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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

改憲派の考え

2015年03月17日 10時48分34秒 | えいこう語る

▼ 時代に合わなくなった。一度も変わらない憲法など世界に例がない。といわれれば、我が国の憲法は古びて時代遅れで、後ろの山に捨てなければならないような気がしてくる。NHK朝の連続ドラマ「マッサン」の終戦場面を観て、あらためて日本国憲法前文を読むと、人類の理想を掲げた精神の高さに、おもわず「日本国憲法・万歳」を叫びたくなる。

▼ 今月の28日で「マッサン」は終了するが、エリー役のシャーロットさんに、ぜひ「憲法第九条」について、本人の考えを聞いてみたいものである。聞き手は、NHKを代表し,モミイ会長だ。いや、それよりも番組の最後に、会長を出演させてみたい。役柄は、戦後10年ほど経っての町内会町役でだ。

▼ 町会長=「最近の日本人はアメリカかぶれし、魂が腐って来ている。理由は敵国から押し付けられた憲法がそうさせているのだ」。エリー=「愛する人たちがおおぜい犠牲になる戦争は、ぜったいいけません。日本の九条は、世界の人々の願いです」・・・。最後に、みんなで「オールド・ラング・ザイン」を合唱する。町会長もエリーさんと手をつなぎ一緒に歌う。

▼ 人気番組が終了することで、町会長は感極まって涙する。それを見てエリーさんが言う。「涙モロイ会長さんですね」。「エリーさん、わしゃモロイじゃなくモミイだって」。「漢字がむずかしくて、読めなくてゴメンナサイ」・・・出演者全員が笑い、番組は無事終了する。そこには町会役員役で、経営委員のヒャクタ・ハセガワ両氏も登場させると、なお最終回は引き締まる。この二人は、もちろんセリフ無しでいい。

▼ さて、本題から相当ずれてしまったので修復を試みたい。『解釈憲法の手法とは、憲法の文言や論理や趣旨を不可能なまでゆがめることによって、憲法規定が改正されたと同様の状態を解釈の名によってつくり出し、本来違憲の政治を正当化してゆく政治の仕方をいう。改憲派は憲法上、明示的に禁止されていないことはすることができるとする、外見的立憲主義をとるからだ」。杉原泰雄著「憲法」より。

▼ 文章は説明ではない。すぐれた文章は行間を読ませるという。私などは、ついあれもこれもという、いわゆる、おしゃべりが過ぎる字あまりの文章だ。九条の文言などは、世界平和を表現するにこれほど明快なものはない。だが、改憲派と言うのは行間を勝手に解釈し、あらぬことを書き込み、主文の意図を長い年月をかけ改竄する。敗戦翌年の、1946年に文部省が発行した、中学一年生向けの「あたらしい憲法のはなし」にはこう書いてある。

▼ 「戦力の放棄」について。『兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものは、いっさいもたないことです』と説明し『しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません』と記している。これが九条の行間を正しく読んだ文章ではないか。アベ内閣は、中学一年ほどの理解力もないということになる。

▼ 憲法の鎖によって(為政者)が非行を行わないよう拘束するのが立憲主義のあり方で、国民主権とはそんな義務を要する。しかし、国民は新憲法成立以来「国民主権」ということをどれほど自覚してきただろうか。この自覚のなさが、改憲派の台頭を許してきたのではないかと、ちょっぴり憲法の本を読んで、鼻息を荒くした今朝の私です。

▼日本国憲法とは、国民に与えられた「水戸黄門の印籠」ではないかと理解した、読後の感想です。