大東亜戦争での日本軍の凄さはやはり現場の兵隊さん達の素晴らしさでしょう。そして、それを指揮する人達にまさに武士の魂を持たれた英雄が多かったのも間違いないでしょう。
こんな軍は世界では日本以外には無いのも間違いないようです。
そんな素晴らしい方々をねずさんが取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/08/14
部下たち二千人 の命を守った警察官・・・廣枝音右衛門物語
・・・略
以下は、その「顕彰碑」に彫られた文です。
「泰然自若として所持の拳銃を放ちて自決す
時に2月24日なり
その最後たるよく凡人のなしえざるところ。
せんなるかな戦後台湾は外国となりたるも
この義挙により生還するを得た数百の部下達は
吾等の今日あるは、
あのとき、隊長の殺身成仁の義挙にありたればこそと
よろしく称讃し、この大恩は孫々に至るも忘却することなく
報恩感謝の誠を捧げて慰霊せんと
昭和51年9月26日隊長ゆかりの地、
霊峰獅子頭山権化堂にてその御霊を祀り、
盛大なる英魂安置式を行う。
この事を知り得て吾等日本在住の警友痛く感動し、
相謀りて故人の偉大なる義挙を永遠に語り伝え
その遺徳を顕彰せんとしてこの碑を健立す
元台湾新竹州警友会」
昭和58年5月、小隊長をつとめた劉維添(りゅういてん)氏は、かつての隊長の自決の地であるフィリピンを訪れました。
そこで彼は、隊長終焉の地の土を集めると、茨城県取手市に住む、ふみ未亡人に、その土を手渡しました。
(ふみさん平成元年2月、76歳で永眠)
こうして廣枝音右衛門は、獅頭山の権化堂に神様として祭られ、鬼籍の人となったふみ夫人も、広枝隊長の位牌とともに、かつて の部下だった新竹警友会の人たちの手によって台湾・権化堂に祭られました。
自らの命に代えて、二千人の部下の命を守った廣枝音右衛門。
こうした歴史を、私たち日本人は、これからもしっかりと語り継いでいきたいと思います。
それにしても、凄い方がおられたことに感動します。今の日本にこれだけの覚悟を持った人がどれだけいるかと考えると恐ろしくなります。
同じ日本人とは思えません。本当に恥ずかしい。日本人よ恥を知れ。
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