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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

政治的なものという概念

2014年12月17日 10時59分48秒 | えいこう語る

 

 ▼ 理念なき解散選挙といわれた年の瀬の衆議院選挙。期待に違わず戦後最低の投票率で終了した。私たちの選挙区北海道8区だけに焦点を絞れば、自民前職が破れ、民主元職が返り咲いた。危機感を覚えた自民は、アベ総理、タニガキ幹事長、イシバ地方創生相が津軽海峡を渡り応援に駆けつけた。その甲斐あって、辛くも比例で復活した。我が選挙区としては、二人の政治家を国政に送り込めたので、大満足といえよう。

▼ 市民の関心の大きさを反映し、両候補「原発反対」を連呼したが、自民は「大間で負けた」という見方のようだ。なんといっても、地元に乗り込んだアベ総理が、大間原発に一言も触れなかったのが、市民の反感を買ったに違いない。私の今回の選挙の総括は、こんなところだ。

▼ 函館市町会連合会は、実は12月1日から「大間原発建設反対・市民大署名運動」を展開する予定だった。選管に問い合わせたら、選挙なので控えた方がといわれ、選挙終了後の15日から街頭署名を行った。私はハンドマイクで署名を訴えたが、市民の反応はもやもやした選挙に鬱憤を晴らすがごとく、私に対し「大間原発など絶対作らせてはならない、当たり前だ」という、年配の女性の怒りを込めた応援の声も聞かれた。

▼ 署名活動の様子は、新聞やテレビで報道され、幸先のよいスタートになった。だが、町会連合会の定期総会で「安心・安全なまちづくりをテーマとする町会が、大間原発反対に参加しなくてよいのだろうか」という発言から3年近くも経っての、行動である。この間市町連全体を覆う空気は「町会の活動に政治的なものは避ける」という、ある種の足枷だ。

▼ 戦中町会は、大政翼賛の片棒を担がせられた経緯があり、戦後活動が禁止された時期もあった。そんなことが町会活動のDNAとして残っているのかもしれない。「町会は政治的なことに入り込んではならない」という不文律は根強い。

▼ 市民大署名運動のため、市内各界に出向き協力を願っているが「政治的中立を保ちたい」という意識は、大きな組織ほど口にでる。「大間原発は、国策でもあるが、市民の命に関わる問題なので、一市民としての協力を」と、訴えると「そうですよね」と同調してくれる。

▼ 「政治的なことは」という言葉は、「お上に背いてはならない」という、我が国特有の感情ではないかと思う。国家があり国民があるという、長いあいだ培われた上下関係の現われのように思える。戦後の憲法は「主権在民」の民主主義憲法だが、この意識がまだ一般に浸透していないように感じる。この事実が、改憲をもくろむアベ政権を国民が支える、最大の要素のように思える。

▼ 戦後70年を迎える前夜に、衆議員で自公3分の2という議席を国民が確保させた。2年後は、参議院選挙も控えている。考えたくもないが、参議院でも自公が3分の2を確保すると、憲法第96条の大防波堤にもひびが入るということになる。国民が安眠できぬ世に戻らないことを祈りたい。

▼ 世の中動きは、すべてが政治的である。政治が私たちの暮らしと安全を左右するのだ。もう政治的なことに触れてはならないという、自己防衛本能は無用のような気がする。国民であるということは、生まれながらにして政治的であるという自覚をもたなければならないようだ。

▼ 今日もとりとめのないブログになったが、最後に今回の選挙の感想を聞かれた、我が町会連合会会長の新聞報道を紹介したい。

「自公が圧勝したことで、数の力で議会を運営されることを懸念している。今回選ばれた議員には、特定秘密保護法や集団的自衛権について十分に議論していただきたい。消費税や社会保障の政策は一般市民の生活に大きく影響が出てくるので、しっかり検討してほしい。道南から2人の議員が11年ぶりに選ばれたので、これからも市民の声を国政に届けてほしい」と。

▼戦後70年に向けた函館市町会連合会の、なんとも力強いメッセージだ。


今夜の日本列島、大雪警報発令

2014年12月14日 11時58分22秒 | えいこう語る

▼ 午前5時30分、ウニ漁中止の回転灯が漁業組合の鉄塔の上で回る。波は静かだが、厳しい寒気が入ったので漁を控えたのだろう。北の漁場は寒さとの戦いだが、漁師も高齢化の波にもまれているので、身体を気遣っての中止だろう。世の中全体が寒い中で、ほっとする回転灯の動きだ。

▼ 6時から、ゆったりした気分でNHKテレビの短歌を観る。

選者の斉藤斎藤さんがこんな発言をした。「東京タワーは親しみがあるが、スカイツリーは親しみを感じない」。東京タワーは、戦後の復興を応援してくれ見守ってくれた、そんな存在だからだろうか。スカイツリーは、今後我が国が世界一を目指そうという、人差し指を天に向かって伸ばした、そんな向上心のシンボルのような感じがするからだろう。

▼ 私には、スカイツリーにゴジラは似合わないが、東京タワーには似合うと思う。つまり東京タワーとゴジラは、昭和日本のスーパースターなのだ。高所恐怖症の私は、スカイツリーは巨大な爪楊枝のように見え、宇宙を突っつく、つまり神様の領域に穴を開ける、不埒な存在に思えるのだ。

▼ さて短歌の次は俳句だ。「初鰹はるかな沖の縞を着て」。俳人、澁谷道さんの句に心が晴れる。粋な縞模様の着流しで、広大な太平洋を縦横無尽に突っ走る姿が浮かんでくる。三陸沖のもどり鰹は、脂がのって美味だ。この沖の海水は汚染されていそうなので、鰹がジャンプし、一斉に青空を飛んでいるような光景が目に浮かんできた。

▼ さて、今夜の選挙開票、ひじょうに気が重い。どか雪が襲ってくるような気がする。我が国の戦後民主主義に、初めて点数が付けられるそんな感じだからだ。今夜、東京湾からゴジラが出現し、スカイツリーを引っこ抜き、戦争をしようとする国に向って突き刺してほしい、そんな気分だ。

▼投げたスカイツリーが地球を一周し、国会議事堂に刺さったなんて夢を、今夜見そうな気もする。


教育と道徳

2014年12月13日 12時34分11秒 | えいこう語る

教育=人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。       (広辞苑)

道徳=ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。      (広辞苑)

道徳教育=子供に一定の行動様式や態度を身につけさせ、一定の価値を志向させ、理想を自覚させる教育。(広辞苑)

▼ ノーベル平和賞を受賞したのは、17歳のマララ・ユスフザイさんだ。「世界中の子供たちに、銃ではなく本を。戦車ではなく学校を。すべての子供たちに教育を」。彼女が世界中に発したメッセージだ。この言葉を聞き、衆議院解散選挙で、単独3分の2を確保する勢いといわれるアベ総理は、どう思うのだろうかと、考えてみた。

▼ 私は判断が迷うときは、広辞苑を開く。辞書は公平な解釈だと思うからだ。教育とはある一定の強制力により、その成果をもたらすものであると思うが、道徳は外面的競争力をともなうものではないという。だが、道徳が教科になり、専門の教師による指導が始まると、その結果はどうなるのか不安だ。日本人であれば、戦争時の教育を思い出すからだ。

▼ 私は今年から函館市の社会教育委員の末席にあるが、自分の中で、今、道徳教育の是非についての問いかけをしている。関連する書物も読んでいるが、納得いく理解が得られない。というより、私には教育を論じるファンデーションが備わっていないせいかもしれない。こんな状態では、社会教育委員など失格ではないかとプレシャーを感じている。私がデリケートになるのは、アベ内閣下での道徳教育の教科実施だからだ。

▼ 下村博文文部科学大臣と共栄大学の藤田英典教授が、道徳教育について対談しているのを、ユーチューブで繰り返し観た。私は藤田教授の考えにシンパシーを感じる。下村大臣は、道徳教育を通し国家の礎になる公民を育もうという狙いがあるようだ。

▼ アベ総理の政治家としての最大目標は改憲だ。その最終章は軍隊を持ち、自衛権を行使できる国にすることだ。それには道徳教育の強化による、国民としてのあるべき姿を強制しようとするのではないかと、アベ総理の政治姿勢に疑問を持つ私は、つい妄想してしまう。

▼ マララさんは、教育こそが平和をめざす最大の武器という。アベ総理の道徳教育とは全く正反対な気がする。私はマララさんのメッセージに胸が熱くなるが、アベ総理の演説には顔を背けたくなるのだ。

▼ この差は、畢竟、人類愛の問題で、マララさんがめざす教育が、より正しい道徳教育ではないかと思う。戦後70年の来年、私のテーマはどうやら「教育」のようだ。

▼「少年の老い易く学成り難し」とは、我が身のことだと気が付いた、マララさんのノーベル平和賞受賞だ。


又平先生

2014年12月08日 09時22分39秒 | えいこう語る

▼朝刊を読む順番はまずは一面、次は死亡欄だ。そこに又平先生の名前を見つけた。私が高校に入学したのは昭和39年だ。又平年生は、1年生の時の生物の先生だった。生物の苦手な私は、授業に関する印象はほとんどない。ただ叉平先生には二つの思い出がある。一つは、田舎の中学から街(函館市)の高校に入ったので、様々な驚きがあった。子供の頃から「ドンゲ」と呼んでいた植物が、「イタドリ」という学術名であるのを聞かされたことだ。街の学校に入ったので、教養が身に付くのだというのを初めて自覚した事だ。これが生物の授業での出来事だ。

▼  もう一つを話す前に、又平先生の人物像と、当時の学校周辺の環境を紹介しておきたい。背が高く痩せていて、当時40歳ぐらいだったはずだ。16歳の私にはおじさんのような印象だった。先生方にはほとんど渾名が付けられていたが、先生はそのまま「またへい」と親しまれていたようだ。団塊世代の私たちは人数が多いため、学区制により街中から離れた高台の、新設の高校への入学だ。先生たちも他の学校から集められた。学校の周囲は人家もなかった。雪が降ればバスは学校前まではいけず、随分手前の停車場から歩いたものだ。高台だったので、函館市内が一望でき、函館港に出入する連絡船が見えたものだ。おおらかな風景の中で青春時代を過ごせたのは、かけがえのないことのように思う。

▼  さて、もう一つの出来事だが、教科の点数が悪い私の心に、しっかり教訓を残してくれたことだ。それは、先生の軍隊経験の話だ。終戦を迎え生き残ったことに喜んだ。部隊解散の前、食パンが1本ずつ配給されたという。(これは一本なのか半分なのか定かではないが)ひもじい思いをしていたので喜んで食べた者、生き延びたことに対し感激で胸が詰まり食べられない人もいたという。食べられない人のパンをもらい、2本目にむさぼりついた仲間が、喉を詰らせ亡くなったという話だ。戦争で死なず、パンを食べて死んだ兵士の話だ。戦争の悲劇を語る、強烈な話として私の心の残っている。私は今まで、この話は何度も周囲に語ってきた。憲法解釈を閣議決定するような世の中なので、これからも又平先生のこの話を伝えていこうと思う。

▼  我が函館北高も、戦後、雨後の竹の子のように生まれた私たちのために新設されたが、半世紀に満たぬ間の少子化により、無用となり解体された。現在、市民のスポーツ施設が建設中だ。我が校は、当時ラクビーで花園出場をし、北海道に函館北ありと名をはせた。大勢の生徒が体育の授業でラクビーを楽しんだ。又平先生は、戦後生まれの生徒たちを見て、二度と戦争はしてはならないと優しい目で見つめていたのではないかと今に思う。

▼  高校入学から今年でちょうど50年。巷では大儀なき衆議院解散選挙の、むなしさが漂う中、先生は旅立った。昭和20年8月15日の、先生の笑顔が浮かんできた。そして、「二度と子供たちを戦場に送ってはならない」との先生の声も聞こえてきました。叉平先生、享年91歳。「生物」という学科は、命の尊さの学問ではないかと気付いた、出来の悪い教え子の一人です。

                                                                                                                 合 掌   


選挙と寒気

2014年12月03日 10時41分01秒 | えいこう語る

▼ 12月に入り、本格的な寒気が村を襲う。11月の下旬あたりから、早朝や深夜に廊下を歩くと吐く息が白くなっていた。ゴジラのような気分になるそんな我が家の真冬の到来を“怪獣冬ゴンの出現”と、私は楽しんでいる。

▼ 起床してすぐにブログを書き始めるが、数日前までは少し着込むと、ストーブを点火しなくてもよかったが、寒さが厳しくなり起床と同時にストーブを点火しなければならなくなった。燃料のレベルも微少で済んだのもつかの間、すでに微少だけでは身体があたたまらない寒さになってしまった。

▼ この急激な寒さは、単に気象状況によるものではない。原因は、意味不明の衆議院解散選挙にある。アベノミクスなど地方にはまったく影響を及ぼさないばかりか、ガソリンや灯油の値段が高すぎるからだ。越冬のため命をつなぐ灯油は、外に設置しているタンクから抜き取られるぐらい、生活に影響を及ぼしている。

▼ にもかかわらず、大義なき解散で“700億円”もの選挙費用を無駄遣いするのは、アホノミクスここに極まるという感じだ。

▼ 寒風吹きすさむ中、有権者数百名の我が村にも、選挙カーがやってきた。私が投票を決めている候補のようなので外に出てみる。ところが私の家の方向に来ず反対方向に行ってしまった。短期決戦で寒さも厳しいのでスルーしたのだろう。連呼の声は候補者の声ではなく、同じ政党に属する別の議員の声だった。

▼ 限界集落に近い我が村。近未来は、消滅都市と名指しされた函館市、その8区の立候補者は3人だ。自民党前職は公明党の協力を得、大間原発は党本部が賛成といっても、自分は反対と豪語する。福島第一原発事故以降、建設をストップしていた大間原発を再開させたのは与党民主党だった。そこで民主党候補は、原発訴訟を国に起こし、今や市民の支持も大きい函館市長に倣い「大間原発建設凍結」という、やがて溶解しそうな言葉を使用している。「即・原発ゼロ」は、他党との協力を拒絶し、戦いには特攻隊の精神で臨む、一匹狼の共産党だ。

▼候補者は短期決戦で、心身ともに燃えに燃えているのだろうが、有権者には世の中の全ての寒気が身に沁みる。これが2年間のアベノミクスの実態なのだろう。