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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

任命拒否された加藤陽子東大教授

2020年11月19日 09時19分09秒 | えいこう語る
▼日本学術会議が推薦した6人を、スガ総理が任命拒否した。戦争に協力した過去を反省し、政府にもの申すことを期待した、学者の会なのにだ。

▼表現や学問の自由が保障されている憲法下にあって、糾弾されるべきスガ総理の姿勢だ。だが、この総理は黙秘権を行使しているように「人事なので内容については言えない」との一点張りだ。

▼餅が美味しい秋田県出身なので、粘り強いし打たれ強いようだ。学術会議は杵で叩いて、餅になる形ができないように、伸ばしてほしいものだ。

▼拒否された6人の教授たちは、共に「特定秘密保護法」や「集団的自衛権行使容認」に反対した人物らしい。学者に反論され牙をむくのは、シンゾウと同様だ。

▼だが、シンゾウは単純そうだったが、スガはしぶとすぎる。とぐろを巻いて牙をむき、毒で相手を死に至らせる「蝮(まむし)総理」の異名が似合いそうだ。目つきも蝮酒を愛飲しているようで、不気味さを感じさせる。

▼なぜ6人が拒否されたのか、加藤教授の「もの言えぬ時代」発行・朝日新聞東京社会部編の中での発言より、探ってみた。

▼加藤は歴史学者で、専攻は日本現代史だ。冒頭【今や私たちは、国家と国民の関係が大きく変化する時代のただ中に生きているようだ。問題はその変化を的確に表現し、その帰趨を正確に予測するための感性と知見を、今の私たちがいまだに手にできないことにある】と述べている。

▼アベ内閣での「道徳の教科化」を戦前の「教育勅語」と比較し、日本が敗戦を経て戦後に培った原理に、国家側が手を付け始めたと指摘する。

▼さらに国家が私的領域に侵入していこうという方向性は、2012年の【自民党憲法改正草案】の中にみられると指摘する。

▼中でも13条の「個人として尊重される」を【人として尊重される】や、現行条文が「公共の福祉に違反しない限り」を【公益及び公の秩序に反しない限り】との修正したことの意味は、計り知れないほど大きいと、警鐘を鳴らしている。

▼私も忘れかけていたが、共謀罪法の成立過程だ。参議員法務委員会での採択を省略し【中間報告】という異例の手続きで、本会議で委員長に報告させた。

▼ここで委員長の報告があれば、法案の法務委員会付託は終了となり採択されることになるという。確か新聞での批判も読んでいるが、数の力で押し切ったのだろうという、ことしか考えていなかった。

▼メディアもその採択が民主主義を破壊することにつながるものだということを、繰り返し報道してほしかったと思っている。・・・だが後の祭りだ。

▼さらに関東軍の謀略により引き起こされた「満州事変」と比較し「共謀罪」時に【他の国だってやっている。なぜ日本だけがダメなのか】と、開き直る。

▼その時の、満州事変の強行論理と共謀罪の過程の論理構造が、似ているのではないかと指摘している。

▼さらに1925年(大正14年)の治安維持法に触れ、1928年(昭和3年)田中儀一内閣が治安法を改正し「目的遂行罪」を設け、最高刑を「死刑」としたことにだ。

▼改正案の冒頭は「“国体”を変革することを目的として結社を組織した者」と変えている。このことについて【端的にいって、この修正により国家は、日本共産党の活動を支えて、党の目的に寄与するとみなされたあらゆる行為を、罰することができるようになった】と発言している。

▼多分政府はこの発言で、加藤教授を共産党シンパで中国寄りだと断定したに違いない。

▼「物言えば唇寒し秋の風」。寒気が迫ってきた。これはシベリヤ気団より、もしかしてスガ政権による寒気が、日本中に充満してきたせいかもしれない。

▼加藤教授は「その変化を正確に予測する感性と知性を、国民に持てと」訴えているに違いない。新型コロナより、菅義偉の方が恐ろしいような気がしてきた。

核のゴミの文献調査始まる

2020年11月18日 20時55分32秒 | えいこう語る
▼「北海道・北東北縄文遺跡群」が、ユネスコ世界遺産登録を目指し過熱し始めてきた。だが過熱しているのは、それを生業としている人たちばかりで、地元周辺住民は関心が薄い。

▼2007年北海道初の国宝に指定されたのは、2004年に函館市と合併した、南茅部町から出土した「中空土偶だ」。

▼私の村(椴法華)も、同時に函館市と合併したが、隣町に国宝が眠っていたということで、国宝決定日には、一人で杯を重ね祝ったことを思い出す。

▼私の家から、中空土偶が発見された場所は、車で20分ほどのところだ。しかも私の村は、南茅部町の「旧尾札部村」から、1876年(明治9年)に一村独立したからだ。

▼つまり国宝が眠っていたところが、私たちの先祖の土地ということになる。私はそのように思っているが、ほとんどの地域住民は、その歴史すら思い出すこともないようだ。

▼このことは、北海道寿都町や神恵内村が、核のゴミの地下埋設場の文献調査を受け入れたことと似ているように思う。

▼核のゴミがどれほど危険なのか、住民の多くは実態を把握していないからだ。というよりよく説明していないからだろう。

▼だから文献調査の2年間で、自治体には20億円の交付金が入るという言葉が先行し、何か大事なものを忘れようとしているからだ。

▼買いもしない宝くじに当選した気分なのだろう。もしかして、周辺自治体の住民たちも「核のゴミ宝くじ」を購入したいと、ひそかに考えている住民も少なくないかもしれない。

▼国はシンゾウ以来、いやそれ以前からかもしれないが、日本人が持ち続けている「国家の品格」なるものを、かなぐり捨てようという魂胆を持っているようだ。

▼「国家の品格」なる本も読んでみたが、品格なるものを語る自分ではないことは自覚している。でも「国家の品格」というのは、民主主義の中に存在しているのではないかと考えている。

▼しかし「憲法改正」が政治の最優先課題になってきた昨今、政府が民主主義を徐々に崩壊させようとしている。

▼憲法は、国の「基本秩序」だ。であれば憲法改正は、国家の秩序を根本から破壊し「品格」のある国民も、いずれ消滅しかねないからだ。それが「美しい国へ」などとは、とんでもない間違いだ。

▼国宝が出土したことと、核のゴミがどのように似ているかということだが、国宝の意義も核のゴミの危険性も、共に地域住民がよく知らないということだ。

▼現在の人間が、よく知らないということは、後世にそのことをよく伝えられないということだ。核のゴミを地下数百メートルに埋めて、安全が確保されるのに10万年もかかるという。

▼遺跡の発掘に携わる人たちの中で語り継がれている言葉で【地下に真実、地上にロマン】という言葉がある。

▼まさに考古学スピリットではないか。「考古学の品格」という感じがする。ということで、縄文好きの私は、核のゴミの地下埋設処分場には反対である。

▼文献調査を推進する寿都町長や神恵内村長に【地下に真実、地上にロマン】という言葉をクリスマスのメッセージとしたい。

▼文献調査だけで20億円を貰い、次はだめというのであれば、税金詐欺だと思われるからだ。国は、いったん始めれば、さらに交付金を積み重ねてくるに違いないからだ。

▼交付金に心を奪われれば【地下に放射能、地上は廃墟】ということになりかねない。これがこの地域の未来に思えるからだ。

高知県馬路村(ゆずの村)

2020年11月17日 09時13分09秒 | えいこう語る
▼柚子が好きだ。朝食の味噌汁に入れると、目が覚めるような感じがいい。これからの季節は、鱈鍋や湯豆腐の美味しさを引きたせてくれる。もちろん杯もはかどる。

▼先日、知人が馬路村から「ぽん酢しょうゆ」を購入しているというので、2本分けてもらった。

▼梱包のデザインや、人口千人の馬路村の風景や住民の性格までいっぱい詰まった説明書に、柚子にかけるまちづくりの思いが、いっぱい詰まっていて、美味しさが倍増する。

▼以前徳島県の山の中の、上勝町のまちづくりを研修してきたことがある。切り立った谷間の中に川が流れ集落がある。この人を拒絶するような風景が、美しい木の葉をはぐくむ。

▼それに着目し、首都圏の料亭などの料理の「葉物」に提供され、高齢者の雇用に結びつけた。鄙の手つかずの自然に、心を奪われたことがまちづくりの発端となった。

▼芭蕉の「よくみればなずな花咲く垣根かな」を思い出す。私たちは見慣れた風景の中に、真の価値を見過ごしているのだろう。

▼その柚子についての思い出だ。以前職場の食事時に柚子コショウを持参し、みんなに食してもらった。

▼食する前にジョークをまじえた一言。「これを食して融通の利く人になりましょう」と。この一言にピリッときたのが、職場の上司だ。

▼ものすごい剣幕で「それって俺のことを言っているのか」と。他の人たちはみな顔を伏せ、笑いをこらえていた。普段から、堅物で部下に厳しい上司だったからだ。

▼その後、職場の洗面台の上に、時々花が飾ってある。男性ばかりの職場に、花は和やかさを与えてくれる。誰が持ってきたのかと詮索したが、犯人?はその上司だった。

▼私は「いつもきれいな花をありがとうございます」というと、「隣の庭の花がきれいなので、ちょっぴりいただいてきたのさ」と照れた。

▼それって「花泥棒ではないの」と思ったが、余計なことは言わないよう心がけた。柚子効果が現れた一齣だ。

▼もう一つ。地域の近くに地熱開発の動きがあり、説明会に出席した。自然エネルギーの推進ということで、役所の主催だった。

▼エネルギー政策なので役所が表に出てくるのは理解できる。しかし原発なども、役所の後押しで進める経緯があるので、その辺の矛盾を質問した。

▼その会社には、大手エネルギー会社の元社員もいた。その後、現地の状況視察のために近くのホテルに宿泊をした時、私に呼び出しがあった。

▼何人か地元の人を呼んだのかと思ったが、私一人だった。懐柔政策が始まったのではないかと疑った。

▼自然エネルギーの必要性を丁寧に説明してくれ、3人いたが共に好感度の人物だった。しかし、国策に後押しされた業者は、全面的に信用できないというのが、私の強い偏見だ。

▼私の店にも何度か食事に訪れてくれた。そのたびに疑問点を投げかけたが、丁寧に説明してくれた。それでも私の偏見は、薄れはしない。

▼ある日、柚子胡椒を一瓶いただいた。業者の買収工作なら?もっとたくさん持ってくるはずなのに。

▼だが、一瓶(700円程度)だったので、逆に信頼感が湧いてきた。これもまた、柚子効果というのだろう。妻も「主人が大好物なんです」と言ったそうだ。

▼原発推進派の反対派切り崩し作戦の手口はよく知っている。私が函館市町会連合会で、大間原発建設に反対する実行委員だというのも、調べ上げているだろう。

▼もしかして「柚子」が大好きだというのも知っているに違いない?。と邪推を働かせたが、その後柚子の土産はなかったので、ちょっぴり残念ながら、安心もしている。

▼以上が柚子に関する思い出だ。昨夜は餃子を柚子ぽん酢でいただいた。今夜は何の料理なのと妻に尋ねると、妻の眉間に「三日月」が現れたような気がした。

▼「私をなんと心得る。女中だと思っているのか。この額の三日月が目に入らぬか」・・・と。長い間夫婦でいると「時代劇」掛かった関係になるようだ。

▼その名俳優は「早乙女問答無用之介」だ。

拍手の強制について考える

2020年11月16日 08時31分19秒 | えいこう語る

▼講演会などの終了時拍手が起きるが、講演内容の充実度で拍手の加減が違う。感動を覚えれば拍手にも力が入る。

▼講師も拍手の大小で、自分の講義の充実ぶりをはかることができる。たかが拍手と言えども、拍手は人の心を推量できる、バロメーターだと思っている。

▼普通は講師入場で、歓迎の拍手が起きる。講演終了後には、お礼の拍手が起こる。講演を聴く私はこれで十分に思える。

▼だが司会者が登場すると「先生にもう一度拍手を」と促す。ちょっと前に、感謝の拍手をしたばかりなのにだ。

▼先日、司会者が終了の挨拶をした後、さらに講師への拍手を強制?された。司会者が促した2度目の拍手だ。

▼さすがに、それに従う気持ちなどなかったので、拍手はしなかった。この司会者は、自分たちが企画した内容が、充実したことへの自信から、自分たちへの拍手をもらいたかったようにも思えたからだ。

▼私も司会の経験がある。講演終了時の拍手は、聴講者の感謝の気持ちだ。そこにさらに拍手を求めるのは、司会者が持つある種の、権限の強制行使のようで違和感を持つ。

▼司会などというのは、単なる会議全体の進行係ではないか。中には終了した講義の内容を説明し、自分の存在を鼓舞する司会者もいる。

▼こんな司会者に、何度も拍手の強制をされるのは、講演会の企画自体がレベルが低く思え、後味の悪いものになる。

▼人前で話した経験もあるが、何度も拍手をされれば、講師の方もかえって“褒め殺し”をされたようで、気分のいいものではない。講師も何度も頭を下げなければならないからだ。

▼司会者は、講演者にお礼を述べたら、参加者に「暗くなりましたので、交通事故に合わないように気を付けてお帰りください」というぐらいの、配慮が必要だと思う。それでいい。

▼先日、考古学の講習会に出席した。内容は充実していたが、企画の主旨に不備を覚えたので、次回に向けての要望(苦言)を述べさせていただいた。

▼企画内容にちょっぴり違和感を持ったことが、拍手の強制で、私の古い火縄銃に火がついてしまったのだ。

▼高齢者の鉄砲は、相手の心に当たらなかったようだが、要望は的を外れていないと自画自賛している。

▼でも、これって司会者と同様の心理ではないかと、帰りの車の中で、ちょっぴり反省もしてみた。

▼新型コロナや日本学術会議、核のゴミ処分場問題など、国家の強制力が強まる中、私の心にも微妙な変化が現れ始めているのかもしれない。

▼「たかがそのくらいで」が、見逃せない団塊高齢者になってきたようだ。と同時に、妻の言いなれた言葉も思い出す。

▼「自分のことは棚に上げて」だ。

      渡り鳥が庭にいた
             三等下

コロナ戦線異状あり

2020年11月14日 20時41分19秒 | えいこう語る
▼コロナの爆発的拡大は、我が国ばかりではなく、地球全体を征服しそうな勢いだ。新型コロナ侵略軍は、神出鬼没のゲリラ戦法で、世界各地に勢力を拡大している。

▼敵の本体は、どうやら人類が文明の発展と称し、自然を破壊してきたことへの、自然界全体からの反撃ではないか。

▼そんなことを布団に入り、夢を見る前に考えていた。昨夜の夢のタイトルは「コロナ戦線異状あり」という内容だ。

▼最初は、コロナ軍のゲリラ部隊が、大型クルーズ船でやってきた。奇襲作戦に戸惑った大本営は水際作戦に失敗し、コロナ軍のゲリラ部隊は全国に拡散してしまった。

▼「アベのマスク作戦」は、大本営の無能ぶりを見せた。全国各地で負傷者(陽性)が出て、地方部隊(自治体)は、対応に追われる。しかし、なにぶん過疎化と高齢化に加え、財政難の地方部隊だ。人材や戦力も乏しい。あっという間に、コロナ部隊の侵略を許してしまう。

▼大本営は、当初「緊急事態宣言」を発したが、外国のロックダウンのように、法的拘束力がない。それでも日本人の潔癖症が功を奏し、侵略を防ぐことができたように見えた。

▼だが、自粛作戦は経済の低迷をきたした。そこで経済の活性化を図らなければ、人民は飢えに苦しむと考えた作戦が「Go・To作戦」だ。

▼しかしこの作戦は、コロナ軍の侵略を全国に拡散させることを応援したようなものだった。特に我が北海道が、コロナ軍の侵略の的になったようだ。

▼北海道と東京都の人口比率から言えば、北海道の感染者数の約3倍が、東京都と同じだという。北海道が200人と言えば、東京都からみれば『600人』という計算になる。

▼だが大本営は「Go・To作戦」から北海道を外さない方向のようだ。その意図とは、大本営は北海道にコロナ軍の侵略をある程認め、そこで大本営の「北海道大改造作戦」を成し遂げようという算段だ。


▼ここで大本営の作戦の真意を考えてみたい。「Go・To」を除外しないとすれば、一般的には北海道経済を救うという理由付けができる。

▼だが第3波の侵略を許せば、北海道は甚大な被害を受け、経済が悪化することになる。そこで、大本営の目指す「北海道大改造作戦」を実施しようとする魂胆に違いない。

▼北海道は、一次産業の不振が続く。それにJRの廃線による交通網の寸断は、地方自治体が飢餓状態となる。

▼そこに一気につけ込むのが、大本営の本意だ。つまりコロナ軍を利用し、大本営の計画を推進させようという「目くらまし戦法」だ。

▼大本営からみれば、いまだに北海道は未開の「蝦夷が島」だ。この広大な大地を、国家の意のままの大地にしようという作戦だ。

▼それには、まず先住民族であるアイヌの懐柔政策が必要だ。「民族共生象徴空間=ウポポイ」なる同化拠点を整備し、そこで、国家に服従する体制を整える。

▼さらにその近く(苫小牧)にカジノ場(IR=リゾート法)をつくり、米国のモヒガン族の様に、カジノの運営に携わらせ、自立をさせようという作戦だ。

▼北海道とはアイヌ語で「アイヌ・モシリ」という。「人間が住む静かな大地」という意味だ。
アイヌ民族は和人が作った法律により、土地も文化も剥奪された。

▼このような国家に違和感を持つ先住民族が、政府の政策に異を唱える勢力と手を組むことを、事前に摘み取ろうというのが、アイヌ民族博物館ウポポイの真の目的ではないだろうか。

▼ウポポイとは「大勢で歌う」という意味だ。それは北朝鮮にみられる「全体主義的思想」を強制する心理作戦ではないか。

▼大本営が目指す「北海道大改造計画」。それはかつて満州敵国設立と同様に、国家統制が及ぶ新たな大地を建設しようという作戦ではないか。

▼溢れかえる核のゴミ処理場。沖縄の基地一部移転による北海道の基地化。IR法による地元経済の振興。それらが大本営の作戦だ。

▼その作戦の最前線の責任者に、若き鈴木直道知事を、スガ参謀総長は送り込ませたのだ。この作戦遂行のために、コロナ軍の北海道侵略に、目をつぶっているのが大本営だ。

▼コロナ軍の侵略を許し、北海道の経済を壊滅させる。そうなれば、地方部隊は疲弊し、大本営に協力を要請する。

▼後は、食料(交付金)を補給すれば、地方部隊は喜んで大本営の意のままになるはずだ。というような筋書きが、昨夜の夢だった。

▼アベ大本営の継続を謳うスガ大本営は、言論の自由を奪うあからさまな憲法壊滅作戦に出た
。日本学術会議への人事介入だ。

▼これって、コロナ軍の侵略を利用し、国内の民主主義勢力の壊滅作戦に出た、恐るべしナマハゲ内閣だ。「政府に反発するものはいねがー」と、日本全体に吠え始めた。

▼北海道がそのターゲットにされた。大本営はコロナ禍に乗じて、「交付金爆弾」を北海道各地に投下し始めた。

▼「北海道が沖縄化されてはならない」という意識を道民が持つべきだ。【北海道・沖縄安全保障条約】を提携し、北と南で大本営と対峙する態勢を構築しなければならない。

▼夢の中で、道庁の屋上で道民に訴える私がいた。1970年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺した。

▼その日は日曜日と思っていたが、水曜日だった。50年後に初めて知った。私の夢も適当すぎるのではないかとの反省もした、昨夜の夢だった。