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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

核のゴミの住民投票条例

2020年11月10日 08時21分33秒 | えいこう語る

▼核のゴミ地下埋設処分場の文献調査を、町長の判断で応募した。これに対し、反対する住民から「住民投票条例」の請求が出された。

▼住民投票については、住民からの請求を受けた首長が、議会にはかり容認されれば、投票に向けた条例を議会が策定し、投票となる。

▼函館市が2011年4月に施行した「函館市自治基本条例」の第10条は「住民投票」についてだ。しかし4項には【市長は住民投票の結果を尊重します】とある。

▼「尊重」とは、最大限に配慮することであり、それを受け入れるかは、市民の直接選挙で選ばれた、市長の判断に委ねるという解釈になるのだろう。

▼寿都町の片岡町長は住民の請求に対し、住民投票は現段階では必要ないという反対意見を述べた。議会は賛成派が多いので、住民投票条例は否決されるだろう。

▼この寿都町の片岡町長は、憲法の骨幹である「国民主権」を無視し、反民主主義自治体の様相を呈しているのではないか。例えて言えば、中国に反対する香港の民主派議員の資格を剥奪する、周体制と同様にみえる。

▼先日、寿都町の状況を確認してきた女性の話を聞いた。「まちが分断され、もの言えぬ雰囲気にある」と。

▼田舎まちの首長選挙を何度も経験している私は、その分断がやがて自治体の崩壊につながるのを、見ているからだ。(二人の首長候補が、同時に選挙違反で逮捕された)。

▼首長候補が二人出る。政策などは全く関係ない。地縁・血縁の選挙だ。ゾウさんとキリンさんどっちが好きかという選択しかない。

▼公平・中立なはずの行政マンまでが、自ら参戦し地域の分断を促進するのだ。「二人ではない第三者の候補の出馬することを期待したい」などと、わけのわからない発言をして、煙に巻くしかない。

▼実際、地方自治体は、このようなレベルだということは、自分の地域だけではなく他のまちでの選挙でも実感してきた。

▼「住民投票」が、果たして民意をくみ上げ、民主主義の表現として適正なのかという疑問もわいてくる。

▼岐阜県御嵩町の産業廃棄物処分場問題で、反対派の柳川町長が襲撃され、意識不明の重体になった事件がある。

▼住民投票条例が制定され、反対派が80%にも及び、業者は許可申請を取り下げた。民意が反映された民主主義の恒例と思われるが、当時の柳川町長の談話が心に響く。

▼住民投票を実施した自治体の中で、一部の有権者が金や脅かしに屈したところがあるという事実を上げ【住民投票というのはどの自治体でもやれるというものではなく、有権者がある程度の水準に達していなければできないし、やってはいけないもの】だと語っている。

▼長く地方に住んでいると、真のまちづくりとは「地域教育の充実」にあるのではないかという結論に達する。

▼地方自治体の民主主義度は、地域の教育委員会の充実度で、判断できるような気がする。「事なかれ主義」を増長させているのは、教育現場に顕著に現れているからだ。

▼哲学者プラトンの「教育とは健全な地域社会と健全な人間をつくる」という言葉に、私自身も多いの共鳴させられるし、反省もさせられるからだ。

▼今井一著【住民投票】「客観民主主義を超えて」岩波新書にはこのように記載されている。

▼【今、私たちが追求すべきなのは、議員の人格や政治家のモラルを変えることだけではなく、民意を政治や行政に反映し得る制度を確立することなのだ。急ぎそれを果たさねば、市民は政治決定の場からますます疎外され、無力で無能な主権者“もどき”になってしまうだろう。民主主義は努力して獲得するもの。この国はいま、正念場を迎えている】。

▼この本の初版は、2000年10月だ。

この程度の国にいて

2020年11月10日 08時21分33秒 | えいこう語る

▼先日、世界各地を旅行してきた人の話を聞いた。日本食程美味しいものはないという。たぶん四季の移ろいの中で、自然への感謝の気持ちが、食文化として根付いているからではないかと解釈した。

▼戦後レジームを毛嫌ったシンゾウは「美しい国へ」と、戦前回帰を強調した。美しい国とは、国家のために国民が奉仕することだと、シンゾウは勘違いしたのではないだろうか。

▼世界には超が付く大国がある。米国・中国・ロシアなどだ。それに比べ地球儀を見ると、我が国は小国過ぎる。

▼だが、国民が国家に服従し奉仕する国ともなれば、小国なのに大国だと勘違いする。それが戦争への第一歩だった。

▼我が国の総裁選挙より詳しく報道された、米国大統領選挙が終了した。スガ総理の「総合的、俯瞰的」に解釈すれば、米国民主主義など、高々この程度だと思った人も多いに違いない。

▼自分勝手で嘘つきのトランプを指示する米国民が、あまりにも多かったからだ。そのあきれ果てた男と一心胴体だと豪語するシンゾウを、8年間も首相の座につかせていた、我が国民も似たりよったりだ。

▼隣の大国中国もえげつない。習主席の香港や周辺地域の住民の迫害は目に余る。死ぬまで主席の座に居座るように憲法を改正した。・・・「終主席」だ。

▼ロシアのプーチン大統領もだ。勝手に憲法をかえ、火事場泥棒的な手段で略奪した我が国の北方領土を、絶対返さないと断言した。

▼大国は自分勝手でずるい人間が、トップの座に座っている。米国はバイデンに代わったが、トランプは往生際の悪さを発揮し、敗北は認めていない。

▼ここは一心同体のシンゾウが渡米し、武士道の潔さを伝えなければならない。でも、ティーグランドに埋められ、ドライバーで頭を強打され、首だけが国会議事堂に飛んでくるということになりかねないだろう。

▼いつの間にか大国は内部が腐れ、やがて崩壊するようにも見える。だが崩壊の前に、第3次世界大戦などということが起きないか心配だ。

▼さて小国日本だが、民主主義の根幹である、「情報公開」や「説明責任」を全く無視する政権が誕生した。その総理の故郷は雪深い秋田県だ。

▼私は小学校で習ったこの歌を思い出す。♪春になれば“スガコ”も解けてどじょっこだのふなっこだの春が来たかと思うべな♪。これは秋田県の童歌だったという。

▼“スガ”というのは氷のことだ。国会で答弁に窮し、苦笑いをする総理の顔が浮かんでくる。だがそこを抜け切ると、自分が意図するものを獲得でき、春がやって来るというような気がしてならない。

▼なんだかしぶとく不気味な笑いだ。私には「氷(スガ)の微笑」に感じる。じっと耐えて、春(目的の達成)を待つのだ。

▼豪雪に堪え春を待つ、このしぶとい秋田魂が【憲法改正】をやり遂げる、強い意志に感じてならない。

▼秋田の童歌にある、春があけるというのは、国民にとって最良のことなのか、はたまた最悪のことなのか。スガ総理の政策には、シンゾウ以上に細心の注意を払わなければならないようだ。

▼携帯電話の値下げや、マイナンバー・カードの普及促進などの本意を探りたいが、あの不気味な笑顔の中身を曝け出させる力量を、今の野党には期待できない。

▼なんだか取り留めもなく、ぼやきに近くなってしまった。我が国の天井にぶ厚い“スガコ(氷)が覆いかぶさらないようにしたいものだ。

▼シンゾウはどちらかというと、単純なお坊ちゃまという感じだったが、豪雪地帯秋田の「えぶりがっこ総理」は、煙にいぶされしぶとい感じがする。

▼今朝はずいぶん肌寒く、外は雨音が聞こえていたと思ったら、カーテンを開けると、庭一面雹(ヒョウ)が敷き詰めていた。

▼こんないやな感じがする時代に、頭に浮かんでくるのが寺山修司の歌だ。【マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国ありや】。

▼仏間から妻の叫び声が聞こえた。「寒すぎてマッチがしけって火がつかない」・・・と。