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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

日本学術会議と日本会議

2020年11月04日 20時49分16秒 | えいこう語る

▼日本学術会議が政府批判を行なう団体なので、スガ総理は改革という名目で、弱体化させようとしているようだ。

▼学術会議は1949年に設立されたが、その前身が46年に結成された【民主主義科学者協会】だ。科学者が戦争に加担したことへの反省を踏まえ、設立された。

▼この「民科」は、当時日本共産党の影響力の下に置かれていたようだ。スガ総理が目くじらを立て提供るのは、そのような理由が根底に潜んでいるからだろう。

▼どんなことで、政府に反対しているかというと「民科」時代には、吉田茂総理時代に「元号廃止・西暦採用」を政府に申し入れている。

▼1967年と2017年は「軍事目的のための科学研究は行わない」と宣言している。さらに2015年の安保関連法に、反対する学者も多い。

▼2012年と15年には、政府が核のゴミの地下埋設を進めていることに対し、地上管理するべきだと反論している。

▼学術会議は【憲法擁護派】が多いので、改憲派のスガ総理は、何とか学術会議そのものの存在を、弱体化させようという意気込みを感じる。

▼今日(4日)の国会で、共産党の志位書記長が、学術会議の問題を取り上げていた。聞いていると、志位書記長の方が、理路整然としていて、質問者としては満点に近い。

▼一方スガ総理はというと「ただ嫌いなものは嫌い」というような、駄々っ子の様な、スネ夫のような対応だ。大学の教授と小学生の国会討論だ。

▼スガ総理は、どんな考えを持っているのだろうと考えていたら「日本会議」の名が浮かんできた。この組織は日本最大の右翼組織だ。

▼その議員版「日本会議国会議員懇談会」のメンバーを見ると、スガ総理を始め、政権の主要な顔ぶれが出てくる。そして、日本会議の最大の目的も「憲法改正」だ。

▼ということは、日本学術会議は【憲法改正】を達成するために、絶対弱体化させなければならない組織なのだ。スガ総理の改憲の本気度を見せた戦いなのだ。そこで人事介入という強硬手段に出たのだ。

▼日本会議の初代会長は、下着メーカー・ワコールの創業者・塚本幸一だ。1997年の設立大会で【日本国憲法は日本人を腐らせらせる国の腐った芯】と話している。

▼スガ政権は現在の日本学術会議を、腐った学者の集まりだと、決めつけているのだろう。スガ総理の考えを国民に理解させるために、マスコミは日本会議の存在を報道してほしい。

▼憲法の解説では、表現の自由の本質とは【国家の干渉を排除することによって、思想・言論の発達を促進する】とある。

▼スガ総理はすでに自民党憲法改正草案で、政権運営をしようとしているようだ。それは現在では完全な憲法違反だ。

▼日本国憲法は主権は国民にあると宣言している。スガ総理はそれを無視し、国家主権で政権を運営しようとしているからだ。

▼私たち国民が学術会議問題で、恐れるのは【学者の表現の自由を奪うなら、我々国民はものを言えぬ状態になるのではないかという危惧】だ。

▼先日のブログにも書いたが、フランスの哲学者ミシェル・フコーは「監視すること」より「監視されているという思い」を国民に植え付けることによって、国民を効率的・効果的に服従させるメカニズムがあると言う。

▼この言葉を忘れぬように、スガ政権の隅々まで、国民が監視をしているという思いを、させなければならない。

学問への介入は戦争への第一歩

2020年11月03日 06時52分08秒 | えいこう語る

▼日本学術会議問題での、スガ総理の対応が気になる。我が国の英知が結集された組織に対し、腐敗?していると断定し、組織の改革を迫っているからだ。

▼一般的には「はぐらかし戦法」という。妻に言動を批判され、よく使う類の戦法だ。「おまえだってどうなんだ!」と逆切れする心情と似ている。

▼シンゾウ同様、学者に頭の悪い総理だと烙印を押されそうだ。対米従属など強化するから、トランプ以下の総理になるのだ。

▼教育学者の故山住正巳著「日本教育小史」を読み返してみた。【日本は19世紀後半、富国強兵の道を選択した。この国策実現には科学技術を急速に輸入する必要があり、それには国民の学力を向上させることが急務であった。しかし政府は、その学力向上が科学的判断力や批判精神をも育てることになるのをおそれ、天皇制を確立し、天皇への忠誠を通して国策に協力する姿勢をとらせようとした。そのために教育勅語をつくりあげ、これを中核とした道徳教育を徹底的に行う方針を取った】。

▼私がある校長から聞いた「戦争は教育から始まる」という言葉を、正確に表現した内容だ。シンゾウ以来の教育改革や、スガ総理の学術会議の組織改革などに、頭を持ち上げているのではないか。

▼84年の臨時教育審議会や、財界などから上がった教育改革の方針では、国際的・歴史的視野を育てるよりも、日本人としての自覚を促すための日本文化と伝統の尊重や徳育の強化が目立つ。

▼この内容がふんだんに匂うのが「自民党改憲草案」だ。現日本国憲法とは、真逆の解釈の上に立案されたように私には思える。

▼憲法や教育などに、普段理解のない者が口を出すと、とりとめもなく、ただ長い文章を羅列するというのは自覚している。ここはやはり、教育学の権威である、故山住教授の意見を再度拝聴したい。

▼【私たちは原則的に頑固でなければならぬと同時に、現象的状況に対しては柔軟で感じ易くなければならない。魂(ソウル)において頑固であり、心(マインド)において柔軟、精神(スピリット)において活発でなければ、この現在の困難な状況を切り抜けることはできないように思われる】。1967年『教育』8月号。


日本学術会議と学問の自由

2020年11月01日 09時26分08秒 | えいこう語る
▼政権発足直後に、学術会議のメンバー6人の任命をスガ総理が拒否したことについて、スガ政権の政治姿勢が問われている。

▼「学者VS政治家」の公開討論会を、国民の一人として期待したい。憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」とだけのシンプルな条項だ。

▼学問の自由は当たり前だと思うが、あらためて学問の自由はと問われると答えに窮する。自由の中にも、制限が必要ではないかと思われるものをあるからだ。

▼美濃部達吉が唱えた天皇機関説は、国家騒乱を招くとし、学問に対し権力的弾圧が加えられたというのは、教科書で教えられた。そこで出来たのが「憲法第23条」だという。

▼学問とは単に知識を暗記することではなく、心理を発見することを目的とする。すなわち学問は、既存の価値や真理とされているものを疑い判断し、新たな価値や心理を生み出すのだ。しかし既存の価値や考えに疑問を抱いたり、批判を行ったすることに対しは、支配権力からすれば危険なものと意識されることもあると、憲法解説書にある。

▼学術会議に政府が異論を唱えるのは、2010年に、原子力委員会が学術会議に、核のゴミ問題について検討を依頼したことによる。

▼そこで12年と15年に学術会議は、50年間地上管理で行いその結果で判断するという結論を出した。

▼さらに自治体に交付金と引き換えに、処分場の受け入れを迫ることは適切ではないと批判したという。

▼この真摯な対応が政府批判だと、狭量な解釈をしたのだろう。それに対抗した任命拒否だろう。その理由の説明は、要求しても一切ない。

▼さらにジュンイチロウやシンゾウからの直伝の「はぐらかし作戦」に出た。学術会議の推薦人事には偏りがあるとし、学術会議の行政改革に方向を変えた。ナマハゲ総理の【逆切れ】としか思えない。

▼「聖域なき行政改革」で「自民党もぶっ壊すと」ジュンイチロウが叫んだが、弱体と思われたシンゾウが、さらに強固な体制にしてしまった。弱体野党のせいかもしれないが。

▼学術会議は、自民党に「憲法尊重擁護の義務(第99条)」を訴えてほしい。23条に違反し、学術会議から学問の自由を奪うなら、自民党の行政改革の方が先だと。

▼自民党憲法改正草案を見てみる。99条の「憲法尊重擁護の義務」を102条第1項で、このように改竄?している。【全て国民は、この憲法を尊重しなければならない】と。

▼立憲主義をないがしろにしようという魂胆だ。近代以降の憲法は、国家権力から国民の権利・自由(人権)を保障するために、権力者が守るべきことを定めたものだ。この考えが立憲主義だ。

▼つまり憲法は、権力者に歯止めをかけるものだ。ということは、ナマハゲ総理は、憲法破壊主義者なのだ。学術会議は「ケンポ―をハガイスル者は、いねがー」と逆に叫ばなければならない。

▼今後日本学術会議が、どんな政府批判を行うか、民主主義の本質を国民に問うことを学術会議に期待したい。

▼世界最高の科学者たちが、こぞって戦争に加担し原子爆弾を製造した。科学技術の進歩は「人類の平和と安全・安心な暮らし」のためにあるというのが、歴史の教訓だと思うからだ。