▼英語で「グローリー」は栄光という意味だ。この語源はラテン語の「グロリオール=自慢する・ホラを吹く」から来ている。ところが「グロリオール」には「選挙演説」という意味もあるというから、語源の発想はなかなかおもしろい。というようなことを、1995年3月23日の北海道新聞のコラム「卓上四季」が書いている。
▼ その日は、ちょうど北海道知事選の告示日だった。コラムはこう続いている。演説をする息子に母親はこう言う。「お前が真実を語れば、ごまかしだらけの生活に安住してきた市民の反発を招くから、真実を語れば人に悪く思われる。しかし嘘をつけば神様に悪く思われる。だからお前は演説をしないほうがいい」。息子はこう言い返した。「私は無意味なことを語ることにする。それは真実でも嘘でもないからだ」と。
▼ さて、このコラムから20年後の知事選が幕をあけた。私たち有権者は、真実を語る候補者を見極める心を有しているのか、歯の浮くような嘘にだまされるか、それとも知人に頼まれて、無意味なことを語る候補者に投票するか。選挙権を得てから随分多くの投票に参加して来たが、この三通りの間を揺れてきたような気がする。
▼ でも、戦後70年になり、どうやら選ぶ基準がはっきりしてきた。『戦争する国に賛成しようとする候補者』『原発推進に賛成する候補者』には、投票しないという決意が固まった。こんなにはっきり決意が出来たということは、戦後日本の、最も重要な選挙になったともいえそうだ。
▼だが、周囲がさほど関心が無いような感じがする。こんな雰囲気がもっとも危険だ。市民生活は政治と直結する。市民を政治に関心を持たせることは、主権在民を意識させることにもつながる。そんなことも、町会連合会の新たな活動のような気もしているけど。