ちょっとですが、季節には敏感になっているようで、
今日のように暖かいと仕事をとめて戸外に出てみたくなって、
「うちにも梅の木あったよな。」
と、探してみたけど、
いつの間にか切ってしまったようでなくなっていました。
・・・残念。
代わりに。
という訳ではないけど、
随分前に「もう終わりだな」と感じた椿の花が、
意外と粘っていて、まだ咲いています。
ピークではないので、
みずみずしい張りはなくなっているけど、
ミツバチが集まってきていたり、
まだこれから開く蕾もあって、
こんなことを楽しめるようになった自分が
ちょっと好きだったりします。
全文書き終わって、
あれは本当に椿なんだろうか?
って、ちょっと不安になっていますが・・・。
「 今は、本が売れるか売れないかは、
内容が良いかじゃなくて、仕掛けの上手さなんですよ!」
って聞いたのは、何年もまえのことです。
読んでも面白かったから、
これは仕掛けだけではないと思うけど、
このタイトルでなければ買わなかっただろうとも思います。
カバーのデザインでタイトルが、
ひと目で読める様になっていないのは戦略でしょうか?
内容は、タイトル通り!
「 あとがき 」も含めて200ページほどですが、
昨日夕方に届いて、一晩で読んでしまえました。
タイトルの強烈さで買ったけど、
これを書店で見つけても恥ずかしくて買えないなぁ・・・。
インターネットというインフラがあることも含めての
販売戦略なのかも知れません。
紀元節でした。
2677年間のこの国のかたちを
ほとんど、司馬遼太郎の歴史観で見ている気がしますが、
この人の文章は説得力があるんですよね。
司馬が亡くなったことで
未完となった『 この国のかたち 』第6巻。
シリーズを全部読み終わって、
頭に浮かんだのは、
「 この本、◯◯さんに合っている! 」
でした。
他人から無理やり押し付けられて読まされる本ほど
迷惑なことはなかろうと思いますが、
( 私が他人からされたら迷惑ですが )
近々お会いするときに持っていこうと思います。
きっと、興味深く読んでもらえると思っていますが、
読んでみて、もし楽しくなければ返してくれれば、
私の価値観では問題ないので!
昨日見せてもらった
物知りの江本さんの膨大な蔵書の一部。
その中の1冊 『 好色一代女 』 第2巻の( おそらく )初版。
井原西鶴です。
ビックリなのは [ 元禄拾一年 ] の発行。
『 忠臣蔵 』 の “ 討ち入り ” より4年も古いんですね。
「 和紙ってスゴイなぁ! 」
「 この意味の言葉には、この漢字を使う 」
って決まったのは明治以後のことで、
それまでは、書き手それぞれのセンスで漢字をあてていた。
とは聞いていましたが、
同じ本の巻末では、[ 元禄拾一年 ] の “ 年 ” に “ 歳 ” の字をあてて、
[ 元禄拾一歳 ] になっています。
私達が使っている “ 年 ” をあらわすのに、
この “ 歳 ” や “ 季 ” を使っていることもあるとのことです。
きちんとした華押が入っていることから推測して、
おそらく元は身分のある武士が所有していたものだろう。
とのことです。