夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

歌学び、初学び (その十九)

2015-02-08 23:02:36 | 短歌
今月の「初心者短歌講座」は、先生の他に5名が参加。
今回の私の詠歌は、先日、立春の日に詠んだ歌を提出した。

私の勤務校は、岡山駅からそう遠くない、小さな山に接した傾斜地にあるのだが、ここからは、京山・半田山・操山の岡山三山(と私は勝手に名づけている)に囲まれた市中心部がよく見渡せる。

立春の日、私は、校舎の最上階の教室で入試の試験監督だったため、岡山の街を窓の向こうにずっと眺めながら仕事をしていた。
この日はよく晴れて、朝のうちは街全体が霞みがかって白く見え、ハレーションを起こしたように光を散乱させていた。
街が乳白色のドームに包まれたように見えたこの光景を、なんとか歌の形にしたいと思いながら、なかなか表現が追いつかず、中途半端なままで提出してしまった。

(提出歌)
  春立てば霞にこむる岡山の街に光は白く満ち充つ
(添削後)
  春立つや霞こめたる岡山の街に光は白く満ちたり

先生から、初句はストレートに表現すべきだと言われ、上のように直された。
また、春立つことを詠む歌としては、言葉がはっきりしすぎている難も指摘された。
たしかに、昔から立春詠は、

  春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん(拾遺集・春・1・壬生忠岑)
  み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春は来にけり(新古今集・春上・1・藤原良経)

のように、冬の気配をまだ残しつつ、春の訪れがかすかに感じられる風情を詠むべきものだ。

(提出歌)
  光の暈(かさ)の包む岡山市街地を東西に貫(ぬ)き新幹線は行く
(添削後)
  日の暈の包む岡山市街地を東西に貫き新幹線が行く

第五句は、「新幹線」でなく「新幹線」と指定する言い回しの方がよいと指摘された。

(提出歌)
  街を包む霞に光は散らひつつ家々の屋根にさはに注げり
(添削後)
  街を包む霞に光は散乱し家々の屋根に降り注ぎたり

先生からは、「散らふ」は今の言葉で「散乱する」と表現すればいいし、「さはに」(たくさん)はなくてよいと言われた。
たしかに、「さはに」と説明しなくても、自分の心の捉えた光景を、適切な言葉で表現していれば、読者にそのイメージは伝わる。
もっと言葉の映像喚起力を信じて、必要最小限なことだけ表現し、あとは読者の想像に委ねるようにしなければならないと思った。

感想
先生のは①の歌に付いていた。
今回、先生の添削と指導を通して、私がその歌を詠んだり推敲したりした時に考えていたことと、かなり重なっていることがあったのに驚いた。
①の第五句は「満ち充つ」か「満ちたり」かで迷ったし、③の第三句も元は「散乱し」とあったのを、漢語を嫌って「散らひ」と直していた。
この講座に参加するようになってちょうど一年、ようやく先生の教えが自分の中に根付き始めていることを感じるとともに、これからも多くの近現代の短歌に触れ、自分でも詠んでみることを蓄積していかねばならないと思った。

今回の「初心者短歌講座」の話題は、また次回取り上げる。

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