日本の宝とも言える17条憲法と冠位十二階は、何とKoreaの人でなしを防ぐ為だったようです。
ねずさんが教えてくれています。それにしても、これは衝撃ですね。その恐ろしさを忘れた現代人のバカさ加減にも呆れるしかなさそうです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/06/29
十七条憲法と冠 位十二階が定められた理由とは
・・・略
そしてこの中から出てきた答えが、実は、冠位十二階と十七条憲法でした。
日本は、ワガママで身勝手な他所の国を責めるのではなく、まずは自分たちが率先して秩序のある良い国になっていこうとしたの です。
古来変わらぬ日本人の姿勢です。
603年12月こうして冠位十二階が制定されました。
服属している他国(つまり新羅)を責めるのではなく、まずは日本自体が率先して上下の秩序を明確に示そうとしたのです。
翌604年元旦に出されたのが十七条憲法です。
秩序は上下関係ですが、それだけでは日本の国柄に反します。
ですから上下一体となって、相互に議論を交わすことを「憲法」として発布したのです。
十七条憲法は一般に「和をもって貴しとなせ」と、仲良くすることを範とする内容の憲法と誤解されていますが、この十七条憲法 が主導しているのは、和ではなく、ちゃんとした議論をして問題を解決しようということです。
この議論のことを、古い言葉で「論(あげつらふ)」と言います。
現代用語で「あげつらう」といえば、悪意ある批判のこととされてしまっていますが、もともとの「あげつらふ」はそうではあり ません。
「あげ」は、「ことあげせず」の言葉にもあるように、相手を「上げる」ことを意味します。
相手の言葉をちゃんと聞き、その相手の言葉に、自分の言葉を重ねることで、議論を昇華させていくことが「あげ」です。
「つらふ」の「つら」は「面」、つまり互いの顔です。
ですから「あげつらふ」は、互いに顔を合わせて、相手の意見を聞き、その意見に自分の意見を重ねていくによって、よりよい議 論にたかめていくことです。
第一条には次のように書いてあります。
「和をもって貴しとし、人を恨んだり人格攻撃をしてはいけない。
問題があれば互いに議論を交わしなさい」
最後の17条では
「物事はひとりで勝手に決めてはいけない。
必ずみんなと議論しなさい。
特に重要なことは、
必ずどこかに間違いがあると疑って、
しっかりとみんなで議論をしなさい」
と書かれています。
軽々に軍事侵攻をするのではなく、どこまでも話し合いで解決する国柄であることを、まずは率先して日本が示すことによって、 新羅もまた、軽々に侵略に走るのではなく、話し合いで物事を解決することを期待したのです。
ところがその後にどうなったかというと、新羅はまるで現代におけるどこかの政党の誰それみたいに、何も問題がないところで、 声を大にして意味不明の大騒ぎをして自己の利益ばかりを図ろうとする。
それがまるで、みんなが静かに寝たい寝室で、布団を叩いて大騒ぎするような国だということで、新羅に付いたあだ名が「栲衾 (たくぶすま)」であったわけです。
これが7世紀のはじめの出来事です。
あれから1400年以上経過しましたが、あの国も、あの国から戦後に日本にやってきた人たちも、まるで変わっていないようで す。
何と、1000年の恨みどころじゃないですね。1400年以上経っても日本人を欺くことを止めないKoreaとの未来永劫の国交断絶は絶対に必要です。
日本人が日本を取り戻すには必須です。それを教えてくれたのが聖徳太子だったと言うことです。それを忘れる日本人はやはり平和ボケが過ぎるようです。
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