キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ワインの御利益

2020年01月28日 | Weblog
昨日は二日酔いで体調が悪く、午前中友人の告別式に行き、午後七沢の母のところへ行って退院の打ち合わせをして、帰って来たのが4時過ぎだったが、天気が悪かったせいで辺りは薄暗く、疲れていたせいもあり散歩もしなかった。
風呂に入り湯舟に長く浸かっていたらうとうとしてしまい、身体がやけに熱くなって目が覚めた。
酒を呑んでフルに入ることはないが、風呂でおぼれ死ぬこともあるらしいからちょっと気をつけなきゃいけないなあ。
古い友人の死で、ここの所本を読む気にならずTVを観てボーっとしているが、昨日も晩飯に海老とブロッコリーの中華風炒め、きりたんぽを食べて母の居間に移動してTVを観た。
酒を飲まなかったのにいつの間にかうとうとしていて気が付いたら10時だった。

NHKで証券会社を45歳で止めてCGのキャラクターデザイナーになった人の事をやっていた。
先日秋葉原の部品店の72時間を観たが、そこに集った人達と同じ匂いを感じた。
会社を辞めた時、証券会社のニューヨークの支店長で、奥さんと子供が二人いた。
最初は反対をしたものの結局ダンナの決断を認めた奥さんが偉い、男は誰も夢を持っているが金銭的な事や家族、特に女房に何か言われるのに弱いから、その夢を封印して詰まらないサラリーマン生活を続け、家にカネを持ってくるのは当たり前と大して感謝もされず、粗大ごみとなって死んでゆくものだ。
仮に夢を追っても成功する確率なんて低いから諦めてしまうのだが、この人の場合会社を辞めてから7年後に望むところに到達したから本人の努力も凄いが運が良かった。
もともとハンサムな顔立ちの人だったが、すごくいい顔をしていたなあ。
毎日会社へ行くのが楽しいと言っていたから良き人生を歩んでいる。

我が身を振り返ると自分から面白いと思ってやったのは釣りで、40歳から5年間くらいは熱中したが、職業にしようと思ったことはなかった。
1981年にハワイ駐在になり、マウイ島のパイナップルワイン「マウイブラン」を取り扱ったが、多くの取扱商品の一つで取り立ててワインが好きという訳でもなかった。
その後も何種類かのワインを輸入していたが、1989年にパリのヒルトンホテルで行われたワイン展示会に参加して、シャトー・ダレムのブリジットと知り合い、その足でフロンサックのシャトーまで行ったのがワインにのめり込む契機になった。
大学は園芸学部で柑橘の発根についての研究をしたが、ブドウの栽培と醸造の一般的なことを知っていたのと、オヤジの酒飲みが遺伝して酒が好きだったことがワインに傾斜していった理由なのかもしれない。
当時ANAとJALが乗務員にソムリエの資格を取ることを奨励していたので、今はCAと言っているが当時はスッチーと言って、若くて知的で美人の子が揃っていて華やかで艶やかだった。
この子たちが資格を取るために熱心に接近してきたから、ワインの肉感的なところと女の肉感が重なり、夢のような世界が現出し愉しかったねえ、これもワインの御利益だった。
今では航空会社のプログラムの中にソムリエの資格取得が含まれているのか、彼女たちが外へ出てくるのを見かけない。

亡くなった友人と退職後一休みしたら湘南の業務店と伊豆箱根のホテルと旅館に、今までのようにあくせくしないでゆったりと隠居仕事としてワインを売りに行こうと話していたのだが実現しなかった。
車にワインを積んで所謂引き売りで旅館を訪ね、時分になればそこに泊まり、温泉に浸かって、翌朝先を目指すって算段で、交通費と宿泊代が出れば御の字の商いをしたかったんだよなあ。
その時酒好きの相方がいると居ないのとでは愉しさや充実度が違う。
40年近く付き合った友人に替わりはいない、あまりにも早く友人を失うのは不幸なことだよなあ。



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