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書道家Syuunの忘れ物

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参議院選・みんな消費税10%増税・景気回復を望まない人達とは-その2

2010-06-20 14:49:21 | 読み解けば‥‥
参議院選・みんな消費税10%増税・景気回復を望まない人達とは-その2

消費税を10%に増税して喜ぶ人は常識では考えられない。それでも世論では過半の人達が賛成しているというのは解せないことである。
想像するに、総論賛成各論反対の口で、頭では日本の国の将来を憂いギリシャの様になっては困ると政府の不安を煽る政策にのせられている。
そうであるから、民主党の高速道路無料化や子ども手当て、減反政策に賛成した零細農家に対する個別保証などに国民は反対したはずである。
事実は、それらは不完全であるものの実施され、本来国民が望んだはずのガソリン税の暫定税率の廃止は見送られた。
それだけでない、ガソリン税に消費税がかかるという不都合も自民党政権時代から言われていたものの無視し続けている。
このことが何を表すのか、どういう意味をなすのかということを考えておく必要がある。このガソリン税の暫定税率廃止がなぜ見送られ、バラマキ政策で何の経済効果もない子ども手当てなどが実施されたのかと言うことは、単純に見ればそれによって利益を得る人達の利害関係であろう。
政権確保と共に直ぐ財務省に取り込まれた現政権の民主党にとっては、取りあえずの選挙対策と社会主義政策というイデオロギーのなせる技ではあるが‥‥‥。
ガソリン税の暫定税率廃止は、地方に住むの国民に対しては事実上の減税と共に消費という経済効果、今や国民の生活に密着している運送、車などの販売の経済効果が見込まれた。
しかし、これを実施しても直接何もメリットがない人達が存在する。
大きく見れば、東京などの都心に住んでいる人達。
もっと細かく言うと中央官庁の役人、大学の教官、評論家、新聞社の論説委員など。
いずれも車も持たず又自分で乗らないか、社用車、専用車付の人達である。
不思議なことに、こういう人達というのは地方に住む国民から見れば途方もない給料をもらっている人達でもある。そして、彼らは自ら日本のエリートであると自認して止まない。
だから、例え暫定税率を負担する立場になったとしても、大して懐が痛まない人達でもある。
元厚労省の雇用均等・児童家庭局長という東大卒のお役人で資生堂の代表取締役副社長になっている岩田喜美枝氏。
この人は、天下りをせず敢えて茨の道を歩んだように言われているが、資生堂Webサイトによると岩田喜美枝氏の21年度の年収は6,600万円である。
しかも夫君は、日銀の岩田一政副総裁。
単純に計算してもこの一家の年収というのは約100,000,000円(一億円)。
ソニーのストリンガー会長の年収約8億円に比べれば少ないかも知れないが、我々庶民から見れば想像も出来ない年収であることは間違いない。
こういう人達は、消費税が10%に上がろうともガソリンが上がろうとも微々たるものである。
これで庶民の暮らしに対して、上から目線で「これからの日本企業の成長と日本経済の活性化のためには、私は女性の活躍が不可欠と考える。」など言われても現実味はない。

こういうふうに見てゆくと、日本の中に景気不景気とは全く関係のない人々が存在することが分かる。
別の見方をすれば、景気が良くなってインフレになれば相対的に自身の給与が下がり、民間の景気の良さをうらやみ。
その逆は、デフレ経済なら給与がより多く使えて‥と言っても使う事もないだろうが気分的に裕福になったと思える「やっかみ一杯の」人達である。
こういう人達が、あのバブルの時どういう行動を取ったのかという検証をしてみるとその行動原理というものが如実に分かる筈である。
そして、かねてから言っている通りバブル時代とバブルのハードランディング。そして、その原因と責任の所在と言うことは今まで白を切ったままである。
失われた十年を受けてその「原因と責任」をまとめたものもあるというものの、よく見れば完全に責任を回避していると共に誰もが知っている核心を突いていない。
しかも、日本が行った「バブルのハードランディング」、バブル潰しという実験は、世界の経済的失敗例として記憶に留めることとなり、以後世界中で「バブルのハードランディング」を実施した例はない。
それなのに、日本ではその反省も責任の所在も明らかにされていない。
それどころか米国のリーマンショックは、米国の住宅バブルを潰さなかったの悪いと強弁する始末。
こういう失敗したことに対して蓋をして、再び失敗を繰り返すというのは旧帝国海軍の例と言う以前に、日露戦争の検証と言うところからも発している。
日露戦争の戦況を調べた時、司馬遼太郎氏は「勝った、勝った」という勝ち戦の話ばかりで何の参考にならなかったとあった。
事実は、戦史を編纂するに当たって、ある程度真実を記そうとした陸大出(天保銭組)の担当官を更迭までして隠し通したという事実がある。
こういう、失敗の真実を隠し、成功だけ誇大広告して自らの保身を延々としてた来たのが戦前の軍人であったのと同じように、戦後は、戦後利得者であった政治家、官僚、学者が戦後政策の失敗を隠し通して来たのが現在である。
高度成長の末期、昭和45年頃から戦後民主主義者的な政治家、官僚、学者がこぞってコミンテルン思想へ回帰しようと運動を始め、その頂点がバブル崩壊というのは決して偶然ではあり得ない。

以下 その3へ

参議院選・みんな消費税10%増税、景気回復を望まない人達とは-1

2010-06-19 23:20:45 | 読み解けば‥‥
参議院選・みんな消費税10%増税・景気回復を望まない人達とは-1

2010/06/19の新聞の政治マンガには、民主党と自民党の対決の絵だった。
ところが、対決するにも互いに「消費税10%」増税とぶち上げて争点がないと言うお笑いなのである。
実際のところ民主党は、菅政権に移行した後何もボロを出さないように貝に閉じこもったまま。そして、昨年9月から日本中を混乱に陥れた鳩山政権とは「関係ありません」と言うような顔をしている。
しかし、閣僚はそのままだし政策が変わっているわけでもない。
鳩山前総理が国連で二酸化炭素削減25%をぶち上げたように、今度は何の根拠も説明もなしに消費税10%増税、早ければ2011年度(平成23年)?からという。
この飛び出し発言に対して、民主党内では「衆院選後に消費税アップ…枝野氏・外相・財務相」(読売新聞Web)と火消しに躍起になっているのは、前鳩山政権時代と似た「民主集中制」 。
この民主集中制というのは、一種の独裁政治。
市民運動家出身というのは、こういう「民主集中制」という癖を持っていることを知らなければならない。なぜなら、市民運動というのはある種の主義主張が絶対であって、それ以外を排除することで成立するからである。
それにしても、菅政権誕生前の何やら元気の出た自民党が今や葬式の参列者並にシュンとなってしまった。
一方、民主党の応援団は民主党の批判を堂々と言えるくらいの余裕やら、もう政治のことは話さなくても良いと言うくらいの祝勝宴会状態。
それで何か物事は片付いたのかと言えば、何も解決していない。
沖縄の普天間問題もそのままだし、例のペルシャ湾から自衛艦の給油を撤退させたままその後の対策もない。このことは後先も見えない社民党が政権離脱したからやりやすくなったと言えどうなのかと言うものである。

自民党が民主党との差を見いだせなくなっているのは、自民党首脳のリベラル保守が単なる米国派リベラルであって、民主党の中国派リベラルと政策的に似たようなものだからと誰でも看破できる。
そして民主党は「官房長官、夫婦別姓と外国人参政権に前向き」と選択的夫婦別姓制度、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案を早期成立を目指す、と日本解体の姿勢は変わっていない。
確かその他に人権擁護法みたいなものもあった筈で、この3法案が民主党のマニフェストに出ない裏の本音というものである。
ところが、自民党のリベラル派もこの3法案を検討していたのは周知で、公明党は今でも推進の立場の筈である。
そして、ここのところ乱立したミニ政党は、みんなの党にしても民主党と違うのは「小さな政府」かそうでないかぐらいの違いしかない。
(たちあがれ日本が公約、自主憲法制定目指す)
他の政党も民主党に消費税10%増税のお株を取られてしまったために、違いを打ち出せなくなっているお粗末さである。
経済政策に至っては、尚お粗末で「消費税10%増税」、財政再建と皆が言ってしまったために、どうやって景気回復するのか雲散霧消なのである。
自民党は、菅政権になった時に直ぐに「のんきな」サラリーマン顔の谷垣総裁を下ろしてもっと若い別の顔を立てるべきだった。
そう言う目先が利かないと言うところに自民党の聚落が目に見えている。
結局、自民党と民主党との差というのは、民主党と同じ考えの自民党内のリベラルの意見を排除して、憲法改正、国民の主権と生活を守る、国を守ると言う姿勢しかあるまい。
そうであるならば、未だに民主党が堂々と「早期成立を目指す」という「選択的夫婦別姓制度、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案」に反対する姿勢を打ち出すしかない。
ところが、未だにそんな話は自民党から聞こえてこない。

自民党の公約
「公約は、早期のデフレ脱却と景気回復に向け、『3年間であらゆる政策を総動員し、名目4%成長を目指す』とした。国際競争力強化のため、現行約40%の法人税実効税率を20%台に引き下げることも掲げた。」(「自民が参院選公約、消費税10%に引き上げ」読売新聞Web)
こんな民主党の様な公約で景気回復するというのなら、少なくとも10年前に回復している。まったくやれやれ困ったものと思うのは、小生だけだろうか。

くらたま・倉田真由美・NHK経営委員人事案を考察する。

2010-05-20 22:28:29 | 読み解けば‥‥
くらたま・倉田真由美・NHK経営委員人事案を考察する。

週刊文春で「NHK経営委員」の資格はあるのかと報道された
この記事は、報知新聞にも転載されて書かれているから大筋は知られていることだろう。
要約すれば、夫君の叶井俊太郎氏が前妻と別れるにあたって、債権者が来るからと形式離婚したことである。
それをよいことに離婚後も同居していた叶井俊太郎氏が、前妻と別居して倉田氏に乗り換えたと言うわけである。(略奪婚と書かれている。)
その前妻にも生後9ヶ月の男の子がいたと言うし、倉田氏は叶井俊太郎氏の離婚から8ヶ月後に出産しているという。詳しくは、週刊誌参照(汚すぎる『略奪婚』の手口)。
そんなわけで、倉田真由美氏の「できちゃった婚」だとか、種々諸々(もろもろ)の美談として話されていることはどうも怪しいと言う事になる。

そして、そんな世間一般的にはどうかなと言う人物が、NHKの最高意志決定機関「NHK経営委員」候補とはと言っているのである。
こういうブラックユーモアはだしなのは、今の民主党の体質の様なもので、党首の鳩山首相以下同様である。
そして、週刊文春では小沢代表や民主党と近いと書かれているのだか、文化放送にも時々出演する人物でもある。
この文化放送は、民主党の応援団であり、社民党の意見を良しとして福島みずほ党首をコメンテーターとしているほどの極左放送局であることは以前から述べている。
そして、ここでの放送で倉田真由美氏はとんでも発言を繰り返しているのである。

そんな妙な発言(2009年9月)を別の記事から採録しておくと
「新政権への注文」という、日経ネットPlus (ニュース交差点)で 「バラ色にも黒色にもなる『真っ白内閣』」題して今度の民主党内閣に過大な期待感を寄せている。

■「新鮮さを感じる閣僚の顔ぶれ」で倉田真由美氏は、「麻生太郎前首相は言動から尊大な印象を受けた。鳩山由紀夫首相はお金持ちの家系だが尊大な印象はない。」
■子育て支援、保育園整備も忘れずに
「私は12月上旬に第2子を出産する予定で、鳩山内閣には特に子育て支援・教育の政策に期待している。」
「子ども手当(月額2万6000円、2010年度は半額の予定)はありがたい政策だ。同時に待機児童の多い保育園整備にも力を入れて欲しい。お金に余裕があればベビーシッターを頼めるが、庶民には払えない。知り合いの母親の中には、保育園の空きがないため、子どもを預けられず、仕事をあきらめる人もいる。」

註・倉田真由美氏は、「社長を務める漫画制作会社『(有)たまくら』(東京都新宿区)が東京国税局の税務調査で、2005年4月期までの3年間に約1800万円の所得隠しを指摘され重加算税を含めた追徴税額は約600万円と報道された。(同上)」と言うくらいのお金持ちで、しかも自分の子供は親任せの独身生活。

「同じ少子化担当相でも麻生内閣の小渕優子さんと、福島瑞穂さんではかなり印象が違う。小渕さんは小渕恵三元首相の娘さんでお金もあり、お嬢様の印象だ。福島さんは庶民感覚を持ち、我々の肌感覚に近い政策を実現してくれると期待している。」

さて、ここで少し突っ込みを入れると、倉田真由美が出産したのは11月上旬で1ヶ月早く、12月上旬というのは嘘。
福島みずほ大臣が、庶民感覚を持っているとは今の時期、誰も思わないであろう事は間違いない。それに1億円以上の現金を持っているお金持ちだし。
そして、鳩山総理への勘違いは別に言うべくもない。

こんな先も見えないし、物事の善悪も付かないように人物、民主党に対しては応援団かも知れないが、国民の視点から見れば冗談じゃないよと言う人物だろう。

電動スクーター・バイクは本当に必要なのか

2010-04-14 23:37:45 | 読み解けば‥‥
電動スクーター・バイクは本当に必要なのか

近年エコブームという訳の分からないことから電気自動車が流行っている。
近年は、電気自動車では力が出ないからハイブリットカーなのだが、純然たる電気自動車も電池が良くなったから可能になった。
しかし、電気自動車ばかりになれば、電気会社も電気を作るために原発を作らなければならないし、不要となったバッテリーはどうするのかということも出で来る。
そんなことは、ガソリン車がなくなった時の要らぬ心配というもので、その頃には種々の事柄が笑い話になっているかも知れないのである。
2010/04/14、フジテレビ系、朝のとくダネ!では、新型の電動バイクを持ってきて、色々と説明をしていた。そして、こういうバイクというのはバイク屋ではなく電気屋で売っているのだとか。
それは、作っている会社がバイクメーカー以外と言うことだった。
しかし、売っている電動スクーターというのは、いかにも原付I種と分かる貧弱なもので、ガソリン車なら10万円もしないしろものである。
それが電動スクーターとなると最低約20万円、場合によっては50万円だという。
価格の高いスクーターというのは、充電時間が2-4時間と短く少しの合間に充電(リチュームイオン電池)出来るが、20万円程度のものだと従来型の様に8時間充電(鉛・シール電池・寿命2-3年、3.6万円程度)。
それで1回の充電で走れるのは約40-50Km。
これでは、商売では使えないし少し遠乗りしようと思ったら無理。
近距離なら、電動スクーターより自転車の方がマシというものではないかと思ったりもする。
こういう電動バイクというものは、ネット検索してみるともう既に色々なものが売られている事が分かる。安いのは前述の通り電池の違い。
このTV放映の電動スクーターは、原付I種といういわゆるファミリーバイク(50cc未満)に相当する部類である。そして、TV放映していたのはどう考えても最高速度・時速40Kmぐらいしか出ないしろものの様な感じがした。
こういう電動スクーターの中には、登坂能力約12度、最高速度55km/h以上という物も発売されているもののある。
海外では、強力なバイクも発売されているようであるものの、作れるという程度のもの。なぜなら普通のバイクの方が圧倒的に安く高性能であるからである。
そして、ガソリン代、排気ガスと言っても小排気量だからそれほど問題になるとは思われない。
昨日は、何故だか新聞やTVで電動スクーターを紹介していたが、小生ならこんな電動スクーターなど怖くて乗っていられない。
こういう原付バイクの制限スピードというのは30Km/h。
車の量の多くない裏通りをとろとろと走るなら良いとしても、国道などの高速車両と交通量が多いところではほとんど追い越されることになって怖い。
だから、見て見てれば50ccバイクというのは安全を考えて、例え違法でも最高速度一杯の60km/hで走っていることが多い。
しかし、こんな50ccバイクというのは、60km/hで巡航することを想定していないから実に不安定なものだ。
それで、この原付I種スクーターと言うものは、20年以上前に卒業して今は原付II種に乗っている。
そして環境に配慮して電動スクーターに乗るというのは良いとしても、無理な走りをして自らの命を縮めるようでは本末転倒というものではないだろうか。

故井上ひさし氏を大絶賛する新聞論調の裏側

2010-04-13 09:04:42 | 読み解けば‥‥
故井上ひさし氏を大絶賛する新聞論調の裏側

2010/04/12、朝刊休刊日だったので新聞と言えば夕刊だった。
この夕刊を見て驚いたのは、読売新聞第一面で死亡記事、その上「よみうり寸評」(4月12日付)で絶賛。第14面でほぼ全面を使っての追悼記事。
ここで書かれていることは、いわゆる表面上の表の顔である。
文化功労者の時の話で、「DV功労者」と言う言葉が出たらしいから、井上ひさし氏のDVとその凶暴性については公然の秘密だったわけだ。
しかし、新聞には一言も書かれていない。
同じ「9条の会」の梅原猛(85)氏が「一貫して庶民の側に立ち、そこには虐げられた者への愛情があった」と述べたことは、本当に何の皮肉なのかと思わせるものがある。
事実は、「そこには虐げられた者への愛情があった」どころか、虐げる者の典型的人物であったはずである。
その虐待というのは、人間だけでなく猫などの動物に関しても「高所から落とす」とか「火をつける」とかの話が語られている。
そして、記者会見は井上氏が主宰したこまつ座社長の井上麻矢氏の話だけ。
一番近くにいたのは二女ではなかったか。もっともっと悲惨な人間模様は、ネットで検索すればこれでもかと言うくらい出てくる。
日本では、死ねば神様とか言って死者に鞭打つことはしないと言うが、井上ひさし氏だけはどうしても許せない。
「9条の会」という一種の教条宗教の様な団体に参加して、「奴隷の」平和を唱えながら、自分の親族は見殺しにする。こんな批判のサイトを探すにはことを欠かない。
新聞では、「直木賞や読売文学賞など多くの文学賞の選考委員を務め、後進の育成に尽力した半生でもあった。」と書かれている。
物は言いようとはこのことで、大方5年で辞める直木賞の選考委員を20年も務め、文藝春秋社で困ったという話も伝わっている。
それは、数多くの文学賞の選考委員を務めて、出版、言論界で権力を行使したとの批判もある。

それで何か良いところでもないのかと探したものの、何も見つからなかった。
2010/04/13産経新聞「産経抄」にもいろいろな矛盾した事柄が書いてあって、なぜなのかと言うより何か違和感がある。
井上ひさしさん、鎌倉にも大きな足跡(読売新聞)
「近くの主婦(79)は『おだやかで、偉ぶらない人でした』としのんだ。近くの喫茶店経営の女性(75)は『気取らない人で、よく店に来ておしゃべりしてい た。会ったのは去年の暮れが最後。西行ではないけれど、『花の下で春死なん』という気持ちだったのかも』と、しみじみと語った。」
記事にでで来る人は、不思議とみんな70歳代以上の高齢の人達ばかり、それもみな真実は話さない。

「追悼 作家・井上ひさしさん 「怒り」「明るさ」美しく同居」平田オリザ(産経新聞)


5-6年前にある老人が亡くなったことがあった。
これは事件だったのだが、新聞に出た近所の人のコメントは「なぜあんな良い人が‥‥」と判で押したようなコメントばかり。
しかし、本人を良く知っていた者としては、それなりの理由はあると自戒したものであった。
「死ねば神様」、「死者に鞭打つことはしない」とは言っても昔のことである。そういう単に水に流せる様な淡い「嫌なこと」は昔ながらの節度ある世界でこそ有効だった。
ところが、今やグローバル社会と言って、従来の日本的対応というのは通用しない世の中になった。
既に通用しないのに政治家は、外交や政治に「逃げ」として日本的対応をし続ける。
そして、井上ひさし氏は「九条の会」で有名であるとともに、「鎌倉・九条の会」を「井上ひさし 内橋克人 なだいなだ」で立ち上げた。
よく見てみれば、井上ひさし氏を社交辞令以外で擁護するのはこういう人達しかいないというのは、その本質を示している。
昔から、年を取ったら「顔はその人の人生の縮図」とも言うし、 「40歳を過ぎたら自分の顔に自信を持て」ともいう。
「九条の会」の人達の、小田実、加藤周一、井上ひさしその他、晩年の写真を見ると皆人を射るような目つきをしている。
こういう優しさのかけらも見られない目とは、「鬼の目」というものである。
トルストイの作品に「What men live by」という小説がある。
日本語題「人はに何によって生きるか」だったか?

いずれにせよ、小生などは彼らと対極にあると思う。
だから、彼らのように名誉も栄光もなく単に小市民として生きる訳である。

人生の破綻者だった故「井上ひさし」氏

2010-04-12 00:26:16 | 読み解けば‥‥
人生の破綻者だった故「井上ひさし」氏

故・井上ひさし氏と言えば、元社団法人日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本藝術院会員であともう少しで文化勲章という人物だった。
しかし、井上ひさし氏について思うのは、「吉里吉里人」(1981年)を発表して有名になった頃から過激な政治的な発言を繰り返してきたことである。
「ひょっこりひょうたん島」(1964 ~1969 年)という人形劇は、NHKで朝と晩二回放映した上、再放送も何度も繰り返したのでよく見たが何か異常な物語だった。
そこで展開される物語は、家族もなく国家もなく何も生産していない、そしてその存在意義も見いだせない海を漂流する島。
そしてそんなちっぽけな島の中で人間不信、裏切り、いがみ合い、喧嘩しあっての共同生活。
昔の米国TV映画‥‥宇宙人に拉致された人間が、限られた空間の村で共同生活する物語によく似た物語だった。
今から思えば、その寂しい人間不信の共同生活そのものの実態が、井上ひさし氏その物であったことが分かるのである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
「戦後民主主義を代表する平和主義者として知られるが、家庭面では元妻西舘好子によってひさしによる家庭内暴力(DV)を曝露する本『修羅の棲む家』(はまの出版)が出版され芸能ニュースを騒がせたこともある。「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」とひさしの暴力を克明に記している。」とある。
簡単に言えば、家庭的には破綻者である。
こういう人物の行動様式というのは、外面がよくて内面が恐ろしく悪い。
そして、例外なくインテリは戦後民主主義者というより共産主義者に近い。
あの北朝鮮を賛美絶賛していた社会主義者・元美濃部亮吉東京都都知事も見た目ソフトだったが、家族親族からはソースカンだった。(長男・次男・三男をもうけたが、都知事就任前に離婚。子供三人は小坂家に引き取られた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
それだけではなく、美濃部亮吉氏の実の妹は生活保護を受けていただけでなくその後孤独死をしたと、かって新聞に書かれていた。
そう言う戦後民主主義者的文化人と言えば、あの評論家・故加藤周一氏。
この人物も家庭的にどう考えても正常とは思えない。
その著書「羊の歌」で、婚約者に「人でなし」とさんざん罵倒されたと平気で書いている。婚約者一人を振り、三回も結婚した。
その典型的な戦後民主主義者である井上ひさし氏が新聞紙上(産経新聞)で論戦をしたのは、国鉄分割民営化反対論である。
井上ひさし氏の論旨は、国民の視点に立つと言うことではなく、常に労働者、ゴネ得労働貴族の見方をする。
国鉄分割民営化反対ならばどうするのかと言えば、選択枝は何も持ち合わせていないという非論理性というのがこういう人物の特徴だった。
突き詰めるところ、現実を無視しての感情論という展開で論理を追求されると直ぐに破綻する。
これは、あの大橋巨泉氏の感覚と同じで、言葉では「立派げ」な事を言うものの行動はというと破綻する。だから、実際の行動というのは必ず言行不一致である。
この言行不一致というのは、井上ひさし氏にも当てはまることで、
「第二次世界大戦における昭和天皇の戦争責任について、数々の戯曲で問題提起をし続けている。一方で今上天皇の園遊会に招待されて参加したこともある。左翼、元は反天皇制の立場でありながら国家的褒章をためらいなく受け天皇の茶会に出席したことに対して批判もある。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」

そして、政治は結果であると決まっている。その後の国鉄分割民営化、JRの成功を見てみれば、井上ひさし氏の反対議論というのは誤っていたことが明白であった。
それで、その誤った判断、議論と言うものに対して何か反省をするかと言えば、それもなく反日的な政治的言動を繰り返していたのは見苦しいものだった。
そして「モッキンポット師の後始末」という小説がTVドラマ化された時、今で言えば泥棒、万引き‥‥強姦??‥などありとあらゆる悪さと言うより犯罪を犯していた。
それを「モッキンポット師」が将来有為の青年であるからと、事件をもみ消していたと言う話である。
当然ここでも反省など一つもなく、毎回繰り返しているという話である。
何の反省もせず同じ過ちを繰り返す、これはやはり異常でしかない。
これは脚色されていると言え事実だと言われている。

井上ひさし氏という人物は、社会的にも家庭的にも破綻していた人物であるが故に、平和に暮らしている国民を憎悪しているような感覚があったのではないかと思えてならない。
「九条の会」の9人の1人であり、加藤周一氏に至っては「日本国憲法第9条」を世界に広めようと言っていたくらいである。
ちなみに「九条の会」の9人・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
* 井上ひさし(作家)※
* 梅原猛(哲学者)
* 大江健三郎(作家)
* 奥平康弘(東大名誉教授・憲法学者)
* 小田実(作家)※
* 加藤周一(評論家)※
* 澤地久枝(作家)
* 鶴見俊輔(哲学者)
* 三木睦子(三木武夫元内閣総理大臣夫人)

良き家庭人、良き夫、良き父親でない人が、国家、政治を論じるというのは非常に不自然である。
自らの家庭も満足に作れない人物が、国を形作ることなど出来はしないのは当たり前であろう。
なぜなら、国というものは家庭を基準単位として、地域、町、市、県と広がって国となる。
そうではなく、国民は全て国家に直接従属するとなれば、全体国家でしかない。
だから井上ひさし氏などの戦後民主主義者の論理は直ぐに破綻する。
そして、元法政大学の教授でウーマンリブだった人物は、実は恐るべき我が儘かってな人物だったと、大竹まこと氏が述懐しているのである。

週刊現代コラム「大橋巨泉・今週の遺言」の妄言

2010-03-27 00:10:32 | 読み解けば‥‥
週刊現代コラム「大橋巨泉・今週の遺言」の妄言

大橋巨泉氏のコラムに関しては、3月15日のエントリーで批判している。
それは週刊現代のコラム「大橋巨泉・今週の遺言」の「第69回は『永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ』」である。
ここで「櫻井よしこ氏に『それは被害妄想の極致でしょう』と批判」していた。
大橋巨泉氏の大言壮語、耳学問、見識の低さというものは、今に始まったことではないから、あえて巨泉氏の言葉を韓国風に「妄言」としておく。
この69回は「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」に対して、週刊文春4月1日号で櫻井よしこ氏が「私を『被害妄想の極致』と罵った大橋巨泉さんへ」と題して反論している。
大橋巨泉氏の不見識というのは、現実や事実を認めず本当は自らは嫌なことを他人には強要するという常に高みから物を言うことである。
しかも本人は、「自分に優しく、他人に厳しい」と日本にいる時は散々言っていたとおりである。本来なら「自分に厳しく、他人に優しく」と言うことで、自らを律して他人のために尽くすと言うのが日本人の本分であるが、そんなことはさらさら無い。
事実として、大橋巨泉氏が慈善事業に私財を投げ打ったと言う話は聞いたことがない。
その大橋巨泉氏は、「自分に優しく」とばかり日本、カナダ、オーストラリアと季節のよい時期に滞在して、日本国内、海外とあまり余る資産と永住権も持ちいわゆる特権階級を享受している。
櫻井よしこ氏は、この大橋巨泉氏の妄言に対して現実直視と世界中の各地に溢れ上がる中国系住民の問題点を指摘している。
だから、日本、カナダ、オーストラリアと在住するなら是非とも「中国にも住め!」と直言する。なぜなら、大橋巨泉氏は絶対に中国には住もうとはしないのは間違いないからだ。
多分理由としてこう言うだろう「中国なんて、環境が悪くて住めたものではないだろう、がは‥は‥は‥‥‥」又は、「中国人の規律無視‥‥云々を言うかも知れない。」
ところが、大橋巨泉氏と言うのは「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」では無邪気なものなのである。
なぜならば、先に述べたように日本の冬の寒さが嫌いだからオーストラリアに住むと言う人物であるし、夏の暑さが嫌だからカナダに住むという人物である。
分かりやすく言えば、日本が日本でなくなったとしても「日本が嫌なら海外」でお客さんとして政治に関わりなく住む事が出来る分けである。
だから日本と言う国にドップリと浸かって逃げ出すことさえ出来ない庶民に取っては、大橋巨泉氏が常々言っている「馬鹿野郎」をそのまま巨泉氏に返してやりたいとは誰でも思う。
そして、週刊現代4月3日号「大橋巨泉・今週の遺言」では、例のイルカ漁批判映画「ザ・コーブ」を持ち出して、日本ではあんな事をやっているのかと聞かれて「絶句」したとある。その後は例によって個人的見解の悪態をついているのは、もう読まなくても充分、「ゲップ」がでる反日論である。
ここで、これがもし中国人だったら猛烈な勢いで自国擁護するはずである。いやフランス人やその他の人達でも間違いなく、それなりの自国擁護というのは常識である。
なぜなら、彼らは愛国心というものを持っているからである。
ところが、この大橋巨泉氏と言うのはどう考えても「愛国心」と言うものを持ち合わせているとは思えない。
そして、日本は批判する一方他国に住みながら、他国の安全保障にはドップリと浸かってその現実を顧みない。なぜなら巨泉氏が常々言う様にその国の「お客さん」として暮らすからである。
そうなると、大橋巨泉氏のアイデンティティは日本無ければならないが、それも希薄となれば、もはや金儲けのための「大橋巨泉・今週の遺言」など百害あって一利なしである。
なぜなら、愛国者でない国民というのは日本国内では問題にされなくとも、海外に出てそうと分かれば「信用されない人物」として軽蔑の対象になる。
そうであるならば、今からでも遅くないから「大橋巨泉・今週の遺言」は「私の遺産は全て日本国民に捧げます」に代えて懺悔すべきなのではないか。
しかし、「自分に優しく、他人に厳しい」と口にするほど、自己に甘い巨泉氏がそんなことをするはずがないのは分かりきった事である。
それにしても、日本が嫌いで日本にも住んでいないで「日本を住みたくなるような国にしようよ」とはとんでも無い人物であることよ。

学習院初等科の学級崩壊・愛子さまへの暴行暴露

2010-03-18 01:29:10 | 読み解けば‥‥

学習院初等科 の学級崩壊愛子さまへの暴行暴露
実はノーブレス・オブリージェ実行だった

学習院の学級崩壊に関しては、立場によって種々であることが明らかになった。
2010/03/17の地方紙には、「東宮職発表 批判やま ず」「止められなかったのか」という記事があった。これは、地方紙に掲載されているが共同通信の配信記事だ。
それでその中身は何かと言えばかなり 不確かなもので、問題そのものには一切迫っていない。
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内容は批判の典型的な、週刊朝日、週刊現代、週刊ポストと変わっていない。
簡単に言えば、「皇太子」にしろなんでも皇室は文句を言うな、 言わせるなと言うことであって、別の言い方をすれば「問答無用の皇室封じ込め」というものである。
しかし、この考え方というのは国民が共有する一 般論ではなく、粗方、岩波文化人あたりの二枚舌人間のものというものである。
分かりやすく言えば、日本の国や国歌、国旗を批判し天皇も軽視、軽蔑 していながら、勲章でも頂く時はうやうやしく貰う、手合いである。
そんな考えを持つ人物というのは、言論界、官界、東大を中心とする学者に多いか ら、皇族というのは言論に対して我々庶民より100倍も慎み深いというか、我慢している。
その我慢の限界を超えたというのは、余程のことであるだ けでなく皇室以外にも問題を及ぼすという場合に限られることが多い。
その点から見れば、今回の「東宮職発表」というのは、あえて火中の栗を拾った とも言えなくはないだろうか。
皇室だけの問題であれば、それなりに密かに対処すればよいことであり、実際そうしていたのではないかと思う。
だ から愛子さまの転校という話は、以前から検討されていたと述べられていた。(新潮)
しかし、今度の学習院初等科の学級崩壊については、左傾の週刊 誌、新聞社が批判するより根が深い。
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その詳細が書かれていたのが2010/03/18発売の3月25日号「週刊文春」
題は、「(学級崩壊)学習院よ、何サマのつもりだ」(友納尚子・署名記事)
この記事で明らかにされていることは、学習院初等科の学級崩壊があきら かになり、同じ二年生の父母達が不安がっているのに対して、学習院側では「皇室の特殊事情」としているのである。
簡単に言えば、事なかれ主義の様 に学習院には責任はない、学級崩壊も存在しないという強弁をしているのである。
週刊朝日(3月19号)での学習院の波田野敬雄院長の発言が掲載さ れている。
○「わんぱく坊主を見て怖がっちゃうような環境で育てられているわけですから、それは学校が直すというよりも、ご家庭で直していただか ないといけない。それに合わせて、愛子さまが登校できるようにこちらも協力していきます」
○「いろんな経験をなさるのは愛子さまにとって悪いこと ではない」

記事では、学習院では「問題は、乱暴な行為ではなく、愛子さまの敏感さにあると言わんばかりだ。しかし、愛子さまは恐怖感から腹痛や嘔吐まで起こし ていたのだ。」とある。
小見出しで「多数の児童が被害を受けている」
そして、学習院の実態は「乱暴行為を受けたのは愛子さまだけではな い。」として、実際恐怖のあまり欠席や転校を強いられている児童もいるし、週刊文春の前号に記載のように「乱暴な子たちに合わないように時間をずらして登 校している」児童までいる始末である。
そして、友納氏は実際愛子さまに対して、暴行と言えるような行為も暴露している。
それは、「愛子さ まは昇降口で突然後頭部を掴(つか)まれただけではない。そのまま下駄箱の中に頭を押し込められそうになったのである。」とのこと。

考えてみれば団塊世代華やかりし頃の大昔、ワルが一杯いた小学校では、そう言うことをするワルがいた。
男の小生でもやられそうになったが、 同学年なら体格も違わないから逆に、何とかなるとはいうものの体格の大きい上級生にやられたら、怖くて学校などに行けなかったろうといまでも思う。
学 習院では、いまでもそんな状態だと言う事なのである。
昔なら、先生に「言いつける」と、(軍隊帰りの)先生に怒られた上、そう言う「ワル」は廊下 に立たされて「さらし者」にされたりするから、以後絶対にしなかったものだ。
しかし、学習院では見て見ぬ振りというヤツだ。

そんな状況だから宮内庁では
「愛子さまがどうして学校に不安感をお持ちなのかということを、何度も学習院幹部に伝えてきたといいます」とい う。
ところが、学習院ではなにもしなかったというのだ。
そして、東園基政常務理事に13日、取材したという。
それは木で鼻を括っ たような発言であった。それは東宮職がいったから対応するが、「内親王さまが『これは困るから』で対応するわけではない」とか。
しかも、暴行行為 が本当かどうかも分からないとまでいっている始末。

同時に発売された週刊新潮では、その「小二で身長140㎝の乱暴者」のA君の親が学習院初等科に転校を申し出たのだという。
ところが、A君 に転校されたら学習院の責任になるから押さえて、転校させないのだという。

それにしてもこの学習院の爺様たちはというのは、戦後民主主義の申し子なのか、事なかれ主義と、自己保身ばかりをやっているような気がする。
分 かりやすくいえば、皇室など問答無用で押し切れば向こうは結局黙ると言う考えなのだろうか。
そして、それに左派マスコミが増長して、皇室黙れ、 「発言が不謹慎だ」と連呼する。
理不尽なことも皇室なら我慢、泣き寝入りするだろうというのはやはり間違っていないかと思うものである。

それにしても思うのは、A君の父親というのは高額寄付者なのかと思ったりもして。
小生の通った昔の私立幼稚園では、高額寄付者の園児は悪戯 しても怒られなかったし、ふいといなくなったと思ったら、園長の居間でテレビを見ながら高価な菓子を、ほおばっていた。
その菓子。当然園長が園児 の父母から貰ったものよ。
満州からの引き揚げ者のケチ婆は、一銭たりとも金などは出すはずは無かったのであるから。
そして、その悪ガキと は不思議と仲がよかったから、なんでも裏事情が聞けて変に納得したものだった。


学習院の学級崩壊・実はノーブレス・オブリージェ実行だった

2010-03-17 19:25:15 | 読み解けば‥‥

学習院の学級崩壊・
実はノーブレス・オブリージェ実行だった

学習院の学級崩壊に関しては、立場によって種々であることが明らかになった。
しかし、実態を勘案してみれば皇太子のノーブレス・オブリージェ実行だったのではないかと思えてくる節がある。
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学習院初等科の学級崩壊・皇室批判の「週刊ポスト」の場合

2010-03-16 19:03:45 | 読み解けば‥‥

学習院初等科の学級崩壊・

皇室批判の「週刊ポスト」の場合

週刊現代では、主客逆転の皇室批判であったのは前回のエントリーで述べたところである。その基本的論調と同じなのが「週刊ポスト」の「『愛子さま登校拒否』で問われる父親・皇太子の役割」であるところと言うものの、雅子妃批判はほとんどない。
実は内容を見てみると、週刊新潮、週刊文春の後追い記事で主張しているのは、題と小見出しだけというお粗末なものだった。
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その小見出しとは
「『特別扱い』が生んだ『歪み』」、「一連の出来事は完全な失敗」、「4月は『要注意』の時期」、「常にやさしいことばかりではない」
それで何か特別なことが書いてあるかというと前述の通り何もないに等しい。
要するに、週刊誌が良くやる「見出し」だけ大仰に出して、中傷したり言いたいことを言うと言う手法になっている。
この見出しから読み取れるのは、皇太子批判と皇室を特別のものから引き下ろして庶民扱いしようという戦後民主主義的と言うより、共産主義的な思考が見え隠れする様なのである。
他誌でも述べられているように、「愛子さまをめぐる学校側のルール、『愛子さまシフト』について」も妙なことを述べている。
それは「子供たちも『どうして、愛子さまは自分たちと違うの!!』という疑問を保つようになり、特別扱いの措置は、‥‥」という部分。
この言葉は父母、児童が言っているのではなく週刊誌の記者が勝手に思ったことである。
こんなことを本当に言った、思ったのであれば、この年の児童が帰国子女で何も知らないならともかく、10倍の倍率で学習院初等科に入学する子供からは想像も付かない馬鹿さ加減でしかない。
それどころか、皇室の親王、内親王が通う学校だからこそ学習院があるようなもので、今回も愛子さまが別の小学校を選択すると言うことになれば大問題だったろう。
なぜなら、今後何十年も皇室関係者は学習院に通わないと言うことになるからである。
そして今現在の在校生の父母達も、愛子さまが通うと言うことで学習院初等科を選んでいるかも知れないのである。いずれにせよ、そんなことを思うようなら、学習院などに入学しないというのは当たり前である。
要するに、週刊ポストも思い込み、想像で何とか皇室批判をやりたいと思っただけなのだろう。だから、実は内容など書き尽くされた後で新味は何もないと言うものであるからである。
それにしても、この「週刊ポスト」にしろ「週刊現代」も本当に読むところはない。
政治面を見ても
「〈独裁者〉小沢一郎が消えたニッポン大図解」と言うのも要は現在の民主党の問題点、争点をぼかすと言うものであるし、「週刊現代」の「鳩山さん、それでも総理ですか」と言うのも、実は大した批判になっていない。
今の民主党は朝日新聞でさえ批判するのだから、応援団になりようがないと言うところだが、微妙なところで民主党の肩を持つという体制は改まっていない。