団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★白から黄色へ  ヨーロッパ人の人種思想から見た日本人の発見

2022年02月24日 | 素晴らしい外人の日本応援団

 久しぶりに日本を理解してくれる外国人の味方が現れたようです。ヨーロッパの人達が日本人をどう見てきたか。何と、支倉常長の時代まで遡っているようです。

  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。こういう研究を続けて本当の日本を紹介してくれる方は貴重です。
  こういう本をきちんと世界に広げるという発想がないのが政府・外務省でしょう。奴等は筆者と違って日本人に興味がないのでしょう。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)2月17日(木曜日)  通巻7222号

  書評 

 近世ヨーロッパ人が日本と中国を観察して「黄色人種」を造語した
   彼らは日本文明、文化を如何に見たか、どのように評価したか

 ロテム・コーネル著、滝川義人訳
白 から黄色へ  ヨーロッパ人の人種思想から見た日本人の発見』(明石書店)

 支倉常長遣欧使節団はフィリピンからメキシコへわたり、船を乗り換えてキューバ経由でスペインへ渡った。1613年に 出航、1620年に帰国したときは切支丹伴天連が禁止されており、いかに伊達政宗と?川家康との間に密約があったとはい え、すでに家康もこの世の人ではなかった。支倉は失意のなかに没した。
 当時、日本使節を迎えて、ヨーロッパ人が受けた衝撃が、絵画としてクイリナーレ宮殿(ローマ)に残る。
この絵は支倉らが欧州に滞在中に描かれたと推定され、1616年にアゴスティーノ・タッシが描いた。支倉とソテロが向か い合い、同行した日本人の四人が後列に配されている。いずれも色浅黒く、はでな服装で、ちょんまげをしておらず、支倉の 右手薬指には指輪がある。どの人物も目と鼻が大きい。この珍しい絵画が本書のカバー表紙だ。
 黄色人種という概念は近代に創られた。宣教師や江戸時代に唯一の貿易相手国だったオランダ人が遺した文書を基礎的資料 として駆使し、緻密に時代背景を検証した労作である。
 近世ヨーロッパ人が日本と中国を観察して「黄色人種」を造語したのだ。そして宣教師や船乗りや商人等は、日本文明、文 化を如何に見たか、どのように評価したかを検証した大著。浩瀚776ぺージ。
 著者のコーネル氏は日本近代史を専門とするハイファ大学教授。筑波大学で六年間、研究生活をおくった履歴からも、珍し い資料の発見、その解析に新しい視点がある。翻訳はベテランの滝川義人氏だ。
 「アジアとくに中国に関する中世ヨーロッパの見解は、まず一人の人物によって変容する。その人物とは、ジンギス・カン (チンギス・ハーン、1162頃
─1227年)、十三世紀初期ユーラシアにまたがる世界史上最大の帝国を築いた男である。モンゴルの征服者がヨーロッパ に到達したという第一報が届くと、キリスト教徒は大いに興奮し、非常な期待感を抱いた。これで、ムスリム世界に対するキ リスト教徒の究極の勝利が、達成されると考えたのである。モンゴルは、十字軍が足下にも及ばぬやり方で、確かにムスリム を撃破した。しかし、モンゴルの大集団がヨーロッパに侵攻すると途端に残虐行為の報告が拡がり始めた。バラ色に期待は忽 ち恐怖に変わった」(62p)

 それから二世紀後。使命感に燃えて、日本に辿り着いたイエズス会の宣教師らは多くの紀行、報告書を遺した。
 「日本人については、外部の強制に見事に抵抗し、ヨーロッパが軍事上経済上拡大を続けた数世紀間、国の独立を守り通し たことほど、国の力を証明するものはない。(中略)日本の文明を比較的無償な状態に保つことを可能にしたうえ、他者によ る人的資源と天然資源の搾取から、守ることができた」
 アジアは植民地化されたが、例外が日本だった。

 「日本人は、強まるヨーロッパのヘゲモニーに挑戦し、かえって尊敬された」 
就中、彼らは日本人の礼儀作法に注目したが、これは内省的判断にもとついた特性と言える。
 「日常の会話上のマナー、潔癖、衣服の着用、食事の作法を含む場合が多い。物質文化の点では、居住、家畜類の利用、食 糧の入手可能性が含まれる。文化と教育の状況では、音楽上の達成、識字能力、教育能力、仕事、紀律がある。文明評価上、 宗教も重要な役割を果たした。とくに一神教と聖典の存在、礼拝の洗練度、経験は聖職者の存在が重視された。おなじように 重要視されたのが、技術力である」
 結論的に「日本人は力があり、独立した存在である」(47p)
 セイリスという人物は日本に滞在中に?川秀忠に謁見を許され、隠居していた徳川家康とも二回面談した貴重な体験をして いる。ベラスコなる人物も秀忠と家康に謁見を許され、衣服、武器、髪型などを鮮明に報告している。いすれもが日本人は身 なりがよく清潔だったという強い印象を持ち、とくに日本人が重視した起源と血統に大いなる興味を示した。

 秀吉の二度に亘る朝鮮半島への出兵を彼らはどう書いたか
 「秀吉率いる日本は、1588年頃には中国出兵寸前にあったようである。その中国攻撃計画は、二度に及ぶ朝鮮出兵のた め無しになった。しかし、その出兵は、少なくとも当面は日本の優れた軍事能力を示すことになる。日本の軍勢は朝鮮半島の ほぼ全域を制圧し、明朝はその軍勢の進撃を阻止するため大軍を派遣し全力をあげて対処せざるを得なくなる。(中略)日本 人の戦闘能力は、第一に個人レベルで顕著であった。中国人には殆ど見られない特徴である」と鋭い観察眼を示した。
 宣教師ヴァリニャーノは「日本人はこれまで世界で発見されて集団で、最も尚武の気風に富み戦闘的人種であると付記し た」(151p)
 もし、彼らが生きていたら、いまの日本の尚武の精神の欠如をいかに観察しただろうか、それも興味がある。

  なる程、尚武の精神をなくした現代人は何とも情けないですね。まさに言い得て妙です。
  日本人がそんな精神を取り戻すことはあるのでしょうか。

あって欲しい!

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