とても豊かな気持ちになれる日ってあるんですよね。
恒例の 『 新春 " 邦楽 " コンサート 』 。
( 有田川町教育委員会主催です。 )
第1部は辻本さん一家の 『 邦楽家族 』 の演奏。
第2部は例年どおり、尺八の 辻本好美 さんと、
今年はギターの YUTAKA さんの演奏でした。
“ 気持ち良い ” んですね!
毎年同じことを書いている気がするけど!
5日に買いに行ったらチケットが1枚しか残っていなくて、
一緒にって頼まれていた友達の分と2枚。
主催者にお願いして用意してもらうほど売れていました。
この催しにこれだけ高い関心を持つ
有田川町の人達もすごいなぁ!
と思うのです。
演奏のとき、
以前気になって好美さんに質問したことがある、
膝を持ち上げて管尻を押さえる高音を出す手法。
最近見ない気がして、
コンサート終了後に訊いてみました。
「 今日も、高音が欲しい曲があったけど、
あえて使わなかったんです。 」
とのこと。
別の手法でも出せるけど、安定していない。
とか、色々あるらしいです。
素人には解らない、
プロのレベルのことがあるんでしょうね。
最近、
自分の中で無理やり関係づけている感じの
“ 偶然のご縁 ”
『 蘇州夜曲 』
李香蘭つながりやぁ ・ ・ ・ !
帰りに、同級生が連れて行ってくれた
徳田の HERB+CAFE っていうお店。
ハーブティが美味しくて、
とても気持ち良い 『 空間 』 って言うか、
『 空気感 』 も良かったなぁ。
とても豊かな1日でした。
文字を読むのが非常に遅いけど
何冊かを並行して読むタイプなので、
同じ日に2冊読み終わったりします。
「 住友の家祖は宗教家だったので、
銅山を投機の対象と見ず、
天与の資産として着実に採取することを使命とした。
そのために、
戦後の財閥解体の痛手も最小限に留める結果になった。 」
そういうことらしいです。
・ ・ ・ ホントかどうかは知らんけど。
日本人の “ 職業観 ” 的には気持ち良い話ですね。
昨日観たテレビで、
「 昭和のフォークソングには手触りが感じられる。 」
って武田鉄矢さんが話していて、気になっています。
音楽は触ることが出来なけど、
何か理解できる比喩なんですね。
建築は物理的に 『 触る 』 ことが出来るけど、
それとは別に、
“ フォークングの手触り ”
みたいな感覚 ( 感触 ) もあるような気がするのです。
そういうのが
“ なんとなく気持ち良い ” 空間につながるのでしょうね。
ただつくればいいんじゃない。
“ 仕事 ” ってそういうものなのだろうと思うのです。
関係なさそうな2つの物事が、
意外なところで結びつくような偶然に
最近とても敏感になっています。
( って言うか、元々そういうのが好きです。 )
李香蘭を読んで、
愛新覚羅浩さんのことを読んだら、
次は、満州つながりで
甘粕正彦か、川島芳子かだろう!
って、マイルールですけど!
で、東濱口家の見学の後
ア・マ・カ・スって呪文みたいに唱えていた
同級生のヒロミちゃんの呪い ( 失礼!) で
甘粕に行きました。
映画 『 ラストエンペラー 』 では
坂本龍一さんが演じていたのが甘粕です。
小説のような感じではなくて、レポートみたいに
周辺のことまで資料をあげて細かく書かれていて
読みやすくはなかったけど、
随分ア・マ・カ・スの印象が変わりました。
映画でもドラマでも、
怪しいヒトに描かれるから、
私も 甘粕=悪いヒト だと思い込んでいましたけど、
この本で描かれているのは、
論理的な人情を持った人でした。
なかでも、
満映理事長時代の日本人と中国人のあいだに
大きな区別を許さない姿勢。
( このことは李香蘭のドラマでも描かれていたけど。 )
よんどころ無い理由で間違いを起こした人への
温かい対応。
色々な計算があってのことかも知れないけど、
普通の人よりヒトっぽい印象でした。
これを読む直前に読み終わった
高村光太郎の 『 智恵子抄 』 。
この智恵子に東京に行くように勧めたのが、
福島の女子師範学校を出て、
地元の小学校の教員になって智恵子を教えた
甘粕正彦の奥さんの叔母さんだったそうです。
それから色々あったでしょうけど、
「 東京には空がない 」 って、
智恵子が心を病んでいく始まりがここにありました。
サラリーマンの頃、
突然あるときからおかしな言葉を使う若者が、
部下で入って来るようになって どうしたことか?
と思いましたが、
コンビニやファーストフードのアルバイトで教えられた言葉を
敬語だと思って使っていたみたいなんですね。
昔の吉原で使われていた
「 ありんす 」 とか
「 ざます 」 っていう花魁の言葉は、
田舎から連れてきた女の子が
「 だっぺ 」 とか
「 だっちゃ 」 とか言ったらお客がシラケるから、
特別な言葉を作って誤魔化したものらしいので、
同じように
敬語が使えない若者に敬語らしきものを
しゃべらせるために開発したのが、
あのコンビニの言葉かも知れませんが。
言葉そのものも気持ち悪いけど、
人間同士なのに
心を感じないことがもっと気持ち悪いんですよね!
そんな感じなので、
近くのコンビニでも自分が行くお店は、
少しでも気持ち良いところに限られてきます。
余計なことをおしゃべりする訳ではないけど、
レジに入っている人たちの人柄って
何となく感じ取れる気がするんですね。
今日、良く顔を見るレジのおねぇさんから、
「 明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 」
って、マニュアルではない言葉で挨拶されました。
ちょっとしたことなんです。
ちょっとしたことだけど、
無機質な感じがするコンビニの中で、
こんな言葉がとても気持ち良いんですね。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
京都のから紙屋さんからいただいた年賀状ですけど、
わたし、『 ディスプレイデザイナー 』 を
名乗ったことは1度もないけど ・ ・ ・ 。
ご依頼を頂けばさせて頂きますが!