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書道家Syuunの忘れ物

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地獄の特訓ならぬ‥‥(財)書道芸術院単位認定講習会‥in伊香保温泉その2

2006-08-21 23:59:02 | ちまたの噂・雑記事

地獄の特訓ならぬ‥‥(財)書道芸術院単位認定講習会in伊香保温泉その2

実技2、かな‥‥黒川先生。
「かな」か‥!‥細字だなと思うと大間違い。
「大字仮名」という現代かなの一種。これを手本を見ながら半切1/2(約70×35cm)に書く。
‥‥提出すると採点されて戻ってくる。
大字かな‥なんて書く筆はないから‥‥購入で大出費?
黒川先生は、席上揮毫で何とはなしに「さらさら」書く。
‥‥‥が「門外漢」‥‥書家でも部門が違うと素人同然‥‥にとっては~~~?!
書というと何でも書けそうだか、当たり前ながら「紙」「墨」「筆」がなければ書けない。
特に今は各部門に特化しているから、筆も「かな用」それも大字かな用なんて筆が必要なのだ。墨だってかな用の墨がある。
今回、みんな知っていると思ったか、「墨」も「筆」も頒布紹介はなかったな。
これもさあ「書いて」と言うが、書けるもんじゃないよ。
そこで「恐れ多くも」近くにいた、(下谷)洋子先生に手本を書いて貰った。
むむむ‥‥~。今まで稚拙な書を書いていた「筆に」神が乗り移ったよう‥‥!!
色々説明を聞きながら見るも、只タダ感心するばかり。

 実技3、前衛書‥‥阿部先生。
今回私は、非文字性による書き方をするなんて言うから‥‥素人の一般会員なんて全く「わからん、の連発こういう時って、頭の中が真っ白になるのだよな。

それも席上揮毫二作目に刷毛なんか使うものだから、講義終了後に出店していた店で「連筆」なんて買う人がいた。
こういう講習会だと、なにやら普段売れそうもない高価な筆が売れる。安いものだと、記念品だ、おみやげだという。  


毎日書道展を読み解く‥「書道ジャーナル」

2006-08-18 01:03:44 | ちまたの噂・雑記事
毎日書道展を読み解く‥「書道ジャーナル」
第58回毎日書道展の応募は、31,188点。前年比2,330点増加。
参加状況 審査会員883、会員2,448これまでが役員作家。以下公募。総出品点数34,519点。
一方読売書法展は、公募出品23,778点、役員出品6,236点合計、30,014点。
ところで幹事4,043人、評議員2,283人を合わせると6,326人になるのだが役員で1,000人以上出品しないのかな??はなはだ疑問だ。
さて、今回発行人である評論家「小野寺啓治」氏は一応、お世話になる大先生は一応誉めておいて、会員賞の作品をあまり誉めていない。
「会員対象の会員賞は、各部門とも際だつ独自性による作品が認められるのではなく、各団体や社中の特色を巧みに修練し、バランスの安定性‥‥」と言うことで独創性の欠如を指摘している。
又書壇時評「マンモス書展の弊害」で‥‥
「書風の類似性が進んで、審査会員に注目作を期待するのが薄れ、会員賞作家に新たな可能性を期待するのも非常に難しい現状にある。」



それにしても、評論家「小野寺啓治」先生は、「ドギツイ」作品がお好きなようでそれなりの作品を選択している。
「際だつ独自性による作品」は新会員などに多いが、新会員は会員賞の対象になっていない。4-5年経って情熱が薄れたころようやく対象になるからダメ作品ばかりだろうなと思う。
いずれにせよ、「小野寺啓治」論によれば、読売書法展などは「書風の類似性が進んで、区別が付かない」とでも言いそうだが、営業上言わないだろうね。

読売書法展・〈特選この1点・読売新聞〉

2006-08-14 23:34:55 | ちまたの噂・雑記事

読売書法展・〈特選この1点・読売新聞〉

‥‥‥と「特選」作品が掲載されている。特選とは、公募出品の最高賞で毎日書道展ては「毎日賞」に当たる。毎日賞」でも地方市の「広報誌」に写真入りでデカデカと掲載されるから、大したものである。
ちなみに、読売では「特選」の下に「秀逸」があり23回展ではそれぞれ、459人1,998人が受賞。
さて、写真の作品を見ると中々良く書けていると正直思う‥‥が、どこかで見たことがあるようなと言うか、「あの系列」の書だなと察しがつく。
読売書法展は伝統書だから、審査員その他役員構成も漢字、かな、篆刻しか存在しない。
だからあの公文俊平先生が言う「過去準拠型の中国宗教文明」である。
従って、先生の書風に一字一句間違ってはいけないと言う世界である。いわば、展覧会を見て「名票・名札」を変えれば誰の作品か分からない世界だ。
それでいて、読売書法会という組織がちっとも分からないというか、分かりにくい。
任意団体だから何でも良いと言う訳か、役員がとてつもなく多い。
1.名誉会長2.会長3.最高顧問4.特別顧問5.顧問6.名誉会員7.常任総務8.参事9.董事10.常任理事11.賛助会員12.参与13.理事14.幹事15.評議員。
中には読めない役員の肩書きもある。
理事も1,000人弱もいて勘定できないが、幹事4,043人、評議員2,283人と言うから7,000~8000人が役員である。
何かとんでない組織のようだ。公益法人だと精々二桁の役員だから正に異常。



その上役員にもいろいろな賞が出る。

理事を対象に選ばれる「読売大賞」1点、「準大賞」5点
「読売新聞社賞」(幹事対象)76点
「読売俊英賞」(幹事対象)156点
「読売奨励賞」(評議員対象)135点
正に大盤振る舞いだなあ。
毎日書道展は会員は役員作家だが、賞は「会員賞」だけ‥‥
それもたった26人だ。
元々、読売書法会は、毎日書道展から分離した。
終戦後、本来書の総合展である毎日書道展として出発している。ところが、関西の一部の書作家を中心にして、当時の書の中心であった東京書壇の人々を無視して参加したのが日展というわけだ。その上に、「書風」が気に入らないと運営委員の立場で、現代書系を排除したのが、現在日展第5科である。
‥‥と言うことで、読売書法展の参与までの顔ぶれを見てみれば「機・ハタ」と気がつく。
要するに日展の役員そのままではないか‥‥と言うこと。

とすれば、日展で入選もできなかった人に「賞」を与えて文句を言わせないようにする。そんな展覧会なのだと気がつくものだ。


「情報社会と書」公文俊平講演会 が示すもの

2006-08-04 22:11:13 | ちまたの噂・雑記事

「情報社会と書」公文俊平講演会 が示すもの
(公文俊平・多摩大学情報社会学研究所所長)
この講演会は、全日本書道連盟が18年2月16日に会員向けに行った講演会である。そして、詳細は連盟会報に掲載されたものである。
まず驚くのは、公文氏は「字が下手だったので」全てワープロで用を足しているということ、書に関して多くのコンプレックスがあると言うことである。この講演のきっかけは、日展で二回特選を取った(会員)先生の知り合いとか‥
主題は全く門外漢の身として「書に関する感想を織り交ぜながら、近代社会や情報社会についてお話をしてみたい‥‥」とある。
1.文明論
近代文明と宗教文明(前近代文明)
2.デジタル技術とアナログ技術
3.情報社会と情報知識豊富「人」
この中で、宗教文明について詳しく説明している。
その特徴を以下のように述べている。

○「自由」よりも「規律」が大事。
○宗教文明圏の背景にある基本的な価値観は、「伝統を維持」していくことが大事。
○伝統というものは放っておくと緩んでくるから(崩れてくるから)「復古」つまり昔に返ることが大事。
○過去こそ黄金の時代。過去に聖人か現れて‥‥


そして、日本の「書道」とは「過去準拠型の中国宗教文明」と結論づけている。
但し、書は「漢字」「かな」のみと規定して講演している。(他部門は全く無視)
その上で「近代文明」の特徴である自由や進歩性がなく、極端な「復古」調をいろいろと例を挙げて批判している。
だから「尊敬に値する地位を占ていない」「書は何に貢献できるのか」
そして、最後に「日本の書道に対しては、例えば中国的な書に対して日本的な感性をどうやって付加していくのか。」
「ポストモダン文明を構想する上で、書は何に貢献できるかということを考えていただければ、‥‥‥」



と結んでいるのだがこの中でいろいろと妙なことに気づく。
○「その昔、『前衛書道』を唱える一派が現れていろいろな試みをしたけれど‥‥挫折して‥‥」消滅‥‥???
○近代文明の中での「書のあり方とは何だろう。『近代書道』」とはなにか
現在、ポストモダン書道・近代書道はない???‥‥全て漢字・かなの伝統書のみ???

以上に述べられている事から、「公文先生」は読売書法展系の伝統書のみを書道と規定していることに気づく。
前衛書が消滅というのは、読売系の一部の書家がよく言うことで所謂「希望的」な言い回し、又は「書と認めていないから」消滅してない。‥‥ということとらしい。‥‥実際読売書法展よりも規模の大きい「毎日書道展」には「前衛書部」があり何千点も出品されている。
又、現代書の代表として「近代詩文‥‥読める書」がある。しかし、この手のものも特に「毎日系の自由な書風」を無視する又は下に見て、書ではないと考える「書家」がいるらしい。
ところが、近代詩文は今の高校の芸術科書道で第一に学ぶもので、普及がめざましいものである。
「日本の書道に対しては、例えば中国的な書に対して日本的な感性をどうやって付加していくのか。」
‥‥と書かれているが、公文先生は現代「中国」の書をご存じないらしい。それとも、所謂漢字条幅を「中国的な書」というのだろうか。それに「かな」に中国的な何て言うことはないから、「書道」≡「漢字」それ以外は認めないと言うのだろうか。
いずれにせよ、伝統書の「漢字」について近代性がないと散々批判している。しかしながら、全く見当外れの言いがかりという面もあれば的中という事もある。
極端な復古調と批判されても、それだから「現代書系」の毎日から分かれた「読売系」であるからどうしようもない‥‥と言うのが現状ではないのか。
しかも、師匠と全く写したように書く、書き方を全く変えない。‥‥というのが伝統書の神髄だから「公文先生」の批判も「耳を傾けるわけにはいかない」というのが現状できないだろうか。
ウソだと思ったら、今8月の読売書法展を見てみてるとよい。名票を変えたら‥‥外したら誰の作品か分からない作品ばかりではないか。
書道美術新聞8月1日号の「大野修作」先生の書論、「書学を学ぶ人のために」は珍しく正論を述べている。何故かこういう文章は読みやすいのは何故??
その正論とは、所謂伝統書系の書壇の弊害。「師匠の書風からはみ出すタブー」などいろいろと痛烈に批判している。


書論「書学を学ぶ人のために」の誤謬???

2006-07-21 13:20:36 | ちまたの噂・雑記事


書論「書学を学ぶ人のために」の誤謬???
書論「書学を学ぶ人のために」は、大野修作先生が連載(書道美術新聞)している「書論」である。
今回は、「道教と書の関わり」‥ちょ(衣辺に者)遂良の書を中心に‥
この先生の悪文ぶりにはいつも泣かされる。まあ大江健三郎並といったら、大喜びしてしまうかも知れないが全く論旨が掴めない。
今回「道教研究家」としての本領発揮か、と思うといつも通り昔の名跡は「なに」との概略だけ。
顔真卿だって書道の世界では身近かも知れないが、中国唐時代・玄宗皇帝末期の人物。
例の安録山の変の時、平原郡の太守(開元22年734年】進士785没)だから日本の奈良時代の人物の超エリートなんだな。
こんな頃の人たちだから、色々な迷信や宗教に絡んだって不思議ではない。それで、現在としては「道教に関する」碑や文書が沢山?残っているわけたが、そういう「文」を書いてくれと言う要請と、「大事な物だから」残しておくということだったのだろう。
だからカトリックの聖書だって古い物が残っていると言うことだ。



王義之の「黄庭経」にしろ、「難解で‥‥意味不明だからこそ神秘的で有難い教典と崇められてきた面もあるでしょう。」と当時も現在も内容を放棄している。
‥‥この辺は大野先生の持論とは多少違うのでは???
ハッキリ言えば、こういう古い古筆は内容を理解するということではなく、書いた「書体」を学ぶということ。
なんだか馬脚を現した、「道教と書の関わり」でした。
次に、「于右任と『標準草書千字文』」‥文字改革の視点から
‥‥
于右任が稀代の草書の名手であり、「死筆なし」といわれるその草書に現在でも‥‥

と言われるが、無学な小生は「
于右任」‥‥(1879?1964)清末・民国の政治家・書家。陝西省三原生。日本に留学中、孫文と邂逅‥‥なる人物を知らない。また大野先生の「難解な」文章を翻訳してみると‥‥国共内戦の時、中国から台湾に渡り、望郷の念を抱いて亡くなった文人政治家と言うことらしい。
毛沢東や周恩来とも親交が有ったとも書かれているが、政治家だから当たり前だろう。
その中で、面白いこととして女性に関する事柄、智永の「千字文」と標準草書千字文が改訂によってだんだん内容が異なることが書かれている。

「妾御績紡、侍巾帷房」の部分は→→「耕さく御猟、款整帷房」となっているという。その理由として、「妾の存在を認めることは時代に逆行するという意識があったと思われ、‥‥」と言うことなんだそうだが‥‥
「妾」という言葉は、「わらわ」と私という意味にも用いられた。
だから、日本では「めかけ‥二号さん。彼女」と言う筈だったはずなんだか、古代中国では一般の女房・奥さんの意味でも用いられたはずだ。
もっとも、清朝時代などは‥‥正妻と妾は当然だったが。
だから「侍巾帷房」なんて言うことが書いてあるのだ。‥「寝室での作法」

こんなので‥‥結局何が書いてあるかと言えば、現代中国の漢字の簡素化・簡体字、漢語併音、普通話、などの普及について。
そして、普通話を正確に記すためのローマ字による字音表記法など。

なんと中国は日本に比べて、文字に関して1,000年も遅れているではないか。于右任老師にしろ若い頃日本で学んだのだから‥‥‥‥
もうそろそろ「中国」から離れたらと思うのだが。


毎日書道展・後期(陳列完了)

2006-07-13 11:56:30 | ちまたの噂・雑記事

毎日書道展・後期(陳列完了)が13日から始まった。
名鑑を見たら公募出品2,330点の増加で、審査対象31,188点だった役員出品(会員以上)が3,331点だから総出品点数34,519点という膨大なものになった。
会員賞の展示は、第1室だが「文部科学大臣賞」を中心に並んでいる。ハッキリ言えば、端に行けば「会員賞」作品も駄作のうち??なのかは、見て確認して欲しい。
前期展のとき、「かな部門」に漢字作品があったのにはビックリした。要項をみるとかな部Ⅰ類に「小字201字以上。ただし、文字の多少に拘わらず、写経、和様漢字、臨書作品、巻子、冊子(帖)、貼り混ぜを含みます。」とあって「和様漢字」即ち「変体仮名」で書かれている作品ということだ。
しかし、こういうものを見ると本当に心臓に悪い。

後期展は漢字・大字書他だが、大字書には、何かニジミを効かした作品が目立った。日展でもこういう作品は、増えてきたが余り多くない。
兎に角作品が多ので、全部見るというのは至難の業。自分の作品は、PCで簡単に調べられるが、一つ一つ見ているわけには行かないのは仕方がない。
   東京展会員作品
会員作品(役員作品)は、公募よりも大きいのだか会場でみると見当が付かない。
真ん中にあるのが、182cm×79cm。長いのが2×8‥61cm×242cmという結構大きなもの。まあ普通の家では天井に届くので飾れない。


毎日書道展・陳列終了・最大規模約34,000点出品

2006-07-08 00:40:47 | ちまたの噂・雑記事

毎日書道展・陳列終了・最大規模約34,000点出品


毎日書道展が東京都美術館で7日陳列された。
出品点数は、過去最高だった30,000点を遙かに超え、最大規模約34,000点出品の日本最大。
今回、約21,000点(役員を含む)の大展示作業が始まった。
出品点数は、昨年に対して5,000~6,000以上の出品が増えた計算で、大規模展覧会一つ分増えた計算だ。
それで、展示は例年と違った特別編成チームで徹底的に効率化を図った。
我々陳列の委員のほか、各書団からの陳列担当者はがんばったのであるが、まあ陳列業者が間に合わず、4時を回っても大分陳列できない状況であった。
尚、東京展は、スペースの関係から全点展示していない。



来年からは新国立美術館も使うため、展示点数も増える可能性もある。
今年は、まさに天井近くまでびっしりである。
毎日書道展は、入選率50%で入選するだけで「狭き門」である。
それで、入選10回で会友となり無鑑査扱いとなる。
敷居の高さとして‥‥
大きさも公募で大体2×6尺(60cm×180cm)の大きなもので、よほどの実力がないと太刀打ちが出来ない。
この中から、
会員は会員賞、公募は、毎日賞、秀作賞、佳作賞だから入賞するのは針の穴を通るようだ。



毎日書道展 第1室・公募毎日賞等


そんなので、またまた小生の悪い癖の批評。
第一室は、展覧会の顔である。
まあ、ここを見ればその質が分かるというもの。
東京都美術館だと入って右手が最大のメイン。会員賞も沢山並ぶが並び順がおもしろい。
本当にどれが良いと思っているのか、別の評価をしているようである。

尚、観覧者のブログがありました。
http://yuki923blog.at.webry.info/200607/article_1.html
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface.php/b801bb438772622af42ecb16723584f2/1d

展覧会廻り

2006-07-03 19:05:19 | ちまたの噂・雑記事
毎週末になると、何カ所か展覧会を見て回らなければならない。 伝統書の「漢字」「かな」などと言うときは、だいたいの見当がつくから又これを書いているのか‥‥と全く義理でなければ行きたくもない。 もっとも、レベルが高ければその限りではないが。 今回はある市の「書道協会展」、近代(現代)詩文書系の「個展」と「社中展」これだけ廻るのに70kmも車で走った。 「書道協会展」はある程度予想が付いて、その地区の先生や弟子達だからいろいろ。上手なものもあり‥‥自分の所属している部門以外のものを出品している等。 しかし、いろいろなレベルの人がいると言うのも良し悪しで、レベルが低い作品ばかり並べられると「本当に」ガックリ来る。 中に、近代詩文(調和体)も結構あった。詩文は初心者らしく小生としては、見るに堪えなかった。初心者、初心者。 Pentax*istD.DA21mmF3.2AL/Limited そこから4-50kmも走って次の会場。 「個展」。‥‥結構お年の先生。 近代詩文さすが上手い。条幅、漢字臨書これも中々良い。 漢字作品が上手いと、何故か近代詩文に力がない‥‥ 仕方がないか‥‥厳しく見て結構良い個展だった。 但し、へそ曲がりの小生としては‥‥ 雅印の印泥がみな同じ(赤黒系)‥‥、押方(鈐印・けんいん)が悪い。 二回押しでずれている。 なんてきりがない。 「社中展」‥‥大字書、少字数、近代詩文、臨書。近代詩文書系の書道の先生は、中々全て上手。 なかなか見ていた楽しい。 奥の方へ行くと、初心者の作品で‥‥ 学書の部類が続く。 余り参考にはならなかったが、久々良い展覧会だった。 ‥‥‥‥でも疲れた。

「書学を学ぶ人のために」についての考察

2006-06-24 23:38:30 | ちまたの噂・雑記事

「書学を学ぶ人のために」についての考察



「書学を学ぶ人のために」は、「書道美術新聞」に大野修作(元京都女子大学教授)氏が連載している記事である。
正直言って毎回読むごとに、文字を羅列しているものの、こんなことは一言で済むと思わせる憤懣物の内容である。
随筆ならそれなりに楽しく読むことも出来ようが、全く異なった思想で書論を述べられてはヘキヘキする。
大野修作氏は書家ではなく、「中文研究」「書学研究」者と言うことらしい。
ところで「書学」などと言うのも小生には聞き慣れない。何故かと言えば「書学」などというのは「中文」なのである。

さて、今回掲載のなかに‥‥尚()は小生が補筆した。
「書と学問」を特に話題にしている。
「(有名な書家といいながら)全く書を解さないような人たちがいつまでも横行するのは、書が社会的に持つ力が弱まっているからでもあるからでしょう。」
「書は常に学問とともに歩んできたという隠然たる事実」
「その規制力が衰退すると、美術だ造形だ、いや線だ空間だという力学が強まる傾向が日本にはありますが、書は、ことに中国においては、文字を、漢字で書くものでありました。要するに言葉から離れられないものであり、‥‥‥」





結構悪文なのだが、こんな調子で書かれると読む方が嫌になる。
その後いろいろな書名が出てくるのであるが、一般論的に書かれると何が何だか分からない。
そして、結論的なところに行き着く‥‥‥

「今日の日本の書は、私にはどこか痩せ細っているようにも見えるのですが、その原因として、書が支えていた学問性、文学性が欠落し、書家は造形性にのみ頼り、結果的に筆と線でのみ勝負しようとするところからきているのではないかという気がします。」

このように書いてしまうと「はあそうか」と思ってしまうのであるが、中国(支那china)の「書」に関する感覚と、日本での感覚の決定的な違いがあるのを忘れてはならない。
読売書法展で何年か前に中国で展覧会を開いたことがあった。
このとき、中国の書家は芸術的で綺麗であるが、評価しないといった。
即ち、中国での「書」は「教養」であって芸術ではない。だから一文字より多文字。出来れば沢山文字が書いてあれば、それだけ勉強したということで良い。しかも、所謂「展覧会の審査員の大先生」などは意味がなくて、有名な政治家など「肩書き」がないものは「紙くず」と同じと言うことらしい。

ところが、日本では「教養」の部分は「書写」として国語の一部として学び。高校の「芸術科」で「書道」として学ぶ。
「書道は勉強(教養)でなく芸術である」と戦後一環として主張してきたことで何とか現在も保ってきた。
「教養」であったならばとっくの昔に中国のように衰退したであろう。
「書が支えていた学問性、文学性が欠落し、‥‥」
‥‥とは言うが、戦前に教育を受けた人はともかく今「漢文」を、特に書作として書かれた「条幅」を簡単読める一般人がいるのか!ということである。
楷書で書かれれば、その素養のある人は多少読めたりもする。しかし、一般には無理である。
即ち、現代において「漢文」は言葉として、伝達能力を欠如した。‥失った。
と言わざるおえない。
その結果として、現在の書家の分類も純然たる「漢字部」という部門に属する人は益々減少傾向にあるし、実際展覧会でも減っている。
一方、高等学校の「書道科」としても第一に教える、「読める書」としての「調和体」「近代詩文」が、書としての中心となっている。
「書道」は元々中国から入ってきたものではあるが、既に日本国内で発展し本家中国とは全く別の道を歩んでいる。
書画全体をとってみても、戦乱に明け暮れた中国からの亡命知識人によってその粋を日本で吸収している。
未だ大陸的なものを見て今更「本家本元だ」、と思うのは間違いなのではないかと思う。

この大野修作氏は、若くして中国に留学し今「道教研究会」などに所属している。日本人でありながらDNAは「中国人」である。
当然ことながら、日本の書道を論じるのは「漢字」のみであって中国にない他の部門は全くの無視。
「かな」も「近代詩文」も眼中にない。
まして、「刻字」や「前衛」などというのは存在していないし書道とは認めていない。
もっとも、「前衛書道」を消えて無くなったと雑誌で公言する「伝統書」の書家がいるから、仕方がないかもしれない。
尚、読売書法展の「書法」も中文である。
日本の書家が中国へ訪問する訪問団に「秘書長」なる役職が存在することがある。
この「秘書長」なんて言葉も日本語ではなくて「中文」である。
こんなところでの朝貢は止めてもらいたいと思うのだが‥‥‥


(社)全日本書道連盟

2006-06-19 18:30:45 | ちまたの噂・雑記事
(社)全日本書道連盟の会報がきた。
今年2月16日の集まりや5月11日の総会なんかには中々出られそうもない。
そういえば、昨年(正)会員にアンケートがあってその結果が報告されている。
正会員2,287名回答は945名だから41%の回答率。
この回答の男女比は、約50%が女性‥‥しかし、実際書道は7-80%は女性の筈だから回答したのは男性ばかりと言うことになる。
そして、年齢は81%強が56歳以上。61歳以上で約70%。
なんだ「年寄りばかり」ではないかというのが普通の印象であろう。

まあしかし、小生もその末席につらなるとはいうものの「(社)全日本書道連盟」の正会員というハードルはかなり高い。




即ち、正会員資格は‥‥

1,毎日書道展   会員以上
2,読売書法展   評議員以上(旧幹事以上)
3,産経国際書展  審査会員以上 

となっている。
いわば、書道界ピラミッドのトップを形成する先生方で‥‥
まあ55歳以下でこの資格を得るには、相当の実力と努力が必要なわけで並ではないと言うことである。

通常総会についてみてみると‥‥
当日の出席者85名(内役員30名)‥なんだ役員ばかりではないか、委任状1,417名。合計1,502名で約65%‥計算上785名が委任状すら出していない。


それにしても奇異なのは、社団法人の「会報」の第一面に「中国書法家協会役員一覧」が掲載されていることだろう。