アッツ桜を知ったのもねずさんに教えられたのが最所でした。地下に潜って一日でも長く戦うという最初の例だったのも知りませんでした。
中将の先頭に立って死ぬのもそうです。そして極めつけは昭和天皇の電報です。
こんな戦いをして日本を護ってくださった方たちの祀られた靖国を参拝しない総理や日本人の情けなさには本当に腹が立ちます。
ここまで劣化した日本人が余りにも情けない。合わす顔が無いとはこのことでしょう。
ねずさんが毎年アップしてくれている話です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/05/30
アッツ島の戦い と山崎保代中将
・・・略
日本人は、誰もが天皇を尊敬しています。
けれどそれは、特定宗教団体が◯◯会長を個人崇拝しているというのとは、まるで違います。
天皇という存在によって、わたしたちひとりひとりが私有民や私有物とならない自由を与えられている。
そのことへのありがたさと感謝が日本人にとってあたりまえの感覚です。
だからこそ、一兵卒に至るまで、たとえ我が身を銃弾で失っても、なお、戦い、守るべき大切なものを護ろうとしたのです。
同時に山崎中将は、そういうたいせつな大御宝である兵達の命を、自分の命令ひとつで失わせてしまうという責任の重さの自覚が あるからこそ、這ってでも突撃隊の先頭に出られて絶命されたのです。
果たして現代日本人にできるでしょうか。
体の半分を吹き飛ばされても、それでも前に出て戦うことが。
かつて日本人は、そういう意味で一体となった国でした。
そしてその民の心を、陛下ご自身もよくご理解してくださっていました。
だからこそ陛下は、誰もいなくなったアッツに向けて、電文を飛ばすようにお命じになられたし、それを聞いてみんなが涙をこぼ したのです。
日本は、そういう国です。
兵が死んだのが、奴隷が死んだのと同じと思う国なら、こういうことは起こりません。
そしてアッツで立派に戦い散って行かれた仲間たちがいて、その仲間たちの死を悼んだ園芸店主がいて、その花に「アッツ桜」と 名前をつけたら、誰も宣伝などしていないのに、いつの間にか日本中のみんながその花を「アッツ桜」と呼んでいるのです。
それは、いまも続いています。
私は、アッツ島で戦い、散って行かれた山崎中将以下2,650名の英霊の方々を誇りに思います。
そして同時に、この赤い小さな花に、彼らへの追悼と感謝の心をこめて「アッツ桜」と命名し、その名を今に伝えている日本人と いう民族を、とても誇りに思います。
アッツ島に散っていかれた英霊に感謝。
お恥ずかしいですがアッツ桜を見たことがありません。本当に日本中で売られているのでしょうか。そうであって欲しい。
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