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書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

書展・審査終了/書道芸術院展

2006-12-09 23:07:36 | ちまたの噂・雑記事

今日は、第60回記念書道芸術院展の審査の日だ。昨年まで、当番審査の副主任(公募)だったが今年は、平当番審査員。
主任は、毎日書道展でも審査を担当したY先生。特に審査においてはベテランだ。
審査に当たって審査本部から一覧表が渡される。いわゆる賞配分だ。それを見ると出品団体の賞の上下限が見て取れる。
審査は、近年特に作品本位の審査を重視している。良い作品は、出品点数が少ない団体からでも(賞に)上げる。
従って、賞候補が賞に値しないとなれば何回でも差し替えると言うことになる。
さて、審査は一端全作品を通しで見てそれから、各団体から個別審査して賞候補(準特選候補)を出す。
これを挙手による投票で規定点数に絞り込むという方法だ。当然一覧があるからその範囲内で行うが、基準内なら審査員の判断で増減が出来る事になっている。
いずれにせよ、「準特選」「佳作」は誰もか目につけるもので、妥協は許されない良い作品だけ選考する。
ただ、団体によって作品の質の問題があって、一概に審査が出来ない部分もある。
それで兎に角、「準特選」「佳作」が決まれば、後は流れ作業になる。
今年から、バーコード入力になったから後の事務作業は非常に楽になった。それでオペレーターが5-6人も来ていた。
反省点、昨年もそうであったが出品点数が少ない上に、又作品の質も高くないところに「賞」が配分されてしまったことだ。
ある程度絞り込んだ評価、審査となるとどこかに齟齬が生じるのはやむおえない。
この点審査冒頭に指摘したが、採り上げられられなかったのは残念であった。


県展審査始まる

2006-12-09 00:22:07 | ちまたの噂・雑記事

昨日8日は、県書道展審査一日目だった。今年はまくり審査という特殊事情からいつもと違う光景となった。
しかし、いつも思うことは、入落は2-3秒で決まると言うことだ。一瞬の印象。
本来間違い字などがあってもこれでは判別付かない。
審査は、A,B,C,Dと分けられDは落選候補、A,Bは入賞候補となり翌9日全作品について点数をつけ賞の割り振りをする。
まあいつもの光景とはいえ場所も、作品も違うといろいろに見えるものだ。


川崎白雲先生に関して、O先生からのお葉書

2006-12-02 16:22:36 | ちまたの噂・雑記事

この10月川崎白雲・伊藤神谷先生の遺墨展について、10/6版のブログで紹介させていただいた。当時、ブログの駆け出しで只思いついたことを書き散らかした関係もあって、今読み返すと少々書きすぎた面もある。ブロクというのは、本来日記の様なのだか、だんだん変身してくるのには驚きである。
さて、先日遺墨展主催者の団体である、G社の代表であるO先生から「礼状」のお葉書を頂いた。全く持って恐縮至極である。
正式なご紹介ではなく、勝手に書き込んでいるわけで、いろいろと独断が入り交じっているから尚更である。
しかし、この遺墨展というのには、少し前の香川峰雲生誕100年の遺墨展に続くショックを与えるものであったことは間違いない事実である。
作品は、伝統的な臨書から創作、近代詩文、大字書、前衛的な作品と考えられる作風は全て書きつくしている。それも完璧に、かつ先鋭的にである。
現在の書家の作風の方がずぅ~~~と保守的なのは、どういう事なのだろうか。
だからハッキリ言えば、我々としては製作意欲がなくなってしまう様なもの。
下手をすれば全ての作品は二番煎じと取られかねない‥‥と考えてしまう新しい取り組み。
兎に角先人達は、多大な勉強と冒険を全てやった‥‥やってしまった‥と言うことである。

昔、聞いた話で‥‥師匠が冒険した様な作品を作ったとき、弟子は「これだ!!」と思ってその方向に走ってしまう。
それが大体あらぬ方向ばかりだから挫折して、先祖返りする。
そうして、元の黙阿弥。


〈食中毒〉上野精養軒の宴会で‥食中毒ノロウィルス感染症??になってしまった

2006-11-30 18:53:32 | ちまたの噂・雑記事

上野精養軒の宴会で‥食中毒ウィルス感染症になってしまった
11月23日東京の上野精養軒で西林昭一先生の講演会があった。
内容は、「書体の変遷」と題して、文字の成り立ちの実証的な証明、検証。昼過ぎの「眠い時間」も講義を聴く耳と書き込むペンのお陰で眠るなどという贅沢な時間は持ち合わせなかった。
それにしても、「銘石の書」、「章程体」「行狎(ぎょうこう)書」の分類は全く初めてで、目から鱗であった。

さて、この有意義な講演会の後、レセプションになったのである。
立食パーティー形式。この日は、適当に食事といってもデザート中心に食べたのであるが、そこで貝殻の入ったピラフを取ってしまった。
即ち、貝を食べたのである。
ところが、翌日早朝寒くて目が覚めた。
体がだるい。なんと37.8℃もあった。取りあえず起きたものの、とても真っ直ぐ歩けたものではないのには驚いた。
22日にインフルエンザの予防接種をしたからその副作用かと高をくくっていたら、夕方には体温38.9℃。
仕方がなく、医者に行くと「食中毒」‥‥通称としては、「おう吐下痢症」なのだか、おう吐も下痢もないので、「疑似ノロウィルス感染症」である。
医師は、解熱鎮痛剤の「カロナール」、胃薬「セルベックス」、消化管運動改善剤「ナウゼリン」を処方して、「水分は多く取ってください」、直ぐ治ります。~~~と
2日後(26日)の朝熱が下がり、完全に治ったのは、27日であった。辛かった3日間。
このノロウィルス感染症は、「経口感染」で潜伏期間1~2日。
この冬に多発するのは、このウィルスを海水から体内に取り込んで濃縮したカキなどを食べるためと言われている
感染の恐れのあるカキやハマグリなどの貝類は、85℃以上で1分以上、内部に火が通るまで十分に加熱する。‥‥‥としている。
上野精養軒よ勘弁してくれよ、ピラフは多分熱し方が甘かった。
当時、ほとんど食べた人がいなかったから、他に犠牲者が出なかったのは不幸中の幸いだったかも。
寝ていた3日間返せ‥‥‥だ。


上毛新聞社主催・上毛書道30人展 の悪い予感

2006-11-26 18:29:42 | ちまたの噂・雑記事

今日は、第26回上毛書道30人展の作品、広告費、出品料その他諸々の提出日だ。
今回は、新運営委員の紹介の後出品者の自己紹介があったが、まあ大体知っている。それにしても男性が多いなぁ‥‥‥又、新規に出品する人が多いと主催者の上毛新聞・事業局の担当者。
そういえば、県展委嘱や、比較的新しい委員(審査)もいるように見受けられる。小生も出したい人(?)に代わって貰いたかったよ!!!今年は忙しいのだものなぁ‥‥‥!
机の上には150枚の案内はがき、以前300枚も来たことがあった。こんなものは少なくして、ポスター作れよと言いたいけど「発言権がないので」黙りだ。
封筒の中には、祝賀会(ホテルでのレセプション)の本人分ともう一人分の招待券。普通の常識では本人分と伴侶、即ち夫婦同伴の筈なのだが、主催者は、お知り合いの人を‥‥という。
ところがだ、これを使って「お知り合いを招待したら」大変な顰蹙をかってしまう。即ち、招待者は「お祝い金・金一封」をよこせと言うのだ。
だから、持ってこない人には会費を取ったりしているから、全く主催者の言葉とは違うのだ。
そして、実は招待しないでくれと言うことが、非公式に運営委員から伝えられいてるのも不思議な話だ。ならは、終わった後慰労会など開いている運営委員は少しは負担したらと言いたくなる。
この様な事は、散々言われたこと、又批判の中心である。それを察知してか、上毛新聞・事業局の担当者は、新聞の特別紙面を提供しているので、新聞社として多大な負担をしていると強調している。確かに、超優良企業であった上毛新聞も、元社長の無断保証の責任を被ったために、何十億という負担をしなければならなくなったことはよく分かる。それは別としての話である。
‥‥と悪い予感は、上毛新聞・事業局の担当者が今年は、新聞紙面に45名の出品者を掲載しなければなりませんので結構大変になります
第26回になったら顧問、相談役、運営委員は、新聞紙上では名前だけではなかったのか??である。あくまで、上毛書道30人展だから、30人の筈なんだ。
例年どおりなら、運営委員は「一番良いところに枠付きで写真と作品、経歴まで毎回載るのだ」。それで作品を見に行くと、色紙大だったりするからガッカリするけどね。
このまま行けば、作品集は最初に顧問、相談役、運営委員がデカデカと載り、最後に30人がごちゃごちゃとである。まあ、上毛書道30人展というのは、新顧問、新相談役、新運営委員の付け足しとしか言えないモノに又なってしまうのかとがっかりである。
席上揮毫
こんなものも、土日にはやっている。
席上揮毫も我々書家に「やれ」と言われれば即座に出来ないことはないが、その実力を見られて仕舞うためにそれなりの覚悟がいる。今回は、昨年の県展・山崎種二記念特別賞受賞者がメンバーの一人として入っていたからまあまあと言ったところである。
ところが、漢字の揮毫者がなんと「運営委員」とは驚いた。
まあこれは、公私混同も良いところで本性暴露である。運営委員は、本来上毛書道30人展の出品メンバーではなく、単に作品をついでに展示するというものだからだ。当然出品料70,000円など払ったとは聞いたことがない。
それと上毛新聞・事業局の担当者が強調していた広告代、結構表具屋に押しつけている先生が多いなぁ‥‥‥。少なくとも1/3はそうだ。
普通の常識を持っていれば自分の負担だ。
やはり書家というものは世間一般の常識は通じないのかも知れない。


日展特選・良い貧乏が出来る万歳!!

2006-11-20 23:41:19 | ちまたの噂・雑記事

近年、別館の方へお客を取られて、ここのところこのブログは閑古鳥だ。それに別館で一日のアクセスが500を優に超えてくると、どこも妙な嫌がらせ書き込みが増える。‥‥でこんなもの要らないやと書き込みを2-3消去したらカウントが100単位で消えてしまった。書き込みもこれを狙ったのか‥‥ああ失敗。

今日届いた「書道美術新聞」トップは、日展5科だ。要するに書道。搬入は例年通り9,500点程度‥‥9,500万円がとゲスはすぐ金額を計算するね。
なぜか?日展なんか今書道で持っているようなものだ。それでスペース半分だから良い面の皮だ。だから入選率7%代なんだよ。7%がどういう数値かと言えば普通の展覧会の特選(特別賞)クラスの数値だ。
さて、日展特選の面々が写真入りで掲載されている。10人うち女性1人。書道人口の8割は女性だから2-8でも不思議はないところ、だがなぜなんでしょう。
昔、師匠から聞いた話は、日展審査員だった黒澤春来先生のこと。
春来先生は、日展で「特選を取るのに一財産」、「審査員になるのに一財産」と言っていたそうな。一財産とは、たぶん昔では家一軒分なのだろうなと考えたものだ。今でも、日展入選100万と言うから10回入選して会友になったら1,000万~~~
これでは、特選を取ったら我々は破産してしまう。
日展作家じゃないから何とでも言えるけどね。特選2回で会員か~~~‥‥謙慎書道会3人特選。元々読売書法会も謙慎が母体だものな。
つぎのページ。
東京書作展(東京新聞主催)公募入賞・東京新聞賞‥矢部澄翔‥土曜日に読売新聞掲載の女流書道家だ。
まだ公募だったのね。それじゃ毎日にも読売にも載ってないわけだ。
それにしても随分と派手なパフォーマンスの様だ。昔は、こんな事中々出来なかったねぇ‥‥お金がなくて。(-_-;)


書道家のくだらない一日制作編

2006-11-20 00:40:59 | ちまたの噂・雑記事

展覧会へ向けての作業は、重い荷物を背負った感じでツライ。
特に決まった用事がない日曜日は貴重だ。
まあ以前から準備してきた意図を、最終的にまとめてノートに書き写し準備完了。
何れにせよ書きはじめれば、単なる手の運動たがその書きはじめるまでが一苦労。それで何とか終わったのが夜中の10時半。
アトリエ(?)から雨の中自宅へ帰るのは結構寒いなぁ~~。
いつも思うのは、こういう制作をして終わった後、頭に「さわやかな風」というか冷たいタオルで頭を拭いた感があると言うことだ。α波なんでしょうか。
今回の作品は、他の作品3点と合わせて4部作として展示する。だから他の3作品とのマッチングをさせなければならない。いろいろと面倒なのだよ。
そういえば、昨日読売夕刊に若い女流書道家・矢部某(1976~)という人物が掲載されていた。本当のこと言って、書道人口の85%程度が女性なのに「女流書道家」とは妙なものだ。見ればHPがあって、毎日インタラクティブ『書を愉しむ』連載などと出てきた。
覗いてみれば、書道界屈指の美女として有名なモデル木下真理子先生(読売書法会評議員1977~)しか知らない。
毎日新聞だから、毎日書道展関係かと思うとそうではない。何やら書道というより「文字デザイナー」と言った方が正しいと思われる方々だ。
何かこういうものを見てしまうと「おどろおどろしい」妙なものを見た感じがしてならない。
書の世界は、縦系列で誰の弟子でという系譜がある。こういうところにご登場の方々は何やら経歴がぼけている。○○の弟子、○○書道会所属、○○の会員となれば、何をどんな風に書くか分かろうと言うものだか、経歴が分からないと「名無しの権兵衛」だ。


展覧会近し、書作家はいつも多忙

2006-11-12 22:22:08 | ちまたの噂・雑記事

書道家、いわゆる書家は展覧会が近づくといろいろ苦悩が多くなる。
書道というと、あ~~ぁお手本貰って、それを書写して‥‥と思う。

しかしである、師匠はすでに鬼籍入ってしまっているから、あの世まで手本を取りに行く訳にも行かない。
特に、展覧会の審査員ともなると逆に指導する立場だ。
夏休みになると高校生の「書の甲子園」だとか、「全国学生書道展」など「書写」を基本とした展覧会が多い。そこから、一般の展覧会まで出品するか、というと相当ハードルが高い。
なぜかと言えば、「臨書中心の書写」と「創作の書」の違いである。だから、高校の感覚で「臨書作品」など展覧会に出品すればほぼ落選である。
正直言って、審査員の手が上がったことがない。

特に、書をやっていると言うと、「何段ですか」などと言われると「苦笑」するしかないことがある。
競書雑誌で級、段、師範という範疇がある。ふつうこれで書に関して通用すると思うと、全く関係ないのが書の世界である。

筆者などの書家は書展、特に公募展を中心に活躍している。
公募展は、市民展レベルから県展、中央の書団、又その上の毎日書道展、読売書法展など色々ある。
まあ気の遠くなる話だ。
さて、書というとまず手本を見て「手習い」でもするかというと、書家の第一歩は下調べ、構想である。
長文の漢詩などを書く場合、大体ノート一冊使って構想を練る。それから、誌面のどこに何をどのような構成で書くかなど再構成しなければならない。
実際に筆を持って書きはじめるなどというのは、最後の最後だ。
書家にとっては、字が書けて当たり前、文字の稚拙とは全く別の世界だと言うことを一般人は分かっていないのだろかな。


砂本杏花書作展

2006-10-06 21:23:19 | ちまたの噂・雑記事
砂本杏花書作展
いやぁ~~~今日は土砂降りだった。銀座も人数少ないかと思えばいつも通り。伊東屋では店員が店頭で傘のビニールを配る始末。だからランチタイムも1時を過ぎると閑古鳥だ。
銀座セントラル、東京銀座画廊美術館は書の展覧会が5つもあるから、平時の中日なのに結構人が訪れる。又、運営委員の当方としても「受付」の当番の先生が沢山来てくださると大変助かる。以前、受付をする人もいなくて「お客様の接待」に先生が行ってしまうと困ることがあった。



さて、「砂本杏花書作展」今回大作ばかりである。高さ1.8m長さ5.6mなんて作品が3点もある。
正直言って会場が広すぎて、こんな作品が沢山無いと会場が締まらない。
砂本先生も事前に会場を見て作品を作られたそうだが、ご苦労が忍ばれる。
正直言って小生ではこんな大作3点、4点もでは「ごめん被りたい」。いずれにしろ大した体力と気力に感服する。
大作も作品集を見る限り、本当の色が出ていないので何とも味気ないが実物はなかなかである。又ある先生の評として、「表具の色」が統一してあって「気持ちがよい」という意見もあった。
いずれにせよ全体の雰囲気は、淡墨、青墨であるので何やら「ほっとする」気持ちの展覧会である。
祝賀会(レセプション)の出席したら、若いころ「砂本先生は」大変な美人でとの紹介があった。
実際今でも「年齢不詳」の美女と言ったら失礼になるかも知れない。女性としては「得体の知れない」というのだろうか。又、書道の方も「ある大先生」が私が習いに行ったら既に大先輩だったとか、砂本先生の「教科書の揮毫の字」で勉強したと言われていた。
今部門は、近代詩文なのだか元々「漢字」の先生で日展で「特選」を取ったというから漢字を続けていたら日展会員になっていたかも知れない。
書は、「人なり」と言うとおり「砂本先生」の人物、性格そのものを表現している展覧会なんだろうと思う。
又、大作の外に小作品が沢山あってこれが非常に出来がよい。皆ちょいと部屋の隅に飾っておきたいものだ。やはりセンスの良さはどこにでも出ている。

川崎白雲・伊藤神谷遺作展

2006-10-06 00:10:12 | ちまたの噂・雑記事

川崎白雲・伊藤神谷遺作展
10月2日から4日まで‥‥展覧会を見に行ってきた。

展覧会‥‥会場とは、東京銀座・セントラル美術館と銀座画廊美術館である。
ここで8日まで4展覧会が開催されている。
(財)書道芸術院・秋季展、川崎白雲・伊藤神谷遺作展(玄遠社・主催)、砂本杏花書作展、馨香会展である。
(財)書道芸術院・秋季展と馨香会展は社中展の様なものだから置くとして、まず川崎白雲・伊藤神谷遺作展について考えてみたい。



川崎白雲とは、四国出身の書家で元高知師範学校の教師であった。戦後新制高知大学になるにあたり退職して、書家として大阪へ出たとのことである。書家というのは長命で川崎白雲翁(先生)も90歳(享年95歳)を超えて長生きをした。伊藤神谷先生(享年91歳)も、あの金子鴎亭先生も90歳以上の長生きだ。
さて、川崎白雲先生の作品を見てびっくりするのは、未だに「作品が新しい」。
はっきり言ってしまえば、今我々が悪戦苦闘して作品を作っているものを既に「みんな」やっしてまっている。‥‥やり終えているという事実である。
正直言って、我々は今頃何をやっているのか全く悶悶とする。
川崎白雲先生は、鈴木翠軒の系譜であり、伊藤神谷先生は、比田井天來の系譜であるという。比田井天來と言えば、金子鴎亭も大沢雅休もその弟子筋に当たる。即ち、明治以来の書家の第二世代だ。
‥‥まあ小生は、横堀艸風の弟子。即ち大沢雅休の孫弟子に当たるのであるが、この「大沢雅休の作」でさえ今でも新しい。

思うに、現代はあまりにも情報が多い。それだけでなくPCなど、学ばなくてはならないことが「書」より多い。中々書に専念できない時代になってしまったかと思うこの頃ではある。
その上、書に対して「冒険」が出来なくなってしまった時代でもある。「公募展」の制約、展覧会の制約‥‥このために戦後書壇は毎日書道展から読売が分裂したり、書道芸術院から書団院や現代書作家協会など‥‥‥‥が分裂したりそんなところであろう。

それにしてもである。
この第二世代の「書の巨人」たちの作品を、「遺作展」「生誕100周年展」などで見るたびに毎回圧倒される。
正直言って、自分の師匠を超えたと思えることを一つでも多く「作りたい」‥‥という夢。中々実現しそうにない。