函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館北高祭ファイナル

2012年08月30日 11時47分33秒 | えいこう語る
昭和39年、団塊世代の子供たちが高校入学時を迎えたため、函館市が学校を新設したのが我が母校函館北高だ。
その年は奇しくも東京オリンピック。日本中が「国威発揚」を意識した時代でもあった。
仮校舎から移って来た1期の先輩たちと私たち2期生だけで、新校舎での生活が始まった。
周囲には民家もほとんどなく、道路の舗装もない。雪が多い日は、学校から随分離れた停留所でバスがストップし、そこから歩いたものだ。
雨の日は川が氾濫し、交通止めで学校が休みになったこともあった。
グラウンドからは函館港が見えた。青函連絡船が青い海原に白い航跡を残し、津軽海峡を往来していた。
みんなで校風を作るという自覚があったようだ。先生方も実に個性的な人が多かった。そんな雰囲気で「自由・挑戦」というのが、我が高の校風になったのではないかと私は思う。


開会式が始まる前、すでに会場の体育館は卒業生や一般市民で超満員だ。
1期生の同窓会長の挨拶より、校長の挨拶が熱気を帯びていた。
体育館の壁側には卒業生の出店があり、それぞれ個性的で世代を感じさせる飾り付けだ。ステージでは吹奏楽ありバンド演奏ありで会場は盛り上がる。
体育館は火災報知器は取り外しているので、焼き鳥の煙と匂いで充満している。
規制だらけの世の中で、こんな自由な人間臭いイベントは初めてだ。
※同級生たち。


ベルギーから駆けつけた悪友のK君「俺も手伝うから、俺の持ち分を確保してくれ」と、帰国前に電話が入っていた。
ところが彼、鉢巻はしたが出店の後方に座ったまま、じっと眺めて動かないのだ。
彼と私は、バンドを組んでこのステージにたったことがある。
待ちわびる生徒を前に、緞帳を閉めたままで、ベンチャーズの曲を演奏する。緞帳の向こうで聞こえる声援、やがて緞帳が静かに開き演奏の私たちが現れるのだ。当時、高校生らしからぬ演出で、盛り上がったことを思い出しているのだろうか。
K君は、その後海峡を渡り東京の大学を卒業後、一人横浜港からベルギーに旅立ったのだ。
北海道代表で、花園のラクビーグランドにも立ったことのある屈強のK君が、私たちに見せた涙は、銅鑼の音とともに今でも鮮明に私の記憶にある。
私は後ろに静かに座っているK君を、そっとしておいた。
今では人生の最終章に入ったが、それぞれの人生みんな元気に生きてきた。
「自由・挑戦」あの校風は、ファイナルに再燃したのだ。
※暑さを避け、体育館の外で涼む同級生たち。


久しぶりに歌った校歌。
♪はるけき代々を照らすべき
不滅の炬火をかかげなん
♪おのれつちかふ年を経て
春繚乱の花は咲きみのりたわわの秋や来ん
♪友垣むすぶ日吉台
苦難を超えて鍛えゆく三歳の時のたふとけれ
作詞 広瀬龍一
作曲は我が1年の担任だった、寺中哲二先生だ。
今日始めて、歌詞の内容を理解し、感動しました。
ゴメンナサイ。
まもなく解体になる校舎。
ありがとう北高。


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2 コメント

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Unknown (みどり)
2012-08-30 12:28:03
 高校時代の同窓会が、下級生や地域の人たちも迎えるオプーンな場で催されるとは、素晴らしいことに思えます。
昔を懐かしみながらも、お互いに元気で再会できた大きな喜びが此方へも伝わってきました。
 いつまでもお元気で、地域社会のリーダーとしてもご活躍下さい。
Unknown (■かわぐち えいこう)
2012-08-31 12:23:19
みどりさんへ。一見無秩序に見えるけど、根底に流れる精神は共有しているというのは、爆発的エネルギーを生むようです。エゴの調整ばかりでは完成度が低くなります。一人一人がある程度の高い精神(理想)を持っていることが必要です。田舎のまちづくりは、そこがむずかしいところです。社会教育の充実を政策にしている地域は、まちづくりも完成度の高いものがあるようです。

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