▼ 我が地域、椴法華と隣接する恵山地区、そこにそびえる活火山恵山。四季の織りなす様は、子供の頃から見慣れてはいるが、感動は年を重ねるにつれ鮮明だ。数百種類といわれる高山植物の群生も、自慢に値する光景だ。私は密かに「世界恵山」と呼んでいるのだ。
▼ そこに、年明け早々、地熱発電所の計画が持ち上がった。将来の脱原発に向けての、新エネルギー開発の国策の流れの中で、東京の民間企業が函館市の協力を得て、実施しようというものだ。地域振興策も盛り込まれていて、内容的には申し分がない。だが私の脳裏に浮かぶのは、この計画の進め方が、大間原発誘致に至った経緯と酷似しているような気がするからだ。
▼ 温泉へ行く用意のバックに、以前読んだ「環境倫理学のすすめ」を詰め込んで、隣町にある、縄文露天風呂へ出発する。途中に、北海道発の国宝「中空土偶」がある、縄文交流文化センターに立ち寄る。ガイド役のOさんと縄文の世界にタイムスリップして話し込む。Oさんは、この町が遺跡発掘を始めた頃から、作業に従事した主婦だ。土器を発見した時の感動を、身をもって伝えてくれるから、聞くものの心をとらえる。さらに彼女は、主婦や母親の立場から、縄文の生活を描き出す独特の感性があるので、私も縄文時代に入り込んでしまうのだ。
▼ 環境問題はもちろんだが、戦争のない共生の縄文社会に話が及ぶや、アベ総理批判で意見が一致してしまった。「中空土偶」も、二人の会話に笑っているのではないかといいながら、東北を含む北海道の縄文遺産群が、ユネスコの「世界遺産」に登録される意義を確認し、館を出た。出口の案内譲とも、縄文センターの魅力について話した。
これから、乳白色の縄文露天風呂に行くと伝えると「それはいいですねと」笑顔をみせた。縄文の里には、いい人が多いようだ。
▼ 風呂に入る前に、畳が敷いてある大広間で、本を読んだ。平日なので、客は少なく静かに本が読める。実は函館市立図書館に行く予定でいたが、温泉に入り読書の方がいいと思いつき、こちらを選んだのだ。Oさんとの会話から「環境倫理学」についての講義も受けたし、アベ総理批判もしたし、心が晴れ晴れし、露天風呂へと向った。
▼ 誰も入っていない、乳白色した硫黄温泉に、雪が静かに舞い落ちている。湯船に使いながら、縄文世界と雪と、露天風呂で一句考えたが、なかなか浮かんでこない。「山間(やまあい)の雪と一緒の露天風呂」・・・「雪と入る縄文里の露天風呂」・・・なんかしっくりいかない気分だ。湯船に落ちては、はかなく消える雪を見つめているうちに、若い頃の自分に立ち返って、ひねってみた。
▼ 「雪が降る露天風呂にて思うこと 恋の切なさ恋のはかなさ」という句が、口を付いた。
浮かんできたのは。低音の魅力の歌手、水原ひろしの♪「黒い花びら」だからだ。年齢を重ねるというのは、周囲に影響されながら生きているということなのだろう。だからこんな程度の句しか、生み出すことができないのだ。
▼自分らしく生きるというのは「共生」ということとは違うのではないか、などと自問自答してみた、縄文露天風呂への、日帰り小旅行だ。