▼北海道新聞6月20日に、東工大・中島岳志教授(44歳)が「百田直樹現象と山本太郎現象」という興味深い論評を掲載している。
▼百田(63歳)は右派的歴史観を持つベストセラー作家だ。言動は率直すぎて顰蹙も買うが、普通のオヤジっぽさが人気なようだ。
▼山本(44歳)は原発反対を叫び、国会質問では、アベ総理に軽妙洒脱で強烈な突込みをし、人気上昇の参議院議員だ。最近『れいわ新選組』などという、政党の代表になっている。
▼この二人に共通しているのは「反権威主義」で「ごく普通感を忘れず」にいることだという。「情念の過激さ」こそがポピュリズム政治の養分であり、ポピュリズムの特徴は反エリート主義である。エリートによって独占された既成の体制、秩序を打破し、民衆の本音や意思を実現しようとする運動こそが、ポピュリズムに他ならないと、中島教授は分析する。
▼「ごく普通感」というフレーズに、私の心が反応する。それはアベ政権の閣僚の面々だ。改憲にあたっては「ナチスのやり方をまねてはどうか」といったのは、失言魔王の麻生太郎だ。進まない改憲にいら立っての発言だろうが、ナチスを引き合いに出すのは、あくまでも低レベルな普通感だ。
▼「放送局が政治的な公平性を欠く放送を、繰りかえしたと判断した時、電波停止を命じることもある」と発言したのは、元総務大臣の高市早苗だ。政府に都合が悪い報道の自由を制限したいという、普通感からでた発言だろう。
▼首相の靖国参拝に「失望した」とコメントした米国に対し「そのコメントに失望した」と発言したのは、アベ総理の総理補佐官の衛藤晟一だ。右派の代表的人物だが「対米従属」に辟易している今の我が国では、普通感を前面に出した発言は「対米自立」を想起させたに違いない。
▼そして、その親分格が総理のアベシンゾウだ。発言内容をいちいち並べ立てなくとも、我が国の多くの憲法学者が「総理の憲法解釈は間違っている」と指摘されるほど、あまりにも「普通感あふれる」学力内容だ。我々一般国民同様に「嘘を普通につく」?!極めて大衆性のある総理なのだ。
▼大衆と同列で親近感のわく総理なので、国民が期待しているオリンピック招致で「福島原発事故の汚染水は完全にコントロールされている」と世界に嘘をついて招致を獲得しても、国民の支持率はいまだに高いのだ。そういう意味では、大衆の心をしっかりつかんだ総理といっても、過言ではないだろう。
▼近頃、我が国が右傾化する傾向にあるのを実感する。それについて中島教授は「左翼のエリート主義は次第に権威主義をまとい、大衆の情念から乖離していった。そこを右派に奪われているのが、グローバル社会で進行する右傾化現象だろう」と解説する。
▼私事で考えてみれば、我が村が財政難というだけの理由で、2004年に函館市と市町村合併をした。永年培ってきた地域のアイデンティティーが崩壊するのを危惧し、反対運動のグループの結成に参加し、市議会の合併協議会にも呼ばれ、意見を述べたりもした。
▼その運動を後で検証してみたが、普段は地域の“しがらみ”からの解放が自分の生き方だと思っていたが、地域を守ろうとする「郷土愛」は、私の中には潜在的に存在していたといううことに気付いたのだ。つまり市町村合併は、私の右傾化の液状化現象だったのだ。
▼市町村合併は、中島教授が言うグローバル化だ。私の中ではグローバルに抗うかたちで「愛郷精神」が、強化されていったということになる。そんな時代を的確にとらえているのが、アベ政権の長期化の要因ではないだろうか。
▼と考えてみたけど、アベ政権とは、右派エリート主義とは程遠いような内容だ。単にアベ総理の「普通感=単純感」が、大衆のレベルに近づいてきたため、内閣支持率が維持されているのではないかと思う。
▼『そこの国のトップをみれば、その国民のレベルがわかる』といわれるが、世界からそう思われないために、我々国民は、真の【愛国精神の涵養】に努めなければならないようだ。
▼というような思いを国民に思わせるのことが、アベ政権の【憲法改正への道】へと、知らず知らずに同歩調せられている、今の我が国の大衆の現状ではないだろうか。
▼中島教授の「百田尚樹現象と山本太郎現象」という記事の、大見出しは≪【反権威主義】大衆の心をつかむ≫。というものだからだ。
▼なかなか共闘を組めない野党の「エリート主義」が、声高に叫ばれるほど、大衆が野党から離れていく様子が目に見えているのが、今の我が国の右傾化の現状ではないかと思うが。