ねずさんが日本書紀が教科書だったと教えてくれた時の驚きは忘れられません。その教育を受けることが出来なかったことが何とも悔しい。と言って、そのねずさんの本を購入する金も気力も無いのですから情けないことです。
せめて、ネットの記事でその概要を掴んで読んだつもりになります。
それにしても、日本の教育界がそれに気が付いて、もう一度教科書として使う時が来るのでしょうか。
あの荻生田文科相のような政治家ばかりではそんな可能性も無さそうです。何とも、歯痒い。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/11/14
万葉集と日本 書紀とその時代
・・・略
しかしそれだけでは、朝廷は損保会社兼大手ゼネコン社というだけの存在になります。
それ以上に、国が、たんなる遠い血縁関係にある豪族たちのゆるやかな集合体から、ひとつの国家としてまとまっていくためには、魅 力ある国家としての気高く誇り高い文化を形成していかなければなりません。
そのために編纂された書こそ、日本書紀と万葉集です。
双方とも、持統天皇が皇后の時代から天皇に、そして我が国初の上皇となられてからもずっと編纂されたものです。(万葉集は全巻の うち、巻1の前半部分が、持統天皇の指示で柿本人麻呂の手によって編纂。巻1の後半部分から巻2にかけては古事記編纂に深く関 わった元明天皇や太安万侶が関与し、それ以降は元正天皇や大伴家持らの手によって編纂されました。
いずれも先鞭を付けたのは持統天皇です。
このことが意味することは、日本書紀も万葉集も、新たな時代を築くための、当時における新しい日本文化の創造であったというこ と です。
日本書紀は、我が国の統一的な史書として。
万葉集は、我が国の文化の育成として。
とりわけ日本書紀は、我が国が神代の時代から稲作を中心にして相互扶助を行う国として形成されてきたことを強く主張しました。
ですから日本書紀では「シラス」も「治(し)らす」と書きます。治は稲作を意味する漢字です。・・・以下略
それにしても、こんな凄い国を造りあげてきた先人の凄さに改めて日本に産まれた幸せを噛み締めさせられます。
それに比べて特亜3国を筆頭に世界の人達の何と気の毒なことか。あのアメリカもあんな選挙をしているのですから。
とは言え、劣化した日本も今や同じようなものでしょう。何とか、再生したいものです。