"四季折々 この一枚″

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「能勢電鉄」とともに50年(7)

2020年05月05日 14時24分14秒 | 紀行

昭和45年(1970)能勢電鉄の沿線、新しい造成地にプレハブとはいえ、

一戸建ての家を建て、その年の12月13日に、神戸の御影から引っ越しました。

長男は、7歳、4月に御影の小学校の1年生に上がったばかり。

娘は、4歳で、「これから幼稚園へ」と言った年齢でした。

私は、マイカー通勤で会社が吹田市にあったため、通勤時間が短縮されました。

しかし、家族は大変です。

造成地の新しい家から、能勢電車の駅まで、子供を連れて歩いて下りるか、

川西能勢口まで、少ないバスダイアの中から買い物に合わせてバスに乗るか、

大変な苦労があったこととおもいます。

そのころ、能勢電鉄は沿線の宅地開発に力を入れ、鶯の森住宅地、ときわ台、

東ときわ台住宅地、と次々と手を伸ばして、将来に明るい希望を持っていました。

昭和36年(1961)には、自社の増資とともに、京阪神急行(阪急)電鉄の資本が入り、

能勢電鉄株式会社と社名を変更。

昭和53年には沿線の山下駅から日生線を開通させました。

 

                          (つづく)

 

 

 

 


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