▼ 1954年(昭和29年)という年は、私にとって、印象深い年だ。3月に米国がビキニ環礁で水爆実験を行い、第五福竜丸が被爆し「放射能マグロ」というのが記憶にある。9月、台風15号で洞爺丸が沈没、多くの犠牲者が出た。11月に、映画「ゴジラ」が初上映されている。さらに、この年は、我が村は道庁から合併を勧められたが、合併せずという意地をみせた年でもあるからだ。
▼ ゴジラが我が村で上映されたのは、それから2~3年経ってからだろう。漁村だったので、ゴジラが海からやって来て上陸するというのが、とても正しい登場の仕方で、かっこよかったのだ。いまだに水平線を見つめていると、ゴジラを思い出す。村にそびえ、噴煙を上げる恵山(618M) の山頂からも、ゴジラがひょっこり顔を出し、ガオーと叫びながら、火を吐くのではないかという期待感も、捨てがたく保持しているのだ。
▼ ゴジラは、太平洋の海底で暮らしていた恐竜の生き残りが、水爆実験で被爆し、突然変異したものだ。放射性物質の塊で、日本に放射性物質を多量に撒き散らすのだ。広島・長崎の原爆投下の記憶を呼び起こすと共に、福島第一原発事故も連想させるような存在なのだ。
▼ ゴジラが海から上陸する時は、津波が起こったに違いない。さらに足音は、大太鼓を鳴らすようなドーン・ドーンという地響きだ。まるで地震のようではないか。ということは、ゴジラは、3:11東日本大震災と原発事故そのものなのではないだろうか。
▼ この映画のヒロインは、女優河内桃子さんだ。彼女の祖父は大河内正敏という。戦時日本の原爆研究は、軍部から民間の理化学研究所に委託される。その総帥が大河内氏だ。広島に新型爆弾が落とされた時、放射能を測定し原子爆弾と断定したのが、研究所の仁科博士だ。その下に朝永振一郎博士が働いている。STAP細胞問題の現在の理事長野依良治氏もノーベル化学賞受賞者だ。事件の責任を感じ辞任するらしいが、この研究所はほとんどが税金で運営され、14年度予算は834億円という。小保方さんは理研ゴジラの人身御供にされたのではないかと、いつもの邪推に耽ってしまう。
▼ 外に出て海を眺めてみる。対岸の下北半島の大間町から、ウラニウムとプルトニウムを大量に吐き出し、ゴジラが海峡を渡ってきそうな気がする。マグロもタコもイカもウニもエビもコンブも、放射性物質で汚染される。五稜郭タワーも函館市役所も踏み潰される。我が援軍のイカール星人など、早々、どこかへ逃げてしまったようだ。
▼ ゴジラは函館山に登り、放射線を吐きまくる。経済産業省の持っていく、大間原発反対署名簿14万人分も焼かれてしまった。青森も函館も全滅だ。「ゴジラ、それはあんまりだ」というところで目が覚めた。映画で観ただけのゴジラが、半世紀以上経って、大間原発となって眼前に登場してきた。昨夜読んだ片山杜秀著「国の死に方」という最後に、ゴジラの記述があったのだ。
▼ 脱原発を成し遂げなければ、ゴジラは次々現れるに違いない。「青函の興廃この大間原発にあり、天気晴朗なれど津軽海峡波高し」。この言葉が、また口をついた。
▼私のブログを読んでいただいている、神戸のSさんから、東京電力が株主に配布した大間原発の資料をいただきました。ありがとうございます。