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書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

芸事の品格と愚痴ばかりの年度末

2008-03-23 23:36:44 | ちまたの噂・雑記事

相撲も朝青龍のように勝てばよいと思っているのではないかと、いろいろ見られた事があった。
日本の伝統芸術、相撲も含む昔からのものには、その技術は当然として、相撲には「相撲道」があるように「道」というお行儀と言うか、守るべきものがあったりする。

小生が絡む「書」の分野は、ピラミッド型をしていて頂点に近くなれば、それこそ名前を言っただけで直ぐに何処の誰だか分かる。
そこまで上り詰めるというのも大変だが、逆に言えば弟子を育てるという重要な役目がある。

今、展覧会出品するような「書」は芸術であって、「お稽古事ではない」ところに敷居の高さが断然と存在する。
だから、高校生までの書の授業、学生展と一般の書展との断絶があると言える。

弟子を育てるとは、そんな展覧会に出品させて、賞を取らせる、入選させるという事が第一歩である。
しかし、入賞、入選の影に当然選外、落選という作品も、人達もいて展覧会というものが成り立つ。
たとえば毎日書道展での入選率は50%。
要するに半分は落選する。
‥‥とすると、初心者はいつも落選という憂き目だが、それでは高い出品料を払って続くものではない。
それで、一番下のまずは市民展、県展入選から初め、それに入賞するようになれば中央展、毎日書道展なとに発展させる。
上に行けば、それだけレベルの高いものが要求されるために、弟子は苦労するというものだが、実は審査する指導者の方も苦労する。

時によって、作品の不出来と言うこともあり、それをもって全部を語ることが出来ないものの、さて賞が取れそうという時に、良い作品が出来てこないと始まらない部分が多い。

そんなこんなで、たとえば県展の委嘱作家(無鑑査)にまで15年(かなり早いほう)かけて挙げ、いざこれから頑張ってもらいたい‥‥と思ったところで止められると実に「痛い」。
なぜなら、それによって今までの苦労が「無」になるからだ。
それなら、別の人をもりたたて別の人に「賞」をやって‥‥と後悔する事も多い。

但し、年齢と言うこともあっても、書家というのは死ぬまで「書家」というのが常識だ。
そうでなければ、書家としての歴史には残らない。
単なる趣味で「書」をやっていたというレベルに留まると言うより、書家としての経歴を無にすることも意味する。
それは、止めて展覧会での地位から引いたところで、書家でなくなるからだ。

しかしまあ別に年がきたから、高年齢になったから止めるという人達もいるが、若い人を将来のを見越して育てても、結局途中で止めて何にもならないと言うことは、自分の師匠を見てみても良くあった事だった。

人間、物事をやり通せる人物というのは実は10人に一人としていない。
書とて、稽古にきて3ヶ月続く人はかなり希な方だ。
しかし、1年続けば3年続き。3年続けば10年続く。
そして、それ以上というのは続くのは、極本当に希な人物でしかない。

うちの会(書団)も3月で何人か止めた。
先ほど言った「幹部」に近い人達で、公募出品をしている人達でないから書団に属しなくても別にその地位が脅かされるわけではない。

まあ、仕方がないと言ってもこれで縁が切れるというのはむなしいものだ。


市民展の最高賞に栄誉

2008-02-23 23:26:40 | ちまたの噂・雑記事

今日は、市民展の会場当番だった。
展覧会の審査員になると展覧会の入り口の受付をやることがある。
以前は、審査会員になると会場当番が回ってきたこともあったが、何故かこの頃、県展なみに当番審査員がすることになったようだ。
書道の展覧会には数々あるが、市民展というのが第一の関門と当地では見られている。
実際のところは、書道、美術、写真と別れて2500点を超す出品がある。
このうち、500点近い公募出品点数と人数を誇る書道が大勢力を構成している。
今日は、その書道部門は、市民文化会館・大展示・小展示ホール・ロビィを使っての展示で、初めての週末。
900人近い参観者があった。

その中で、市長賞を受賞した人に偶然会った。
部門最高賞は、市民展賞、知事賞、市長賞。これを各部の内の3部門で持ち回り頂く。
だから、市民展賞、知事賞、市長賞と言っても、その部門の全て最高賞と言うことになる。

いずれにせよ、こういう最高賞をもらうというのは書の技術は当然言いながら、やはりチャンスというのがある。
それは、賞がもらえそうなときに、良い作品を出せるかという事につきる。
なんと言っても、そんな賞をもらうというのは一生に一回と言うことが多い。
何故なら、最高賞を貰わないうちに、無鑑査になって貰えなくなると言うことが多いからだ。
しかし、最高賞をとって無鑑査になるのと、そうでない人とは自ずから作品の質が違う。
だから、所属している書団としては将来を嘱望するということになる。
なんと言っても、上手な人がいない書団ほど惨めなことはないからだ。

こうして、市民展で特別賞を取るようになるほど上手くなると、県展で秀作、特選、特別賞を貰うようになる。
市民展で無鑑査になる頃には、中央展で入選、入賞して無鑑査にになり、県展でも賞を重ねる。
そうこうしているうちに、中央展で審査会員候補ぐらいになると、市民展で審査会員に推挙され、県展で委嘱作家に推挙。
後は、県展の委嘱大賞、中央展の大賞、準大賞など難関が待ち受ける。

これまでは、当番審査員を担当する小生などは何やら後押しが出来るが、その上クラスなるともっと上の重鎮審査員の審査だ。
正直言って、運任せというか、上手く書けたというものの「上」が必要なのは至難の業である。

そこのポイントが判るかどうかが境目だが、言葉で説明できないのが難しいものである。


福田首相・席上揮毫で無知を暴露

2007-12-31 22:46:47 | ちまたの噂・雑記事

「温故創新」とは、孔子生誕の地、山東省曲阜孔子廟で福田首相が席上揮毫(きごう)した文字だ。
これは、讀賣新聞総合第二面に写真入りで掲載されていた。
文字を見て、なんだこれはという酷いものだった。
産経新聞Web版で公開している中国人女性が書く、「きょうの言葉」。
内容は、書の分野で近代詩文というものだが、これが酷いものだと言うことは散々述べた。

何故なら、調和体という分野で標榜するなら、読売書法展でも間違いなく落選するような作品だからだ。
日展なら20000%入選はあり得ない。

さて、日本ではどこぞの地へ行って、そこで筆文字で文字を書いて置いてくると言うようなことをする習慣がない。
何故なら、そんな文字を書くというのは、一般には我々の様な「書家」という職業の人達が書き、又書道芸術として専門化しているからである。
しかし、中国では「書」は教養として受け入れられている。
何故かと言えば、元々科挙の制度が強かった中国では、高級官僚、政治家は科挙に及第した進士であって「書の名人」であることは当たり前だったからだ。

だから今でも中国共産党の幹部は、「書」をそこそこ笑われないくらいのところまで習って、中国の教養としての「書」を守っているのである。
だから、中国での常識として、優秀な政治家は「名筆」、文字が上手いということが当たり前になっている。
そこでだ‥‥福田首相が席上揮毫して「なんだこれは」と言うような「小学生が書いた様な筆文字」を書く。
これは、私は「馬鹿で教養がありません」と暴露しているようなものだ。

多分、この書を見た
中国共産党幹部は、「大笑い」したのだろうと想像が付く。

こんな席上揮毫というものは事前に予定に入っていたはず。
下手で書きたくなければ、止めればよいし「書く」なら立派な文字を書くべきだろう。

書家から言わせれば、例え下手でもでも書の神髄が判って入れは、下手なりにそこそこ書ける。
文字というものは、そう言うものである。
文字の形が綺麗なら上手い文字というものではないのである。


書道展表彰式の感慨

2007-12-19 00:43:00 | ちまたの噂・雑記事
群馬県書道展・表彰式
県書道展も表彰式、祝賀会で一つのピークを迎え、後は惰性で閉幕を待つのみである。
従って、我々などの事務局の人間としては、直前までこの準備に追われ又、表彰式、祝賀会の運営はその係の腕の見せ所である。
特に難しいのが、表彰式で如何に短時間にそして、軽々しくなく終わらせるかというのが問題だ。
実際、最高賞やその近くの賞を貰った人達は、何やらその感動に浸る期間というのは長くても長すぎることはない。
しかし、末端の賞を貰うと中々順番が来ない‥‥と、「賞」の優劣、上下をひしひしと感じるものだ。
実は、今度こそ少しでも前の席に、出来れば指定席の「カード」が置いてある席に。
もっと欲張れば、最前列のネームプレートが置いてある席にと欲望が広がる。
なんと言っても、その賞による「差別」の差と言うのは非常に大きい。
東京で開催される書道芸術院展などだと、公募だと準特選、無鑑査では特選以上でないと表彰式に出でも指定席がない。
審査会員候補以上の賞は、特別賞中の特別賞だから「鼻高々」で出席するが無鑑査特選(平特)というのは、末席だ。
無鑑査でも特選の上、院賞、毎日賞という特別賞はかなりの上席で、審査会員の峰雲賞、候補の書道芸術院大賞、準大賞、白雪紅梅賞と並ぶ。
展覧会の表彰式というのは、いつの世も残酷な現実をあからさまにするものだ。



実際、貰う方としてはいろいろな感慨があるとしても、式の時間の限度は約90分を予定している。
少しでも丁寧にすると、これが120分ぐらいになり列席者の我慢の限界に近づき、次の祝賀会へ食い込む。
大展覧会だと、授与する先生が一斉に並び「はい」というかけ声?と共に10人程度に渡すということもあった。

今回の県展では、いろいろと実例を考えて、賞を貰う人を前に出し、「呼名」で名前を読み上げて前に進んで賞状を貰う形式にした。
すると、「呼名」→壇上又前に出る→黙礼→黙礼→黙礼→賞状を読み上げる→授与→黙礼→退出という一連の作業が
「呼名」→授与→退出で終わる。
上位三賞くらいは、もっと丁寧で良いとも思うが、これは反省点。
しかし、これで65分(1時間5分)で終わった。
受賞者は、そのまま祝賀会へその感動を引き継ぐ事になるが、公募で賞をもらえる頃が一番楽しい。
誰だって、子供時代「特別賞」などもらう機会はないし、あってもただもらう人を見て別世界の事だと思っていたものだ。
我々審査して、「賞」を与える立場になるといろいろと感慨に耽るものだ。

書道・激安なお稽古ごとの子供料金

2007-12-16 23:59:05 | ちまたの噂・雑記事

お稽古ごとの内、安いというのは書道だろう。子供は書写といって手習いと言うことになる。
実際、書道という創作になってくると断然難しく、月謝も高くなるが精々5000~10000円。
ところが、芸術科でもピアノになるとジュニア専門で25000円位する。
その上作曲コースを取るとプラス5000~10000円。
マスタークラスになるとプラス15000円。
これだけで、約50000円。
マスタークラスは、東京、名古屋、大阪とかの主要都市しかないから、ここに通うのに地方だと10000円以上。
それで、残酷なことにピアニストになるのには、11歳程度で先が見え、そうであるならば音楽学校に行く必要もない。
そんな落伍者の子供達と言っても、音楽を聴いただけで初見でピアノが弾け、伴奏も付けられるレベルだ。
要は、才能だ。
即ち、ピアノが間違いなく弾けるというのは当たり前で、どのように自分なりに表現するかと言う段階に達している。
頭に描いたピアノの曲を、指、鍵盤を通して表現する。
これには、曲の弾き間違いなどあり得ない。
表現の差という、書道で言えば「大人の創作書道」の分野に小学生高学年で達しなければならない。
世界では、中学生程度でも頭角を現しているというのはこのことに達していると言うことだ。

欧米に始まる音楽という芸術の如何に残酷なことかなのである。

一方、日本の書は高校生までは、「書写」である。
当然、一般の書道展には高校生程度から出品できるところもあり、一概に言えないが、「一般レベル」とそうでないものとの差と言うものがある。
毎日書道展では、U23という区別があって一般とは区別しているところもある。

実は、書道言うのは大人になってからでもそこそこ上達することが多い。
しかし、大人になって「書」を習うという人達は、もともと字が上手かった人でなにがしかの才能を隠し持っている人がほとんどである。
一方、書家であっても「ペン字」はくせ字で読めないという大先生もいる。
そう言うくせ字というのは、不思議と筆を持って創作させると「面白い文字」を書くものである。

どんな部門でも「そこそこ」というところまでは行く、書でも筆文字で何やら書くと言うことまでは出来る。
しかし、創作書道では、それ以上の部分は「才能」だ。

芸術というのは、最終的にその人の才能に行き着くというのは、何やらむなしい部分がある。
但し、10000人に一人には成れなくとも、100人に一人くらいには誰でも成れるものだ。


第58回群馬県書道展・山崎種二記念特別賞

2007-12-10 00:36:43 | ちまたの噂・雑記事

第58回群馬県書道展・前期終了
平成19年度群馬県書道展が12月初頭より始まり、今日(9日)で前期展が終了した。
後期展は、13日よりと言うことになるが、県展で注目されることは、「山崎種二記念特別賞」を誰がもらうかという話題に尽きる。
今年は、平成12年丸橋鳴峰先生(第1部漢字)がもらって以来、7年目にして漢字部門の委員(審査会員)西川翠嵐先生に輝いたことは、新聞報道から見ても周知のところである。



山崎種二記念特別賞は、平成14年から「第2部かな」、「第3部墨象」、「第4部少字数・近代詩文」二年連続、「第2部かな」二年連続と続いた。
本来、山崎種二記念特別賞は、出品者全員を対象にしてその中から優秀なものを選ぶと言う趣旨だが、実際は委員(審査会員)から候補者が選考される。
それも、各部の意向があって、全部の委員から選ぶところと、当番審査員になった委員から選ぶというかなり恣意的で、一部の委員しか対象になり得ないという候補者選考をしている部も存在している。
だから、実を言うと今年と昨年の山崎種二記念特別賞の候補者は、昨年受賞した「第二部かな」以外変わっていない。
ある先生に言わせれば、選考する側として昨年その作風が「好きではない」として選考しなかった作者の「作品」を翌年も出してきて、これでどうかというのも「つらいものがある」のではないかと述べていた。
だから、新しい傾向の作品が出で来るとすんなりそれに決まるという事もある。
そして、昨年と今年は作品の大きさが小さい。
その理由は、群馬県美術館がアスベスト問題で使えないと言うことである。
だから2年間は、昨年の県民会館、今年の前橋市民文化会館、県生涯学習センターと3会場、前後期で2,700点弱(公募2,000点)を展示する面倒な事になっている。
これでは、多様性に限界があるというものだろう。
それでは、山崎種二記念特別賞が発足して、24回の内部門別はと見てみれば、‥‥
第1部漢字‥‥    7回
第2部かな‥‥   10回
第3部墨像‥‥    4回
第4部少字数近代詩文‥3回
第5部篆刻‥‥‥‥‥‥0回
と言ったもので、決して漢字部門が少ないというものではない。
この様に見てみれば、今年は第3部の墨像でもおかしくはなかった現状だが、今年は漢字部門の水谷龍雲会長が漢字部門に欲しいと交渉したという噂もあった。
しかし、第3部はいつも同じ二社中からの候補で、同じ人が5年近く連続で候補に出して受賞できないというのは問題だろう。
一般論として、3回候補で出て受賞できなければ候補にしない程度事は必要ではないか。
特に、20回以上も候補として出して一回も受賞者がいないという社中は、候補になることを控えたらどうかとも思う。
又どう考えても、一般に受け入れられない作品を、運営委員・当番審査員という地位を利用して他の候補を排除してまで出すと言うことは、常を逸している。

まあ、それは兎も角も、西川先生は昨年も候補であって、二年連続候補は「受賞出来ない」というジンクスを破って受賞した。
もとよりここ一年、書道芸術院展・準大賞、毎日書道展・毎日賞とのりにのっている先生のことで、委員就任2年目で「山崎種二記念特別賞」とは多分快挙であろう。
「受賞」というのは、実力と運が必要で、共に揃った時大きな賞を頂く。

小生も、県展では委員(審査会員)になって何年になるのか忘れてしまった。
多分10年は越えている事は覚えているが、詳しくは?、メモを見ないと‥‥

某先生に言わせると、今度から「西川」先輩と言わなければならないとは笑い話だか、世の中いろいろとあるものだ。
但し、小生がもし大きな賞でももらったりすれば、実は「悩みが大きい」という事も大きな事実である。
書道界と言うところは、いろいろとシガラミがあるところなのである。
「賞」という、面倒なことには巻き込まれたくない。
一方、貰ってみたい気もすると言う妙なものだ。
実は、何も賞などもらわない方が平穏無事で良いのかも知れないとこの頃思うものである。


講演会「種谷扇舟の人と書」千葉県立美術館

2007-11-24 11:30:19 | ちまたの噂・雑記事

今日は、朝から千葉県立美術館へ出かけた。
何かと言えば、「田宮文平」氏による講演会「種谷扇舟の人と書」、そしてその種谷扇舟の遺墨展が千葉県立美術館の企画展で行われた。
ついでに言えば、祝賀のレセプションがホテルで行われたから、帰ってきたのは夜中の11時(23時)だ。
以前、千葉くらいだから車で行こうと思っていたが、遅くなるので
JRにした。
京葉線から見たら、湾岸道路は大渋滞だった。
浜ではTDLへ行くために車内がガラガラになったほどだ。
考えてみれば、今日は3連休の初日だった。
さて、故種谷扇舟先生の遺墨展‥‥
千葉県立美術館企画展「種谷扇舟」の内覧会で見てきた。
書道評論家の田宮文平氏によれば、公的な美術館の企画展に書道家が出るのは非常に珍しいのだそうな。
そして、意義があることで、美術史にかならず残ると大絶賛だった。
考えてみれば、美術館主催の企画展(入館料がいる)に書家の作品展があるというのは現代作家ではほとんどいないと言うのが本当だろう。
事実、小生の郷土に、どんなに偉大な作家がいたとしても「企画展」で行われたことがない。
千葉では、故種谷扇舟先生という書家が如何に偉大で、その上観覧者が多く訪れるとの予想の元にしか行われないものだろう。


一方群馬の県立近代美術館で有名な絵画の「画家」の企画展が行われても、結構閑古鳥が鳴いていることもあるから、そんなのだったら書家の方もやれ、と言いたくなる。
「種谷扇舟」展の作品は、ほとんど晩年の作だ。
だから、大方1990年代後半の作と言っていいかも知れない。
臨書作品の展示はあまりなく、見て分かる臨書作品などは驚嘆に値するが、晩年の作は何やら「感謝」とかが多くてどうも我々にはなじまない感じがする。
毎日書道展の時の金子鴎亭先生の書作展くらい、もう少し、若い頃からの作をとも思ったが、そんなことをするなら新国立美術館のフロア半分くらい必要だろう。
展示する作品を選ぶ選者の苦労が忍ばれることがひしひしと感じられるものだった。
書作品の他、愛用の品々の展示もあり、雅印があった。
中に、二世中村蘭台(日本芸術院賞)作のものがあったのには驚いた。

その他、良く使用された黒光りしていた竹根印も彫りが深くて、素晴らしかった。
近年、雅印は日展系の面白くもないものが多くて、こういう素晴らしいものを見ると何やらホットするものである。

書が判らなくても、印だけでも必見の遺墨展だった。


銀座セントラル美術館での書展

2007-10-08 01:06:12 | ちまたの噂・雑記事
10月は芸術の季節‥‥とはいうものの銀座2丁目のITO-YA、ティファニー店の並びのセントラル美術館・銀座画廊美術館に行ってきた。
10月初めからここでは5書展(5.8階)が行われていて、その3つは小生に関連するものであった。
中でも最大なのが5階の書道芸術院秋期展((財)書道芸術院主催)。
その他、8階で61周年記念巡回展、馨香会展など。
今回、秋期展から秋季菊花賞という2月東京都美術館で行われる、院展・審査会員候補・白雪紅梅賞に準じる(同等)賞が与えられることとなった。
入選率25%、またそのうちから9人ほどがこの賞をもらった。
うちの方からは、1名入選だったが
秋季菊花賞までは無理かなというところだった。
それだけ、そこそこ作品の質は高かった気がする。
逆に言えば、部門によっては同じ傾向の作品が賞をもらったと言うところではないか。
財団常任理事の辻本先生によると、本展での賞には限りがあって、審査会員になれない人が続出しいるため門戸を広げる旨の発言があった。



本展での大賞、準大賞は当然のことそして、
白雪紅梅賞という賞も誰でもが受賞出来るものではない狭き門であることは今でも同じ。
しかも、
白雪紅梅賞にしろ審査会員になるためには2回の受賞が必要だった。
それで、以前から秋期展で、大作(2×4M)入選(
白雪紅梅賞同等)などをしてきたが、作品の大きさからいって出品者に限界がある。
今回から年に2回のチャンスが生まれたとはいうものの、春の全力を尽くしての毎日書道展作品制作をこなし、その陳列終了と共に秋期展作品制作締め切りと言うのも、結構きついことになりそうではある。
特に、
審査会員候補レベルだと「毎日」も公募で一喜一憂の後、そして関東近県だと陳列手伝いなどに駆り出される。
中々、テンションを高めて書くというのは難しい。
小生など、今年から秋期展運営委員を外れたから、9月末に右往左往しなくて済み、不思議と書作が出来たことは喜ばしかった。
特に、都美の第60回記念展(院展)で「第一室」という栄誉を戴いて、今年は秋期展出品かと思ったが、
秋季菊花賞のお陰で提示スペースが減って「依頼」が来なかったのは幸いだった。
なぜなら、今年の毎日書道展では、陳列チーフで参加して1ヶ月も陳列に関わったために「バテ」てしまったからだ。
そのために、巡回展作品は、「お疲れ」という作品になり、こういう秋期展という「わっと」やる時に「驚かせる」作品などを書くべくもないからだった。
そして、そんな力の入っていない作品だと、‥‥‥何やら言われるのが落ちだからでもある。



実は、そんな「自分の作品が出品していないときこそ、他人の作品の批判、批評が出来る」とは香川先生の言だ。
今回、それに従って
秋季菊花賞を受賞した作家(審査会員候補)にいろいろと問いただし、多少批判を加えてあげたが、まだ師匠離れもしていない書作家には酷だったかとおもった。
東北の田舎からで出来て、多少イントネーションも違うから、都会の厳しさも良かったのではとも今では思う。

結果、感じたことはやはり審査会員との開きはかなりあると言うことだった。


それにしても本人、小生の名前を言っても知らなかったからどう思ったのでしょうね。
お節介な変なジジィと思ったでしょうかね。
次の本展の当番審査員に名前を連ねているのだけれど。

毎日書道展が始まった‥比べ「きょうの言葉」の文字の酷さ

2007-07-08 23:13:02 | ちまたの噂・雑記事

今日から、毎日書道展が始まった。
8日からの約二週間は、東京都美術館で北陸の富山や東北の仙台、北海道など全国の入選、会員の作品が展示されいている。
又、11日からは、国立新美術館全館で約一ヶ月間である。
実は、7日朝から東京都美術館に陳列に行ってきた。
陳列には、陳列部長→陳列部長補佐→副部長→→→全棟調整チーフ→→チーフ→(陳列部委員)→→団体のお手伝い。
との段階があり、小生はチーフの部分である。
こんな長丁場の陳列は、上に行けば行くほど何日も休む暇がない。
その上、陳列チームの一部屋を任されても、会員、会友・入選の陳列は全然違うから、一部屋目で要領を掴むまでは中々時間がかがってしまう。
それにしても、今年から毎日展も正に全国展になった。
昨年までは、東京では東京展といって、関東の会友・入選、会員の作品だけだった。‥‥審査会員と入賞は全国へまわるが。
ところが、今回は一旦全部の作品が展示される。
それにしても、どうなることか。
10日の新美術館の陳列を見て感想を述べよう。

いずれにせよ、地方展で飾られる作品が見られたのは中々意義が大きい。地方に特徴があって、面白いのだ。

それにしても、産経新聞Web版で公開しいてる「きょうの言葉」文字
あまりに下手すぎて、毎日展入選作品を見てもあんな程度のものは一点もなかった。

中国人には、習わない「かな」。
「漢字仮名交じり文」という日本特有の文字形態を書かせるというのがそもそもの間違いだ。

書いてある、近代詩文という書道の分野は、ある程度ルールが決まっている。
絶対にいけないことは、「読めない」ということだ。
出来れば、小学生にも読める必要がある。
まして、漢字とかなの区別がつかないようなものは、日展でも、読売書法展でも落選だ。

もっとも、中国では人に見せる書道というものは行わないから、‥‥教養としての書。
人に見せる書の‥‥芸術としての書とは相容れない。
もともと、書に関する感覚も違うからどうしようもないものだ。


「中島邑水生誕百年記念展」成田山書道美術館

2007-06-11 07:43:58 | ちまたの噂・雑記事

「中島邑水生誕百年記念展」を成田山書道美術館に見に行った。
成田市も成田空港へは何度か行ったことがあるが、成田市の市街地に足を踏み入れたことは初めてだ。
今回、成田山書道美術館集合と言うことで、どうも東京などの都会とは勝手が違うかなとの印象があった。
それで、車で行くことにした。
要するに、ものぐさでカーナビに行き場所を設定して只それに従ってゆくだけである。
但し、このカーナビは言うことを聞かない、常に距離優先だから東京都内の首都高速渋滞の真っ直中へつっこむ設定になる。
それで、経由地を設定して行きたいルートを走らせるわけだが、うっかりすると首都高や高速を下りて又入る設定になったりする。
それは、実に気持ちが悪いもので、高速から「下りろ」の指示で「出口」を設定して突然ルートが消えてしまうのである。
それでも兎に角、成田山書道美術館の周辺までたどり着いた。

ここからが問題だった。
成田山書道美術館の入り口が見つからないのだ、当然成田山書道美術館の駐車場など影も形もない。
お陰で、成田高校の野球場などあちこちを見ることになった。
結局、成田山書道美術館に電話して入り口を見つけたが、これだけで20分もかかった。
実を言えば、カーナビが最短距離と言うことで、裏道を案内したのである。
もっとも、裏道でなくとも分からなかったと思うが。

「中島邑水生誕百年記念展」この展覧会は、「その関係者の書」をも含めているので、成田山でしかできないものであった。
それは、成田山書道美術館に収蔵してある明治、大正、昭和の高名な書家の作品を展示できるからである。
1階の展示室には、その中島邑水ゆかりの物故作家の作品が展示され、2階に中島邑水の作品が展示されていた。
中心は、武蔵野市の美術館の収蔵品である。

いつも、この様な偉大な先生の遺墨を見る時、昨年の川崎先生の時と同様な感慨に耽る。
又全くもって、ふがいなく思う。
それは、いま我々が勉強し、又悩んで作品を制作していることを、先人たる「先生方」が既に全てやり尽くしていると言う事実である。
はっきり言えば、中島邑水翁がやってきたことのほんの一部を参考にして、その小さな一部に迫ろうとしているに過ぎない。

当然、その「重箱の隅をつつく」ような作品の作り方は、それなりに精緻を極めることもあるが、大方は成功しない。

従って、マロウト インターナショナルホテル成田で行われたレセプションで書道評論家の田宮文平先生が述べことが、思い出してみると「なるほど・なるほど」と思わせるものがある。
それは、中島邑水先生がやってきたことが、現代の書家に脈々と受け継がれていると述べたことだ。

よく言えば、そのよう、悪く言えば「進歩がない」だ。
但し、書道というのは、「宗教文明文化」と言われるように、先人達の「物まね」をして継承しようとする。
だから「伝統書」などの言葉もある。
逆に言えば、教わる「師」「師匠」が存在しない書家はロクでもないと言うことに繋がる。
だから、書家には「誰先生の弟子」というのは、書家である以上一生つきまとい、「先生の文字」に似ているというのは、最高の誉め言葉である。

みれは、現在の中島邑水先生門下の先生方のうちの高名な書家の先生の作は、中島邑水先生の色々なパターンの書を上手に継承している。

実は、9日-10日とその作品展に合わせて書道の勉強会であった。
小生も、毎日書道展作品後、県展、巡回展のための習作を出してみたものの、お恥ずかしいものだった。

今の時期、毎日書道展の審査、陳列を6月末、7月に控えてあわただしい中で行われた。
7月初めから今年は、陳列のチーフとして、東京都美術館、新国立美術館と日参の様に出かけなければならない。

そのため、8月の青森の単位認定講習会は欠席とすることにした。
単位は、審査会員には認定されないのだが、新しい試みを発見するのには役立つ。
何やら思案のどころだが、もう申し込みの締め切りが来たかなと、思ったりもする。

それて、今日は土砂降りの雨だった。
多少止んで来たので出発してきたが、雨の中良く「飛ばす」車があることよ。
旧式の舗装の部分で水が多少溜まっているところは、結構ハンドルを取られるものだ。
別に怖いほどではないが。