"四季折々 この一枚″

ブログのタイトルを上記に変更しています。アドレスは同じです。
右端にカレンダーが出ればご覧いただけます。

成徳小学校、67年前の思い出

2014年05月03日 15時27分10秒 | 画像

一昨日、神戸市灘区役所に所用があり、出かけました。

区役所は、「JR六甲道」駅から南へ約3分のところです。

付近は、「阪神・淡路大震災」から立ち直り、
高層マンションが目を奪う繁華街に変貌していました。

帰路、JR線路の南側、六甲道駅の東、約300mにある、
神戸市立成徳(せいとく)小学校に寄ってみました。

ここは、太平洋戦争が終わって間もない昭和22年、私が通った校舎です。

と言うのも、当時、空襲で一部が焼けた小学校は、校舎を補修し、
小学校と中学校が同居していました。

私は、石川県の疎開先から神戸に戻り、
JRの線路(当時は国鉄)の北側、高羽の家から、
この校舎に間借りをしていた中学校(工業学校)に約2年間、通ったのです。

         当時とは、スッカり変わった、たたずまいを見せる「成徳小学校」です。

当時は、B29の空襲から校舎を守るため、外壁が黒く塗られたいました。

校舎も、たしか、南北に長い一面でしたが、今は、かぎ形になっていました。

人口が増え、増築されて、こんな形になったのでしょうか。

運動場の南東隅には、これまでの歴史を伝える石碑が残されていました。

「皇紀二千五百九十二年昭和七年四月一日開校」と刻まれた石碑もありました。

国鉄で通う電車通学の生徒も多く、
徒歩通学の私は、学校まで、ずいぶんと遠いおもいをしたことを
思い出しました。

当時、国鉄の線路を徒歩で越えることはできませんでした。

現在は線路が高架になり、人も車も通れるようになっていました。

私たちは、その後、学制改革で、市内西部の新制高校へ通うことになり
小学校との同居生活に別れを告げました。

学校の東側には整備された小さな川が流れ、
近所には大きな公園がありました。

震災後、災害に強い街づくりを目指した市や付近の人たちの
努力が実を結んだのでしょう。

それにしても、あれから67年、ずいぶんと古い、昔の話です。
食糧難の時代、ここに通った当時を思い起こしました。

住宅地の中の立派な小学校に変貌した「成徳小」には、
現在、900人余りの児童が通っているそうです。


最新の画像もっと見る