goo blog サービス終了のお知らせ 

書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

秋の書・展覧会シーズンに向けて大忙し

2008-10-07 23:08:48 | ちまたの噂・雑記事

秋の書・展覧会シーズンに向けて大忙し


10月街は、秋祭りの太鼓練習の音が響く。
ああ、今週末は「お祭りだ」。山車を引かねば……と思いつつも‥‥
ところが、10月というのは11月から始まる展覧会への前哨戦、いや準備段階というものである。
9月は、グループ展や社中展と11月からの県展を踏まえて練習の総仕上げ的な展覧会ばかりだったのだが、10月は大方1社中展ぐらいなものである。
実際、県展の裏方、事務方である小生などは、気がついてみれば材料の発注やら委員、委嘱作家の出品受付表が未完のままだった。
特に、今年から新装になった群馬県立美術館に戻るために、IDカードをそれなりに作らなければならない。
だから、今は嵐の前の静けさと言うところである。
一方、自身の作品は3日程かけてようやく完成し、7日の夕刻額と共に表具屋に持ち込んで置いた。
昨日は、T額装から請求書通りの表具代を支払ったのであるが、昔はもっと安かった様な気がする。兎に角、秋は物いりなのである。
実を言うと、県展作品が出来上がらないと細かい事務作業が出来ない質(たち)で、一息。
そして、こういう何か追われるように作品を作るというのが、来年3月まで続くのである。
しかも、必ず見て批評する人がいるから、気が抜けない作品作りでもある。

さて、最近ネットで「書道」というリンクを見ていると色々な人物がネット上で「書家」、「書道家」として登場している。
我々のように、地方の市民展、県展、中央書団、毎日、読売、日展などに絡む人達というのは、いわゆる表の世界の書道家というところだろう。
たとえば、(社)群馬県書道協会というところに所属する会員で組織された、群馬県書道展というのは、「官展」の意味合いが強いからである。(県の組織が主催者に名を連ねる)
逆に言うと、県内で活動する書道家は、ほとんど(社)群馬県書道協会に所属する。
事実、群馬県書道展・出品総点数約3000弱。公募2000を越える書道展であれば、群馬県展の審査員まで昇れば充分という意識と、別に「書の登竜門」と表現する場合もある。
そして、一方、全く別に「通信教育」で、いわゆる「師範」という称号をもらって、その仲間だけの展覧会に出品して限られた空間にのみ存在するという書道家がいるというのは知っていた。
そう言う人達というのは、(社)群馬県書道協会などによる学生のための群馬教育書道展とかその他の展覧会には無縁である。
又一方、地方ではあまり存在していないものの、書道系の大学、たとえば東京学芸大学教育学部の書道科とか出身で、単なる書塾をやっているという人物を見つけたりする。
普通、この手の人物は教員になるから、珍しいしどこかの書団に所属しているかと思えばそうではないらしいと言うところが不思議なものである。
そして、4番目に位置するのが首都圏とか都心にしか住んでいないと思われる「書デザイナー」とかの「ロゴ作家」である。ただこの人達は、デザイナーで書家ではないとはっきり言う場合が多いので、除外するのが穏当だろう。

只、5番目に位置するのが、ネット上に登場する‥‥というか見たことも聞いたこともない書家、書道家という人達だ。
そして、その人のWebサイトを追ってみると、いわゆる駆け出しの書道家だったり、「デザイナー」という職業だったり色々であるから面倒ではある。
これでは何が何だか分からぬではないかと言うものだろう。
しかし、小生などの地方では、書に関係していれば一目瞭然と言うところである。
但し、書歴の誤魔化しはなくとも、学歴の誤魔化しがあったりして面白いものではある。

もう20数年前、まだ健在だった師匠のY先生(元群馬県書道協会会長)に、書の何が大切かと聞いたのか、書の見方を聞いたのか忘れたが、兎に角何やら聞いたことが耳に残っている。
それは、「書に品があるかないか」と言うことだった。
いくら上手くても、品がない書というものはロクでもないと言うものだった。

そして、本当に「良い作品」は、書を全くやっていない人でも良さが分かると言うものだった。
それでかどうか知らないが、ある展覧会で今年の毎日書道展会員賞をもらった先生に会ったとき、部門が違うので門外漢ながら「素晴らしかった」と誉めておいた。
元々嘘が言えないタイプなので、こういう時は素直に出るというのは不思議。
本人も余程の自信作だったと見えて、「非常に喜んでいた」と言うことがあった。

但し、上毛書道30人展で「この作品良いでしょう」と先にある「偉い先生?」に言われたとき、絶句してしまったのには困ったものだった。
そう言えば、むかし群馬教育書道展の審査員を何年かしていたとき、この「おばさん先生」が部長だった様な??
そんな自画自賛する人物‥‥おばさん先生には困ったものだ。

書道芸術院秋季展 2008 その3 レセプション

2008-10-06 20:03:55 | ちまたの噂・雑記事

書道芸術院秋季展 2008 その3 東京セントラル美術館でのレセプションが始まった。
ケータリングは、以前「東京食堂‥‥?」だったかなのだが、最近は「上野精養軒」だ。
だから、味の面では不味いと言うことはなくて、必ずコーヒーとアイスクリーム又はシャーベットで終わり中々好評なのである。
逆に言えば、レセプションに出席して食べないと何か損した気分になるというもの。



戯れ言は兎に角、16時からレセプションが始まった。



恩地会長の後ろの作品は財団役員のもの。
左から、浜谷、辻本、恩地、大野各先生の作。



こんな感じて、来賓の先生が並んでいます。(いきなりですます調)





宴会が始まり少し経つと大分料理が減ってきました。
しかし、今回甘いようなものが多かったですね。



結局こんなに残ってしまいました。
実は、平日の夕方、思ったより研究会に集まらなかった感じがします。
この日は、雨の月末だったので余計そうなのでしょう。



10月の第一週の週末、毎日書道会関係の台湾旅行があるので、それまで東京に在住するという先生もいました。
毎日書道会というのは、毎年どこか海外旅行へ行くのですね。
場合によっては、色々な関係で年二回と言うこともあるらしい。



帰りの銀座は多少雨が上がっていました。
写真では、晴れているようですがそうではありません。
部分的に青空が覗いているだけ。
夕方5時を廻っていますから結構暗いのに写真ではこんな風に撮れてしまいます。


書道芸術院秋季展 2008 その2 東京セントラル美術館

2008-10-05 12:34:02 | ちまたの噂・雑記事
(財)書道芸術院が主宰する書道芸術院秋季展の秋季菊花賞の表彰式と研究会。
実際のところ、作者に質問させる時間がなかったから無難に終わったという感じある。
しかし、本当のところを言うと、他の展示作品‥‥財団役員と院展に出品した審査会員のうちで峰雲賞の候補として挙げられた選抜者(選抜作家)の作品を比べれば歴然とした差がある。
審査会員候補と審査会員とは、それだけ研鑽の度合いが違う。



席の二番目なので、紺紙に金泥で書いてある写経の様なもの。
作者は、若い頃は1日で全文書けたものが、最近は1日に4行程度と言っていた。
紺紙金泥で書くというのは、過去の写経を見るとおり1000年経っても変わらない輝きを持つ。
しかし、最近の紺紙金泥作品というのは、紺紙はくすんで金は沈み込んで輝きを示していない。
どう考えても本物の金をニカワで溶いて使っているとも思えない。
日本画用では、「鉄鉢入り純金泥」(5000円以上)という簡易的なもののあるが、多分書道の「写経用金墨」(3000円強で売っている)などではないだろうか。
実際紺紙は、鳥の子を買ってきて、ドウサ引きから始めて‥‥作れば全然違うものが出来る。
しかし、展覧会ではあまり見たことがない。









後ろの方では、結構だらけてしまった様な感じ。
菊花賞をもらった候補の人も実は、色々な人に批評をして貰うと言うことが非常に大事なのである。
なぜなら、そんなときでない限り「偉い先生」に批評して貰えないからだ。
結果、単なる鑑賞会に終わってしまった感が強い。

そして、全体の鑑賞会が終わったあと、レセプションまで2時間近くあった。
その間、受賞者が批評を聞いていると言う例を探しては見たが、確認しているものとして1例しかなかった。
実にもったいない事ではないか。



最後の閉会の言葉で、浜谷先生が富山の「エッグ・フェスティバル2008」というポスターを示して何やら話していた。
要するに、「殻を破る」と言うことらしいのであるが、「殻を破る」という事だけが耳について内容については良く分からなかった。
元々富山弁の語尾の強い言い方が特徴で、余計に分からなかった気がする。

書道芸術院秋季展 2008その1

2008-10-04 18:17:24 | ちまたの噂・雑記事
(財)書道芸術院が主宰する書道芸術院秋季展が平成20年9月30日から平成20年10月5日まで、東京銀座の東京セントラル美術館で開かれている。



この書道芸術院秋季展は、毎年同時期に開催される年中行事の一つで、今回は財団役員、審査会員選抜作家、審査会員候補公募で数えてみたら158点の出品だった。
数えてみたので‥‥内訳は、
財団常務理事以上‥‥12
財団理事‥‥‥‥‥‥13
財団評議員・参事‥‥・20
常任総務‥‥‥‥‥‥37
総務‥‥‥‥‥‥‥‥18
審査会員‥‥‥‥‥‥05

審査会員候補公募
秋季菊花賞‥‥‥‥‥10
入選‥‥‥‥‥‥‥‥43


恩地春洋 (財)書道芸術院理事長

ここで秋季菊花賞というものを紹介すると、2-3年前から出来た「審査会員候補に対する賞」で本展(2月の書道芸術院展)の「白雪紅梅賞」に相当すると言うことになっている。
要するに、本展での「白雪紅梅賞」、又その上の書道芸術院大賞、準大賞を受賞するというのは、難関でしかも審査対象者が多い。
従って、実力のある又、意欲のある「審査会員候補」の人には秋季菊花賞という秋の展覧会で同等の賞を与えて、早く審査会員に上がれるようにという配慮という。
まあしかし、秋季菊花賞も難関であることに間違いはなく、普通入選もおぼつかないというものなのである。
‥‥と言うことで、研究会、作品鑑賞会の冒頭から秋季菊花賞表彰式が行われた。







審査会員候補の先生というものは、ほとんど知らないケースが多く、初見であることが多い。
しかし、雑誌の「特別研究科」入選常連組となると、名前も知っているが秋季展までがんばらなくてもと思ったりする。
写真の長島先生は、本展でも白雪紅梅賞をもらっている実力者で、今回の受賞で即刻審査会員に推挙されたとのこと。
だから、本展では審査会員で出すわけだ。





秋季菊花賞を受賞した先生方と後ろはその作品の一部が見えている。
全10名のうち9名出席。



授賞式に欠席した「大字書」の受賞者に代わって、作品甲骨文字に関して、指導者である小伏小扇先生(大阪)が説明をしている。
作者は、大阪の義務の「学校の教頭先生」で校務で出席出来なかったとのこと。



元高知大学の教授 大野祥雲財団常務理事‥‥何を言ったか???
紺紙・金泥の作品の講評だったか‥‥



見るところ、左から2番目の前衛書の作品の説明のよう。
多分、宮城県とかそちらの先生だ??
以下、つづく

第31回 馨香会展 を見る。(書道) 

2008-10-02 12:08:19 | ちまたの噂・雑記事
第31回 馨香会展は、東京銀座画廊美術館(銀座貿易ビル8階)で9月30日から10月5日まで開催されている。
馨香会は、香川倫子先生を会長としている団体。
香川倫子先生は、(財)毎日書道会参事、(財)書道芸術院理事の要職にある先生で、その世界では知らない人がいない。



入り口の様子。


作品は、三分の二は、前衛書。
要するに読めない書。
全体的に、淡墨系の薄い色が今回は特徴である。
ある先生に言わせると、最近は濃墨系ではなく淡墨系が多くなったのかな?と言っていた。



もう一面は、伝統書や刻字、篆刻など。
一般の展覧会では、刻字が展示されるというのは非常に珍しい事である。
しかし、馨香会は、元々香川峰雲先生(書道芸術院・第3代会長)と第4代会長の香川春蘭先生の系譜を次いでいるからである。
香川峰雲の書作は2004年10月「生誕百年記念展」で作品を見ることがあり、元々篆刻作家である。
その後、刻字という分野を開拓した先生であるというのは、刻字の世界なら有名であろう。




一方、峰雲先生の奥様である香川春蘭先生は、前衛書の分野に位置する。
そして、共に書道芸術院の設立メンバーであると言うだけでなく、事実上の創設者であることは常に記憶に新しいことではないだろうか。(http://www.lincs.co.jp/shogei/enkaku.html)




入り口に香川先生が見えるが、今回なぜか挨拶をしてこなかった。



今回の展覧会の挨拶状には、
「今までとは違った形式に挑戦して、それぞれの個性を生かした作品造りをしたつもりですが、如何でしょうか」
と書かれていた。



最近、毎日展を見ても、「前衛書」と「一字書・小字数」というのが区別が付かないときがある。
元々前衛書は「篆書」や「甲骨文字」を元にして書かれることがあって、実はルーツが同じ事がある。
そんな場合、甲骨文字はそのままのデフォルメして書かれるが、前衛書は逆に線を簡略化して書くために全体的に似てくるというものではある。

但し、馨香会では文字性ではなく、非文字性と言うことで、確かに文字的ではない。

恩地春洋書展‥‥を見る。

2008-10-01 13:10:55 | ちまたの噂・雑記事

恩地春洋書展は、平成20年9月30日から平成20年10月5日まで、東京銀座画廊美術館(銀座貿易ビル8階)で開催されている。
恩地春洋先生は、(財)書道芸術院の理事長、(財)毎日書道会の理事で、書を「かじっている」人ならどこかで名前は聞いたことがあるかもしれない。
実際のところは、社中の「春洋会」は毎年東京銀座では7月に文藝春秋画廊で小品展+の作品を開催しているし‥‥。
秋には、春洋会では‥‥「2008 秋の 春洋会 書展」‥「俳句や好きな文字を書く」として、10月17日から大阪産業創造館3Fを開催するという。
実際、その他の社中展もやっていたかもしれないが、恩地先生の個展は以前何回か開催していたのではないかと思ったりもする。



会場は、広いものでここに見るように大作が並べられている。作品集「寒花晩節 抄」では全作品が掲載されておらず、写真を取り損ねたと考えるものでもあった。
なぜなら、会場が割合と暗くて中々写真の雰囲気が分からない感じがしたからである。



今回の個展では、「白雲‥‥」という作品が4点あって、ああ~あの川崎白雲先生に思いを馳せているのかと思われた。
但し、先生にただしていないので確かではない。
その他、「捨」という作品が150(154)×180が2点あり、レセプションである先生が挨拶していたとおり「虚飾を捨てる」と言うことなのかも知れない。



会場が広いために、大作を含めて43点もの作品が展示されていた。







噂によると、作品製作中に持病が悪化して、中々制作がすすまなかったそうである。
ある先生によると、財団の理事長、理事という激務だからではないかと聞いた。
普通、個展一つするだけで小生などなら、神経が「ぱんぱん」に張って体調を崩すような感じなのだが、書家の大先生というのはみんな体が丈夫なのは驚くところではある。


田村澄子書作展 を鑑賞する。

2008-09-30 22:20:03 | ちまたの噂・雑記事
平成20年9月30日(火)月末だというのに、東京都美術館の「2008秋の独立選抜展」((財)独立書人団)を皮切りに、4つの展覧会を見てきた。
独立の展覧会は、別の「書」と評論するときに紹介するとして、まず「田村澄子書作展」から始める。
田村澄子書作展は、東京・銀座五丁目の日産ギャラリーの裏手にある「サッポロ銀座ビル8F」ロイヤルサロンで29日から10月5日まで開催されている。
田村先生は、玉松会所属の永井幸子系列の書家で、書作展の副題として「田村澄子 40年の書歴をふりかえる」とある。
実は、案内状に薄く「蘇るやまと」とあって、これを実は題材としている。



このロイヤルサロンは、玉松会が毎年3人展やら、玉松会展やらをするところで、昨年は別の先生がこの時期、個展をしていたように思う。
いずれにせよ、「かな」書道の作品展は、華やかで一瞬「男」が入って良いのかという雰囲気さえある。



中央で、雑談をされている先生が、田村先生。



こちらは、西林先生と挨拶している先生と、玉松会会長の石井明子先生が見える。







実は、あまりゆっくり鑑賞している時間がなく失礼した。
今日は、他の展覧会の流れで、平日にもかかわらず大盛況だった。
作品点数24点、「大和物語」8点、「源氏物語」3点、「万葉集」4点、「古今集」4点、その他5点という構成。
凝った「出品目録」と手書き文字を印刷した挨拶状は、相当にここまで「力」が入っていると敬服するものであった。

確か田村先生とお知り合いになったのは、「全国学生展」の頃ではなかったかと思う。
当時小生は、学生展で陳列部委員や副部長をやっていた頃で、多分田村先生は中央展審査員か何かだったのかも知れない。
その時は、元気の良い「おばさん」だと思っていたものの、多分15年は経つ。
時代の流れは、早いものとはいうものの、自身も歳を取っているのは困りものではある。

墨宣會書展・パート2_祝賀会

2008-09-27 21:46:30 | ちまたの噂・雑記事


墨宣會書展・パート2_祝賀会

墨宣會の祝賀会が群馬ロイヤルホテルで開催された。
このロイヤルホテルというのも気がついてみれば、1年振りだったのか昨年の6月中学の同窓会で来て以来だった。
その時は、200人以上の同窓生が集まったから今では懐かしいものと感じる。
本当のところは、今日夕刻5時から「青少年育成推進員」の学区内パトロールの日。
それで小学校の校門に推進委員が集まっているかと思ったら、誰も見あたらず。
皆、時間ぎりぎりに集合するのか‥‥参加者は居いないのか不明だった。

実は、群馬県青少年育成推進員と前橋市青少年育成推進員という役目を今年春から委嘱されて、色々な行事に参加することになった。
この青少年育成推進員というのは、電柱、電話ボックスのビラ剥がしから、「青パト」まで広範な権限を委嘱されるものでいわゆる「民間パトロール」というもの。
実は、面倒な事を仰せつかったというのが本音だ。

又、もう一つ本当のところは、昼過ぎからフランスの歴史書を読みあさっていて時間を見過ごしてうっかり間に合わないところだったのである。
時間に間に合わないほど、ギリギリでなかったのが幸いというものだが、急いでいたのは事実。
やっと、競歩並みの早歩きで遠くに群馬ロイヤルホテルが見え、近くなると‥‥
おやおやと言う感じて、群馬ロイヤルホテルの正面に到着する直前、黒塗りの凄いレクサスが止まって、数人正確には4人ほど下りてきて正面玄関に入っていった。
あれ~~今日は何か財界の会合でもあるのかと思ったが、一人を先頭にその黒ずくめの集団は二階の宴会場に上がって行くではないか‥‥‥


大澤知事の祝辞

受付に上がってみると‥‥、ああ大澤知事さんが「来たのか」!というものだった。
実を言うと、大澤知事はけっこう書道には造詣が深い。

さて、17時前、受付の知り合いの先生に場所を案内してもらい何とか時間内に間に合った感があった。
初めに、開会の言葉に西川翠嵐先生、あいさつ西林先生のあと、順番を変えて大澤知事の祝辞という感じで始まった。




そこで経過報告で実行委員長の狩野廣州先生が「前橋市成人学校書道クラブ」という経緯(いきさつ)を説明した。
それは、何と遡ること昭和32年に前橋市で成人教育という事をすることになって、「前橋市成人学校」と言う講習があったという。
その講習会の終了後「これで終わりにしてしまうのはもったいない」との理由で、その講習に集まった人達で組織されたのが「前橋市成人学校書道クラブ」と言うことだと言うこと。
そして、その時西林先生はなんと24歳だったとか‥‥
「前橋市成人学校」という名称はどこかで聞いたことがあったかなと言う程度の認識だから、これではっきりしたと言うものだった。



実際は、西林先生は群馬県立前橋高校と前橋女子高校の教員生活が長く、その教え子が弟子になっているケースも多いと思われる。
但し、小生などが前橋高校に在籍したときは、西林先生ではなく今は亡き田村翠渕先生(毎日書道展・あきつ会系)だった。
確か、小生が卒業して1年ほどして西林先生が田村先生と交代に前橋高校へ赴任したと言う話だった。(阿部裕幸篆刻協会会長からの話)
そこで万が一、田村翠渕先生に師事していれば今頃「かな作家」だったのだが、運命の悪戯かそうはならなかった。
人生の不思議さ、すれ違いというものは今にして思えば必然だったのかと思うものも多い。



(財)書道芸術院名誉顧問・村野大仙先生



(社)群馬県書道協会会長
今回遠くからは、書道芸術院名誉顧問・村野大仙先生、書道芸術院事務局次長・尾形澄神先生など。
いずれにせよ、大盛況で終わった祝賀会だった。
書道芸術院(毎日系)関係の肩書きが多いのは、西林先生が(財)書道芸術院理事・北関東総局長をしている関係からである。


そして、今回書道芸術院関係の先生方が少なかったのは、書道芸術院秋季展が9月30日から東京銀座セントラル美術館で始まる準備。
それと、同じ場所で行われる恩地会長の個展、馨香会の社中展、みな9月30日から。
行事が重なると中々出で来るのが難しいものだ。


墨宣會書展・創立50周年記念

2008-09-27 11:27:28 | ちまたの噂・雑記事
墨宣會書展が9月26日より29日まで前橋市の市民文化会館で開催されている。
墨宣會書展と大きく書かれているが、脇に前橋市成人学校書道クラブ創立50周年記念とある。
それは、発足が成人学校だったと言うだけのことで、西林乗宣先生(元群馬県書道協会会長・現顧問)の社中展であることに変わりはない。
但し、詳細は聞いたことがないから、書道界の常識としてそんなものというところ。



会場は、大展示ホール一杯に飾られていて、見る観覧者を圧倒するもの。



なぜなら、出品者は群馬県でも名だたる書家が「これでもか」という力の入れようで出しているからだ。
当然、毎日書道展では、今年毎日賞を受賞した作家も出品しているし、昨年の山崎記念特別賞作家もいる。
もっとも、その第一回受賞者が西林先生であったことは知らない人はいないほど有名。



書の評論は差し控えて、ただ鑑賞するというもの。
中には、群馬篆刻協会に所属する篆刻の名人もいて、中々楽しませる展覧会になっている。





書道協会副会長・大井先生と中山無硯先生(作品の作者)。



正直言って、まともに全作品を鑑賞すると半日では終わらない。
しかも各出品者の作品が数メートルにも達し、力の入った、当たり前だがほとんど漢字作品なので、見ていて疲れてしまう。



西林先生の作品。
先生の作品は必ず見ているので、色々な作品があるなあと思う。
特に最近は、右端にあるような非常に芸術性の高い小品をたまに出されることがある。
中々真似の出来ない鋭い線筆には、唯々驚嘆するばかりである。
面白いことは、小さい作品ほど凝縮した「力」を感じさせるとは、よく言うものだ。



展覧会初日は雨模様だったが、ほぼ曇り。
いずれにせよ、展覧会には初日に観覧すると言うのが一番で、27日群馬ロイヤルホテルで行われるレセプションでは、どんな趣向が凝らされるのかと‥‥思ったりもしている。

いつもの通り、会場の後ろで「お茶」をいただいているとき、西林先生と大井先生が筆の話で雑談をしていた。
内容はこんなもの……脚色、などいろいろありで‥‥
「大井先生は、農墨を使うので筆が痛むでしょう。」
「だから筆は、使ったら3日ぐらい掛けて良く洗うのです。」
「でもね、奉職した頃、最初の給料全部を使って買った筆の根本から抜けてしまったときは、悲しかったですね。」
「大きな筆を直して貰ったら、直径2センチ(?)にもならなかった。」

根本からすっぽりというのは、実は小生もある。
馬の尻尾の筆だったが、2-3回使ったら抜けしてしまった。
筆屋に持っていったら、あまり使ってないからと「不良品」として処理してタダ出直してくれた事があった。
今は、淡墨中心だから、筆の穂が抜けるというのもあまりないというのは幸いというものだが。



船本芳雲先生(講師・毎日書道展理事)書道実技講習会

2008-09-14 22:35:38 | ちまたの噂・雑記事

船本芳雲先生(講師)・書道実技講習会
 
今日は、(財)毎日書道展理事、(社)書燈社理事長・船本芳雲先生による書道実技講習会があった。
講習テーマは、「漢字かな交じり書」



今回の「書道実技講習会」は、(社)群馬県書道協会主催による事業の一つで、従来2000円ほどの参加費・資料代を取ってやっていたような気がする。
それが、今回は資料代、参加費無料で200名の定員を上回った参加申し込みがあったという。




後ろの方には、いくらか空席が目立つ様だが、席を増やしたのかも知れない。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
兎に角、船本先生の「だじゃれ」と「漫談口調」の話から、朝から居眠りをするということは全くなかったのは、さすが会話力の力であろうと思われた。
午前中は、毎日展での関連「近代詩文書」の成り立ちと、それに力を貸した金子歐亭先生の努力、政治力の説明。
難産して生まれた近代詩文書部は、毎日書道展で部門として独立して、倍々ゲームとなって、59回展では30000点の内の7000点あまりまで成長した話など。
その他、詩文の著作権問題。
著作権が面倒になったから、今度は自分で「詩」を作って、それを「近代詩文書」として書く話。
そして、自身が樺太から命からがら脱出して、漁船に乗って日本に帰ってきた話。
又、それを詩文にしての朗読。(朗読・助講師)
その後、休憩を挟んでの席上揮毫。






席上揮毫の合間の「漫談」風の書話。
思わず聞き入ってしまう、話術のうまさには驚き。


自作詩文を揮毫。
ここで大作を書くときの足の動きについて説明した。
要するに、足の動きは田植えをする足の動かし方という。田植えをしたことがないから良く分からないが、足を突っ張るとか、すり足ではなくてはっきり一歩ずつ歩くようにと言うこと。
そうでないと、文章が曲がってしまうという。



3本の筆を重ねて迫力ある作品を書いたところ。


メーカー名 : RICOH
機種 : RICOH GX200
変更日時 : 2008:09:14 11:49:19
露出時間 : 1/40秒
レンズF値 : F3.0
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 200
対象物の明るさ : EV1.1
露光補正量 : EV0.0
開放F値 : F2.4
自動露出測光モード : 分割測光
フラッシュ : 発光(自動)
レンズの焦点距離 : 7.80(mm)




午後の実技講習で助講師の先生に見本を揮毫してもらっているところ。



船本先生が、各テープルを回って、手本を書いているところ。
本日朝10時から始まって、15時30分まで、みっちりの講習だった。
そして、船本先生は作品18点を持ち込み、その作品の抽選会が15時30分から始まった。
結構午前中で帰ってしまった人も多く、不思議とそう言う人に抽選が当たる。
そんな人が、5-6人も居ただろうか。
もらった作品は、封筒に入っていてどの様ものか分からないが、半紙大のものだったようだ。

まあ、最近くじ運が悪いので、どんなものも当たったことがないから、当然小生syuunは何も当たらす。
今回、写真を撮れとは言われてなかったが、事業部長から次長から「写真」「写真」というから、何かの予感で持っていったリコーGX200で何とか誤魔化した。
それにしても、ストロボ多様だと充電のタイムラグには驚くべきもので、シャッターを切っても微動だにしない。
筆を上げたとき、ストロボが光って‥‥‥う~~ん 遅い。
それでも、何とか撮れていたので良しとした。
‥‥‥
それにしても、レストランで食べた昼飯のタラコスパケッティのランチは、塩味ではなくてトマトソースだったのにはびくりした。‥‥税抜き980円。(サラダ・パン・コーヒー付)
それにもましてビックリしたのは、講習会に出席した隣に座った昔の「お嬢様方」が、ビールを昼間から飲んでいたことだった。