「バレエの巨匠たち」(8月6日、プログラムC)-1*建設中


  リハビリがてらゆっくりいこうかい。マトヴィエンコ&ルジマトフ「バレエの巨匠たち」プログラムCです。会場は東京国際フォーラムC。


 「ウィスパー」

   デニス・マトヴィエンコ、アナスタシア・マトヴィエンコ

  デニス・マトヴィエンコを見て、一瞬誰このおっさんと思いました。衣裳が野暮ったい。アナスタシア・マトヴィエンコはブルーのドレス。白い長い美脚に見とれました。振付はつまんなかったです。


 『眠りの森の美女』よりグラン・パ・ド・ドゥ

   カテリーナ・チュピナ、ミキタ・スホルコフ(キエフ・バレエ)

  両人とも純白のキラキラ衣裳で美男美女。やっぱクラシックはええなあ、と思いました。でも両人とも踊りは発展途上。アダージョはガタガタ。スホルコフはパートナリングを精進しましょう。チュピナちゃんはスタミナつけましょう。今後に期待。


 「Escape~終わりなき旅~」

   ファルフ・ルジマトフ、デニス・マトヴィエンコ

  御大ルジマトフ登場。上半身裸なんだけど、何このすごい筋肉。ゴールドジムサンクトペテルブルク店とかで鍛えているんでしょうか。最初の「ウィスパー」ではなんか精彩がなかったマトヴィエンコが激変、キレのよい動きでダイナミックな踊りを見せます。ルジマトフはまるでマトヴィエンコに挑むように、これまた迫力ある動きで踊ります。ルジマトフがどんどんマトヴィエンコに詰め寄っていくような雰囲気でした。男二人ならではのマッチョな振付で、マトヴィエンコがルジマトフをリフトしたり、見ごたえ充分な踊りでした。

  舞台には白いポリエチレン製(?)の大きな布が舞台上に敷きつめられていました。二人の動きによって起こる風でポリエチレンが舞い上がります。ルジマトフがポリエチレンを両手で高くかざした瞬間に、ルジマトフの後ろから白い照明が当てられました。ルジマトフの姿が白い幕の内側で影となって浮かび上がります。その前に立つマトヴィエンコ。演出も照明もすばらしかったです。この二人が踊るならまた観たい作品です。

  踊りが終わって二人でお辞儀をするところで、ルジマトフがなぜか丸いサングラスをかけて一瞬ジョン・レノン化してたんだけど、あれはお遊びだったのかな?幕が下りてまた出てきたときにはサングラスはかけていませんでした。


 「Blind Affair」

   イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフ

  なんとイワン・ワシーリエフの振付作品だそうです。ペレンとシェミウノフは黒い目隠しをしていました。ペレンちゃんはやっぱりスタイル抜群。ほっそりした、しかし均整の取れた身体のスタイルと美脚に見とれてしまいました。あとやっぱりテクニックが半端ないです。回転とかではシェミウノフのサポートが必要ありません。自分で勝手にぐるぐる回ってます。

  でも、振付には特に見るべきものはなかったです。


 「カルメン」

   エレーナ・フィリピエワ、ドミトロ・チェボタル

  曲はロジオン・シチェドリン編曲の「カルメン組曲」よりアラゴネーズ。でもアロンソ版ではなく、セルゲイ・シュヴィドキという人の振付だそうです。コンクール用に創作された小作品で、「カルメン」とストーリー上の関係もないようです。

  フィリピエワは背中が大胆に開いた黒いロングドレス、チェボタルは上半身裸に黒いロングスカートでした。踊りと関係ないですが、フィリピエワの衣裳はいわゆる「肌襦袢」がなかったです。生の背中、肩、腕でした。で驚いたのが、フィリピエワがすごく筋肉質な身体になっていて、ルジマトフと筋肉の付き方がそっくりに見えたことでした。特に背中。

  フィリピエワは終始鋭い目つきで笑顔を見せずに踊り、踊りが終わっても表情を変えることはありませんでした。男前モードのフィリピエワでしたが、アラゴネーズなら、やっぱりアロンソ版の冒頭シーン、カルメンのソロを見たかったなあ。フィリピエワのカルメン、超絶カッコよかったから。


 「タンゴ」より

   デニス・マトヴィエンコ、アナスタシア・マトヴィエンコ

  マトヴィエンコ夫妻が冒頭で踊った「ウィスパー」とこの「タンゴ」は、ともにエドワード・クルグの振付です。ほら、「レディオとジュリエット」の振付家。

  「ウィスパー」は少し退屈でしたが、この「タンゴ」はコミカルな作品で楽しかったです。マトヴィエンコは明るい陽性男だと思うので、ドロドロした陰気な作品よりはこういう陽気な作品のほうが合っていると思います。激しくケンカしていた二人が、しかめっ面のまま肩と腕組んでタンゴを踊るところが面白かったです。


  (その2に続く)

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お久しぶりです&おめでとう


  今日はアダム・クーパー45歳の誕生日です。そのせいか、昨夜見た夢にアダムが出てきました。公演の後にファンのみなさんと一緒に出待ちをしていたら、アダムが出てきて愛想良くサインや写真に応じてくれたという夢でした。夢の中のアダムもすごく気さくで優しかったです。


  さて、ブログの更新がすっかり途絶えてしまって数ヶ月、ご不審の念を抱かれた方々もいらしたと思います。申し訳ありませんでした。

  ハンブルク・バレエのガラ公演「ノイマイヤーの世界」を観に行ったのが3月9日、公演そのものはさほど印象に残るものではありませんでしたが、公演の冒頭で舞台上に現れたノイマイヤーの鋭い眼光とキレのある身体の動きを見て、ああ、この人は「ダンサーを引退した振付家」ではない、いまだ現役のダンサーたり得る人だと思いました。穏和な微笑を浮かべているイメージのあるノイマイヤーですが、一瞬踊ったノイマイヤーのあの真剣な目つきと圧倒的な存在感は忘れられません。

  上演された作品で面白かったのは『ヴェニスに死す』と『クリスマス・オラトリオ』くらいでした。が、それよりも、ノイマイヤーのナレーション「私が表現したいのは超絶技巧ではない。驚異的な身体能力でもない。“愛”だ」という言葉が耳に残りました。

  その翌々日に実家で飼っていた猫が天国に旅立ちました。具合が急に悪くなったというので急遽帰省した翌日のことでした。その日は折しも東日本大震災が起きた3月11日でした。

  最期をみとることができてよかったと思いますし、あの子が数年前に病気になってからというもの、家族で精一杯のことをやってきたので、何も後悔はしていません。

  でも、あの子がいなくなったのが悲しくてたまりません。

  4月に入ってから、新年度が始まって慣れないせいもあったのでしょう、日常生活や仕事に対して体力的・精神的な余裕がまったく持てなくなりました。疲れやすくなり、何でもない些細なことを一つ一つこなすのにも大変な苦労が要りました。ネットにも興味がなくなり、ブログを更新する気にもなれませんでした。バレエはチケットを買っていたので、ちょくちょく観に行っていたのですが、それでもブログで感想を書く気にはなれず。

  そのうちストレス性のじんましんが体じゅうに出てしまい(耳の奥にまでできた)、耳鼻科と皮膚科のお世話になりっぱなしです。

  季節は春から夏へと移り変わり、木々は緑の色を変え、色とりどりのきれいな花々が咲き、鳥はさえずり、空は青く、雲は白く、日射しはまぶしく、自然はこんなにきれいで美しい。でも、かわいい大事なあの子がいない。

  これがいわゆる「ペットロス」というものなのでしょうね。

  ペットロスには時間薬しかないんだそうで、なんかこの記事を書いている今も、あの子のことを思い出してしまい、涙が出てきそうです。

  まだ光は見えませんけれども、アダムの誕生日ぐらいは何か書こうか、夢も見たことだし、と思い立ってこの記事を書きました。


  アダム、誕生日おめでとう。
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ハンブルク・バレエ団『リリオム』(3月6日)


  結局当日券で2回目観に行きました。久しぶりですっかり忘れてたのでございます。ノイマイヤーの全幕作品は、後からボディ・ブローのようにじわじわ効いてくるといふことを。また、消化に時間がかかるといふことを。

  金曜日(4日)に観に行ってから、あの音楽が頭の中で鳴りっぱなしで止まることなく、もう一度観たいという誘惑に打ち勝つことができませんでした。金曜日に観に行ったときに会場でリピータ券買っとくんでした。そしたら1,000円引きだったのにぃ~!当日券は定価でした、はい。

  公演前にノイマイヤーのプレトークがあったんでついでに聞きました。聞き手は『ダンスマガジン』でおなじみの三浦雅士氏。時間は30分ほどでした。噂には聞いてましたが、聞き手(三浦氏)が話し手(ノイマイヤー)よりもしゃべりまくるってどうなんでしょう。ノイマイヤーの話がもっと聞きたかったです。

  私は『リリオム』についての話を期待していたのですが、三浦氏は来週行われるガラ公演 「ジョン・ノイマイヤーの世界」と『真夏の夜の夢』について、ほとんどの時間を割いてノイマイヤーに聞いて(というより自論を話して)ました。終わりにも「みなさん、近隣の人を誘ってぜひ観に来て下さい!」と念押ししてたんで、たぶんチケットが売れてないんだと思います。確かに今日の『リリオム』も、日曜日の昼だというのに空席がかなりありました。

  演目が知られてないせいもあるでしょうが、チケットの値段が高すぎるせいも大いにあるでしょう。英国ロイヤル・バレエ団日本公演のチケット価格を見たときには、NBS、気は確かか?と思いましたよ。でもさすがに、ミラノ・スカラ座バレエ団(ヌレエフ版『ドン・キホーテ』)のチケットは据え置き価格のようです。あのレベルのバレエ団で20,000円以上取るんなら誰も観に行かないでしょうからね。ただ、ミラノ・スカラ座バレエ団のダンサーが主役を踊る回に行っちゃう人はいるんだろうな。気の毒だ。

  ノイマイヤーのプレトーク。『リリオム』については何しゃべったんだっけ?えーとね、まず音楽。ミシェル・ルグランからある日電話があって、ノイマイヤー作品の舞台をみて面白かったので、一緒に仕事がしたいと言ってきた。ノイマイヤーは『リリオム』をバレエ作品にしたいと長年思っていて、ルグランの申し出があったときに、これは『リリオム』のバレエ化を実現するチャンスだと思った。

  『リリオム』では、ジャズバンドが奏でるジャジーな音楽とクラシック風の音楽の二種類が用いられているが、ジャズは外界を示していて、クラシカルな音楽は内面を示している。

  リリオムの子ども(原作、映画、ミュージカルでは娘)を息子に変更したのは、息子にすることによって、リリオム自身の子ども時代も同時に見せることができるから。「風船を持つ男」はあの世とこの世とをつなぐ役割を果たしている。なんか切れ切れにしか覚えてません。

  『真夏の夜の夢』の話については、私は観に行かないのでまったく記憶になし。ガラ公演については、ガラ公演にありがちな、パ・ド・ドゥの寄せ集めで主役級のダンサーだけが踊るのではなく、カンパニーのダンサー全員が活躍できるような構成にした。あとは能がどうとか、生死がどうとか言ってました。つーか三浦(ここでは敢えて三浦と呼ばせてもらおう)、てめえは黙れ。

  肝心の公演『リリオム』についての感想です。2回目とあって、初回よりはいくぶん落ち着いて観ることができました。さすがはノイマイヤーで、演出にまったく隙がない。またすべての登場人物が生きている。『リリオム』については、ノイマイヤーの作品に時に見られる、計算し尽くされた押しつけがましい周到さが鼻につくということもなかったです。

  「風船を持った男」(サシャ・リーヴァ)は「この世とあの世とをつなぐ者」であると、ノイマイヤー自身がネタバラシしちゃったのはいささか興ざめでしたが、おそらくリリオムを守る善霊というか、守護天使のような存在なのだろうと思います。そして、「悲しいピエロ」(ロイド・リギンズ)は、「風船を持った男」と相対する存在、リリオムと同様に破滅してしまった堕天使のような存在なのでしょう(前回は分かりやすいとかベタとか書いてすみません)。ラストで、「悲しいピエロ」は「風船を持った男」と同じ動きで歩くので。

  風船を持った男役のサシャ・リーヴァは圧倒的な存在感があります。でも気配を完全に消すこともできる人です。メイクが故デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」みたいに白塗りで、また常に無表情なせいもありますが、それを差し引いても非常に神秘的な不思議な雰囲気を持っています。常にゆっくりした動きで歩いたり踊ったりします。まったく不安定さがありません。

  リリオムが荒れる息子ルイスのもとにやって来るシーン。リリオムはマリーとウルフ夫妻、その息子のエルマーがルイスを侮る様子を見て憤り、彼らに対して中指を立て(笑)ます。風船を持った男はリリオムの手を優しく押さえて止め、ルイスに近づくよういざないます。また、ジュリー、ルイス、リリオムとともに踊る(EXILEのChoo Choo TRAIN状態)とき、それまで無表情だった風船を持った男は、はじめて明るい微笑を浮かべます。このときのサシャ・リーヴァの表情がすごく良くて、観ているこちらまで救われたような気になりました。

  カーテン・コールでは、このサシャ・リーヴァに非常に大きな拍手とブラボー・コールが送られました。主役のアリーナ・コジョカル、カーステン・ユング、演奏の北ドイツ放送協会ビッグバンドと同じくらい大きな拍手喝采でした。リーヴァがお辞儀をして拍手に応えている間、後ろに立っていたダンサーたちが足をドンドンと踏みならしました。これは拍手の足バージョンです。リーヴァが同僚たちからも好かれていることがよく分かる情景でした。

  『リリオム』のバレエ化に長い時間がかかった理由の一つは、主役のリリオムとジュリーに適したダンサーがいなかったからであることをコジョカルが明かしていました。それは分かる気がします。ノイマイヤーは基本的に「清く正しく美しく」な振付家であるため、ハンブルク・バレエ団に集まるダンサーたちも、自然と癖のない、アクの強くない人材ばかりになってしまうからでしょう。

  ノイマイヤーは確かに、思いどおりにいかない愛、すれ違ってしまう愛、報われない純愛を表現するのに長けている振付家ですが、たぶんねっとりした、絡みつくような、生々しい男女の情愛を表現するのはさほど得意ではないと思います。それは、リリオムとその雇い主であり愛人でもあるマダム・ムシュカートとのパ・ド・ドゥが、定型表現的な、いかにも「ザ・セクシー」な振付になってしまっていることから感じられます。

  リリオムとマダム・ムシュカートのパ・ド・ドゥは複数ありますが、その都度、もしケネス・マクミランなら、もっと爬虫類系な粘っこい振付で表現できたろうな、と思ってしまいました。

  金曜日に観たときは、第一幕最後のリリオムとルイスのデュエットに涙しましたが、今日は第二幕最後でのリリオムとルイスのデュエットで目が潤んでしまいました。リリオム役のカーステン・ユングの表情が、これがまた父親らしい、すごい優しい表情でね。二人で伸び伸びした動きで並んで踊るシーンにはカタルシスを感じました。それまでリリオムもルイスも、腕を荒々しく振り回したり、床を乱暴に踏み鳴らしたり、身体を小さく縮めて転げ回ったり、そういう動きしかしてなかったのが、はじめて四肢を存分に伸ばして、それこそ解き放たれたように大きな動きで踊ります。

  ジュリー役のコジョカルは、『リリオム』が、配偶者や子どもへの暴力を肯定的に描いていると受け取られかねないことについて、インタビューの中で説明し反駁していました。確かにこの作品では、リリオムがジュリーを殴り、またルイスを殴るシーンが象徴的に用いられています。

  ミュージカル映画『回転木馬』のラストで、地上に降りてきたビリー(リリオム)は、天から持ってきたプレゼントの星を受け取ろうとしない娘のルイーズ(ルイス)を殴ってしまいます。ルイーズはショックで泣き叫びますが、母のジュリーに「でも不思議なの。殴られたのに全然痛くないのよ」と言います。亡き夫がやって来たことを確信したジュリーは、ルイーズに答えます。「ええそう、殴られても痛くないことってあるのよ。そういうことがあるの。」 私個人は、なんかこれで納得できるような気がします。

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ハンブルク・バレエ団『リリオム』(3月4日)


  


  最初はつまらないと思ったのですが、いつのまにか惹き込まれてしまった不思議な作品でした。プロローグと7場から成り、プロローグ、第1~4場までが第一幕、第5~7場が第二幕として上演されました。

  第一幕の最後(第4場の最後)、リリオムがまだ生まれていない我が子(アレッシュ・マルティネス)と幻想の中で踊るシーンでは、私としたことが泣いてしまいました。涙が自然に流れてしまって、自分でも驚きました。ちょうど花粉症の季節でよかったです。

  リリオムとジュリーとの踊りの振付が非常に言語的なのに対して、リリオムと息子ルイスとの踊りの振付は叙情的でとてもシンプルです。個人的には、リリオムとジュリーとのパ・ド・ドゥより、リリオムと息子ルイスとのデュエットのほうが優れていると感じました。ノイマイヤーが特に振り付けたかったのは、この父と子二人の踊りなのではないかと思ったくらいです。

  ミシェル・ルグランの作曲になる音楽は圧倒的です。リリオムとジュリーの愛を示すメインテーマの音楽もドラマティックで美しかったですが、第5場で相対するライトモティーフの音楽が複雑に、絶妙に交差していくのには唸りました。北ドイツ放送協会ビッグバンド(お堅い名前だけどジャズバンド)の演奏もすばらしい。

  リリオム役のカーステン・ユング、ジュリー役のアリーナ・コジョカル、ともに主役にふさわしい演技と踊りでした。確かにユングのような荒々しいタイプの男性ダンサーはめったにいませんね。コジョカルも薄幸で健気な女性が得意だし。二人ともまさに適役です。

  最も印象に残ったのは、「風船を持った男」役のサシャ・リーヴァです。最初から最後まで出ずっぱりです。この「風船を持った男」とはいったい何者なのか、漠然と分かるような気はするのですが、全公演が終了した後にあらためて書くことにしましょう。

  ロイド・リギンズが演じた「悲しいピエロ」役の意味は分かりやすいし、人物造型もベタなんだけど、それでも切なさを感じました。

  ところで、金持ちになったマリーとウルフの息子、エルマーを踊ったエマニュエル・アムシャステギって、2010年のローザンヌ・コンクールで1位・プロ研修賞・観客賞の三冠獲ったクリスティアン・エマニュエル・アムチャステギ(Cristian Emanuel Amuchastegui)じゃないか?コンテンポラリーで一人だけクソ難しい作品を選んで見事に踊ってのけた子。結局ハンブルクに入ったか。

  この『リリオム』は1930年代、大恐慌(1929年)後の大不況にあえぐアメリカが舞台です。しかし、貧困、失業、暴力、富める者と貧しい者との格差、ひとり親家庭の困難、貧しさと暴力の負の連鎖など、どこかに現代と、そして自分とリンクする点があります。それをつかんでしまうと、あっという間に引きずり込まれてしまうのです。

  カーテンコールは観客ほぼ総立ちのスタンディング・オベーションになりました。NBSがよくやる(笑)無理矢理スタオベではなく、観客が自然に立ち上がっていきました。

  『リリオム』は明日(3月5日)と明後日(3月6日)も上演されます。日本初演で、日本では知られていない作品のせいか、空席がまだ割とあるようです。会場で1,000円割引のリピーター券も販売されていましたから。

  絶対おすすめ、というわけではないですが、『リリオム』を観ようかどうか決めかねていて、時間とお金に若干の余裕があるみなさまは、いっそのことご覧になってみてはいかがでしょうか。

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新国立劇場バレエ団『ラ・シルフィード』(2月11日)-3


  わけあってその3を先にアップします。

  ジェームズ役の福岡雄大さんは相変わらず盤石の安定感。こういうふうに、男性ダンサーの主役がちゃんと舞台を引っ張れるっていいことだ。

  まず演技。結婚式を目の前にしてマリッジ・ブルーに陥り、婚約者のエフィを本当に愛しているのかどうか、自分でも自信がなくなってしまう。それでも「いや、オレはエフィを愛しているんだ、そうだよな?」と無理やり自分に言い聞かせる。しかし依然として、肝を据えて責任ある大人の男になる覚悟を決められない。この時点でもうアウトです。果たして、シルフィードの誘惑にこれ幸いと軽率に乗ってしまい、花嫁エフィを捨てて去る。

  ジェームズが表面上は「男らしいスコッツマン」を気取っていながら(老婆であるマッジに対する過度に乱暴な態度もその表れ)、実は優柔不断で、気弱で、現実から逃げたがっているボクちゃんだということがよく分かったし、シルフを自分のものにするために捕まえるという強引な手段を選んだことから、自分勝手なヤツだってこともよーく分かりました。ジェームズがすべてを失って死んだのも自業自得だ、と超納得。

  踊りも良かったです。もともと、福岡さんは爪先やかかとの細かい動き、各種足技、回転と足技の複合技が得意なのに加え、今回は上半身をまっすぐに保ち、脚を過剰に上げたり開いたりせず適切に抑えていたので、すごく見ごたえがありました。スキップするように軽くジャンプし、後ろに引いた脚の膝から下をすっと上げる、あの独特なジャンプもきれい。音楽にもよく乗っていたし、キルト・スカートとハイソックスの衣裳も似合っていました。

  ジェームズの「やり過ぎ指針」は、キルト・スカートがしょっちゅう翻って生太モモがしょっちゅうむき出しになることです。これは動きが大きすぎることを意味すると思うのですが、福岡さんはほとんどそういうことがありませんでした。

  木下嘉人さんが演じたグァーンも考えようによってはマッジに加担した悪人なんだけど、木下さんのグァーンは、ちょっと魔が差してズルしちゃっただけの、基本的には至極善良な人物。グァーンの場合、その「ちょっと魔が差した」ことが、行方不明になったジェームズの痕跡(帽子)を隠して、もともと大好きだったエフィに結婚を申し込むことだっただけです。どのみち、ジェームズはもう二度と戻ってこないこと、ジェームズがエフィから他の女(シルフィード)に心を移したことを、グァーンはよく知っていたのですからね。

  ところで、木下さんのシルフィードの真似は笑えた。インベーダーみたいなポーズで両腕をパタパタさせながらスクワット(?)するヤツ。木下さんのグァーンは大成功のキャスティングだと思います。

  マッジはなんと本島美和さん!セクシー美女メイク&衣裳だったカラボスとは違って、今度はガッツリババアメイクとボロボロ衣裳。でも演技はお見それしましたの一言。憎々しい表情がとにかくすごいし、目力も凄まじい。大迫力。存在感バリバリ。オーラ全開。ラスボス。

  本島さんのマッジというキャスティングも、木下さんのグァーンと並んで大成功。この2人が脇にいて重しになり、舞台の上で物語の世界がきちんと成立していました。

  このマッジはカラボスと同じ悪役の魔女に分類されるんだろうけど、カラボスはリラの精と対比されることで立ち位置が分かりやすいのに比べて、マッジのほうはどういう人物なのか、役回りなのか、正直よく分からないでいました。マッジが諸悪の根源だとか、マッジがジェームズを不幸にしたとかいう解釈はどーも腑に落ちない。

  「現代的な解釈」をつければ、マッジはジェームズやグァーンの中にある「邪悪な部分」を人物化したんでしょうね。ジェームズの場合は、エフィとの気の進まない結婚は成就しないよう願う、愛しいシルフィードを騙して捕まえ、自分から逃げないように図る、グァーンの場合は、ジェームズがどこに行ったか知らんぷりをする、エフィの傷心につけ込んでプロポーズする。マッジは元々そうしたかった彼らの背中を押しただけ、そんな気がします。

  第一幕、ジェームズの他に、グァーンにもシルフィードの姿が見えます。しかし、エフィをはじめとする他の人々には見えません。あまり深く考える必要はない問題かもしれませんが、これはどういうことなんでしょう?

  ジェームズに裏切られるエフィ役の堀口純さんも、さりげなく良い演技と良い踊りを見せていました。意外だったのが、大柄でダイナミックな印象がある堀口さんが、可憐でかわいらしい少女になっていたことです(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)。グァーンとの結婚を承諾した後も、まだジェームズのことがあきらめきれず、どことなく悲しそうな表情をしていたのも自然でよかったです。

  エフィは第一幕でソロを一つ踊り、あとはジェームズと一緒に群舞の中で踊るだけなんだけど、堀口さんのソロでの踊りがとてもよかったです。堀口さんの踊り=大味、というイメージが崩れました。ブルノンヴィルっぽい細かいステップを見事に踊りこなしていて、堀口さんの足元に見入ってしまいました。

  今回以前に、新国立劇場バレエ団が『ラ・シルフィード』を上演したのはいつなんでしょう?初演は2000年だそうで、プログラムに使用されている舞台写真のシルフィードは酒井はなさんのように見えます。まさかそれ以来上演してないのだろうか?だったら今回の「雑なブルノンヴィル」感は納得できるような。

  次はあまり間を空けずに再演して下さい。

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新国立劇場バレエ団『ラ・シルフィード』(2月11日)-1


  まずはおひさしぶりぶり~。

  今日は1ヶ月ぶりのバレエ鑑賞です。私にはこの1ヶ月間の記憶がほとんどありません。人間限界ギリギリまで忙しくなると本当にこーなるんだ、と驚きです。殺人的に忙しい毎日を送っている先輩がやっぱり慢性的な記憶喪失に罹っていて、私はそれをずっと他人事だと思ってましたが、誰でも罹患することがよく分かりました。

  さて、今日のプログラムは2本立てでした。


 「Men Y Men」


  振付:ウェイン・イーグリング
  音楽:セルゲイ・ラフマニノフ
  編曲・指揮:ギャヴィン・サザーランド)
  演奏:東京交響楽団  

  マイレン・トレウバエフ、貝川鐵夫、福田圭吾、輪島拓也、小口邦明、小柴富久修、原 健太、橋一輝、渡部義紀


  上演時間はほぼ15分です。短いけど、この手の作品はこれくらいの時間が(主に観客にとって)限度なんだよね。適切な長さです。

  照明の担当者名がプログラムに書いてないのですが、照明が非常にすばらしかったです。ダンサーたちの上半身や両腕の動きが、まるで連続写真のように、美しい螺旋状に見えたのは、照明の力もたぶんに大きかったのだろうと思います。

  ラッセル・マリファントの作品に照明の効果を縦横に発揮した"Two"という作品があります(照明担当はマイケル・ハルズ)。シルヴィ・ギエムもよく踊っていた作品です。ダンサーたちの動きの見え方は、この"Two"とよく似ていました。

  上に書いたようにダンサーはオール男。上半身は裸で、黒いズボンを穿いているだけです。

  振付は基本クラシックです。発想が面白いと思ったのは、まず普通は男女のペアがグラン・パ・ド・ドゥのアダージョとかで踊るような振付の踊りを、男性同士のペアが踊ったらどうなるかを試みているのが一点目、次に普通は女性ダンサーの踊りで強調される曲線的な腕の動きを、男性ダンサーがやったらどうなるかを試みているのが二点目です。

  特に男性ダンサーたちによる、オデットや「瀕死の白鳥」みたいに腕を柔らかくたわませる動きが、照明のおかげもあってか非常に美しくて印象に残りました。

  男性同士のパ・ド・ドゥでは、サポートだけではなく、リフトも普通にしてたんでびっくりしました。そんなに危険なものはなかったけどね。

  ただ、意欲作だとは思うんですが、男性同士が複数のペアを組んで踊るのを観ていたら、マシュー・ボーンの「スピットファイア」が脳内で同時上映されてしまい、しばしば噴き出しそうになって困りました(気になる人はYou Tubeで"Spitfire"と"Matthew Bourne"で検索してみてね!)。

  (次に『ラ・シルフィード』編に続く)

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ミハイロフスキー劇場バレエ『白鳥の湖』(1月10日)


  ミハイロフスキー劇場バレエの『白鳥の湖』は、観るたびにバージョンが変わっている、という印象が私にはかねてよりありまして、今回も「これ、前の日本公演でも上演したっけ?前のとはかな~り違うような?」と思いました。

  でもそれだけに、今回はどんな『白鳥の湖』なんだろう、ラストは悲劇かハッピー・エンドかどっちだろう、と楽しみでもありました。

  今回上演されたのは、マリウス・プティパ、レフ・イワーノフ原振付、アレクサンドル・ゴルスキー振付、アサフ・メッセレル演出、ミハイル・メッセレル改訂演出版だということです。

  アサフ・メッセレルはマイヤ・プリセツカヤの母方の叔父さんです。改訂演出を担当したミハイル・メッセレルは、アサフ・メッセレルとプリセツカヤの母親の妹の息子です。つまりアサフ・メッセレルにとっては甥っ子、マイヤ・プリセツカヤにとってはいとこにあたります。ミハイル・メッセレルは今回の日本公演で上演された『ローレンシア』の復刻演出も手がけています。

  公演プログラムおよびマイヤ・プリセツカヤの自伝『闘う白鳥』(山下健二訳、文藝春秋社刊)によると、ミハイル・メッセレルとその母スラミフィは、1980年(あるいは1979年)に行われたボリショイ・バレエ日本公演中、アメリカ大使館に駆け込んで西側に亡命したそうです。ソ連崩壊後にミハイル・メッセレルは祖国に戻り、現在はミハイロフスキー劇場バレエの首席バレエ・マスターを務めています。

  マイヤ・プリセツカヤは去年亡くなりました。プリセツカヤとミハイル・メッセレルとの仲は良好とはいえなかったようです。プリセツカヤは自伝の中で、ミハイルはロシアに帰国後、メッセレル家の財産(不動産)の所有権をめぐって、プリセツカヤに対して訴訟を起こしたと書いています。もっとも、プリセツカヤの自伝は20年前に出版されたもので、近年における二人の仲はどうだったのか分かりません。最後は和解したのならいいのですが。

  まあこれは余談。マリインスキー劇場バレエが上演しているコンスタンティン・セルゲーエフ版を見慣れているせいで、このゴルスキー/メッセレル版は新鮮、いや正直言うと違和感がありまくりでした。慣れというのは時に厄介です。全体的な印象は、ロシア系統の『白鳥の湖』にしては演劇的だということです。演技やマイムによって、ストーリーや登場人物の心情が細かく説明されていました。

  第三幕、舞踏会の構成が面白かったです。まずナポリ→ハンガリー→ポーランドの順で民族舞踊が踊られ、その次に姫君たちが踊り、その後にオディールとロットバルトが登場し、そしてスペインの踊り、最後が黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥでした。で、スペイン軍団4人はオディールと同様にロットバルトの手先という設定のようです。王子がオデットを裏切ってしまった後、ロットバルト、オディールと一緒に姿を消していたので。このへんはウラジーミル・ブルメイステル版を彷彿とさせます。

  最も面白かったのが、最終幕である第四幕で、オデットの感情がはっきり表現されていた点です。なんとオデットがクラシック・マイムで泣く演出がありました。また、湖畔に駆けつけて許しを請う王子を、オデットは最初は拒否します。他の版の演出だと、最終幕のオデットは何を考えているのか分からないことが多いでしょう。で、やって来た王子と意味不明に踊る(笑)。

  でもこのゴルスキー/メッセレル版では、オデットは自分を裏切った王子を許せなくて拒むのです。実に自然な演出じゃありませんか。でもオデットはやはり王子への愛を断ち切れません。オデットは王子のもとへ降り立ち、二人は互いにいとおしげに抱き合います。そして一緒に踊る。うん、自然な流れです。

  オデットと王子に襲いかかるロットバルトに対して、オデットが王子をかばい、腕をまっすぐに伸ばして立ちふさがる演出もよかったです。『ローレンシア』もそうだったけど、全体的に女が強いんだよね、旧ソ連時代のバレエの演出って。はっきり感情表現するオデット。いいねえ。一方、今のボリショイ・バレエのユーリー・グリゴローヴィチ版では、オデットは王子の妄想の産物ってことになっちゃってて、逆につまんない。

  第一幕のパ・ド・トロワでは、ワレーリア・ザパスニコワ(たぶん)がすばらしかったです。技術がしっかりしていて安定していました。アンドレイ・ヤフニュークはもっとパートナリングを頑張りましょう。エラ・ペリソン(たぶん)の美しい体型には驚愕しました。首が長くて細くて鶴みたい。

  第二幕では、大きい白鳥(3人)の中の一人、スヴェトラーナ・ベドネンコ(たぶん)が、身体能力の面では突出していました。他の二人、アスティク・オガンネシアン、アンドレア・ラザコヴァも身長高い、首と手足長い、細い、と人間離れした体型揃いでした。第一幕のパ・ド・トロワを踊ったエラ・ペリソン(たぶん)も驚異的な体型をしてました。

  白鳥のコール・ドもみな「アーユーホントに人間?」と尋ねたくほど高身長・首長・手長・足長美女ばかりで、10年前のミハイロフスキー劇場バレエのコール・ドよりも確実に体型が変化しています。世代レベルでの体型変化がロシアでも起きているんだと思います。

  8日の『海賊』でランケデムを好演(踊りは凄かったし演技も大爆笑)したアレクサンドル・オマールは、今日は第三幕でスペインの踊りに登場しました。やっぱり存在感がありますなー。

  イリーナ・ペレンのオデット/オディールを観るのは何年ぶりだろう?技術にやや衰えが出てきたようですが、しかし表現力は確実に増していました。技術が衰えたといっても、目立ったミスは相変わらずほとんどしないんだよね、ペレンちゃん。少し音楽に遅れてもまったく動じることなく、きっちり追いついて最後は確実にキメます。冷静で落ち着いていて余裕があるというか。考えてみれば、ペレンちゃんの踊りを観てきて10数年、ペレンちゃんが大きなミスしたところって見たことない気がする…。

  ペレンちゃんの踊りに豊かな情感が立ち込めていたのが、今日最大の衝撃でした。波打つ両腕の動きのなんと美しいことよ。空間を大きく切り取る長い手足の角度のなんと絶妙なことよ。ペレンの姿が舞台の中で浮き立って見え、そのポーズ、動きの一つ一つからなぜか目が離せません。別格感が漂います。

  以前は、確かにきれいで美しい子で、かつ技術的にも正確に踊るけど、なんか表情がなくて、機械仕掛けのお人形みたいに無感情に手足を動かしているだけ、といった印象がありました。

  でも、今日は悲しげなオデットの表情も、王子を嘲笑うオディールの表情も、どれも非常に魅力的でした。いかにも演技です、という感じがしなくて、とても自然でした。いちばんよかったのは、オデットが自分が人間の姿に戻ったことに気づいて、自分の両腕を確かめるように触りながら微笑んだ表情。実にかわいらしい、暖かな笑顔でした。

  ミハイロフスキー劇場バレエは、ボリショイやマリインスキーからドロップ・アウトした連中の「セーフティ・ネット」と化しているところがあります。しかし、ペレンは生粋のミハイロフスキー劇場バレエのバレリーナです。イリーナ・ペレンこそがミハイロフスキー劇場バレエのプリマだ、と強く思いました。

  強く思ったことがもう一つ。ペレンちゃんはあのとおりの美女です。やはり美人は最強です。踊りが多少ぎこちなくても、美人なら許される。美人は無敵。美人に罪なし。美人は正しい。

  また、(たぶん)他人の意見は右から左に聞き流してスルーし、常にマイペースで徹底して我が道を行くドライな性格(あのファルフ・ルジマトフでさえもどうにもできなかった)も、ここまで貫きとおすといっそ立派でさえあります。

  王子役のヴィクトル・レベデフはメイクのせいで月亭方正似になっていましたが、小顔・長身で均整のとれた体型のイケメンでした。演技も良かったです。まとめて上演された第一幕と第二幕では踊りが少し硬かったですが、第三幕と第四幕は絶好調でした。回転柔らかいし、跳躍も高い。演技力と見てくれではレオニード・サラファーノフとイワン・ワシリーエフに勝ってるよ。

  レベデフについては以上。来年また日本公演で活躍してね(適当)。字数多すぎだからもうこのへんで。

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ミハイロフスキー劇場バレエ『ローレンシア』


  『ローレンシア』、良かったですよ。なんで1回しか上演しないの?2回やってもよかったんじゃない?

  まず内容。『ドン・キホーテ』と『パリの炎』を足して2で割ったような作品かと思ってたら、意外にもはるかにリアルだったというか衝撃的だったというか。確かに旧ソ連感満載のプロパガンダ作品ではあるのですが、騎士団の団長から兵卒に至るまで、通りがかった村の娘たちを手当たり次第に強姦しまくるというキャラ設定は、ロマノフ王朝時代の軍隊の振る舞いに由来するのかもしれません(とはいえ、第二次世界大戦末期のソ連軍も強姦、略奪、放火が得意だったが、ここではまあ置いといてやる)。

  第一幕ではハシンタ(アナスタシア・ソボレワ)が兵卒たちと騎士団長の餌食となり(かなり生々しい演出で驚いた)、第二幕ではなんと結婚式を挙げたばかりのヒロイン、ローレンシア(イリーナ・ペレン)までもがその犠牲になってしまいます。ヒロインがレイプされる作品って、あとは『マノン』ぐらいしかないんじゃないの?

  しかし、なすすべなくぐったりと倒れ伏すマノンと違って、ローレンシアは負けてません。屈辱に混乱し、怒りに震えながらも自身を奮い立たせ、村人たちを鼓舞して武装蜂起を自ら統率し、騎士団のいる城になだれ込みます。で、このときのペレンちゃんの演技が意外に(すみませんね)すごく良かったです。

  毅然とした態度で傲然と顔を上げ、鋭い目つきで前をキッと見据える表情には威厳さえ漂っていました。ほー、ペレンちゃんはこういう強い女を演じることもできるんだな、と感心しました。というか、ペレンちゃんは強い女が実ははまり役なんじゃないかな。

  社会主義国家お約束のスローガンには、必ず「女性の解放」があります。そうとは分かっていても、ローレンシアをはじめとする女性たちが、女を虐げる男たちの象徴である騎士団の城内で、前を見据えながら力強い動きで全員で踊る様は壮観でした。

  ローレンシアの恋人フロンドーソ役はイワン・ワシリーエフ。数年前に観たときより更に一回り(体が)大きくなった感がありますが、ちゃんと踊れているからいいか。技にフィギュア・スケートのシット・スピンみたいなピルエットが加わった模様。540ターンもやった。でも、あの体型はもうどうしようもないのかな。惜しいんだよね、このまま終わっていいダンサーじゃないと思うから。

  観客の目を惹きつける強いオーラ、場を盛り上げる才能、相変わらず力強くて高いジャンプと緩急自在の回転、頼りがいのあるパートナリング、そして何より、ああいう一見すると滑稽でつまらないような役でも没頭して演じる真面目さ、稀有なダンサーだと思いますよ。

  ワシリーエフの現状を考えると、ひねくれて腐ってしまっていても当たり前なのに、舞台上のワシリーエフからはそういったところがまったく見えませんでした。ワシリーエフはとにかく明るく、このフロンドーソという役を一生懸命に演じ、様々な技を披露して観客を楽しませてくれました。ワシリーエフ、なんとかなんないのかな、もったいないのよ。

  ワシリーエフはカーテン・コールでも、登場する瞬間にいろんなジャンプをして現れ、そのたびに観客がドッと笑い、会場が大いに盛り上がりました。

  村の娘ハシンタ役のアナスタシア・ソボレワ、ローレンシアの友人、パスクアラ役のタチアナ・ミリツェワ、ともにすばらしかったです。特にソボレワは要注目、期待大です。

  ストーリーと構成の問題は置いといて、『ローレンシア』が現在ではほとんど上演されていない理由は、踊りの面からも納得できます。『ドン・キホーテ』みたいに、キトリとバジルと森の女王役に良いダンサーを3人揃えればなんとかなるような作品じゃないです。

  しかも、『ドン・キホーテ』のバジルが第一幕と第二幕ではサポート・リフト専門で、第三幕でようやくソロを踊るのとも違い、『ローレンシア』のフロンドーソは全幕通じてとにかく踊りまくりです。フロンドーソばかりでなく、他の男性ダンサーたちが踊るシーンも非常に多かったです。

  また女性を含め、主要な登場人物には全員ソロの踊りがあり、また高難度なリフトがあるパ・ド・ドゥやパ・ド・トロワを踊り、更にコール・ドの踊りも振付がすっごい難しい。全体的にハイレベルなバレエ団じゃないと上演は無理な作品だと思います。  

  これは踊りを見せる作品であって、ストーリーを見せる作品ではないのです。それだけに踊りがすばらしければもう充分に楽しめます。

  演出はもう少し改訂したほうがいいかもしれません。特に武装蜂起のシーン。あるいは場数の問題かとも思います。ダンサーたちばかりか、オーケストラも慣れてなくて戸惑っているのが分かりました。数をこなせば自然になるでしょう。

  次の日本公演でもぜひ上演してほしい作品です。

  カーテン・コールではスタンディング・オベーションが起きました。年中行事化しているミハイロフスキー劇場バレエ日本公演では珍しいことです。しかも日本初演作品でスタオベなんて。しかもこれ旧ソ連、しかも1939年の作品だよ?すごいね。それだけ良かったっちゅ~ことですわ。

  またあらためて書く機会があれば書きますねん(無理かもしんないけど)。

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謹賀新年


  あけましておめでとうございます。

  本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。ギエムの「ライフ・イン・プログレス」の感想とか書きたかったんですが、なかなか時間が取れないまま年が明け…。

  すでにミハイロフスキー劇場バレエの観劇週間に突入。『ラウレンシア』、『海賊』、『白鳥の湖』の3演目を観ます。

  というわけで新年初笑い。


  


  そっかあ、なるほど、「左上から2人目」がロジャー・フェデラーなのね。誰が誰だかわかんなくて困ってたのよ。おかげさまですっごく助かったわ~!
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マリインスキー・バレエ『白鳥の湖』(12月6日)


  今回のマリインスキーの公演は観る予定はなかったのだけど、キャスト変更があって、この日の『白鳥の湖』のオデット/オディールはヴィクトーリア・テリョーシキナが踊ることになった。テリョーシキナのオデット/オディールは前に観たときにとても気に入ったので、それでチケットを急遽購入した。ところが、後に更なるキャスト変更があり、この日は結局エカテリーナ・コンダウーロワがオデット/オディールを踊ることになったのだった。

  会場の東京文化会館のロビーには、男性スタッフがいつもより多くいて、なんだか鋭い目つきでしきりに周囲に目をやっていた。今回の日本公演のスポンサーである野村証券のお偉いさんか、官僚のトップか政治家が来ていたのかもしれない。

  オデット/オディールのエカテリーナ・コンダウーロワは、あの長い脚がなんだか別の生き物のように言うことを聞いてくれない様子だった。以前に観たときと同じように、脚を完全にコントロールしきれておらず、脚をもてあましているように見えるときが多かった。片脚で爪先立ちをしたときに、軸足がガタついて震えるのも以前と同じ。

  爪先での細かい動きや回転もなんか粗いというか不安定というか。ウリヤーナ・ロパートキナやテリョーシキナと比べると、テクニック面でまだだいぶん大きな隔たりがあるように思う。

  いちばん分かりやすい例は第二幕の黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥのコーダでのフェッテで、シングルオンリーで回っても別に全然かまわない。ロパートキナだってそうしている。ただし、丁寧に美しく回ってほしい。上げるほうの脚をもっと高く上げて、横にまっすぐ伸ばしてほしい。それに回っている位置からあんなにズレないでほしい(どんどん右前方にズレて進んでしまっていた)。

  同時に、コンダウーロワはテクニック至上主義に走らない情感重視の踊りかというとそうでもなく、雰囲気作りや演技の面でも印象が薄かった。

  ジークフリート王子役のティムール・アスケロフは意外に(ごめん)とてもすばらしかった。特にパートナリングが。あの長身(ネット情報によると178センチもあるそうだ)のコンダウーロワを頭上高くリフトしてもまったくふらつかない。女性ダンサーのピルエットをサポートする「ろくろ回し」でも、コンダウーロワがいつまでもぐるぐる回っている。これは頼もしい。

  アスケロフは単独で踊っても見ごたえがあり、とりわけ跳躍のときには両脚が根元からぐわっと開く。そのときの脚の形が非常に美しく、ジャンプの高さもかなりあった。跳ぶと、アスケロフがすごく長い脚の持ち主だということが分かる。

  演技面では、第一幕第一場では悩んでいる様子などまったく見せず、むしろ終始にこやかで、この時点では結婚も強制されてなかった王子が、第一場の終わりでなんでいきなり憂いに沈んだ表情になって、湖畔に狩りに出かけようと思ったのか判然としなかった。でもマリインスキーの『白鳥の湖』の王子はこれでいいのだろう。

  ロットバルトはアンドレイ・エルマコフ。田北志のぶさんの「グラン・ガラ」にこの夏参加した。エレーナ・エフセーエワと踊った「DEUX」や『ドン・キホーテ』のバジル、カッコよかったな。今回は素顔がまったく想像できないメイクでイケメンを完全封印。でもさすがはプリンシパルで、ロットバルトのソロは大迫力だった。

  その本当はイケメンでカッコいいエルマコフが、第三幕の最後でジークフリートに片方の翼をもぎ取られ、超おーげさに床をごろごろごろごろ転がってのたうちまわるのを見てたら噴き出しそうになった。

  第一幕のパ・ド・トロワと第三幕の2羽の白鳥を踊ったナデージダ・バトーエワが気になった。ボリショイ・バレエでいえば「アンナ・チホミロワ」感がある。次の日本公演では主役を踊ってたりして。

  マリインスキーの群舞はレベル高し。第一幕の時点で、なんかダンサーたちが男女とも高スペックだな、と不思議に思ったが、よく考えたら私はマリインスキー・バレエの公演に来ていたのだった。ここ最近はバレエをほとんど見ていないので、最初から総マリインスキーだと、逆に凄さが分かんないのよ。バレエ浦島太郎状態。

  演奏はマリインスキー歌劇場管弦楽団、指揮はアレクセイ・レプニコフ。演奏に関しては何も心配しなくてもよい、というのはかなりなストレス軽減になる。

  いつだったかのマリインスキー・バレエ日本公演の演奏を担当したロイヤル・メトロポリタン管弦楽団とかいう日本のオーケストラ、まだあるのかな。あれは今でも忘れられない、ある意味すごい演奏だったなあ。あの『シェヘラザード』(リムスキー=コルサコフ)の演奏、今でもよ~く覚えてるよ(笑)。

  演奏は良かったけど、ときおりダンサーの動きに合わせてテンポを不自然に落とすのは不要だと思った。ボリショイ劇場管弦楽団が、ダンサーたちに「演奏についてこい!」とばかりに飛ばしまくるのとは対照的。

  今日は楽日だったようで、カーテン・コールの最後に挨拶の看板が下ろされ、同時に色とりどりのリボン、紙吹雪、風船が舞った。カーテン・コールであっても、それが『白鳥の湖』の場合、白鳥のコール・ドはにこにこ笑ったりしてはならず、両手を前に重ねたポーズを保たなくてはならないらしかったが、それでもどことなく笑顔がみな晴れやかだった。ほのぼのした。

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