▼町会のオールド・レディー(以下OL)たちが、パークゴルフを始めたらしい。中の数人は以前数回コースに出たことがあるというが、他は初めてだという。健康増進にはいいことだと思ったが、数日後に大会に出るという。
▼あまりにも無謀過ぎると、元ゴルフ場勤務でそれも競技課担当だった私は、驚きあきれてしまう。「ゴルフは紳士のスポーツで、マナーを重んじるのが最良」と、先輩から厳しく指導された時代の私としては、この軽率な行動を?見過ごしてはならないという“老爺心”が頭を持ち上げる。
▼コースは車で15分ほどの隣町にある。パークゴルフ場としては、周囲の山並みの景色にマッチしたレイアウトで、これがゴルフコースなら、チャンピオンコースに近いだろうという立派なものだ。
▼なんと70歳以上は無料で、クラブとボールを借りても300円だ。素晴らしいコースで1日遊んで300円とは、ここは天国?!ではないかと思ってしまう。
▼私は一人で出かけ、隣町の愛好会副会長さんにお願いし、同伴していただき指導を仰いだ。「みんな楽しく健康」で、というのがパークゴルフの基本精神だというが、危険防止の観点からマナーはきちんと覚えてほしいという。
▼コースの管理者からは、初心者OLたちに教えてやってくださいと、ルールブックも貸していただいた。私より少し年齢が上と思われる、優勝回数の多い方とご一緒させていただいたが「優勝するなら、フェアウエーを歩くことだ」といった、昔のプロゴルファーの言葉を思い出させるプレーぶりには感心させられた。
▼初心者が大会に出てもいいのかという問いには、同伴者が教えてくれるので、そんなに気にしなくても参加して楽しんでいただきたいという、コース側の言葉も聞いた。
▼OLたちには、最少限のマナーとルールを繰り返し教えたが、打つ方ばかりに熱中し、マナーもルールも大声の笑い声に打ち消されていた。大会終了後の、エピソードが楽しみである。
▼私がゴルフ場に在籍していたのは、田中角栄内閣の「日本列島改造計画」の真っ只中だった。周辺の女性たち80名程をキャーディーに雇い入れ、ゴルフのゴの字も分からない彼女たちを、オープンまでの3ヶ月間、必死で教え込んだ。
▼独身だった私は、自分が必死のあまり、テストも行った。「パー・バディー・・・etc」。家で食事を作りながら、お風呂の中でも勉強したという。今考えれば、イジメに近いものだった!。
▼オープン初日。コースに出るキャディーさんの顔は、全員が緊張という化粧をしたような感じだった。「大丈夫だろうか。今までしっかり勉強したから、だいじょうぶさ」という、キャディーさんと私のアイコンタクトが交わされた。
▼全員がコースに出た後、私はバイクでコースに出て、キャディーさんたちを見回った。私が手を振ると、力いっぱい満面の笑みで手を振ってくる。「私は大丈夫だよ」という合図に、胸をなでおろしたのを思い出している。
▼パークゴルフ場は年配者が多いので、午後3時を過ぎるとほとんどコースにいなくなる。あの時代のゴルフ場の日曜日は、まさに戦場と化すほどの混雑ぶりだった。
▼夕暮れ人が消えた静かな緑のコースを見つめるのが好きだった。あの頃のキャディーさんたちも、近年天国に旅立つ方が目立ってきた。
▼つい最近も80歳を過ぎた、Wさんが亡くなった。当時ゴルフシューズも部下に履かせるという、ある大会社の社長がやってきて、Wさんがキャディーについた。
▼心配だという。笑顔がステキなWさんに「一番傾斜がきつい0番コースに来たら、社長さんのホテルに社員旅行で行った時、周囲の景色や温泉が素晴らしく、食事がとても美味しかったと話しなさい」と教えておいた。
▼仕事を終えたWさんが笑顔で私のところへやってきた。
そのホールで、教えたことを話したら、社長さんからチップを戴いたという。そんなWさんの笑顔が、セピア色した写真として私の脳裏に浮かんできた。
▼4日間続けて私もコースに出たが、このコース、人が少なくなった夕方に、野ウサギが出てくるという。その通り4ヶ日間続けて、3匹のウサギが現れコースで遊んでいた。
私はそのウサギたちに、昔のキャディーさんたちの顔を思い浮かべる。
▼年配者が集うパークゴルフ場。まだ充分ラウンドを楽しめる時間なのに、人気が少なくなった夕暮れ。どこか人生の悲哀が漂っているようで、私の心が落ち着く風景だ。
▼そんな私の感傷なでどこ吹く風で、我が町会のOLたちの大きな笑い声は、コースいっぱいに響き渡っていた。