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★プーチン大統領がバシコルスタン共和国へ飛んだ

2024年01月22日 | 国際

  

バシコルスタンなんて国があるのは全く知りません。世界は広いようです。その国にプーチンが訪問したそうです。何があったのでしょうか。

  宮崎さんが取り上げてくれています。どうやらプーチンも沢山の問題を抱えているようです。大丈夫なのでしょうか。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和六年(2024)1月19日(金曜日)
  通巻第8097号  

 プーチン大統領がバシコルスタン共和国へ飛んだ
  バシキール人自治共和国の初代大統領ラヒモフの葬儀に列席

 2024年1月13日、プーチン大統領はモスクワから南東1400キロ、ウラル地方にある「バシコルスタン自治共和国」を訪問し、バシキール人の自治共 和国としてロシア連邦の一員となった初代大統領ラヒモフの葬儀に列席した。プリコジンの葬儀には欠席したプーチンが、なぜ辺境の少数民族自治区へわざわざ 出向いたのか?

 まずバシキール人とは何か。
チュルク系遊牧民を祖先として突厥、鮮卑、鉄勒などと交接し、モンゴル帝国時代以後、この土地に定着したと言われる。イスラム教スンニ派で、詳細な歴史は諸説があってよくわからない。

 明らかなことはチェチェン、イーグーシ、オセチアなどと同様な少数民族であり、ロシアとは敵対的でありながらも、リアルポリティクスでは政治地政学的にはロシア連邦内で、自治権を確立している。

 表向きは平等でもロシア人とは差別される。げんにウクライナ戦争ではバシキール人が動員され、初期段階で171名が戦死している。脱線すれば、アフガニス タン戦争で、ロシア軍の戦死者で一番多かったのはウクライナ人だった。少数民族、非主流派民族を先端の前衛の送り込むのはロシアの伝統的な遣り方だ。

 バシキール人は、ロシア革命時代にボルシェビキと闘った。タタールの血が混じるとされる。
1919年にソ連邦内の自治共和国として、タタルスタンと同様な地位にあった。
バシコルスタン自治区の民族構成はロシア人が36%、バシキール人が30%、タタール人が24%だが、大方はロシア語を喋る。少数言語では比較多数派のバ シキール語より、タタール語を喋る人が34%もいる。自治区の人口は410万、近隣のタタルスタンの380万人よりすこし多い。
首都はウファ(人口122万人の大都会だが住民の過半はロシア人)。この国は石油とガスを産する。経済的資源に恵まれ、また水資源は豊富である。

 さてなぜプーチンは、このバシコオールウ人の自治区共和国「バシコルスタン」へ飛んだのか?

 勿論、大統領選挙を控えての少数民族対策のための政治効果を狙ったのだろう。チェチェンをなびかせたように、少数民族自治区では反政府運動を抑え込みたいからだ。

 現実には反体制運動がある。
 バシキール民族の尊厳と文化伝統の尊重を訴えた活動家のアルシノフは「差別を扇動し社会を不安にした」として1月17日に懲役四年の判決を受けた。
 ところが裁判所の前には零下21度という厳寒状況にもかかわらず、五千人のバシキール人が裁判は不当だと押しかけ、警官隊と衝突した。
 日本にはまったく伝わらないニュースである。


  令和六年(2024)1月20日(土曜日) 通巻第8098号

  バシキール人はプーチンに何を求めているのか
   バシコルトスタン首都ウファの抗議集会に数千

 台湾独立問題と重厚に絡むのが、バシコルトスタンにおける反プーチン運動の盛り上がりである。
 ウラル地方の「小さな自治区」だが、全ロシアの関心事となった。前『大統領』ムルタザ・ラヒモフ(88歳、ロシアの傀儡=1月10日に死去)の葬儀(1 月13日)にプーチンが、わざわざモスクワからバシコルトスタンの首都ウファへ飛んだ。聞いたこともない少数民族の自治区が突如、ロシアのメディアで報じ られた。

 チェチェン人が勇名を馳せたのはプーチンとの血を血で洗う戦争だった。
オセチア、アブハジアがロシアから突然「独立」を認められ(「アブハジア共和国、南オセチア共和国」)、親ロシア大統領という、プーチンの傀儡的な政治 リーダーがいるのも、グルジアがロシアに無謀な戦争を挑んだからだ。当時のグルジア大統領は米国帰りのサアカシビリで、米国の支援があると錯覚して戦争を 始めた。

 アルメニアがナゴルノカバラフを失ったのは、アゼルバイジャンの背後にトルコがいても、プーチンはウクライナ戦争にかまけて介入せず、ナゴルノカラバフ に駐在していたロシア軍がそそくさと引き上げたからだった。ナゴルノにいたアルメニア人はバクーに9万人が引き上げ、諍いは終わった。アルメニアはこれで 親プーチンのスタンスを変えるだろう。

 バシコルトスタンには苛性ソーダ工場があった。
住民の環境保全を標榜する工場建設反対運動がブルドーザの進行を妨害し、建設を阻止した。当該ソーダ企業はプーチン系とされる資本家に売却された。
 この間、ラミルヤ・サイトバという反戦を訴える女性活動家がウクライナ戦争と徴兵に反対して逮捕され、五年の懲役刑となった。

 ベルリン在住のバシキール人ジャーナリストのラスダン・バリエフに拠れば、「アフガニスタン、チェチェン、そして今回のウクライナ侵攻に動員されたバシキールの若者およそ1350人が犠牲になっている」とした。

 2020年頃から環境保護活動家が騒ぎはじめたのは鉱物資源の鉱脈がみつかり鉱山工場建設に乗り出したからで、これはウラル山脈とボルガ河に挟まれた地区の美観と環境を破壊するとして激しい抗議行動が続いていた。

 リーダー格がファイル・アルシノフ(37歳)。かれは15年間、環境保護運動を展開してきた。モスクワ寄りの自治政府とは対立してきた。
アルシノフの排斥を決めた勢力は、「アルシノフは民族差別主義者で、バシコール人以外のタタール人やロシア人を『黒人』と差別用語を使い。また分離独立を訴えた」とし、1月16日に懲役四年の判決がでた。この不当判決に民衆が騒ぎ出したのだ。

 ちょっとでも民族主義にもとづく発言をすると、『分離独立主義』『祖国への反逆』だと難癖をつけて運動を芽の裡に摘み取るのはチベット、ウイグル、南モンゴルの活動家を弾圧する、かのゾンビ国家とそっくりである。

 アルシノフは裁判で「差別語や他の民族は出て行けとも言っていない。バシキール語からロシア語の通訳の誤訳だ」と訴えたが、裁判官から退けられた。
2024年1月16日、裁判所前に集まった数千人の抗議集会は警官隊と衝突し、催涙ガスが使われて40名が負傷し、六名が逮捕された。18日には8名が逮捕された。

 バシコルトスタン全土に飛び火した。
1月19日には首都ウファで大規模な集会があった。この首都における抗議行動には、ロイターや英国のメディアが現地取材をなし、およそ1500名が雪のなか、サラワトユライフ公園にあつまって歌ったり、踊ったりの平和的な集会だったと報じた。10名が逮捕されたという。

 ウクライナとの戦争がつづくなか、プーチンンは選挙を敢行する。当選は確定的とはいえ、この状況下で社会的不安定を煽るようなデモや抗議集会は珍しいため、沈静化に躍起となるのだ。

 ▼未承認国家とは何か?

 国際政治学では『未承認国家』のなかに「アブハジア共和国」「南オセチア共和国」「沿岸ドニエルトル・モルドヴァ共和国(コソボとナゴルノ、チェチェンな どは決着がついたとみられる)が含まれるが、たとえば廣瀬陽子『未承認国家と覇権ないき世界』(NHK出版)でも、バシコルトスタンはリストにない。

 バシキール人の分離独立運動がまだ目立たず、そのうえ地下組織はなく武装闘争やテロリズムにうったえない。だから世界の政治学者は認知しないのだろう。

 山内昌之の『スルタンガリエフの夢』(岩波文庫)は、ロシア革命でイスラム社会主義を訴えた英雄で、ボルガ・タタールの闘士の活躍と悲劇を活写した作品である。

 タタール自治共和国はバシコルトスタンに近い。ウファの西北に位置し首都はカザン。スキタイ、モンゴル、そしてロシアのイワン雷帝の侵略から露西亜革命後はソ連邦内のち自治区とされた。 
民族主義者だったスルタンガリエフは「タタール共和国」「バシキール共和国」の独立を唱え、スターリンの抜擢を受けながらも1940年に処刑された。
1990年に名誉回復があった。
スルタンガリエフはタタール人だが、バシコルトスタンの首都ウファ生まれなのである。

  まだまだ世界はどうなるか分からないようです。これは人類の原罪なのかも。やはり、人類は地球の敵なのでしょう。
  こんな世界を日本が率いるなんて日が来るのでしょうか。やはり、甘い夢想なのかも。


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