▼ 理念なき解散選挙といわれた年の瀬の衆議院選挙。期待に違わず戦後最低の投票率で終了した。私たちの選挙区北海道8区だけに焦点を絞れば、自民前職が破れ、民主元職が返り咲いた。危機感を覚えた自民は、アベ総理、タニガキ幹事長、イシバ地方創生相が津軽海峡を渡り応援に駆けつけた。その甲斐あって、辛くも比例で復活した。我が選挙区としては、二人の政治家を国政に送り込めたので、大満足といえよう。
▼ 市民の関心の大きさを反映し、両候補「原発反対」を連呼したが、自民は「大間で負けた」という見方のようだ。なんといっても、地元に乗り込んだアベ総理が、大間原発に一言も触れなかったのが、市民の反感を買ったに違いない。私の今回の選挙の総括は、こんなところだ。
▼ 函館市町会連合会は、実は12月1日から「大間原発建設反対・市民大署名運動」を展開する予定だった。選管に問い合わせたら、選挙なので控えた方がといわれ、選挙終了後の15日から街頭署名を行った。私はハンドマイクで署名を訴えたが、市民の反応はもやもやした選挙に鬱憤を晴らすがごとく、私に対し「大間原発など絶対作らせてはならない、当たり前だ」という、年配の女性の怒りを込めた応援の声も聞かれた。
▼ 署名活動の様子は、新聞やテレビで報道され、幸先のよいスタートになった。だが、町会連合会の定期総会で「安心・安全なまちづくりをテーマとする町会が、大間原発反対に参加しなくてよいのだろうか」という発言から3年近くも経っての、行動である。この間市町連全体を覆う空気は「町会の活動に政治的なものは避ける」という、ある種の足枷だ。
▼ 戦中町会は、大政翼賛の片棒を担がせられた経緯があり、戦後活動が禁止された時期もあった。そんなことが町会活動のDNAとして残っているのかもしれない。「町会は政治的なことに入り込んではならない」という不文律は根強い。
▼ 市民大署名運動のため、市内各界に出向き協力を願っているが「政治的中立を保ちたい」という意識は、大きな組織ほど口にでる。「大間原発は、国策でもあるが、市民の命に関わる問題なので、一市民としての協力を」と、訴えると「そうですよね」と同調してくれる。
▼ 「政治的なことは」という言葉は、「お上に背いてはならない」という、我が国特有の感情ではないかと思う。国家があり国民があるという、長いあいだ培われた上下関係の現われのように思える。戦後の憲法は「主権在民」の民主主義憲法だが、この意識がまだ一般に浸透していないように感じる。この事実が、改憲をもくろむアベ政権を国民が支える、最大の要素のように思える。
▼ 戦後70年を迎える前夜に、衆議員で自公3分の2という議席を国民が確保させた。2年後は、参議院選挙も控えている。考えたくもないが、参議院でも自公が3分の2を確保すると、憲法第96条の大防波堤にもひびが入るということになる。国民が安眠できぬ世に戻らないことを祈りたい。
▼ 世の中動きは、すべてが政治的である。政治が私たちの暮らしと安全を左右するのだ。もう政治的なことに触れてはならないという、自己防衛本能は無用のような気がする。国民であるということは、生まれながらにして政治的であるという自覚をもたなければならないようだ。
▼ 今日もとりとめのないブログになったが、最後に今回の選挙の感想を聞かれた、我が町会連合会会長の新聞報道を紹介したい。
▼ 「自公が圧勝したことで、数の力で議会を運営されることを懸念している。今回選ばれた議員には、特定秘密保護法や集団的自衛権について十分に議論していただきたい。消費税や社会保障の政策は一般市民の生活に大きく影響が出てくるので、しっかり検討してほしい。道南から2人の議員が11年ぶりに選ばれたので、これからも市民の声を国政に届けてほしい」と。
▼戦後70年に向けた函館市町会連合会の、なんとも力強いメッセージだ。