ゴルフは、アマとプロの違いはあっても、高校生でも互角に戦える。
しかし、書道の世界では18歳を過ぎないと、まともに「書歴」になど書ける書歴など存在しないのが本当のことだ。
地方の公募展の県展や市民展などは、義務教育終了で高校生でも出せるが、精々入選止まりだ。
例えば、今度の毎日書道展では、
一般公募 満24歳(平成19年4月1日現在)以上
U23 満18歳以上満23歳以下(平成19年4月1日現在)
としっかり分けて公募している。
では、18歳以下はどうかと言えば
国際高校生選抜書展(書の甲子園)‥‥ <WBR>(財)毎日書道会
全日本学生書道展‥‥‥‥‥‥‥‥‥全日本学生書道連盟・(財)書道芸術院
全日本高校・大学生書道展‥‥(社)日本書芸院
などの全国的な展覧会がある。
小さいときから英才教育と言っても、もしそうなら全国規模の書道展に出品しているのが普通だ。
全国優勝でもすれば100%一芸入試で大学に入れる。
そうして、大学に入ってから卒業するまでプラスで5年間は、「U23」で優遇して出品できる。
但し、「公募」「会友」作家になって、賞を取らないと会員になれない。
言うなれば、書道において23歳までの書道実績は「書歴」と書くのは良いとしても、実績にカウントされない。
早い話、ゴルフで言えば、23歳・24歳を境としてプロとアマの違いが出るようなものだ。
近年の若い書家が小さいときの書歴を書歴としても、ゴルフ感覚でいえば、アマ時代の経歴を披露しているようなもので、何の意味もないと言う事が判る。
そして、書の場合の決定的な違いは、出品作品は創作作品であることだ。
出品規定には、「臨書作品」でも良いことになっている。しかし、臨書と言っても創作的な臨書でなければ、100%落選と思って間違いない。
上手書ければ、入選、入賞する高校生の書道展とは訳が違う。
上手く書けて、当たり前の世界だ。
書の評価基準が一段と高いと言うのが、一般の全国規模の公募展だ。
今日の夜中の九時に携帯電話から、毎日の……だがと電話がかかってきた。
大体こんな電話は、書道雑誌に掲載するための、毎日を騙(かた)る出版社に違いがない。
そうと思って、聞き返すと「毎日書道会」という。今時‥‥、何やらの「役目」の話か何かかな!!
中々話が見えてこない。
その内、振り込んだ、郵便振り込みの控えをFAXしろという。何??
そういえば、59回展の郵送締め切りが今日11日だった。
公募まくり搬入は、来週だ。
社中の書団の金の振り込みは、11日期限。
何故だか判らぬが、一応振り込んだ控えをFAXした。
去年から「まくり搬入」だから結構面倒なのだよ。
元々表具屋でまとめて搬入していたからねぇ。
一年経てば、皆忘れてしまう。
昨年は、振り込み控えを送らなかった気がする。
我々などの役員作品は、まくり搬入ではないからと言っても、そういえば20日には、表具屋に持って行った。
第59回毎日書道展は7月上旬から8月上旬の1か月。
上野の東京都美術館全館を10日間。
六本木の国立新美術館を1か月借り切って行う日本国内最大の書道展だ。
もともと毎日書道展から分離独立した、「本格の輝き」を自称する第24回読売書法展は、大規模書道展と銘打っているが、国立新美術館は半分の日程。
サンシャインシティ文化会館も昨年と同じ。
結局、毎日の半分しか展示できない寂しいものに落ち着いた。結局これが実態なのだろう。
もっとも、国立新美術館を1か月全館切りきるのは、毎日展と日展しかいない。
どこも財政的にきついのと、出品者難にあえいでるのだろうと思う。
その上、マスコミが世界的な書道家と持ち上げれば、それで通ってしまう世の中だ。
但し、普通「書家」と堂々と名乗れる人は少ない。
何故なら、それなりの肩書きを持たないと「書道家」と見なされないのである。
ならば、肩書きを付ければ良いではないかと「学歴詐称」、役職偽装たとえば○○大学講師などやりたい放題だ。
但し、有名になるとこれは直ぐにばれるから今度は、展覧会入賞とかの入賞歴を詐称する。
所属団体も勝手に作って、理事長や会長、役員を自称すれはそれなりに箔がつくというものだ。
展覧会入賞も実は、結構きめ細かい情報は共有されているから「架空」でない限り追跡される。
そこで、全国書道展最高賞など自称する。
(全国書道展という展覧会は存在せず)
ところが、「全国学生書道展」などと言う展覧会は上野の東京都美術館で8月に開催される伝統のあるものから、そのた同様な名称のものが多い。
一方、読売女流展入賞、毎日書道展入賞、朝日書道展入賞、読売書法展入賞、熊日書道展入賞とあっても、
読売女流展や朝日書道展などの中央公募展など聞いたことがない。
(朝日新聞は公募展をしていない。)
まして、毎日書道展入賞と読売書法展入賞の全く異なる展覧会の入賞は非常に奇異なのだ。
もともと毎日書道展から1984年に読売書法展が別れたのであるから両方の入賞は考えられなくもない。
しかし、書の世界の師匠の系列というのはそんなに甘いものではないのだ。
何故なら、毎日書道展も読売書法展も下部組織の公募書団体の実績の上に成り立つもので、いきなり毎日書道展、読売書法展の入賞などと言うことは100%あり得ない。
最末端の公募団体で賞を取り、役員作家となり、さらに上の公募展に出品するのが本来の道なのだ。
そして、実際「書道家」として本当に認められる存在なのかと言うことを確かめる目安の一つは、
(社)全日本書道連盟・正会員であるかどうかだろう。
何故なら、正会員は毎日書道展では会員以上、読売書法展では幹事以上、産経国際書展では審査会員以上と決まっているからだ。
そして、所属団体も毎日や読売の出品団体になっているか否かでその存在の有無が確認出来るのだ。
ある書家の紹介を見ると、○○大学講師、○○大学文学部卒とある。
それで○○書道会主宰、雑誌○○編集主幹。
誰もが「すごい先生だね」と思う。
しかし、あまりの超有名私立大学の講師、卒業を書くから何かあると睨んでみたら、どうも学歴詐称のようなのだ。
第一、○○大学に書道の講座はないし、書道新聞で公表されている「書道」に関する、講師、非常勤講師を含めて、この先生の名前が無い。
当然、○○大学の名前も出で来ない。
○○大学文学部卒も色々な方面から調べてみると、「通信教育部」だと言うことが分かった。
通信でも結構卒業するのは大変で、それなりに勉学は必要とされるが、卒業生を調べるツテがない。
そして、無試験で受講できる「通信」を一般の「○○大学文学部卒」と書くのも実は学歴詐称にあたる。
確か、国会議員でも卒業していないのに「卒業」と書いて失職した議員がいた。
昔から、中退なのに「卒業」と履歴書を書いて免職になった公務員や会社員に枚挙がない。
ところが、書家の世界では「○○大学文学部卒」と書こうが、○○大学講師と書こうがお咎めなしなのだ。
そして、みんなが「あれはインチキだ」と分かっていても黙っている。
それでいて、そのハッタリが通用して「出世」をしてしまうような世界だ。
なんと言っても、書の実績もないし、師匠について書を研鑽したこともない「書家」と称する人が、マスコミに取り上げられて一躍「大書家」、大先生。
我々のような、展覧会の階段を何十年もかけて上り詰めてゆくような「書家」から見ると‥‥底の浅いのがまじまじ分かると言うものだが、一般人は全く分からぬ「味噌もクソの一緒」という状態になっている。
実は、書道界など互いの見栄の張り合いの世界なのだ。
そして、書家と言われる女性は、「実は良いところの『奥様』」であるという暗黙の了解があるのだ。
‥‥為近氏が電子顕微鏡写真なども持ち出して解説している。
あまり詳しくは述べないが、丁度中学校の化学研究のようだから笑ってしまう。
なぜ笑ってしまうのかと言えば次の2点だ。
即ち、墨のニジミの原理は「ペーパークロマト」の原理そのままであることだ。
このペーパークロマトグラフィの原理ならどこかの教科書に書いてあるし、詳細な研究も「日本化学会誌」に出ていたような気がする。但し、お話として。
次に、市販の農墨液(墨滴)を用いてニジミを研究したり、利用したりする書家は皆無だと言うことである。
以上のことから、研究は無駄だったと一言で片付けられる事柄である。
そして、書家は古今東西良い墨色を出すために、紙のニカワ分の分解した古い寝かせた紙を求める。
同じくニカワが分解して良い墨色が出る古墨を珍重する。
本来、紙にも墨にも展着材としての役目以外必要がないニカワというものは、一端ニジミという事になったら無用の長物になる。
為近氏も薄墨にニカワを入れて確かめている通り、ニカワを入れることによって墨の汚い部分もニカワによって運ばれてしまう。
数々の実験も所詮ニカワ分の量に関係すると思うと、別に実験しなくても「直感」でわかる実験だった。
但し、このようなミクロに世界ではマクロの世界で起こりえないこともあり得る。
実は、研究を宿墨による淡墨でやっていただければ大変参考になったろう。
実際の墨色を出すキャリアと、汚い墨色の部分を紙の内部に押し留ませる重金属の存在などいろいろと研究の余地があったろうにと思う。
墨のニジミの研究?、実験?
筆者は別にやる必要はない。
なぜなら原理が分かっているからわざわざ分析する必要がないのだ。
書家というと、色々勉強して一生懸命「書」を研究して‥‥最善の作を展覧会に出品する。‥‥‥と思うだろうがそうではない。
そのように出来る事が理想だが、実は展覧会の合間に書作品を忙しく製作していると言うのが実態だ。
今年も、毎日書道展の陳列の委員の役が回ってきた。こんどは、8月6日まで7回掛け替えをする。
‥‥と言うことは、7月~8月に掛けて7日も六本木や上野に出て行く可能性がある。
現に、昨日県展が終了し今日は自身の残務整理だ。
そんなので疲れて何も出来ない一日。
そして、明日は市民展の搬出。
3月1日は上毛書道三十人展の搬入だ。これが、7日まで。
これは、福沢さんを10枚以上も使った展覧会だ。
家族も会場に呼んで鑑賞させなければ‥‥‥‥‥
一方、25日は、ある書家の個展祝賀会だった。
凡そ400人弱を呼んだ盛大な祝賀会だった。
こういう祝賀会に呼ばれるというのも「名誉」なのだが、「宴会」「レセプション」続きとなるとヘキヘキする。
それに、一回ごとに福沢さんに羽が生えて飛んで行くとなると収入は大丈夫かと心配になる。
来賓は、東京から「毎日関係で数人をよんだ」様で毎日展関係と紹介した。
しかし、県展関係に毎日展の(財団)役員がいるのに、役員でもない審査会員を紹介して財団役員を紹介しないというのは、やはり「社中」の手落ちだろう。
この祝賀会は中々盛大で良かったのだが、色々な面で「主催者」本人ではなく「何も知らない」社中の人に任せた感が多々あった感じがする。
それは、先の来賓紹介だけではなく、席次の件もある。
小生の隣は、某書作家の息子でまあ県下の書壇では有名人。
この書家は教員だから隣の教員と話があって‥‥‥だが、小生とは顔を見たことがある程度だから‥‥
一方左側の女性書家は全く初めて見る顔。
どうもこの地域に連なる書家らしいと「雅号」から推察できるが、県展じゃ見かけないなぁ~~。
県展の審査委員、委嘱作家(無鑑査)は全部キャプションを作っているから分かりそうなものだかねぇ~~
まあ、他の席を見ても同じようなもの。いつもの社中で並んで座る人々があちこちバラバラに座っている。
それにしても、この席はどの様に決めたのか全く疑問だ。
以前の、毎日展会員賞受賞パーティではそんなことはなかった様な気がしたから、異様なのだよね。
県の書道展には今まで県知事が出席したことがない。
市長クラスになると以前、高崎市長が出席したことがあったかな?という程度である。
報道関係とにると、群馬テレビの社長が何年かおき。他の新聞社の出席は、10年に1回とかのものだろう。
県書道展・表彰式会場
それが今年は、なぜか報道関係としてNHKの放送部長(地方)が出席した。
多分初めてだろう。
出席となると、授与者で前の来賓席になる。
今年も、授与方式は古典的な方法で1時間30分以上掛かってしまった。
即ち、賞名を読み上げ、授与者の位置に着くのを見て。
受賞者の名前を呼び、全員が前に出てきたところで1名ずつ「名前」を読んで授与。
最初が全文、次が名前、以下同文である。
これが、もう少し簡略化されると、檀があると下で順番を待ち、呼名されると壇上に上がってまとめて授与。
もっと簡略化されると、呼名をすると「はい」と進みでで授与。
‥この場合授与側は名前をも呼ばない。
但し、ここまで来るとありがたみがないねぇ。
書道芸術院表彰式会場・帝国ホテル
そんなこんなで、表彰式も1時間経過して特別賞の下位、報道関係賞となった。
ほんとここまで来るとだんだん疲れてくる。
早く終わりにして、というのも本当だが、上位受賞者は感慨に耽る時間が延びて良いのも確か。
ここで、来賓としては珍しく開式後に到着した「NHKの放送部長」の賞状授与の時、妙なことが起こった。
それは突然前触れもなく、授与の前に2分ばかり話させてくれと言い出し、5分以上も何やらスピーチするハプニングだった。
その中身は、「他の報道関係の人は誰も来ていないのはどういう訳か」という一語のみ残った内容だからたいした事でない。
なあに、NHKだって来たことはなかったのに「何を言っているのか」と思うものである。
本来なら、事前に主催者側に「スピーチ」を連絡するとか。
そうでなければ、表彰式では出来なかったのだから、祝賀会でと言う手もある。
しかし、予期せぬ「スピーチ」は全く「失礼千万」の事だろう。
その上「何やら分からぬことやら、妙な感想だから始末が悪い」
穿った見方をすれば、NHKの部長(元ディレクターと言っていた。)は随分偉いのだなぁと言うことだ。
書道展・常識・非常識/表彰式、祝賀会編
今日で、今月3度目の表彰式、祝賀会だった。
こういう表彰式や祝賀会というものは、「日常」ではない。
だから日常と同じような服装で参加してしまうと非常に場違いな感じとなる。
丁度結婚式に普段着で参加するようなものだ。
結婚式に、普段着で参加すれば場違いだけでなく「失礼」「バカにしている」と捉えられても不思議はない。
だからこの点、書道展は昔から「最高賞・グランプリ」、「特別賞・特選」に相当する女性は「和服」というのが通り相場だ。
今日は「先勝」というのに、結婚式の披露宴が午後からあったから、その参列者と区別がつかない感じもあった。
では「晴れ着!!」これが決まりか?と言えばそうでもない。
要するに、服装も個性でありその人なり服装で結構だ。
しかし、周りが華やかな装いをしているときに、一人だけ「普段着の類」では受賞を喜んでいない風にも見えるのである。
だから、ここ何年か山崎種二記念特別賞の女性(先生)は着物か又は、それなりの洋装だった。当然今回の第57回展の受賞者も着物だ。
しかし、委嘱大賞の女性9名のうち着物が7名だった。
こうなると、着物以外の女性がやたらと「みすぼらしく」見えるから不思議なものだ。
特に、1人の受賞者が地味、もう一人が何やら街着に近いものだったからそう思った。
これは、筆者の主観だし、男性は溝鼠ルックだから見るに値しないというところである。
やはり「ハレ」の場所には「ハレ」の着物は必然だろう。
実は、「地味」な方は「着物??」と暗に言われていたのだ。
ここで断っておくと、県書道展で山崎種二記念特別賞や委嘱大賞という審査委員、委嘱作家の賞は「最高賞・グランプリ」ではない。
「最高賞・グランプリ」は、受賞者代表として謝辞を述べる賞を貰った賞である。
だから、県展なら公募の県知事賞が「最高賞・グランプリ」である。
当然、表彰式での「授与」の順番は
知事賞が最初。
最後に委嘱大賞、山崎種二記念特別賞である。
筆者も昔委嘱大賞(準)を戴いた時、一番前に座っていながら最後に授与されると言うのに奇異に思ったものだ。
しかし、公募展とくに県展、市民展など公官庁が絡むときは公募最高賞がグランプリである。
即ち、審査委員、委嘱作家の賞などと言うものは、付け足しの賞なのである。
ならば、毎日書道展や書道芸術院展などはどうかというと、審査会員、会員(審査会員候補)、無鑑査、公募の順である。
なぜそうなのかと言えば、出品作品の大きさで判断することが出来る。
たとえば県展では、公募は一時期畳一畳分(90×180)だった。一方審査委員、委嘱作家は1.1m2以内、即ち公募の半分だ。(今は会場の都合で全体に小さくなっている。)
同様に、市民展では、無鑑査では公募の半分程度、審査委員は又その半分だ。
一方、書道芸術院展では、審査会員、審査会員候補は毎日展公募寸法(60×180、その他)。無鑑査は、半切程度。公募はさらにその約半分だ。
だから、賞の授与の順番は審査会員‥「峰雲賞」、審査会員候補‥「書道芸術院大賞」「同準大賞」「白雪紅梅(旧中村)賞」、無鑑査‥「院賞」「毎日賞」「特選」「秀作賞」、公募‥「準特選」「佳作」「褒状」「入選」となる。
そして、受賞者代表は、「書道芸術院大賞」受賞者1名だ。
要するに、地方の官展は「素人」を相手にするのに対して、中央の書展は「プロ」を相手にするという大きな違いがあると思われるのである。
ところが、どうもこれを混同する先生がいるらしい。
今日の祝賀会の受賞者の言葉の順番が
山崎 → 委嘱大賞 → 知事賞の順番だった。
おまけに、トップの山崎賞の先生が長々と述べるものだから、正直言って「白けてしまった」。
既に、指導者としての「先生」だから「一言」でいいのだ。
苦労話は、「自身の受賞祝賀会」でしてくれと思ったものだ。
書道展事務局員の憂鬱
書道展の表彰式と祝賀会が過ぎれば後は、終了と搬出を待つばかりとなって峠が過ぎたといえる。
要するに、どんな書道展にとっても表彰式と祝賀会の準備が大問題なのである。
まず表彰式に係るのは、式次第である。
式次第も以前の順番を踏襲するから、審査部長や受賞者代表その他、特に県書道展の場合、県、市側のお偉いさんの出欠によって授与者の入れ替わりがある位である。
そして、その授与者と賞の順番に従って「呼名名簿」という受賞者名簿が作られる。
一方出席者、授与者によって表彰式の席次が決まり出欠と肩書きを確認して一覧表を作る。
そして、その流れは祝賀会の進行表、席次、席表と移る。
ここから後は、表彰部、祝賀会担当部署へ責任は移るがそれまでの設定は全て「事務局」で行うことになる。
‥‥‥と言うことは、賞状揮毫を依頼した先生から賞状を受領して、点検。
間違いは、書き直しを依頼、と言うことになる。しかし、ほとんど時間の猶予がないから、事務局員で書き直しである。
近年は、ひな形のコピーを渡すために不統一‥‥知事賞で知事名だけとかいろいろがあったが、今はない。
一方、賞の原簿に略字を使われると、略字で賞状に名前が記されることになり、点検でこれは書き直しとなる。
表彰式の式次第も、出席者がいつも通りなら問題はない。しかし、いつも欠席の報道関係者が出席と言うこともある。
これを確認すると、全く式次第が変わってしまうこともある。
即ち、欠席者の部分は(社)県書道協会の理事が代行して授与する。ここに出席の担当授与者が入る。
入れば、「呼名名簿」は連動して変更されるが、授与者の入れ代わり等あわただしくなる。
以前、授与者の賞が下位であったために、上位と入れ替えたことがあった。
しかし、これは知事賞と県議会議長賞と入れ替えるのと同じでやはりしてはならないだろう。
「呼名名簿」‥‥と言うが事実上の受賞者名簿である。これは50部(16ページに亘る)程度作られて、来賓、役員、受付、表彰部、呼名係、表彰案内などが持つ。
「呼名名簿」は、当然「ふりがな」を記載し、賞を授与する順番に書かれている。
ところが、作るとなると容易ならざる作業なのだ。
まあ、「ふりがな」と言う部分の間違いは少ないが、姓名というのは、いろいろあるもので「ふりがな」で合っていても「変換」で違った似たような文字に変換されることが多い。只、県展は公募は、本名、委嘱作家、委員(審査)は雅号が基本だ。
市民展では、事務局が「役人」だから全て本名でだけど。
それにして、先日の市民展の表彰式(授賞式‥市民展)、祝賀会は県展のそれとは大分格式が違う。
なぜなら、市民展の授賞式には、市長、教育長、市議会議長その他、地元テレビ局の社長まで皆出席するからだ。
ところが、県展では県関係は、(財)教育文化事業団の会長は出席するものの、県そのものは教育委員会の課長止まり、市関係は、高崎は教育長、前橋は課長どまり。
従って、他の報道関係も数年に一辺関係者が出席すればよい方だ。
県知事(元自治省出身)というのは、なぜか県書道展に出できた事がない。
もっとも、前橋市も役人上がりが市長だったときは一辺も出でこなかった。
まあそんなこんなで筆者もお疲れ‥‥
事務局で事務をした翌日は、残務の仕事をするのに手一杯。
半日出向いて、13時に帰ってきても直ぐに電話、FAXで対応するから結局一日事務局にいるのと同じ。
来週搬出で県展が終わりやれやれ。
そして、市民展の搬出で2月が終わる。
しかし、3月1日から新たな展覧会が始まるのだ。
ついでに言えば、700名程度の名票・キャプション、委員、委嘱作家の出品名簿。
その他、展覧会の概要(約20ページ)、山崎種二記念特別賞選考資料、呼名名簿、表彰式、祝賀会関係書類一式などの書類一切を筆者が作ったのである。
これが公募展となると、授賞式、表彰式が付属する。
昔のことを思い浮かべれば、どんな展覧会でも初めての「賞」、特に特別賞という「○○○賞」というのは本当に嬉しい。
表彰式に出てみると分かるのは、当然ながら最高賞から末端の「秀作」「奨励賞」まで厳然としたランクがあることだ。
世の中、差別には敏感なのだが、「芸術」の世界のこういうはっきりしたランク付けは、当事者になって「もっと頑張らねば」とヒシヒシと思わせるものなのである。
最前席は無理でも、少なくともその他大勢ではなく、「賞名」の付いた席。
そして出来ればもっと前の席と望むものだ。
そして、最も最前席なのは、「謝辞」を述べる受賞者代表なのだ。(審査会員の賞は別として)
いつの世も、最前席の誇らしげな顔は忘れることは出来ないのである。
そして、その「誇らしげな顔」が持続する延長線上の事柄が「祝賀会」「レセプション」というものだ。

この祝賀会は、受賞して舞い上がってしまっている「受賞者」は気が付かないが、お付きあい来ている出品者や、高い会費を払ったのだからと思っている参加者には評判が悪いのだ。
なぜなら、この祝賀懇親会の費用で「表彰式」「来賓の会費分(無料)」「各種の看板、経費」を全部賄うからだ。
司会者がプロならその料金、オペラ歌手、伴奏‥‥と経費が増大するにつれ食事の内容が落とされてゆく。
だから地方の展覧会ても、お腹が一杯にならないうちに「お開き」なんて事などは毎度のことだ。

しかし、展覧会や個展がある以上レセプションは無くならない。
女性優雅な着物姿が見られるのも書道展の特徴でもある。
特に今年のように、2月、3月上旬に6-7展覧会が重なると1週間のうちに3-4回の祝賀会がある。
それで誰か新しい人にでも出会うかと言えば、みんな見知った顔で毎回逢うのだから妙なものだ。