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書道家Syuunの忘れ物

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学習院初等科の学級崩壊・主客転倒・皇室批判の「週刊現代」

2010-03-15 20:21:02 | 読み解けば‥‥

学習院初等科の学級崩壊・

主客転倒・皇室批判の「週刊現代」

学習院初等科の学級崩壊問題を扱う週刊誌は先週からいろいろなのである。
ところがよく見ると微妙なことに気がつく。
それはその週刊誌の政治的なスタンスである。
その立場が如実に表れたと思ったのが、先週12日発売の週刊朝日からである。
週刊朝日は、「前期入試 北大 名大 阪大 九大……合格者高校ランキング」という何時もの特集だから、学習院問題に関しては取り扱いは少ない。
し かし、案の定というか簡単に言えば「皇室批判」、「東宮大夫発言批判」に終わっている。彼らの言うことは、「乱暴な子供がいるのは珍しくない」、「(敬称 なしで)愛子さまを特別扱いするのがけしからぬ」、「子供のけんかに親が口出しするな」と言った類である。前回の週刊新潮、週刊文春では、事実関係を報道 すると言うことが主であまり批判めいたことは書いていなかったが、今日発売の「週刊現代」では「大論争 雅子妃はモンスターマザーなのか」との大見出しである。
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又、「週刊ポスト」では「『愛子さま登校拒否』で問われる父親・皇太子の役割」となっている。
「週刊現代」と「週刊ポスト」の政治的なスタンスというのは安倍政権の時に、どのように安倍政権を批判するのかというリトマス紙から明らかになってしまっている。
それは、一見右派にも左派にも与しないセンターを偽装しながら、実は隠れ左派であったと言うことである。だから、憲法、皇室、家族制度、伝統など従来のからの保守思想に絡むと突然本性をむき出しにする。
そして、この「週刊現代」と「週刊ポスト」のうちでは、刺激的な大見出しを掲げる「週刊現代」の方がかなり反皇室、そして左翼的であるようなのである。
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その証拠に「大橋巨泉・今週の遺言」という「とんでもコラム」がある。
第69回は「永住外国人の参政権反対よりも、日本を住みたくなるような国にしようよ」でなんと外国人参政権の反対の櫻井よしこ氏に「それは被害妄想の極致でしょう」と批判する有様。
それが「中国人の永住資格保持者が14万人」、「1億2千万人に対する14万人と言えば、約一千分の一である。『政治』を動かすなんて、百年たってもあり得ない。」と豪語する。
大橋巨泉氏と言えば、20-30年前の古い感覚のままで参議院議員になって、社民党どころか旧社会党左派の言動を繰り返し、猛批判に反論できなくて議員を投げ出した人物。
こういう人物にコラムを書かせて、と言うのが週刊誌のスタンスをよく分からせるところである。
さて、週刊現代では、「雅子妃はモンスターマザーなのか」と大々的に見出しをつけ、東宮大夫の定例会見で「学習院初等科の学級崩壊」を言わせたのは「雅子妃が事実の公表にこだわった」と断定している。
これは、どこかの記者の推定であって、そのように会見で発表したわけではない。要するに雅子妃に悪意のある報道である。
しかも、「学習院初等科に子どもを通わせる母親の言葉」として言わせているが本当かどうかは怪しいものの、「宮様が転校されるという噂がありますが、本当にそうであるんなら、早く転校していただいたほうがいいかもしれません。」
続けて記事では雅子妃批判をこれでもかと繰り返す。
「東宮大夫に会見させ、学習院に頭を下げさせた雅子妃の対応に、疑問を感じる父母もいると言うことなのだ。」
その次に「東宮職が悪い」と題して、皇太子の頃の話を学習院名誉教授(元初等科科長)川島優氏の言葉をだすが、実は週刊誌記者が期待することを何も言わないから、その後皇室批判の人達に延々と東宮職批判を繰り返させる。
わかりやすく言えば、根拠がない雅子妃批判ができないからである。
しかもほとんどが、推定の域を出でいないにもかかわらず断定的なのはいかがなものか。
そして最後に雅子妃批判の仕上げとして「美智子皇后からの提案」と題して、実は大したことも書いててないものの、暗に雅子妃の母親としての能力欠如を指摘する。
皇太子も雅子妃ももうアラウンド50歳。
この年になっても父母に文句を言われるというのは、冗談じゃないと言うものだ。
なんと言っても、美智子皇后の話が出てくるのがおかしい。
誰だって思うのは、一番の問題というのは学習院初等科が学級崩壊を防げなかったことであり、そういう児童を試験で合格させたと言うことではないか。
だから、「週刊現代」の主張というのは主客逆転している。
元々学習院初等科の対応がしっかりしたものであれば問題も、東宮大夫の会見もなかったわけである。
そして、週刊誌の出てくる記者や教育関係者が口を揃えて「乱暴な子供がいるのは珍しくない」という。
地域として、そういう乱暴な子というのはいるところもあろうが、少なくとも小生の地域では聞いたことがない。
小生など県、市などから「青少年育成推進委員」というものを委嘱している。そこで出で来ることは、今の子どもは率直で良く先生や大人の事を聞くのである。
そして、公立の小学校であれば兎も角、試験で入学する私立の小学校での学級崩壊などは余程に目に余るもの、前代未聞なのではないだろうか。

それにしても、「週刊現代」というのは妙な皇室批判をするものである。

次回は、週刊ポスト‥‥‥


3人の若手女流書道家のそれぞれと書道理論とその優劣の???

2010-03-14 23:01:40 | 読み解けば‥‥

3人の若手女流書道家のそれぞれと書道理論

週刊新潮の「結婚」という欄に書道家「矢部澄翔」と言う記事が掲載されていた。この矢部澄翔氏も芸能人か文化人並かと改めて思う次第である。
最近耳にした話では、「秋、酒蔵にて」と言う部分で「群馬県前橋市にある山賀煉瓦倉庫‥‥」と前橋まで来橋したと言うことであった。
実際、群馬篆刻協会会長の阿部先生に案内状を見せて貰ったために、結構記憶にあるものである。
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この矢部澄翔氏というのは、プロフィールを見ると‥‥日本教育書道藝術院同人 審査会員とか、東京書作展(東京新聞主催) 委嘱とか全くメジャーではないところに所属する書道家である。
東京書作展が、毎日書道展の維持団体である「東京書道会」とは一切関係がないというのは、東京新聞主催と言うところからもよく分かるが紛らわしいものである。
又、東京書作展が今年で32回(2010)と言うところから見ると、読売書法展が27回目になることから戦後の書壇の歴史からはほとんど外れている団体であるらしい。
しかし、書作品を見てもある程度のレベルに達している事は間違いない。
それは、HP上の雅印を見てもよく分かることである。
兎も角、慶事なのでおめでとうは言っておこう。
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一方、上毛新聞3/9に「黒を撮る」と言う特集があった。
この中で「書道家・木村怜由(36)東京都」が「黒を語る」として一文を載せている。
「すべての感情 表現できる
人の心に響きわたる色だ。すべての色の要素を備え、どんな色にもたどり着く。情熱、静寂、光-
白と黒で成り立つ書の世界にも無限の色彩が存在する。
白は何ものにも染まらない、いわば神の色。そのように純粋でありたいと思っても、人はエゴや葛藤を抱える。誰もが持っている闇の部分をも許容するから、わたしたちは黒がいとおしかったりするのだろう。
人の心にスッと入り、すべての感情を表現することができる。「ことば」を届けるのは墨の黒がいい。
わたしは、この色ひとつで世界に行ける。」
この文章を読んで「なんだこりゃ」と思ったのは、散文詩的だったからである。
逆に言えば、全く文章になっていない。何か書いてあるのか今回新聞紙面から抜き出して初めて分かったというのは笑えない冗談である。
さて、書道家・木村怜由氏というのは、初見で全く知らなかったのだが、群馬県伊勢崎市出身などと新聞に書いてある。
プロフィールを見ると‥‥創玄書道展一科秀逸受賞とあって、創玄書道会準会員らしいことが分かる。毎日書道展 詩文書部 6回入選、プラス秀作入賞歴ありというところ。
だから、毎日展では会友にもう一歩、創玄展ではその上に審査会員、二科審査会員、一科審査会員、役員作家とまだまだ見透しが付かない状態でもある。
近代詩文作家だから、それなりの書作品は書けるようだが先日までの創玄展を見に行きながら、実際の作品を見損なったから何とも言えない。
しかし、あまり淡墨を使わない書作家に墨の話を聞いても繊なるかなと言うものである。なぜなら、近代詩文書作家のかなりの作家が、墨滴を使って固形墨のなんたるかを知らない事が多いのである。
但し、最近の墨滴というものはかなり良いものが多く、元々の古墨・固形墨をすり下ろした様なものまである。こんな場合では、近年の質の良くない固形墨より何倍もマシなのである。
いずれにせよ、このレベルの書道家に墨に関して書かせるというのも酷であろうと思う。実際、見てみると書の理論に通じてる先生というのは少なく、結構自らの感覚で書いている先生方が多い。
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だから感覚を伝授するというのはかなりの修行を必要とするというものである。
丁度、坂本龍馬が江戸に出て、北辰一刀流の千葉道場に入門した。この理由は、北辰一刀流ならば5年10年修行をしなければならないところが、3年足らずで修行を終えると言う当時の流行だったからである。
その理由というのは、今で言えば剣道の上手くなるマニュアルを作ったからに過ぎない。

さて、3人目とはあの「優れた書家とその作品をたたえるために創設された」手島右卿賞第5回受賞者である。
誰でも知っている「龍馬伝」の大作者、大書道家の紫舟氏である。
それで江戸東京博物館で開催される特別展「龍馬伝」のパンフを貼って置いたが、隣にある文は読めるだろうか。
2010/03/14研究会があって、うちの社中の人達が集まって見せたが読めなかった。

これは、読売新聞3月12日夕刊に掲載された「いま風」の言葉。
こういう漢字かな交じり文というのは、書の世界では「近代詩文」とか「調和体」という分野にあたる。ついでに言うと矢部澄翔、木村怜由氏などが得意とする分野でもある。
この分野の特徴というか、原則というのは先ず読めること。
読売書法展などては連綿などに関しても厳しい規定があるだけでなく、中学生でも読めるというような「可読性」を重視している。
先ず、 「ウかんむり」に心の文字。なんと読むのか分からない。
実は、こんな文字はない。ちなみに、わざわざ「書道字典」を調べてみても見つからなかった。その理由は、「関心」と二文字であると言う事だという。
ところが「関」の文字の門構えの略字と言うか、行草で使う「門」が違う。
大きな「ちょん」は本来なら「点(、)」なのである。
しかも門構えの中に入るものも、元はと言えば略字。
続く「心」と言う文字も心許ない。
続いて「尊」。
これも間違い字。なぜなら真ん中の酒に似た部分に一本棒がない。まさか草書でもあるまいにこんな程度の行書で省略しない。なぜなら、この棒も元々の省略型なのである。
そして、その尊の上の「ワ」なんじゃこれだが、察するところ横の文字の門構えに合わせた?? それとも人間の「和・輪(ワ)」を表現した??‥‥そんな馬鹿な‥‥なのである。
しかし、この人物の可笑しさは、「龍馬伝」の「伝の文字の最後の止め」から尻尾が出でいるところの説明で‥‥‥。
これは、今日教えて貰ったのだが、「坂本龍馬が人を一人も殺さなかったから、最後に筆を払わず、止めた」というのだそうな。
~~普通そんな説明を聞いたら「大笑いなのだが」‥‥「冗談じゃないの?!」というものである。だから、この詩文でもこんな説明文が添付されている。
「集まってきたやわらかい思いやりを書きました」‥‥なにそれ だろう!
 一文字一文字が品が悪く、抑揚に掛ける展開。
そして、最後の行も全く読めない。
なぜなら、文字を読む法則を崩して、下から上に読み上げる。
はっきり言って、書の感覚、文字は中学生並というところなのである。
これを上記の女流書家・矢部澄翔、木村怜由の両氏とを同列に並べて、比べるのはいささか失礼に当たるとは、HPの作品を比べてみれば明らかなのである。
そして、文字を書くというのは、文字その物の「抑揚」と文字が書かれた全体の「抑揚」という二つの要素で組み合わさって、いわゆる近代詩文という日本的な書というものが完成する。
ところが、以前産経新聞で中国人の女性の書家に「今日の言葉」というものを書かせたことがあった。実はこれがほとんど読めなかった。
なぜなら、中国には「かな文字」が無いからで、「かな文字」が漢字になったり、又強弱、大小もないからよけい分からない。
そして何に付けても、単調で大陸的な「大雑把」というのは、中国人が書く墨絵と全く同じ雰囲気だったのである。
やはり何か国民性というものが、書画には現れるのではないかと言う気がする。
先日東京都美術館で「刻字展」も観覧してきたのだが、日本、中国、韓国という色分けでまとめてあったのを見ると、案の定「中国、韓国」というのは大陸的な感じが強い。
これから見ると、紫舟氏の書作というのは日本的と言うより、中国、韓国的な書作に近いと言うものであろう。
少なくとも日本人的な繊細な心遣いを思わせる書作ではないと言う事である。

没後400年 特別展 長谷川等伯 他を見る

2010-03-13 22:31:39 | 読み解けば‥‥

没後400年  特別展 長谷川等伯 他を見る

2010/03/12東京国立博物館 平成館で開催されている「長谷川等伯特別展」を見た。
12日になってしまったのは、雪が降ったり交通 機関の運休やら何やらで行けなかったからである。又一方、東京都美術館、上野の森美術館、国立新美術館などで開催されている書展、第59回奎星展、第46 回創玄展が12日を最終日としていたからでもある。
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「長谷川等伯特別展」も週末では混雑するとしても、平日なら大した事はないだろうと高をくくっていたら朝10前で長蛇の列だった。
それで も、20分待ちで入場出来たというものの、入り口の「第1章・能登の絵仏師・長谷川信春」というところでは曼荼羅の作品にも近づけない有様。
こん な時はと言うより、音声ガイド(500円)を借りないと凡そ何も見ないで出てきてしまいそうだから、それを頼りに廻る始末。
結局第1室は、パスす ることにした。
ところが第2室に行っても同じようというか、そのまま流れてきたような人達でこれまた寿司詰め状態。
音声ガイドもまだまだ 2-3-4までしか行かない。しかし、どこの音声ガイドなのか目録を後から見て再度廻る始末なのだが、ようやく何とか見えてきたのが第3章(第3室)の等 伯をめぐる人々-肖像画-。
みれば見た事があるような肖像画も出で来る。
まだこの辺は序の口というところ。
第4章桃山謳歌-金碧 画-になって、国宝が二点展示されていた。
ここが前半の一つのメインで第一会場のトリという部分である。
音声ガイドのよいところは、こう いう重要な部分ではキチンと解説してくれるところで、そうでなければそのまま単に見るだけで記憶に残らないところである。
しかも、金箔全面に「キ ンキン」貼ってある筈なのだが、照明が薄暗いからよく見えないのである。だから写真で見た方が余程綺麗で、細部まで判るというのは何やら割り切れないとこ ろがある。
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反対側の第2会場は、「仏涅槃図」の巨大な作品の続き水墨画。
国宝は、入場券の絵柄にもなった「松林図屏風」。
その国宝、解説に よると元々の和紙の貼り合わせなどがあまり丁寧にやられていないのだそうな。
要するに、何か下書きのつもりで書き始めて出来上がったものが、あま りにも上手く書けてしまったと言うのかも知れない。
あの「永和九年‥‥」で始まるあの有名な蘭亭の序は、下書きのつもりで書いた「蘭亭の序」であ るとかの話が伝わる。その後何度も書いたが、下書きの「蘭亭の序」を上回るできの物が出来なかったと言う話。色々諸説あるものの、そう言う類の話は間々あ ることである。
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東京国立博物館を出できたら、もう入館に80分待ちとアナウンスされていた。
その後、都美の第59回奎星展、第46回創玄展、その他書 展、上野の森美術館の「'10奎星50人の書」を見てお昼時間を充分廻ってしまった。
今回、第59回奎星展では、「特別企画」として特別陳列 古 鏡・文房清供展などか開かれていた。
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中でちょいと気を引かれたのが「硯」。
元々師匠の横堀艸風先生が硯を集めるのが趣味で、色々と触らせて頂いたり見たりもしたから、その比 較で不思議と硯の善し悪しが判る気がするのである。
その硯の中で気になったのが、「澄泥硯」。
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一昨年の国立新美術館で展示された「澄泥硯」なるものが、全て石の「澄泥硯」でがっかりしたものだったが、今回のものは本物の「澄泥硯」、即ち焼 き物であるような気がした。
実際手に取ってみないと何とも言えないが、間違いなくそうだろうと思う。
最近の傾向として澄泥硯は石だとする から、なぜなのだと不思議に思う。
奎星展の澄泥硯の説明にも不思議な記述がある。

「澄泥硯・江蘇省蘇州市郊外霊巖山からの産出。かっては 焼成の硯とされてきた。」

こんなことは、大嘘なのである。
澄泥硯というのは、元々砂鉄の多い砂の焼き物の実用品で(安く)広く使われていた人気の硯である。それが、 お宝ではなく実用品だったために後世に残らなかったと言う硯でもある。しかも、人気が薄れると共に製法技術も廃れてしまったため再選産は出来ない。
そ れで、砂鉄の元になっている岩石を澄泥硯と名前を付けて最近売っているだけのもの。
新端渓の硯を見てみれば色々な名前を付けて最もらしくしている ように、中国人というのは商売人なのである。
その他、歙州硯の一部は新歙州硯だったよな。


ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知

2009-12-14 11:22:08 | 読み解けば‥‥
ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知

2009年12月07日(月)共同通信伝として
日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見」として、あのいわく付きの「和田春樹東大名誉教授が発見した。」と報じた。
その内容は、
和田名誉教授はロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルク)で、皇帝から信頼された大臣待遇の主戦派政治家ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10日付の同盟案全文を発見。同盟案は『ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう』と分析、『ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する』ことなどを提案していた。
と言うもの。
説明としては「日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。」と言うもの。

この和田春樹東大名誉教授、北朝鮮による拉致被害者を否定し続け、竹島問題では日本の歴史を否定して韓国の言い分をそのまま言う様な親ソ、親北朝鮮、その他、その他の歴史的事実無視のとんでも「あっち系」の人物である。
そんなことを報道するマスコミも大方耳学問でしか学ばない不勉強。
多分日露戦争開戦前夜が書かれている司馬遼太郎「坂の上の雲」の第2巻も読んでいまい。
第2巻を読んでいれば、その時の雰囲気というものが良く分かるものである。
ところが、司馬史観ではウイッテ伯爵(蔵相)の「ウイッテ伯回想記」を中心に述べているから一方的であると批判する向きもある。
しかし、ソ連崩壊と共に旧ロシア時代の文献が開示されて、2005年の頃に新資料発見という日露戦争史が数多く出た。実際それをいくつか読んでみた。
それによれば、ロシア側の戦争被害の実態や旅順攻撃のロシア方の見方等なるほどとは思わせるたが態勢には影響がなかった。
今回、同じく2005年4月に出た
日露戦争史・20世紀最初の大国間戦争・中公新書 横手慎二
http://book.asahi.com/review/TKY200506140207.html
を元に読み解いてみよう。
この日露戦争史は、1990年代になって解禁されたアレクサンドル・スヴェーチンという軍事思想家の日露戦争論「最初の段階にある20世紀の戦略」【(1937)、1938年処刑による封印。】をよりどころにして書かれている。

ベゾブラゾフという名前については、「坂の上の雲」の第2巻に書いてあるとおり、元近衛騎兵連隊大尉でロシア皇帝に取り入って戦争と侵略を吹きかけた強硬派の人物して有名である。
そして、1902年にはウイッテ伯爵(1903年8月蔵相解任)はこのベゾブラゾフに追い落とされ、ニコライ二世に取り入って200万ルーブルという金をせしめ極東に林業開発会社を設立した。
この間、1903年にはロシアが満州から撤兵せず、清国政府に7か条の要求をしている。
但し、清国政府は要求を拒否し露清交渉の内容は国際的な批判をあびた。
そんなこんなでベゾブラゾフは、1903年5月19日に宮廷顧問官に任命されている。
1903年7月1日から10日まで「旅順会議」と言うものがツァーリ、アレクセーエフ提督(関東州長官)、クロパトキン、ベゾブラゾフその他の実力者を一堂に集めて極東政策を協議させた。
この会議で、クロパトキン(陸軍大臣)は「満州と遼東半島の権益を守ることに優先させる」と言う事で一致し、強く戦争を支持したベゾブラゾフは事実上失脚するのである。
その会議での決定とは要約すると
1、朝鮮半島は実行を見合わせ、満州とは同列に扱わない。
2、満州においてはその権益を守るために軍隊を常駐させる。
3、日本を孤立させるために、満州では清国政府が一部を除く都市を外国人に開放することを認める。
この内容は、日本政府に伝わりロシアは戦争回避に動いたと政府首脳は思われたが、7月28日には、ラムズドルフ外相に対して「極東に於ける両国各自の特殊利益を確定するを期して」という交渉を行っているが、事実上拒否。(手交8月12日)
その間に、アレクセーエフ提督が新設の極東太守府長官就任し、極東地域の全軍、行政権、外交権を掌握するに至った。
10月3日ローゼン公使から手交された回答
内容は省略。
10月末に日本の対案が手交。
11月2日日本の対案を拒否。満州権益はロシア専権。韓国権益は日本の権益を制限しロシアの権益拡大を要求。
12月11日ロシア対案が手交。日本の要求をほとんど拒否。
12月16日日本・元老院会議「満韓交換論に基づく妥協の可能性を探る」
12月23日第三次案をロシア側伝える。
12月29日ロシア側は御前会議。
1904年1月6日ロシア側対案が小村寿太郎に手交された。
その内容の一部には
「満州及びその沿岸は日本の利益範囲外なることを日本に於いて承認すること。
同時に、露国は満州の区域内に於いて、日本又は他国がその清国との現行条約の下に獲得したる権利及び特権を享有することを阻碍(そがい)せざるべきこと」という一文が含まれていたが、中立地帯についての条項であり、日本が韓国領土において「戦略上の目的に使用せざること」という既定を復活させる条件である。
分かりやすく言えば、11月2日の対案の亜流である。
1904年1月13日日本の対案を提示。
ロシア側は、28日に会議を開き決議を上奏というも28日になると先延ばし。
日本は、1904年2月6日外交の断絶。
この様な経緯を見れば、1904年1月10日のベゾブラゾフの同盟案など何の価値がないものであることが分かるであろう。
なぜなら、この「ベゾブラゾフ同盟案」に書かれている「満韓交換論」というのはロシアで完全に否定されている事実がある。
しかも、この時はベゾブラゾフは失脚中であって、ロシアの中枢にはいない。
そして、ロシア側の最終的な態度として手交の際、ラムズドルフ外相は、戦略目的で韓国領土が利用されないことと、直接勢力行動の範囲に緩衝地帯を設定するという事を望んでいると述べられている。

結局のところ、ロシアは満州には一切手を触れさせないで後には併合し、韓国も後にはその一部とするという意図が見て取れる。
しかも、その方針は一貫して変わらなかったことが分かるものである。
何の権限もないベゾブラゾフが何を考えようと無意味というものでないか。
だから、司馬史観でいう「窮鼠猫を噛む」とは正にこのことなのである。

国際政治学では「セキュリティ・ジレンマ」という専門用語があるという。
これによれば、日本がロシアに戦争を仕掛けるというのは当然という解釈と言うことが成り立つ。

そして、こんな無意味なベゾブラゾフ同盟案を探し出して、騒ぎ立てるあの「お騒がせ」和田春樹東大名誉教授と言う人物は、全く歴史も調べもしないと言うノーテンキには驚かされるというものだろう。
そして、日露戦争に関する開戦の部分ではあらためて司馬史観というものは間違いない事は事実が証明するものである。

歴史をいろいろと研究すると、実はあのハルノート、パールハーバー攻撃と大東亜戦争突入も日露戦争開戦とそっくりである。
MacArthurが日本が開戦したのは「Security」のためであると米国の公聴会で発言したことは、歴史を鑑みれば至極納得するところでもある。

ユネスコ事務局長退任と世界遺産登録延期・「平泉の文化遺産」

2009-10-24 01:01:25 | 読み解けば‥‥

世界遺産登録延期・「平泉の文化遺産」とユネスコ

(高速で行くバス旅行・東北・中尊寺・達石窟の旅2)

10月15日からの日程で行ったバス旅行の第一日目の目玉は平泉の中尊寺だった。
中尊寺と言えば、藤原三代が築いた平泉文化と金色堂と言う事になる。しかし、最近賑わしてニュースになったのが昨年(2008)7月に審査された「平泉の文化遺産」(「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」)が登録が延期になった事。
理由は、「価値の証明が不十分」と言う事だった。要するに平泉の「浄土思想」と言うものが普遍的なものでないと言う事らしいのである。
詳細は(読売新聞Web)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/feature/morioka1211555143901_02/news/20080527-OYT8T00066.htm
詳細は、さておくとしても実際平泉中尊寺へ行ってみると何か拍子抜けしてしまうと言うところが多い。なぜなら、昭和38年に建てられた新覆堂によって何も外からでは見えないからである。

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覆堂に関しては、「金色堂覆堂」という移築された重要文化財の説明に「金色堂建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかれられ」とあって「増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったものと見なされる。」
要するに、金色堂が建立された後から覆屋根、覆堂が作られ、時として修復を繰り返して現在にあると言う事。それで外から見えないというものである。
実際、金色堂に行ってみればガラスケースに入ったショールームの様なもので何やらインパクトがないと言うか、拍子抜けするものである。
ある程度事情を知っている小生などが見ても拍子抜けするくらいだから、何も知らない外国人なら何も感じないかも知れない。
浄土思想というのは、死後の極楽浄土を願うというものだからあのピラミットによく似ている思想であるとも言えるのだが、旧約聖書を元にするキリスト教やイスラム教から見れば良く分からないところだろう。

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そして、中尊寺自体が何やら地味な雰囲気の寺であると言う事ではないだろうか。
金色堂の次に必ず見ておくというのが本堂と言う事なのだろうが、これが格別珍しいと言うものでもない。要するに中尊寺自体としては、普通の大寺院と言うところなのである。

そして10月22日にユネスコ総会で退任式典があって、松浦事務局長が挨拶したという。
11月14日で任期満了、退任式に先立って21日日本人記者団と会見した記事が地方紙では、23日朝刊、Webでは22日に掲載された。(http://sankei.jp.msn.com/world/europe/091022/erp0910221952003-n1.htm
新聞記事では、1999年にユネスコ改革を実行するために松浦氏が就任したようで、「松浦改革」を断行して、「縁故人事」、「不透明な経理」を正常化した。
ユネスコなどという、どちらかと言えばどうでも良い国際組織というものは、徹底的に食い物にされてきたと言う象徴がこのユネスコであったと記憶する。
あ のムボウ事務局長の時は、「1980年代には、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることのほか、当時のムボウ事務局長が提 唱した「新世界情報秩序」がジャーナリストの認可制を導入し報道の自由を制限するものだとして、アメリカ、イギリスなどの大国が相次いで脱退し、ユネスコ の存続は危機に立たされた。」(提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)と書かれている。
しかし、当時の報道によればムボウ事務局長の親族などの関係者セネガル人などを大量に採用したり、重要ポストに就けたりしてユネスコ自体がムボウ事務局長の食い物になったという報道だった。そして、その情報を遮断するために報道規制をしようとしたのである。

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結果として、米国が脱退しユネスコの存亡の危機になったのは周知の事実。
その後、スペインの「フェデリコ・マヨール」氏が12年間事務局長を努めたというのだが、新聞報道によれば「ムボウ体制」というものは依然引き継がれ食い物になっていた事が明らかである。
そこには、「1999年当時は就任直前に20人が一斉に幹部に昇格するなど、不透明な人事や経理が横行。その正常化が任期当初の最重要課題になった。」とある。

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以前読んだ本に「『国連』という錯覚」‥日本人の知らない国際力学‥‥内海善雄著」いうものがあった。これは、「国際電気通信連合(ITU)の事務総局長を8年間務めた日本人」の記録であって、それはそのままユネスコと言う組織の力関係を想定することが出来る。書評には朝日新聞Webで‥「国連」という錯覚 [著]内海善雄
http://book.asahi.com/review/TKY200812020098.html
日本人の松浦事務局長が就任できたのも、ユネスコの運営費の四分の一を日本が出していたわけで、米英が脱退した後日本が抜けたらユネスコは消滅していたという事態だった筈である。

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こういう国連の組織というものは、一般には日本人が事務局長をすると真意味では「喜ぶ」と前出の本にも明確に書かれている。
要するに、日本人が来るとまともに仕事をバリバリやるし、金も日本から出るから存在意義が高まるというらしい。
ITUの話しでも、日本人の事務局長が退任した途端、日本式にバリバリ仕事をやっていた部門は解散させられたという。
国際機関で能力がある人達にバリバリ仕事をやられると困る人達がいると言うことらしいのである。

今回松浦事務局長が退任することになって、多分「平泉の文化遺産」(「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」)は、今後100%世界遺産に登録される事はないかも知れない。
なぜなら、日本人の事務局長の時に登録されなかったものが、他の事務局長の時に登録されるはずもないからである。
松浦事務局長は、真面目で公平で、母国日本に対しても厳しく仕事をバリバリやるタイプなのだろう。
しかし、それは日本人の常識として、最良であり公平に見ても最善であっても、世界の非常識かも知れないと言う事があるとは前出の本をよく読むと分かる。
だから、何のコネを使っても良いから「平泉の文化遺産」(「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」)は、事務局長権限で世界遺産に登録しておくべくたった。
それが、日本人の松浦事務局長としての置き土産にするべきだったかも知れないと思うものであった。
多分、他国、例えば中国あたりなら間違いなく松浦事務局長の様にはしなかったと思われてならない。


またまた・ダメ女ぶりをまたまた暴露した「倉田真由美」氏

2009-09-17 00:29:29 | 読み解けば‥‥
ダメ女ぶりをまたまた暴露した「倉田真由美」氏

「ダメ男を好きになる女性たちを描いた漫画『だめんず・うぉ~か~』」の作者倉田真由美(漫画家・通称「くらたま」)氏は、つい最近も妙なところで賑わしていたが、「新政権への注文」というコラムにまで進出してくるとは思わなかった。
「新政権への注文」という、日経ネットPlus (ニュース交差点)「バラ色にも黒色にもなる『真っ白内閣』」題して今度の民主党内閣に過大な期待感を寄せている。
この人物は、文化放送の番組に1ヶ月に1ペンくらいコメンテーターとして登場して、何やら過激で無責任な事を言ってのける人物だ。
文化放送とは、あの福島瑞穂消費者・少子化担当相(社民党党首)もコメンテーターに加える左翼系のラジオ放送で、民主党政権になって正に鬼の首を取ったように騒いでる報道機関でもある。
先ず
「新鮮さを感じる閣僚の顔ぶれ」で倉田真由美氏は、「麻生太郎前首相は言動から尊大な印象を受けた。鳩山由紀夫首相はお金持ちの家系だが尊大な印象はない。」と言い切っている。
しかし、麻生太郎前首相は横柄で高慢ちきだったかも知れないが、腹の底に「一物」と言う事はなかった様な気がする。逆に言えば表面「高慢ちき」な人物ほど軽かったりするもの。一方、鳩山由紀夫首相は「宇宙人」という異名が通っているではないか。
要するに地に足が付いていないで、理想主義だけで話をする。
こういうタイプというのは、戦前の北海道かどこかで「あたらしい○○」とかいう集落を作って大失敗した有名な大資産家のお坊ちゃまの話を思い出すのである。

はっきり言えば、倉田真由美は麻生太郎前首相が嫌いと言うだけであろう。但し、倉田真由美は自他共に認める『だめんず・うぉ~か~』と言う事なので男性の人物評価というのには当てにならない。
子育て支援、保育園整備も忘れずに
で、「私は12月上旬に第2子を出産する予定で、鳩山内閣には特に子育て支援・教育の政策に期待している。」と言ってしまってるが、未婚のままで第二子を出産しようとしている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、
「2009年7月、自らの連載上で未婚のまま第二子を妊娠していることを公表。同年末に出産・入籍予定。相手の男性は中村うさぎから紹介された映画配給会社『トルネード・フィルム』取締役・叶井俊太郎。」とあって、
叶井俊太郎氏は、同じく『ウィキペディア(Wikipedia)』では、「私生活では離婚歴3回。2009年7月、漫画家の倉田真由美が叶井との子供を妊娠したことを公表した。性生活は派手で、17歳の時点で200人と関係し、現在までに5、600人(本人は『200人から先は数えていない』とコメント)と関係していることも同時に報じられている。それでも倉田は『妻を6人変え、異母兄弟を18人作った彼の父親ほどではない』として叶井を『小粒』と評している。」とあって、どう見ても人間的に人格者とは言えない。
倉田真由美氏から見ればれっきとした「だめんず」の筈なのだが、こういう人物と性交渉して子供が出来てしまうと言うのはどう考えてよいのだろうかと言うものだ。
まさか、二人目の子どもが欲しいから関係を持ったわけでもあるまい。
なぜなら、本人は子供を親に預けたままで自分では育てていないからだ。
この日経ネットPlus (ニュース交差点)では、
「子ども手当(月額2万6000円、2010年度は半額の予定)はありがたい政策だ。同時に待機児童の多い保育園整備にも力を入れて欲しい。お金に余裕があればベビーシッターを頼めるが、庶民には払えない。知り合いの母親の中には、保育園の空きがないため、子どもを預けられず、仕事をあきらめる人もいる。」

ここで妙だと思わないか、倉田真由美氏は、「社長を務める漫画制作会社『(有)たまくら』(東京都新宿区)が東京国税局の税務調査で、2005年4月期までの3年間に約1800万円の所得隠しを指摘され重加算税を含めた追徴税額は約600万円と報道された。(同上)」と言うくらいのお金持ちで、しかも自分の子供は親任せの独身生活。
こういう「私は子供を持つ母親で」という有名な大学の先生や政治家がいたりするのだが、この「くらたま」氏の様に実は親かがりというのが多い。
確か、サラダ記念日の俵万智氏もそうだし、関西大学大学教授 白石真澄氏も同じ。
そして、子ども手当が出る様ならば実は「母親」はパートに出る必要もなくなる。
倉田真由美氏が「知り合いの母親の中には、保育園の空きがないため、子どもを預けられず」は、母親が正社員でないことを示しているのであって、良く耳にすることは「正社員なら優先的に保育園に入れる」とぼやいている事である。
そして、倉田真由美氏は分かっているのだろうか、このパートに出る母親の給料がどんなものかと言う事である。
普通この保育料やその他経費で収入の大半が消える事が多い。
そして最後に
小渕優子元少子化担当相と福島瑞穂消費者・少子化担当相を比べて批評している顛末である。
「同じ少子化担当相でも麻生内閣の小渕優子さんと、福島瑞穂さんではかなり印象が違う。小渕さんは小渕恵三元首相の娘さんでお金もあり、お嬢様の印象だ。福島さんは庶民感覚を持ち、我々の肌感覚に近い政策を実現してくれると期待している。」

この文脈から見ても、小渕優子元少子化担当相は普通の「お嬢様の印象」であると評しているのになぜ福島瑞穂少子化担当相は、「庶民感覚を持ち」なのだろうか。
なぜなら、福島氏は夫婦別姓論者であって事実婚を選択し、「子供が18歳になったら家族の解散式をする」と広言していた人物である。
ついでに言えば「白石真澄教授は子供がに大学に進学したら、まとまった『4年分奨学資金』を渡して子供と『縁?』を切る」(文化放送のコメンテーターとしての発言)。
ここで共通するのは、自ら母親として産んだ子供対する愛情が極めて薄いと感じることではあるまいか。
大方昔の貴族のように、自分で育てていないとそんな気になるのかも知れない。
しかし、子供を持つ親として見ると、何時までも子供は手元に置いておきたい気持ちというのがある。そんな気持ちにならない親というのは非情な親か、他人任せにして他人の様にしか子供を育てていない親に違いない。
倉田真由美の様に「未婚の母」に憧れている(?)人物なら事実婚の福島瑞穂少子化担当相の様な生活様式は合っているかも知れない。
日本人の一般的な家族生活も実現できていない人物が「我々の肌感覚に近い政策を実現してくれる」とは倉田真由美は別としても誰も思うまい。
それにしても、新聞紙・週刊誌上で公開された三党合意文書の福島瑞穂氏の署名。
週刊誌ネタで「小学生みたいな字で3党連立合意書にサインした『福島みずほ』社民党党首」(週間新潮)にもなっているのだが、多分中国共産党幹部なら大笑いだろう。
庶民感覚があれば、日頃自分の名前くらいは練習しておくものだ、何と言っても今度閣議で何回も署名する事になる。
そして、少子化対策というのは福島瑞穂氏の様に事実婚を未婚の国民に選択させるのではなく、早めの結婚をさせることである。
データーとして結婚した夫婦からの子供の出生率は実は変わっていない。少子化対策というのは如何に早く若い人達を結婚させることなのである。

結局、倉田真由美氏と言うのは、『だめんず・うぉ~か~』だけでなく単に人というものが見分けられない人物であると言う事である。
そして、その理由の一端というのは、生活態度を見る限り一般的な庶民とは掛け離れだ「わがままな」生活と態度を実現できるうらやましい特別な人物と言う事だからに違いない。

群馬県の地元民から見る・八ツ場ダム問題

2009-09-03 00:49:48 | 読み解けば‥‥
群馬県の地元民から見る・八ツ場ダム問題

民主党が衆院選で公約した公共事業の見直しで、八ツ場ダムの凍結について反響を呼び、国土交通省は八ツ場ダムの入札を凍結する方向という。
この無駄な公共工事の象徴と言われる「八ツ場ダム」は、景勝地として知られる吾妻渓谷(国の名勝・天然記念物)と元々人気の温泉境・川原湯温泉を水没させる形で作られるものである。
計画は、「昭和22年のカスリーン台風」が原因で戦後の昭和27年と言うから57年前の計画。(実際のダム計画は昭和40年頃)
詳細は長野原町ホームページ「八ツ場ダム」http://www.town.naganohara.gunma.jp/dam/index.html

昭和45年に着工というものの実際目に見えてきたのはここ10年。急ピッチに工事が始められたのが5年くらいと言うところだ。
小生など土木工事にも関わっていないし、ダム湖に沈むところに家があるわけではない住民としては、ここのところの急ピッチの工事は公共事業の削減で工事が減ったゼネコン救済だと思っている。
そのゼネコンに国土交通省のOBが天下っているとなれば、国土交通省が元々反対運動が激しかった地域に無理にでも建設しようとすると言う構図が良く分かる。
反対派だって、60年近く工事が伸びれば後継者もいなくなるから自然と反対というものは収まってくる。
そして、場所をよく知っている地元県民としては、吾妻渓谷という秋の紅葉時期には絶景の風景を醸し出す場所を何故破壊しなければならないのか不思議でしかない。
今の計画なら、環境破壊としか言いようのないものだ。
国交省は「治水、利水の面からダムは必要」と言い続けてきたのだが、そんな理由はとっくの昔に論破されている。
「昭和22年のカスリーン台風」で被害というもののその後の対策で、「治水」と言う部分では利根川というのは最も良く管理された河川だからだ。
だから記憶する限りでは、昭和27年から今まで利根川が氾濫したと言う話を聞いたことがない。
利根川で車が流されたという前橋は、元々川底である河川敷を駐車場にしていたからで、今は駐車禁止になっている。
「利水」という水不足対策も節水と言う事もあろうが、今や水余りになっているし、水力発電と言ってもどうかなと言うところなのである。
そして問題なのは、水利権で下流の東京都、埼玉、千葉が工事負担金を出す代わりに持つと言われている。
実際今でも利根川の水は市内を通っている前橋市でも使う事が出来ない。(実際は前橋市で天川、天川大島とか川の名の付いた町名は地下に利根川が流れていると言われている。)

‥‥と言うわけで、群馬県民から見れば八ツ場ダムが出来たところで、水が使えるわけでもなく、工事は大手ゼネコンのおこぼれ程度。
景勝地も温泉もなくなって、何のメリットも感じないというところなのである。
確かに、東京都、埼玉、千葉県民の税金がダム湖に沈む長野原町になどにつぎ込まれている。
それで長野原町立第一小学校や長野原町立東中学校などの新校舎が続々と出来ている。
確か何億円も掛けた豪華な完成したばかりの学校が住民の6割が転出したために廃校になったと言う記事もあった。
前橋市などの小中学校は、昭和30年代に建築された様な建物ばかりで耐震工事も出来ないほどの老朽建物。
長野原のホームページ関連を見る限り、今時何処の世界だという風景が広がるのも同じ群馬県民として違和感があるものでもある。

八ツ場ダムとは、どう考えても国土交通省が天下りのOBを食べさせるために不必要な土木工事をやっている構図としか思えない。‥‥‥‥
「埼玉県の上田清司知事は1日の会見で『無駄な公共事業の象徴と言われるているが、中止した方が国の支出は増える』と、改めて事業の継続を求めた。」(産経)
知事としては、不必要と分かっていても建設業者のために言わなければならないと言う事は良く分かる。これはどこの公共事業でも同じことだ。
なぜなら、国土交通省の仕返しが怖いと言うものでしかない。
今や金の問題ではなく「環境破壊」といういっぺん壊してしまったら取り返しのないことにも絡んでいるのがこういう無駄な公共工事に関することなのだと思う。

そして、環境破壊が問題なった時、工事を強行した人達は責任とれるのかと言えば責任を取る人がいない。
国土交通省?、彼らは役所を辞めれば「私は知りません」という人達だ。知事だった同じようなもの。
日本が駄目になって行くのは、ことを行うのに対してその責任を取らないことである。
バブル崩壊の原因・総量規制の通達を出した官僚など、明らかに間違って国民に迷惑を掛けでも死ぬまで「正しかった」と強弁するのが彼らだ。

NHK「アジアの“一等国”」について 」の公式見解を読む

2009-06-19 00:45:18 | 読み解けば‥‥
NHK「アジアの“一等国”」について 」の公式見解を読む

NHKは、放送総局長会見 2009/6/17で
「4月5日放送のNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」について 」の公式見解をPDFの形で発表した。
(http://www.nhk.or.jp/japan/pdf/asia.pdf)
このPDFでは何と6ページにも亘り、問題箇所を上げて説明している。
しかし、その説明と問題箇所の表現とは大きく異なる。NHKが説明文の通りの見解ならば、例えば「人間動物園」と言う表現は出で来ない。
そして、「日台戦争」という造語は不適切極まる。
元々「日台戦争」など言うことは歴史で聞いたことがないし、当然歴史教科書に載っていない。そんな造語を勝手に作って良いのか誰だって思う。
しかも、その説明が出鱈目と来ているから始末が悪い。なぜなら、
「台湾全島『平定』までの戦闘は苛烈で、日本軍だけでも死者5,000人にのぼり、日清戦争の戦死者の過半数に及んでいます。」
と説明しているのだが、この5,000人に関しては既に看破されている。
それは、4,642人はマラリヤなどの伝染病による戦病死と判明しているからである。
そして、1995年の「日清戦争百年国際シンポジウム」で「日台戦争」が使われたというのだが、このシンポジウムと言うのがネット検索しても出で来ない。

参考文献として挙げたもの3つ
「日清戦争と東アジア世界の変容」東アジア近代史学会
「日清戦争―秘蔵写真が明かす真実 ・檜山 幸夫 (著)」
「東アジア国際政治史・川島 真 (編集), 服部 龍二 (編集)」

本に載っているという「日清戦争と東アジア世界の変容」東アジア近代史学会・とは、Amazonの紹介文に
「日清戦争から100年を経過し、国内外で活発なシンポジウムが行われた。本書は国内の「東アジア国際政治史・川島 真 (編集), 服部 龍二 (編集)」シンポジウムから選んだ論文を収録。上巻では総論、国際関係、東アジア世界に関する17論文を収載する。」
とあって、「日台戦争」という言葉を論じたものではない。
次に「日清戦争―秘蔵写真が明かす真実 ・檜山 幸夫 (著)」
「日本の民衆は、日清戦争によって初めて国家と天皇を認識し、軍隊を容認し、日本人であることを自覚する。日清戦争は、日本はもとより東アジア世界に大きな影響を及ぼした。50年戦争の幕開けとなった日清戦争の本質を明かす。」
この中で「日台戦争」、「日朝戦争」、「五十年戦争」という新造語が出てくるらしいが、歴史用語ではない。

「東アジア国際政治史・川島 真 (編集), 服部 龍二 (編集)」実はこの本も一般的ではない。特に以下の書評が付くと言うのは妙な気がする。
○【毎日新聞2007年「この3冊」】(五百旗頭真氏)
「東アジアという場における日本が十全に語られるのは初めてである。」
○朝日新聞 [07/12/23(日) 朝刊] 書評委員お薦め「今年の3点」
「個別事項に関する豊富なコラムに参考文献、そして便利な年表がついている。」(高原明生氏) (東京大学大学院 法学政治学研究科 教授)

○漢民族についてというのがあるのだが、ここまで来ると言いがかりか。
この説で言えば、日本民族も漢民族と言う事になる。
○中国語
この説明も全く出鱈目だろう。
こんな説明だと日本は中世時代は日本語ではなく、中国語を使っていたと言う説明でも成り立つ。
J-castニュースでは
「番組偏向」批判にNHKが説明文 抗議団体「これでウソが分かった」
で説明されている通り、「台湾人男性から抗議を受けている事実はない」 と言うのも大嘘であることが分かっている。

それにして、この様に苦しい説明文をつけなければならなかった、そして付けても「言い訳」としか説明出来ないことをなぜ放映したのだろうか。

そして、問題箇所は説明文を付ければ全て訂正して表現し直さなければならないものばかり。
それで納得しろというのは詐欺に近い。
本来なら、全て訂正してその上訂正放送でもすべきことだ。
福地茂雄会長は元アサヒビール社長だが、元のビール会社のように部下に任せっきりで、後で営業の失敗は一緒に謝って廻れば、擁護すればよいと言うものではない。
なぜなら、NHKは公共放送だからだ。
民間会社の失敗は倒産に繋がるが、特殊法人は潰れない。
しかも、国民から強制的に視聴料を徴収している特殊法人。

この様に、国民から大批判を受けてまともに答えることが出来ない反日番組を作り、それを単に擁護するのが民間から来た会長の役目でもあるまい。

最近の学習塾へ行かせる子供の親として考える文系気質、理系気質

2009-06-06 23:59:52 | 読み解けば‥‥
最近の学習塾へ行かせる子供の親として考える

文系気質、理系気質


夜9時過ぎ、車で駅の廻りを通りかかると昼間では想像も付かない光景に巡り会う。
それは、明るい看板と、煌々(こうこう)と光る照明、そして大量の自転車が置いてある姿である。
それは何かと言えば、進学塾、予備校というアフタースクールである。
事実小生も子供を迎えに行くところである。
今、中高校生は塾に行くなどは当たり前になって、行っていない方が珍しいものになった。
塾に行っていないのは、ピアノその他のお稽古や、部活、その他など時間的に余裕が出来ないと言う場合である様に思える。
振り返って自分を見てみれば、小学校では個人の先生が進学塾をやっていたところへ通っていたものの、中学では当時常識となっていた英語専門の塾しか行っていなかった。
その進学塾、「分からなかったら質問しろ」と言う程度のものであるし、それではと質問すると「そんなことで質問するな」という昔ながらの(夏目漱石の「坊ちゃん」を思わせる)旧制中学式の馬鹿馬鹿しさ。
これでは、行っている意味がなかった。
塾の先生は前中から飛び級で一高東大へ進学したような秀才。
所詮頭が良すぎる人物が勉強を教えると「分からないところ」が判らないという妙なことになる。
事実うちの女房殿のように「昔神童今タダの人」だと、試験など一夜漬けで充分と言い張るが、実際言った通りに子供が勉強して、九分通り想像していた結果で良くなかった。
その女房殿が珍しくどこかで仕入れてきたらしく、文系気質と理系気質というのがあると言う。
それで聞いて見ると、文系気質で特徴的なのは「話せば分かる」と思うことなのだそうな。
「話せば分かる」を検索してみると、あの五・一五事件の「犬養毅首相の『話せば分かる』」
と共に、「話せば分かる」否定論がごまんと出で来る。
長年実業界に身を置いた感じで見ると、「話せば分かる」とは金の事であった。
経済、商売では「金」を払えば「話せば分かる」であって、実際の複雑な人間関係やいざこざなど「金品の絡まない」時では一切「話せば分かる」と言う事は通用しない。
逆に、「話せば分かる」、分かって欲しいというのは、甘えでしかないのかも知れない。
だから、「話しても分からない」となれば「恨み、辛み」を長年持ち続けてどこかで反撃しようと身構え、「言葉の武器」と飛躍のエネルギーとして蓄えておくというのが必要なのかも知れない。
実際、何をせずとも不思議なことに後に完膚無きまで「心の内で叩きのめした」と思えることも過去には多々あった。
それは兎も角も、この文系気質の考え方だと物事を展開して行くのにA→B→Cと順を追って一つ一つ発展させて行く。
しかし、子供によってはA→B→Cと発展して行くのに、Aをしっかり覚え込ませるとAに固執してB、Cに中々進めないケースがある。
昔数学の授業を受けた時、その教師は先ずCを示してはっきりと覚えさせ、次にA→B→Cと転換させて理解させた。
その時の教科書はどうなっていたのか覚えていないが、数学教師の教員免許を持っている小生も同じ教え方をするだろうと思う。
実際、そう言うものの考え方というのもが理系気質そのものなのだろうと思う。
その理系気質と言えば、前橋高校2年の時。
遠山教授(当時の群馬大学)の数学教室で「理系人間とは、物事を考える時1から順々に、コツコツ考えを構成して行く人間」、「数学も奇抜な解法ではなく、基本から解いて行くのが理系気質」、「初めから上手い方法はないかと考えを巡らせるのは文系気質」と言っておられたように今でも記憶している。
遠山先生の数学教室は、兄の時代から続いていたかなり古いもので、日曜日の朝6時半から中央前橋駅の裁縫学校を利用して行われていた。
授業料も経費程度で、当時の名の知れた学生はほとんどと言って良いくらい1回は通ったものだった。
但し、先生も定年を迎えてこの年(前橋高校2年の時)に閉鎖したかも知れない。
実際は、ほとんど受験に影響がなく小生など前女校(前橋女子校)の美人の女子学生に会いたさ、制服見たさに出かけたようなものだった。
ツイッギー(Twiggy) の影響か当時流行始めていたミニスカートが全盛だったのこの頃。私服でミニの女子学生は血気盛んな高校生にとって目の毒だった。
紺と黒の制服の中で妙に浮いていた、その美女。
別の数学(高校)の塾で1mの距離で2-3回お目に掛かって、附属(群大教育学部)出身の開業医の娘だとよく知っていた。附属出身の人は派手だからどこにいても何となく目立つ。
その年の秋の前高2年の時、前橋女子校のクラスとクラス交換会をした事があった時でも何となく「色っぽく」垢抜けていたのが附属出身者だった。
もっとも、公立出身者からは毛嫌いされていたというのは、高校を卒業した直ぐ後に、偶然「クラス交換会」をしたクラスの女子学生(後医学生)に出会った時に再確認した。

遠山先生の理論によれば、理系気質はA→B→Cと順を追って行くのと言うことになるのだが、その順を追って物事を考えて行くのは、実はかなり難しい物事の展開の場合、事象なのだと実は大学院に入ってから実感した。
だから、中高校の数学の様に早い話、暗記物の数学では実は意味をなさない。
逆に言えば、理系気質の子供はA→B→Cと順を追って行かなくても、Cを示せば理解出来る。
論理が難しければ、戻って簡単にA→B→Cを説明すれば良いことである。逆に言うと、文系気質の子供は簡単な理論でもA→B→Cと順を追ってでなければ理解出来ないと言うのかも知れない。

しかし、密かに思うのは、簡単なことでもA→B→Cと順を追って行かないと子供は理解できないと甘く見ているのは親、教師なのかも知れないと言う事でもある。
子供の能力と言うものは、大人が思っているほど馬鹿ではないと言うものではないだろうか。

超低金利時代の弊害・年金破綻の危機について考える

2009-05-28 20:02:01 | 読み解けば‥‥

超低金利時代の弊害・年金破綻の危機について考える

毎日新聞2009/05/28の社説は、「年金の危機 制度改革を遅らせるな」と言うものだったが、26日の国会質問では野党民主党が自民党を攻撃していた。
確かに、金を官僚に任せると箱物を作ったり、天下り先に金を渡したりろくな事にならない。しかし、実際は野党が自民党を攻撃すると言うより、経済政策に関し自らの責任もあるのではないだろうか。
毎日社説では「来年70歳になる人の厚生年金額は生涯にかけた保険料の6.5倍だが、30歳未満だと2.3倍止まり。これでは若い人の年金離れを一方的に批判するのは酷だ。」と実態を述べている。
うちのとっくの昔になくなった父を思うと、驚くほどの共済年金と厚生年金を貰っていた。戦前は厚生年金制度というものは事実上無く、実際は昭和30年代にはサラリーマンは厚生年金、公務員は共済年金加入と言う形になった。
父の場合、民間に約10年いてその後戦争で軍隊に2年、復員して職がなかったから国家公務員試験(二級官試験‥高等文官試験廃止)を取って公務員に。
それも、二級官試験がその後「中級職相当」へ格下げになったから、結構苦労した公務員生活だった。それが25年その後民間に移って‥‥
軍隊は、その分年金が2年早く付いたそうだ。
近年書道をやっている先生は、年金生活だから‥‥と連呼するのだが、少なくとも小生が年金を貰える時代には、「年金」で生活できるレベルではない。
しかも、我々子育て世代というものは、東京に子供を4年間出すだけ最低1,000万円かかる。
実際問題としては、中学生からなら2,000万円もかかる。子育てを終わって、年金生活だから「金がない」など片腹痛いものだ。
うちの叔母など、雨漏りするボロ屋に一人暮らしで住んで、贅沢するワケでもなく唯々(ただただ)預金通帳と株の値段の数値が上がるのを楽しんでいたらしい。
亡くなった後には、細かく付けられた日記とノートがあったそうだ。
そんなボロ屋に住むから最後は、寒かった風呂場で倒れて大騒ぎだった。

そんなことは兎も角も、年金と言うものは、元々4-5%の運用益で回すはずだったと思う。
それがゼロ金利、低金利というお陰で企業年金も破綻に近づくし、社会保険組合も解散など当たり前になった。
要するに、日銀の従来型の経済理論にない低金利政策という「負の遺産」がとうとう表面化してきたと言う事だ。
今まで、低金利やゼロ金利のメリットだけ強調されてきた。低金利だから国債の利子が少なくて済むとか‥‥
企業に資金を貸し出しやすくするとか、中小企業救済だとか‥‥
実際は、貸し渋り、貸しはがしが横行したのは国民が共通して知れるところであって、低金利だから企業に金が廻るわけではないと言うことが証明された筈だ。
それでも低金利政策を続ける。
本当に何故なのか分からない。
米国の金融バブルの時は、日本を好景気にしないという政策で常に米国より低金利に留め置かれ、最近特に批判されている円安バブルを引き起こした。

結局、年金に「大金」の税金を注ぎ込む事になり、国債に関しての低金利メリットなど吹き飛んだ。
しかも、年金基金は米国でもやらない株に投資したりして、利子、利回りどころか何兆円も損をした。
そして、この低金利時代を通して、米国の金融バブルであったにも係わらず精々2.5%程度の利回りだったと言うからどうかしている。
2.5%なら一時期米国やEUに預金していればそのくらいの利子が付いたものだ。
低金利時代が長引くほど、デフレと不況が続くというのは、日本による実験でいずれ証明されるときがくるだろう。
しかし、そこまで日本が何処まで持ちこたえられるか、又実験が続く。