▼私は妄想好きだが、元総理の安倍晋三が射殺されるなどとは思ってもいなかった。だが、現職であればそのような可能性もあったのではないかというのは、ちょっぴり頭の隅にあった。
▼「アベ政治は許さない」と書いた言葉を掲げ、デモ行進する多くの国民の姿が脳裏の片隅にあったからだ。総理の頃の「アベ政治」は、戦争放棄を放棄させようとする、憲法無視の政治を行っていたからだ。
▼晋三が二度目の復帰を果たした2012年。「自民党憲法改正草案」が発表された。晋三に言わせれば「わずか8日間で作成されたGHQによる“押しつけ憲法”を替えて、自主憲法をつくろう」という内容だ。
▼本丸は「憲法9条」の改正だ。周辺国の脅威を煽り、いたずらに国防意識を高め、憲法改正の流れを加速しようという姑息な手段だ。
▼憲法の知識など皆無だった田舎おやじの私でも、「自民党改憲草案」は、まったく現憲法を無視するものだと感じた。
▼それに憲法改正のハードルを低くするため「憲法第96条」の改正は、衆参両院での3分の2の賛成で発議というのを、2分の1としようとしたことなど「憲法第99条(憲法順守義務)」の軽視も甚だしい。
▼さらに気を付けなくてはならないのは、国民が憲法をよく理解していないことをいいことに
、「緊急事態条項」・「環境権」・財政規律条項」を先に制定しようとしていることだ。
▼つまり国民が知らぬ間に、憲法改正をやってのけるという魂胆だ。2015年の集団的自衛権行使容認を認めた安保関連法の制定は、限りなく「9条破棄」を意味するものだ。
▼東京五輪開催で「福島原発事故の汚染水は、完全にコントロールされている」という発言は、世界も欺く内容だった。
▼憲政史上最長の政権を担ったその実績を称え、秋にも【国葬】で行いたいとキシダ総理が発言している。
▼国葬で国民の意識をまとめ上げ、衆議院解散をおこない、【憲法改正】へとなだれ込ませようとする、歴史的な大策略も見え隠れしている。
▼2022年秋の陣は、戦後日本民主主義の最大の危機となりそうだ。さらに思い出してほしいのは、1945年8月原子爆弾が落とされ日本は地獄と化した。
▼晋三は死の間際に【核共有】を口にした。軍事国家になれば、核の保有は当たり前という示唆だったのだろう。
▼電力不足を理由に「今冬、原発最大9基稼働」というキシダ総理の発言に、何かきな臭さが漂うものがある。原発の原料は原発の運転で生じるからだ。
▼晋三の葬儀は、派閥か自民党葬が適当に思う。【国葬】は、「憲法改正」への最大イベントになってしまいそうだからだ。国費を導入してまでのことではないからだ。
▼安倍晋三への国民の香典は「アベノマスクの260億円」で、十分ではないか。私しは晋三の出現により「憲法」を学ぶことができた。平和の尊さを改めて感じさせた安倍晋三に、心から弔意を示したい。
▼私たち国民は、安倍晋三の意志を尊重し【積極的平和主義】を掲げ、この【美しい国】を永久に守っていきたいと決意します。 合掌
※私の親戚で、戦争中重爆撃機に乗っていた人がいた。酒屋だったが酒が弱く、飲めば「胴上げして解剖」か、それとも「解剖してから胴上げか」という、奇妙な言葉を発していた。
晋三の国葬扱いが浮上する中、その言葉を思い出したのだ。
国葬にすればは「胴上げして解剖」ではないかと思う。国民の弔意を集結させるのは胴上げ(国葬)だからだ。
国葬の前に徹底解剖すれば、国葬は適当でないと思うのだが。