相変わらず憲法審査会は開かれることも無く如何に自民党がやる気が無いのかが良く分かります。
ねずさんも怒り心頭なのでしょう、このところ、6月22日、第2195回の「★十七条憲法と 冠位十二階が定められた理由とは」等、十七条憲法について何度も書いてくれています。
それにしても、この十七条憲法に戻すのはそれ程に難しいのでしょうか。であるなら、せめて宮崎さんが言われる5ヶ条の御誓文に戻すことを考えて貰いたいものです。
兎に角、今のアメリカの植民地状態を抜け出すことが日本のとるべき道であることはまちがいないでしょう。
政府・自民党が本気になって国民に問いかければ幾ら劣化したと雖も日本人は理解してくれるはずです。
つまり、とことん話し合って理解することこそ大事なのです。その話し合いを放棄しているのですからどうにもなりません。
余程、憲法改正したくない奴等がうようよしているのでしょう。それは、国民の考えとは血がっています。
何と、十七条憲法の本当の意味はそこにあるのだそうです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんのひとりごとより 2020/6/28
十七条憲法の 誤解釈を斬る
・・・略
つまり十七条憲法は、あくまで上下の身分を越えて顔を合わせて議論することの大切さと、そのためのルールを定めた憲法なのです。
ただ単に「和を以て貴しとなせ」というだけではない。
それにそもそも「和を以て貴しとなせ」というのなら、なぜ「和」が大事なのかの理由が明確にされていなければなりません。
その理由を明確にしないで、単に頭ごなしに「和が大事」と述べているのが憲法だというのなら、それではただの教条主義であり、どこかの新興宗教と同じです。
そうではなく、まず冠位十二階があり、身分の上下を明確に定めたうえで、十七条憲法においては、その身分の垣根を越えて、互いに心を開いて議論しましょう。
そうすることで我が国は間違いのない、あるいは少ない、国になることができるのだ、ということを示したのが十七条憲法であるわけです。
これは五箇条の御誓文の第一「広く会議をお越し万機公論に決すべし」と同じことです。
日本人は、ただ和を大切にするというだけの民族でもなければ、国家でもありません。
常に天然の災害に囲まれている日本では、その事前事後の対策のため、常にみんなとの合意の形成こそが大事とされてきたのです。
これが我が国が1400年前に制定した憲法の精神です。
十七条憲法は、単に「和を以て貴しとなす」ことをうたいあげた憲法ではありません。
それにしても、合意の形成から逃げる今の日本は余りにもおかしい。やはり、特亜3国の僕が多すぎるということでしょう。
どうあっても、選挙でそうした売国奴共を落とす必要があります。