CAOS=ひゅうまんすけぇる

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CAOS

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上手く自然と付き合う

2014-08-10 | 日記・エッセイ・コラム

 台風って、

何故かだいたい夜に来るし、

昼間に来てもあまり外に出ないから

実は建物の周りでどんなことになっているか、

あまりシッカリ見たことがないんですね。

 

 今回の台風は昼間来ました。

午前11時ごろ、

この辺りでは1番大変なときだったと思いますが、

北側の窓から見える建物を観察していました。

 

 雨が、

真横に降るとか、下から降るとか、

そんな規則正しい感じではないんですね。

渦巻きながら屋根の上を走り回っている感じ!

北隣の家の屋根に谷になった部分があるんですけど、

ここに集まった水が樋では飲み切れずに、

溢れているのですが、

水飲み場の水道みたいに、

ぴゅー って飛び出しているのには驚きました。

 

 建物って、

屋根や外壁の仕上材料で雨を防いでいると、

一般の人は思っているけど、

実は屋根瓦や外壁材では水は止められなくて、

入った水を建物に悪い影響がないように

どうして外に出すかを私たちは考えます。

 

 住宅建築の場合は、

日頃の平穏な暮らしでも、

うまく自然を取り込むことを考えますが、

台風のような現象に対しても、

やはり上手く自然と付き合うことを考えるのが

大切なのだろうと、改めて思ったのでした。

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紀州の殿様 やりすぎ!

2014-08-06 | 日記・エッセイ・コラム

 御三家で

55万石の殿様なら、

100年経っても領民の祖先から

自慢に思われても良さそうなのに、

和歌山県民が 「 うちの殿様 」 を

誇りに思ってるように感じたことがあまりなくて、

何となく不思議でした。

 和歌山市内の人は、

他の地域の人よりお城に対しての愛着はあるようですが、

それも、

小さなころに遊んだとか、

おじいちゃんによく連れて行ってもらった。

みたいな感じで、

殿様に対しての想いではなさそうなんですね。

 

 ほかにもそんな風に感じていた人がいたようで、

司馬遼太郎が 『 街道をゆく 』 のシリーズの

P1060991

『 壱岐 ・ 対馬の道 』 のなかで、

紀州人が一般に

徳川家を懐かしまない理由はここにあるという説がある。

と説明しているのを見付けました。

 

 年貢米の取り分は、

江戸時代初期は 四公六民の割合 で、

農民の取り分が六割だったのが、

時代がくだるにつれて

六公四民 の割合が普通になった。

紀州徳川領はもっとひどくて、

八公二民 の割合で搾取されていたということだそうです。

 

 将軍家の直轄領では初期の税率が守られていた。

そうなので、

これでは、「 うちの殿様 」 に思い入れがないのは

仕方ないかも知れません!

 

 

コメント (2)
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