▼役職や組織の後ろ盾で、自分を過大視する人間は嫌いだ。それらの鎧を脱ぎ捨てた時、人がどう評価するかが問題だと思うからだ。
▼今日のテーマ「私が自制心を失う時」だが、半世紀近く生活を共にしている妻に言わせると、
私は「自制心」という言葉を使わない方がよいそうだ。
▼かといって、私は全く自制心に欠けるなどとも思っていない。ただ、組織の巨大さをバックに、納税をしている国民に対し、無言の圧力をかけながら仕事を遂行する人間が嫌いなのだ。
▼私が最も嫌いな組織は警察だ。警官は国民の生命・身体・財産の保全のために、日夜勤務している。治安維持を行っている行為に対し、感謝の意を称する。
▼前置きはこの位にして結論に移りたい。先日函館市内で運転中に、一時停止無視で罰金“7千円”をもぎ取られた。
▼私の地域には信号はあるが、一時停止の標識はない。たぶんないはずだ。人口が800人程度の過疎の地域だからだ。
▼1週間に一度50キロほど離れた函館市内に買い物に出かける。市内を走り回ると、一時停止や進入禁止の標識がたくさんある。
▼周囲を見渡しているうちに、つい一方通行に侵入してしまい、対向車から注意を受けることもままにある。
▼「田舎者なので道がよくわからないのでごめんなさい」と心でつぶやく。その程度で済まされる問題だと思う。
▼先日、ほとんど通過したことがない道路を走っていたら、T字路差し掛かった。左右を確認し車が走っていないので左折した。
▼ところが後ろから白バイが追い付いて、停止するよう指示された。「一時停止違反」だという。どこかに隠れていたようだ。
▼左右を確認し車が走っていないので、標識があるのを見落としてしまったのだ。私にとっては“たったそれだけのことだ”。
▼「注意だけで済まされないのか」、「経済が疲弊する世の中で、このぐらいのことで、7千円も国民に負担させる行為は、行き過ぎではないか」、「規則は規則だが、3千円ぐらいが妥当ではないか?」と、自制心を黒塗にしてまくしたてる。
▼私の怒りに火が付いたのは、免許書を提出させると、車の中で待っていてくださいといったことだ。私を無視し一方的に違反切符を切っている姿に、私の怒りも爆発した。
▼車から出て、警官にこう言った。「私は町会長だ。交通安全教室を開いたり、小学校の児童の見守りもしている。こんな違反ともつかない違反に罰金を課すなら、私は金輪際交通安全教室など廃止する」。
▼「それだけはよしてください」、「それとこの違反は別なことですから」。「何が別だ。感情を害されたら、素直に安全教室など開催できるか」。
▼私は7千円分の腹いせを言い切った。こうでなければ、ちょっとしたミスで善良な国民?に、多額の罰金を払わせる、警察という権力組織を、許せないからだ。近くの郵便局によりすぐ支払った。
▼妻が証言になってくれるが、近年一時停止の場所に来たら「5秒停止」を心掛けている私だ
。ある若者から「ゆっくり5回数えれば、事故防止になる」と聞いたからだ。
▼若い頃からなぜか警察という、巨大な権力組織が嫌いだ。だが、町会長の職責は交通安全に協力する立場にある。私は一切参加はしたことがない。
▼だが、私の地域は来年の初めに「交通事故死1万日達成」を控えている。地域全体の町会長として、昨年から安全教室開催を行っていた。
▼にも関わらずだ。全く私の交通安全に対するわずかの努力を無視し、白バイがどこかに隠れていて、私に“7千円”もの罰金を科したのだ。
▼私は当然自制心などその現場に置いてきて、交通安全教室の中止を決めた。私が今まで交通違反で捕まった時、警官に口答えするする自制心のなさを非難していた妻も、今回だけは「警察も行き過ぎだよね」と私に同情していた。
▼「一国の元総理の命も救えないのに、国民に高額の罰金を科す行為は、許されるのか」という言葉は、さすがに控えた。
▼帰りの車の中で、昔ある警察官の講演で聴いた話を妻に話した。戦後間もない頃の駐在所のお巡りさんの粋な仕事ぶりだ。
▼乳飲み子を背負い、幼い子供連れの母親に出会った。籠の中には川で密漁した“鮭”が入っていた。「お母さんこれは大根だよな」と言い、見逃したという話だ。
▼近年世界中で【寛容】の精神が失われている。人々が明るく楽しく暮らせる社会、それが真に「安全・安心な社会」ではないかと思う。
▼何か大きな事件があるたび、規則を改正する傾向が強くなっている。規則を厳しくすることで、人間社会が委縮しては本末転倒だ。
▼久しぶりにすっかり自制心のなさをされけだした。実は就任を固辞したのだが、今年から函館市町会連合会・青少年育成部長に就任した私だ。
▼この役職は、教育委員会と密接なつながりがあるようだ。健全な地域社会、健全な人間形成は、教育にかかっているというのは、確かプラトンの言葉だ。
▼自制心を失わず、近年の教育というものの現実を、ちょっぴり学びたいものだ。