、チベットの言葉も文化も禁止。
その上時間は、時差が2時間もある北京時間という風だ。
こんな事は、常識問題なのだが、どうも昔から「勉強しない・耳学問」と公言している大橋巨泉氏ならではである。
しかし、その耳学問はなぜか中国の「公式放送」そのままであるというのは、「耳学問」を仕入れたところがその手人間という事だろう。

又、大橋巨泉氏は中国は言論の自由の国とでも思っているのかもしれない。
なぜなら、チベット人が「独立したい」などと言った途端に、死刑もあり得る「反国家分裂法」によって逮捕されるのを知らないようだからである。
そして、ベトナム戦争の時は、言論の自由の国米国の戦争だったから、ジャーナリストも入れたが、ポル・ポト政権支配下のカンボジアで大量虐殺は、ほとんど知らなかったではないか。
キリング・フィールド(The Killing Fields)と言われたカンボジアでは、現地のカメラマンが残こされて、その実態が明らかになったはず。

もともと大橋巨泉という人物は、日本か嫌いで日本を脱出したような人物。
年金も、日本にはいないから関係ないと嘯く。
日本には、春と秋の3ヶ月だけ。
後は、カナダとオーストラリアだと言うが、外国にいてここまで日本のことが見えない、又世界のことが見えない人物も珍しいというものだ。

高柳健次郎を無視する不思議なNHK

2008-04-18 12:39:15 | 読み解けば‥‥

4月18日付産経新聞「産経抄」に………
「▼自伝の『テレビ事始』によると、テレビ研究のきっかけは、米国で始まったラジオ放送だった。『無線で声を送れるのなら、映像も送れるのではないか』と考えたという。大正13(1924)年、新設の浜松高等工業に助教授として赴任して、本格的に取り組むことになる。」

とあった。

高柳健次郎と言えば、ブラウン管によるテレビ放送技術の発明者として有名だが、どちらかと言えば不遇だった。
当然特許は取ったのだが、あまりに早く取ったために実用化の時には切れていたから金にはならなかったし、それでノーベル賞を貰ったわけでも当然ない。
1926年12月に浜松高等工業(現・静岡大学工学部)で「イ」の字の撮象・表示に成功した。
しかし、実はその時代の背景もあって大した実績も上げられずに、浜松高等工業を後にする。
今でこそ、駅弁大学の一つに数えられる静岡大学の一学部として浜松高等工業‥後・浜松高専は存在するが、事実上の実績は受け継がれている。
高柳健次郎氏の業績は、「高柳記念未来技術創造館」(静岡大学浜松キャンパス)で見ることが出来、電子科学研究の功績を顕彰する「高柳記念賞」も存在している。

そして、高柳健次郎氏はNHKから日本ビクターへ移るのであるが、これはGHQの差し金であって、その後又不思議なことにNHKは高柳健次郎氏の業績を隠そうとする。
NHKが日本を辱めようとする姿勢であることは、疑いの無いような感じであるが、ここまでするのかと言う事実がある。
それは、NHK連続テレビ小説で放映された「凛々と(りんりんと)」である。

‥‥‥1990年4月2日~1990年9月29日に放映。主演は田中実。
これは、テレビ技術の開発を背景にした川原田 政太郎氏の物語であって、なんと今は廃れてしまった「機械式の早稲田式テレビジョン 」というものである。
しかも、高柳健次郎が発明した後4年後の1930年。
内容は、日本の国はだめな国だった、技術面に関しての部分は、努力したがダメだったという内容で貫かれている。
不思議なことに、そのドラマの中で高柳健次郎には一切触れられていない。
全くおかしな事だった。
高柳健次郎の実績を知っていれば、なぜだと言うのは間違いないことだった。

穿った見方をすれば、多分、NHKはテレビ受像器の発明は日本人であると言うことを隠したかったのだろう………と放映当時思ったものだ。
要するに、NHKは高柳健次郎氏に恨みでもあるかのようなのである。

実を言えば、高柳健次郎は博士号も持っていないし、元々名誉教授という称号も持っていなかった。
浜松高等工業で教授にもなっていないし、その期間も短かった。
今は、その実績で現在は、静岡大学名誉教授を与えられている。